夫の不貞を妻が支払う
子宮頸がんをテーマに書きたくてこの話が出来上がりました。
子宮頸がんは性病ではありません。
ある日突然、カスバルは父から強制されて婚約が決められた。
事業提携のための完全な政略結婚だった。
初顔合わせで感じたのはそこそこの美人ではあるが、始終俯いていていて覇気のない女だという印象しか抱けなかった。
伯爵家の長女で貴族らしい女性なのかもしれないが「はい」と「いいえ」しか答えない相手になんの魅力も感じなかった。
名はアルテリア。17歳で学業成績は真ん中あたりをうろうろしているらしい。
初顔合わせのその場でアルテリアが学園を卒業した後、3ヶ月で婚姻を結ぶことを父たちに決められた。
アルテリアが学園を卒業するまでに何度か二人の時間を設けたが、やはり俯いて「はい」と「いいえ」しか答えなかった。まだ手紙のほうがアルテリアの心の内を知ることができたので、頻繁に手紙のやり取りをしたがアルテリアに魅力を感じず、愛情を抱くことはできなかった。
「アルテリアに愛情を抱けない」と父に訴えたけれど「貴族の結婚などそんなものだ」と相手にされなかった。
アルテリアが学園を卒業した。昼は我が家にやってきて家政と侯爵家へ嫁いでくる者としての立ち居振る舞いなどを母から教えられている。
時間の合う日は時折私とお茶をしているが、何度会っても会話が盛り上がることはなく、アルテリアも結婚を望んではないのではないかと私は感じていた。
結婚式の日が近づくにつれ私の溜息は増えていく。
友人たちに「婚約者にほんの一欠片も愛情を抱けないんだ」と愚痴をこぼしていると、皆似たりよったりだと聞いて貴族の結婚ってこんなものなんだと友人たちとため息をついた。
中には深い愛を感じている友人がいて、それがとても羨ましく思ったりしていた。
「誰かに愛情を抱きたいよ」
「婚約者以外に愛情を抱いたら大変な目に遭うぞ。不貞だからな」
「わかっているが、恋も知らず愛情も抱けない女性と結婚かぁ・・・人生終わったって感じがするよ」
「結婚したら愛情を抱けるかもしれないじゃないか」
「愛のない割り切った関係になりそうな気がするよ。アルテリアも私に愛情を抱いているようには見えないし、本当に結婚は人生の墓場ってしみじみ感じるよ」
「結婚する前から何言っているんだか」
「短い時間しか一緒にいないのに会話が続かないんだぞ。その沈黙が重くていたたまれないんだ。結婚してからもそれが続くんだと思うとげんなりするよ」
「会話が続かないのは困るよなぁ」
「だろ?」
友人たちは会話が続かないなんてことはないらしくコミニュケーションは取れているという。 婚約者の不満を友人にこぼしながら結婚の日はどんどん近づいていった。
結婚式まで後一週間程という頃に、カスバルはアルテリアに、つい聞いてしまった。
「私との結婚をどう思っているんだろうか?」
聞いてから聞くんではなかったとすぐに後悔したが聞いてしまったものは仕方がない。アルテリアからの返答を待った。
アルテリアの返答はカスバルの思うものとは正反対だった。
「カスバル様の妻になることを心待ちにしています。上位貴族である侯爵家に嫁ぐことに少し不安はありますが、精一杯頑張ります」
頬を赤く染め俯きながら話しているので嘘を言っているのではないのだろう。カスバルは信じられない思いでアルテリアをじっと見つめたがその後も視線が絡み合うことはなかった。
カスバルの気持ちだけが取り残されたまま結婚式当日がやってきて、盛大な結婚式とお披露目が行われ友人知人に祝われ、くたくたになって夜を迎えた。
夫婦の寝室に足を踏み入れるとアルテリアは夜着の上にナイトガウンをきっちり着込んでソファーに座って私を待っていた。
何を話していいのか解らず、ナイトテーブルに用意されていたお酒をグラスに一杯一気に飲み干して、アルテリアに手を差し出した。
アルテリアは真っ赤になりながら私の手の上に指先を乗せて私に近づいてきた。
カスバルがナイトガウンを脱がせると扇状的な夜着にコクリと息を呑んだ。
ベッドへと誘いアルテリアに覆いかぶさる。
夜着の紐を解くとドレスを着ていたときには気が付かなかった肢体が薄暗い部屋の中に浮かび上がって、カスバルの気持ちを高揚させた。
アルテリアの体の白さと柔らかさに酔ったようにカスバルはアルテリアに貪りついた。
女性の体とはこんなにも気持ちのいいものだと初めて知り、カスバルはアルテリアの体に溺れた。
初夜だというのに、果ててもアルテリアを弄び続け、カスバルが熱り立つとアルテリアの中に何度も押し入った。
何度も何度もアルテリアの体を味わって、途中でぐったりとしたアルテリアに気がついても止められず果ててから、軽く頬を数度叩いてアルテリアに正気を取り戻させた。
「すまない。君の体があまりにも素敵すぎて無理をさせてしまった。もう何もしないから眠っていいよ」
「もう、しわけ・・ありません。やす・ませて・・もらいます・・・」
「ああ、おやすみ」
「おや・・・すみな・さ・い・・・」
カスバルはもっと触れていたいと思ったが、流石にこれ以上は無理だと自制して、腕に抱いて眠りについた。
翌朝、いつもよりもずいぶん遅い時間に目が覚めて、腕の中にアルテリアがいることに少し驚いて昨夜のことを思い出し、アルテリアの体の上を手を彷徨わせた。
アルテリアが目を覚まし、真っ赤になりなって恥ずかしがりながらも陽の光の中でカスバルに体をさらした。
二度、アルテリアの中に吐き出した。
「ごめん。また無理をさせてしまった。私はもっとアルテリアの中にいたいが、お腹も空いただろう?侍女を部屋に入れてもいいか?」
やはりアルテリアは体まで真っ赤になって「お願いします」と答えた。
カスバルはアルテリアにナイトガウンを着せかけて、侍女に入浴の準備を頼んだ。
立てそうにもないアルテリアをカスバルが抱き上げて一緒に湯船に浸かって甲斐甲斐しく世話をした。
風呂から上がると取り替えられたシーツの上にアルテリアを下ろして、ベッドの上で二人並んで一緒に遅い昼食を食べた。
やはり会話は少なかったが、婚約時代のように気まずさは感じなかった。
毎夜肌は重ねていたが、起きている時はやはり会話は弾まなかった。
それでも体を重ねるうちに仄かな愛情のようなものをアルテリアに感じるようになり、ささやかな会話も少しずつ増えていった。
それでも一般的な夫婦としても会話は少ないと思っていた。
「アルテリア、一年ほどは子供を作らないように気をつけてもらってもいいだろうか?」
アルテリアは目を見開いて「どうしてですか?」と震える声で私に問うてきた。
「誤解しないでほしいんだが、まだ子供にアルテリアを取られるのが嫌なんだ。私が独り占めしていられるのは子供ができるまでだろう?もうしばらくアルテリアを私だけのものにしていたい」
アルテリアはまた目を見開いて今度は真っ赤になって小さな声で「はい」と答えた。
私は毎晩アルテリアに溺れ、アルテリアは私を受け入れることに喜びを感じるようになっていった。
結婚してから一年が経ち、両親の「子供はまだか?」と責められるのが嫌になり渋々子供を作ることに決めた。
子供を作ると決めた途端に妊娠してしまい、アルテリアに手出しできなくなってしまってカスバルは酷くがっかりした。
結婚してから初めて夜を持て余すようになってしまった。その持て余す時間を友人たちと会うことで紛らわせていた。
アルテリアが妊娠したことを友人たちにこぼしていた。
「カスバルは愚痴をこぼしているが、嫁さん大好きってことなんだろう?」
「いや・・・まぁ・・・どうなんだろう?会話は相変わらず少なくて面白みがあるわけでもないし、好きっていうのとは違うかもしれないなぁ・・・ただ夜がな〜・・・。アルテリアの外見を見てどう思う?」
「外見?」
「そう」
「線が細くて華奢?」
「それがさぁ・・・着痩せっていうのか?服を脱ぐと凄いんだよ。片手では収まりきらない弾力のある胸に、人としてこんなに細くていいのかと思ってしまうほどの細い腰。張り出した尻がなんとも言えないほどに綺麗で、体を見ているだけでそそり勃たせるんだ」
「嫁しか知らないからそんなふうに思うんじゃないか?」
「まぁ、それはそうかもしれない。でも衣装に身を包んでいるときとのギャップが良くてな・・・」
「一度他の女も抱いてみたら?ちょうどいい!教えてもらった高級娼館があるんだ。行ってみないか?」
「お前が不貞は駄目って言ってなかったか?」
「不貞は駄目だけど、火遊びはいいと思わないか?」
友人の言葉に唆されて二人で高級娼館へと向かうことになった。
自分に自分でこれは火遊びであって不貞ではないと言い聞かせつつ、顔の好みだけで女を選んだ。
それはカスバルにとって得も言われぬ経験だった。
妻では到底してもらえないような色んなことを植え付けられた。
飽きさせない会話に手練手管。女性との会話の楽しさ。
男を喜ばせることに特化した女性というのは、妻とはまるで違う生き物だった。
さすがにしょっちゅう高級娼館に行くことは金銭的に無理で、下町の娼婦や場末の飲み屋の女にまで手を付けて高級娼館の手練手管を教え、味わって堪能した。
女が変われば何もかもが違うことを知ったが、体の線の美しさはアルテリアが一番だと思った。
大きなお腹をしたアルテリアに毎晩の外出の苦言をこぼされ、少し控えなくてはと思ったが、外出の頻度は減らなかった。
アルテリアが妊娠するまではアルテリアがいればそれで良かったが、今はアルテリアに無理をさせられない。
家にいてもアルテリアとできるわけでなし、それに受け身ばかりのアルテリアでは今はもう満足できないかもしれないと、心の中では思っていた。
友人たちと飲んでいる時、アルテリアが産気づいたと屋敷から連絡があり、慌てて屋敷に帰った。
こんなに時間がかかるなら慌てて返ってくる必要はなかった。と仕事をしながら子供が生まれるのを待った。
私によく似た女の子で、みんなにとても可愛がられた。
子供にキラリカと名付け、皆に構われた分だけよく泣く子だった。
結婚前に感じていた不安が嘘のようにアルテリアにもキラリカにも仄かな愛情を抱くことができて、貴族の結婚とはこういうものなのだとカスバルは納得した。
アルテリアがキラリカを優先することに不満はあるものの、穏やかに日々の生活を送っていた。
アルテリアの夜を独り占めできると喜んでいたのもつかの間、半年ほどで二人目を妊娠してしまった。
またアルテリアに触れられない日々が続くのかと子供ができたことにがっかりしながらも「今度は男の子を」と言う両親の思いを重く感じていた。
アルテリアにも負担になるから男の子を欲しがるなと両親に伝え、納得させた。
キラリカが居るため、前回の妊娠の時のように毎晩遊び歩くわけにはいかなかったが、それでも週に2度は出かけ数多な女性と関係を持ち続けた。
両親待望の男の子が生まれて両親がシュートと名付けた。
家の中が賑やかになり、歩き始めたキラリカが私の後を追いかけてくるのがとても可愛らしく、愛おしいという感情を知った。
子供たちを、アルテリアを大切にしたいと心から思うようになっていた。
二人の子供を生んだアルテリアの体はまろやかになり、カスバルに裸をさらすことに羞恥ではなく魅せつけるようになっていた。
外で覚えてきたことを少しずつ教えていくとアルテリアはカスバルが望むように痴態をさらした。
シュートが4歳になった頃、性交時にアルテリアが出血をしたので月のものがやってきたのかと思った。
アルテリアは「まだ月のものの時期ではないんだけど・・・」と首を傾げていたけれど腰に痛みがあったりしたので周期が狂ったのかもしれないと言っていた。
それから暫く月のものとは思えない出血が何度もあり、背痛、腰痛、を訴え下腹部にも痛みを感じるようで、念の為に医者を呼ぶことになった。
医師は次の日にやってきて早速診察を受けた。
医師が口にした診断結果は「子宮がん」だった。
「嘘だろう?!がんって・・・なにかの間違いじゃないのか?!!」
「残念ながら・・・」
私から見たアルテリアは思いの外冷静に医師を見据えて質問を口にした。
「がんは高齢の方がかかるものなのではないのですか?」
医師は苦々しい顔でアルテリアに向かって答える。
「稀に若い方がかかることもあるのです・・・」
がんはまだよくわかっていない病気で、致死率の高い病気だ。
病状が進行すればするほどひどく苦しむ。それは見てはいられないほどのものだと聞いたことがあった。
痛みを紛らわせるために強い薬を使って痛みを散らすことしかできないのが現状だった。
「まれ・・・?・・・私は運が悪いのですね・・・どれくらい生きられますか?」
「半年ほどかと思います」
「苦しむのですよね?」
医師は言葉なく頷く。
「暫く一人にしてもらえますか?」
アルテリアを一人にしていいものか逡巡したけれど、医師から詳しい話を聞くことを優先させた。
私と医者はアルテリアが望む通りに部屋から退出した。
医師が何かを決意したかのような表情で私を見る。
「カスバル様。お話があります」
メイドに医師を応接室に案内させてお茶の用意をさせる。
必死で心を立て直し取り繕う。数分だったのか数十分だったのか取り乱さないと言い聞かせて、医師の待つ応接室に入った。
「話とは何だ・・・?」
「奥様には子宮がんとお伝えしましたが、奥様のがんは子宮頸がんというがんで、子宮がんとは少々違うものでございます」
「子宮頸がん?普通のがんと違うということか?」
「そうです。子宮頸がんというのは・・・不特定多数の方との性交渉でうつる性感染症です」
「性感染症?がんじゃないのか?!」
「いえ、がんです。奥様か・・カスバル様のどちらかが配偶者以外との性交をしてウイルスをうつされたのです。そして運悪く奥様が子宮頸がんとして発症したのです」
「なっ・・・!!」
「カスバル様に奥様以外との性交の心当たりはありますか?なければ奥様が浮気されていたことになります」
「そ、そんな・・・嘘だろ?」
アルテリアが浮気するはずがない。
家の者たちからアルテリアにおかしな素振りなど報告されたことがない。
だから・・・私のせいなのだ・・・。
アルテリアが子宮頸がんという病気になったのは私のせい!!
ソファーに腰掛けているのにその姿勢が保っていられなくて膝に肘をついて頭を抱えた。
「嘘だろう?嘘だと言ってくれ・・・」
医者は首を横に振る。
アルテリアが妊娠中に関係を持った女たちのことを思い出す。
顔も覚えていないような相手たちだ。
「私は・・なんともないんだが?」
「男性には子宮がありませんので・・・。残念なことに女性だけに子宮にがんとなって発症するのです」
「どうして・・・」
私が楽しんだのにそのツケをアルテリアが払うなんておかしいじゃないか!
「治療法はないのか?!」
「残念ながら今の医学では治療法はありません。感染しても発症する確率は低いのですが、奥様の体が弱っていて病気に抵抗する体力がなかったのかもしれません」
「性感染症なら薬を飲めば治るんじゃないのか?!」
「性病ではないので今の医学では子宮頸がんを治すことはできません。・・・私から奥様に子宮頸がんだと伝えることはありません。今後、どのように治療を進めていくかご相談してください。本日はこれで失礼いたします」
パタンと閉じた扉を働かない頭で眺めて、アルテリアに合わせる顔がないと思い至った。
けれど子宮がんだと思っている妻を一人放置することなどできるはずもなく、この後どうすればいいのか解らなかった。
私が不特定多数と楽しんだせいでアルテリアが死ぬことになるなんて考えもしなかった。
こんなことになると知っていたらアルテリア以外と関係を持ったりしなかった。
ぐるぐると楽しんだ自分を思い出して吐き気をもよおした。
医者が帰ってからも出てこない私を心配して執事のオーリアが小さく扉をノックしたらしいが私はそれに気づかず、ソファーに上半身を倒して頭を抱えた姿勢でいた。
「旦那様!!どうされましたか?!」
「・・・・・アルテリアが子宮・・・がんだと診断された」
「がんですか?がんを発症するには若すぎやしませんか?他の医師にも診察していただいたほうがいいのではないですか?」
「若くても稀にかかるらしい・・・もって半年だと言われた」
「そんな・・・旦那様!旦那様にしっかりしていただかねばなりません!奥様は今どうされているのですか?」
「一人にしてくれと言われた」
「それからずいぶん時間が経っているのではないですか?一度奥様の側にいかれたほうがいいのではないですか?旦那様の気持ちもわかりますが、今は奥様第一に考えてあげなくては」
「・・・そうだな。一杯お茶を入れてくれないか?それを飲んだらアルテリアのところに行く」
「ただいまご用意いたします」
オーリアが入れてくれたお茶を一杯飲んで不安な心を抑えつけてアルテリアのいる寝室をノックした。
アルテリアはベッドから起き上がって書き物をしていた。
私を認めると笑顔を浮かべた。
「カスバル・・・心配かけてごめんなさい」
ベッドから立ち上がって私の下にやってくる。
少し冷えた指先で頬に触れられる。
「カスバルの方が重病人のような顔色になっているわ」
「アルテリア・・・」
私はアルテリアを掻き抱き首筋に顔を埋めてアルテリアの体温を感じてまだ生きていることを確かめる。
アルテリアも強く私を抱きしめ小さな声で何度も何度も「ごめんなさい」と私に謝った。
「謝るな!!アルテリアが悪いんじゃない!!」
「でも、・・・これから皆に・・・カスバル様にも大変な迷惑をかけてしまうわ」
「迷惑なんて言うなっ!!」
「ふっふっ・・・こんな状況になって初めて愛されているのかもしれないって感じることができるなんて・・・人生ってなんだか皮肉よね」
どきりとした。
「・・・愛しているよ!」
「嘘でも嬉しいわ」
「嘘なんかじゃないっ!」
「・・・ありがとう。すごく嬉しいわ。私も愛しているわ」
何度も愛していると言い合って疲れさせてはいけないとベッドで二人並んで横になった。
「医師がこれからの治療方針を話し合いたいと言っていた」
「治療方針ですか・・・わたくしこのままこの屋敷にいてもよろしいですか?」
「当たり前じゃないかっ!!アルテリアは私の妻なんだから!!」
「ありがとうございます。ですがこの屋敷にいるのは元気な間だけにさせてください」
「どうしてっ?!」
「子供たちにわたくしの苦しんでいる姿を覚えていてほしくないのです」
「・・・・・・」
「最後の一瞬まで子供たちと一緒にいたいという気持ちと、元気な姿だけを覚えていてほしいという気持ちがないまぜになってしまって・・・でもやはり元気な姿を覚えていて欲しいと思います。ベッドから起き上がれなくなったら実家へ帰ろうと思います」
「駄目だ!!アルテリアをどこにもやったりしない!!」
「ではせめて離れに移ることをご了承くださいませ」
「離れまでだ!!それ以上私から離れることは許さないっ!!」
アルテリアは何度も目を瞬いた。
「そんなふうに言っていただけるとは夢にも思いませんでした」
「どうしてだ?!」
「カスバル様にとって私は大勢いる中の一人だと思っていました」
「そんな訳ないだろう!!」
そう答えながら本当はどうだったのだろうと冷静な部分で考えた。
「アルテリアは私にとってたった一人の妻だよ」
「ふふっ。嬉しいです。今日はなんだか嬉しいことばかりな気がします」
「そんな事を言うなっ!」
アルテリアに抱きしめられ、病気のことに関係ないことばかりをぽつりぽつりと話した。
子宮頸がんだと診断されて3ヶ月ほどでアルテリアは笑顔を浮かべて自分の足で本邸から離れへと移っていった。
一日の数分だけ子供たちに会って一生の別れのような挨拶をして子供たちと別れる。
それが2日に一度になり、3日に一度、週に一度になり、子供たちに会えなくなった。
そしてアルテリアは私の顔を見るたびに謝ってくる。
「迷惑をかけてごめんなさい」と。
謝罪されるたびに罪悪感に押しつぶされそうになる。
私のせいで苦しんでいて、あまつさえ命まで奪うことになってしまう。
本当は私のせいで苦しむことになったんだと伝えることもできない臆病者の私。
その罪悪感を少しでも紛らわせたくて私は執務室を離れに移してアルテリアを優先させた。状態の良いときだけ側にいて、その合間に仕事をこなした。
仕事を振り分け、父まで担ぎ出して量を半分に減らしアルテリアと子供優先の生活を続けた。
アルテリアは日に日に弱っていく。
とてもいい香りがした妻から絶望の香りが強まっていく。
自分のしたことの責任をアルテリアが支払う耐え難い痛みと戦っていた。
妻は酷い痛みに耐えかねるのか「殺して」と何度も叫ぶ。
耳をふさぎたい程の叫びに心をかきむしられ、私はその場を逃げ出す。
薬が効いて少し落ち着くと側に戻ってアルテリアの手を握りしめる。
アルテリアの苦しみの分だけカスバルが楽しんだのだとカスバルを苦しめた。
アルテリアの最期はあっけなかった。
意識が朦朧として「痛い。苦しい。殺して」と「迷惑をかけて本当にごめんなさい」と言い、最後に「子供たちをお願い」と言って息を引き取った。
カスバルはアルテリアが亡くなった瞬間ほっとした。
アルテリアが、カスバルもがこれ以上苦しむことはないのだと。
アルテリアの身なりを整えて子供たちを呼ぶ。
母親が死んだことをどう伝えればいいのか戸惑う。
死が何なのか理解できないだろう。
それでも母が死んだのだと伝えなくてはならない。
死の匂いが漂う部屋に子供たちを入れることに戸惑い、慌てて窓と扉を開いて換気する。
窓から新鮮な空気と咲き乱れる花の香が運ばれてくる。
子供たちがアルテリアにすがりついて「お母様」と声をかけるがアルテリアは返事をしない。
返事がないことにシュートが苛立ったのかアルテリアをペチペチと叩く。
何度か繰り返され子供たちが漠然と死を理解したのだろう。
母を呼ぶ泣き声がだんだん大きくなり、アルテリアに取りすがった。
アルテリアの望み通りの小さな親族だけの葬儀を執り行い、アルテリアは土へと還った。私の罪悪感も一緒に土に埋めてしまいたかったがそれは叶うことなくカスバルの中に残った。
夜になると母を求めて泣く子供たちと一緒に眠り、分散させていた仕事を取り戻し、カスバルは仕事と子育てに力を入れた。
キラリカが結婚する時、相手のセスティアンに同じ間違いを起こさないでほしいと愚かな自分の話をした。
セスティアンは真面目に聞いてくれてはいたが実感できることはないだろうとはわかっていた。それでも娘を不幸にはしたくなくてセスティアンにキラリカのことをくれぐれも頼むとお願いした。
シュートが結婚が決まった時、愚かな父の話を聞かせた。
シュートは拳を握りしめて私の話を聞きながら「父上が母の死に関わっていたということですか?」と聞かれ私は頷く以外できることはなかった。
「父上と同じ間違いはおこしません」と力強く私を睨みつけて言った。
暫くの間シュートは私を遠ざけたが、仕事で関わらないわけにはいかなくて必要最低限の会話はするようになった。
カスバルが侯爵家の仕事から全面的に手を引いたのはまだ男盛りと言っていい年齢だった。あっさりと引退した。シュートもそうするべきだと思っているようだった。
引退してすぐ領地に下がったがキラリカもシュートもカスバルに会いに来てくれることはなかった。
カスバルはアルテリアの死後、女性との関わりを持つことなく98歳になるまで生きながらえた。
それはとても孤独なもので、キラリカとシュート、その子供よりも遅い死だった。
子宮頸がんの無料予防接種が終わるそうです。
深刻な副作用も報告されているので一概に予防接種を受ければいいというものではないのかもしれませんが、無料の間に予防接種の相談位はしてみてもいいのではないかと思います。
子宮頸がんもがんなので転移して他の癌を誘発することもあります。
本作品では男性には影響のないように書かれていますが、ウイルスからの誘発される病気があります。