09ふたりの日々
仁菜と暮らし始めていくらかの月日が流れた。
どれくらいの月日が経っているのか記録してみようと、百合は仁菜の部屋にあったカレンダーに夜がくるたびに×印をつけて日が過ぎ去るのを数えていた。
しかし、残念ながら今そのカレンダーはない。
本当にどうでもいいことで喧嘩をしてしまい、癇癪を起した仁菜がびりびりに破り散らしてしまったからだ。
カレンダーがなくなってからはもう日付は数えていない。
崩壊した世界に女二人。
生きていけるか不安要素は多々ある。しかし、今なんとかやってこれているのはひとえに互いのことを思ってだろう。
生きるために、百合は今日も外へ出た。
「お、いたな」
伸びた髪を後ろで一つに結んだ百合が手作りの弓を引く。
川沿いの草の茂みに隠れた視線の先には鴨が数羽、川のほとりで羽を休めている。
羽の中に顔を隠した鴨に狙いを定めると、軽く呼吸して意識を集中した。
そよぐ風の中を矢が直線を描き放たれる。
打たれた矢に驚いた数羽が飛び立っていき、射貫かれた鴨は必死に逃れようと羽をバタつかせている。
しげみから出てきた百合は手にシースナイフを握り、暴れる鴨を捕えた。
「ごめんね、いただくね」
逃れられぬ死を直観した鴨は暴れるが、首を強く掴むと一思いにナイフを振り下ろした。
首を落として尚身体はバタついているが、足を掴んで逆さにしているとやがて動きも止まる。
その場である程度の羽をむしり落とすと、できあがった肉の塊をビニール袋で包み、リュックにしまった。
採取した物資を背負いながら川沿いを歩く。
まるでウォーキングしている人とすれ違うようにごく普通にゾンビの横を通り過ぎていく。
(もうあんまり生きてる人はいないんだろうな)
ゾンビはいくらでも見るが、生存者は見ることがない。
物資調達で町に幾度か出たが、仁菜に出会って以降は生存者との出会いがない。
たまに食料品や必要品を漁った形跡はあったが、その漁った本人に出会うことはなかった。
(映画やドラマみたいに、屈強な人たちが生きる世界にはならなかったのかな……)
ふと香ったいい匂いに百合は今歩いてきた道を振り返った。
あの時感じたような肉の香り――、男たちと遭遇したときのような香りがした気がした。
だが、物陰から出てきたのは半分焦げたゾンビだった。
(違ったか)
「あ゛ぁー」
「誰かに焼かれたの? それとも事故?」
「あ゛ぁー」
視線を戻し、また歩き出す。
少しだけ香ったいい匂いに百合は顔をヒクつかせる。
やたらと口が動く。尾てい骨当たりに違和感を感じる。尾が生えそうな感覚だ。
反応する衝動に深呼吸をして、いつもよりもゆっくりと歩いて帰った。
「ただいま」
「おかえり」
ショートパンツにTシャツ姿の仁菜が百合の帰還を喜ぶ。
食料や物資回収は主に百合の仕事だ。
ゾンビに狙われないというありがたすぎる恩恵もあり、百合は率先して物資調達に出向いていた。
それが、仁菜はいつも不安だった。
物資を調達して帰らなかった彼氏のトラウマもあり、仁菜は百合が帰ると心の底から喜んだ。
怪我はないか確認し、何度も抱きしめて頬ずりしないと仁菜は安心しなかった。
「今日も帰ってきてくれてありがとう」
「あいよ、今日もご飯やら水やら用意してくれてありがと」
調理などは仁菜の仕事だ。
もう電気などは使えないが、キャンプ用品売り場などからもってきたコンロや油があるおかげでだいぶ調理が捗っている。
今までのような食事はできないが、それでも火が通った食事は腹を壊すことがない。
それに仁菜は本当に料理が上手で、おしゃれに盛り付けられた料理は胃にも目にも精神も満たしてくれた。
「汲んできてくれた水いっぱい煮沸したから、いくらかストックできたよ」
「お、まじ」
「今日はこれでシャワー浴びようよ」
「わ、浴びたい。もう身体中汗と泥だらけだよ」
「じゃ、ごはん食べたらシャワーあびよ」
「え、今浴びたい」
「だめよ、二人別々にシャワーを浴びたら水がもったいないでしょう。二人一緒に浴びるの」
「えぇー、いいけどさ」
食事を平らげた後、二人はさっそくシャワーを浴び始める。
シャワーといってもバケツの底に穴を開けたものをぶら下げて、したたり落ちる水で身体を洗っている。
仁菜はさっさと服を脱いで浴びているが、百合は服を脱ぐとしばし自分の身体を凝視していた。
「何してるの? 水なくなっちゃうよ」
「おっぱい小さくなった気がする」
「痩せたんでしょ。百合よく動いてくれてるし」
「かなぁ、なんだか背も縮んだ気がする」
「そんなわけないでしょ。ほらさっさとシャワー浴びよ」
胸を摘まんでいた手を半ば強引に引っ張られながら、二人でシャワーを浴びる。
仁菜に否定はされたが、百合はまだ自身の身体の事を気にしていた。
改めて自分の一糸まとわぬ姿を見ると、こんな形だったかと疑問符が浮かぶ。
乳房は小さくなっている気がするし、背も少し低くなった気がする。
幼児体系に逆行しているような気がして、百合の胸には得体のしれないモヤモヤが膨らんでいく。
(もし、これも噛まれた影響だったらどうしよう)
「百合、ねぇ、いつまで気にしてるの」
「あ、ごめん」
「百合って不安だったり、考え事があると無言になるよね。わかりやすいよ」
「仁菜だってすぐヒステリック起こして暴れるじゃん」
「別に壊したって誰にも怒られないし」
「私が怒るよ」
「百合には怒られないようにする」
「ありがとう」
「それにさそんなにおっぱいが小さくなったって気になるなら、私が触ってあげようか?
男に触られるよりよほど気持ちよくしてあげる自信あるよ」
「間に合ってます」
「大きくしたくなったらいってね」
目を細めて仁菜の身体を見る。
仁菜は少しばかり肉付きがよくグラビアアイドルのような体系をしている。
女性が憧れるような体系とは真逆だが、それでも太もももハリがよく、お尻は上を向いているし、大きな乳房も頑張って重力にあらがっている。
(きっと仁菜がいい身体してるから余計に私が小さくなったように見えるのかもなぁ、考えすぎかなぁ)
また無言になっている百合に気付くと、仁菜は問答無用で百合の乳房を揉みしだいた。
人が消えた夜の街は恐ろしく暗い。
電灯が一つもなくマンションから見える景色は闇ばかりで、ベランダから下を覗き込めば吸い込まれていきそうな感覚に陥る。
吸い込まれそうな闇から顔を上に上げれば、月と星が無限に輝いて見える。
「街から明かりが消えるとこんなに星が見えるんだ」
「ね、都会でもこんなに星が見えるってしらなかった」
温めたコーヒーを手渡しながら仁菜が寄り添う。
「やっぱり生存者はもういないのかな」
「かもしれないね。そしたら私たちがアダムとイヴになるのかな」
「両方女だけどね」
「いいじゃない、どちらが女だって」
熱いコーヒーを口にして目を瞑れば、昔となんら変わらない気がしてくる。
目を開けて崩壊した現実と向き合う。
「ん、あれ、灯り見えない?」
「え、嘘」
仁菜が指さす方をみると確かに灯りが見えた。
オレンジ色の光が揺れながら、百合たちのマンションのほうへと向かっている。
「なんだろう、松明か何か持ってるのかな?」
「えぇ、それじゃゾンビに襲われちゃうじゃない」
「確かに……」
松明の灯りが照らす人影。
松明を持っているのは一人の中年の女だった。
女は百合たちがいるマンションを見つめて険しい表情をしている。
女の目にはマンションから漏れるキャンドルの灯りと、百合と仁菜の姿を確かに捉えていた。