04ラプンツェル
目を疑う光景だった。
川沿いをサイクリングしていると、近くにあるマンションのベランダにお姫様がいたからだ。
お姫様といっても百合にそう見えただけで、実際に姫というわけではない。
しかし、ベランダにいる姫様はこの崩壊した世界に似合わない明るい黄色いドレスを着て、
鼻歌を歌いながらプランターの花に水をあげている。
歌に呼び込まれたようにマンション下には無数のゾンビが集まっているが、お姫様は気にすることなく鼻歌を続けている。
(お姫様……ラプンツェルみたいだな……)
どうせゾンビたちは百合を気にも留めない。
ゾンビの人ごみをかき分けて前の方に出ると、百合はマンションの上のほうにいる姫を見上げた。
(こんな崩壊した世界にお姫様がいるなんて。ちゃんと綺麗なドレス着て、メイクして。
髪までセットしてないか? もう終わった世界でどうしてそこまでオシャレできるんだ?)
ラプンツェルの鼻歌が止み、ベランダの戸が閉じる音がした。
ゾンビたちが名残惜しそうに喚きながら手を伸ばしている。
百合もどこからかあの階へ行けないかと周囲を見回したが、マンションの入り口はバリケードで閉ざされている。
(まだ生きてる人がいたんだ……それもあんな人が。
もしかしたらこのマンションにはまだ何人が生き残りがいるのかもしれない。
映画とかだったらマンションとかに立てこもるっていうのもあるしな。そうかもしれない!)
生きる希望が湧いてきたと、百合は他にも内部への侵入ルートがないかと探してみる。
裏口もあったが入口と同じようにバリケードで閉ざされている。
マンション側面には上の階へと昇っていけるように梯子が設置されていたが、そちらはすでに先客がいたようで、
梯子の途中でゾンビが一体ちゃんとした死を迎えていた。
(うぅー……またお花に水あげにこないかな)
先ほどゾンビたちと一緒にいた場所に戻り、ラプンツェルがいた場所を見つめる。
もう鼻歌の主はいなくて、活き活きとした花たちばかりが咲き誇っている。
「ぼごおへっ!!!!」
自宅に戻っていた百合は喉の奥に感じる熱さと違和感に嘔吐した。
(な、なんだ急に……喉が熱い……)
便器には血と腐った肉の塊のようなものが浮き、不快な見た目と臭いをまき散らしている。
(うぅ、なんだ、いよいよ私もゾンビ化か?)
噛まれた以上ゾンビ化は避けられないのだろうかと急に不安が押し寄せる。
生きる希望が見えたと思った矢先に自分は死ぬのか。
自分もゾンビになって朽ちて、崩壊した世界をあてもなく彷徨うのだろうか。
苦しくて痛くて最強に調子が悪い。なのに頼れるものはなにもない。
(このまま死ぬのかな……)
視界が急激にぼやけて、両手でこすってみると指先からも出血しているし、爪もはがれ落ちた。
(えぇ、なんで、急じゃん、急すぎじゃん。痛ぇ、苦しい、熱い)
もはや立っていることもできず、トイレから這いずってベッドまで移動する。
這いずったあとを振り返れば死体でも引きずったかのように血の道が出来上がっている。
(なんでなんで、やっと生きてる人見つけたのに……
あぁ、熱い熱い、おなかへった。お、お酒…………お姫様)
なんとかベッドに横になると目と鼻と口からも血が溢れた。
(く、苦じ……に、ひっ……ら、ら、ら……
ば……もう、やぁだ……)
「はひっ……はひっ……はひっ……」
呼吸にならない呼吸をあげて赤くぼやける視界を見つめる。
(自分は……特別なんじゃないかなって……じ、実は思ってました。
私はゾンビにならない抗体を持っていて、いつか生き残っている研究者たちと出会って、
私の血から抗体を作って、世界をおわらせ、復活させられるんじゃないかって)
「ひっ……ひっ……ひっ……」
(とく、とくべつっつつつうな、カラダ。で、世界を)
「ひ……」
血まみれのベッド。止まる呼吸。
身体は熱いのに何故か寒気がする。
血の臭いが鼻をつく。
身体がきしむ。きしむたびに痛みがかけずりまわる。
「……」
ぼやける視界はゆっくりと闇に染まると、百合の意識を闇に落とした。