15ずっと
なにも無い世界では足音でさえ大きく聞こえる。
仁菜の足音に呼応するように近づく足音。
やがて輪郭が見えてくると、月明りに照らされた百合が姿を見せた。
「百合!」
百合の胸へと帰ると、しなやかな人間らしい腕が迎え入れる。
力強く抱きしめる仁菜に対して、百合は母親のような慈悲深く優しく仁菜を抱きしめた。
「大丈夫だった?」
「うん、なんとか……途中で大きなワームに襲われて、その隙に逃げてきたの」
「そっか。それは良かった」
良かった、というわりに百合の表情は明るくない。
そんな百合に仁菜は少しばかりむっとして、でも何かわけがあるのだろうと思って表情をそのままにした。
「百合こそ、何かあったの?」
「うん。おうち帰ったら話す」
「いや、今話して」
「うーん」
『あと数か月で死ぬんだよね』
なんて言えなかった。
仁菜はただでさえ愛する人を失った悲しみを負っている。
それなのに、さらなる一撃でその傷を抉ってしまうと思えば百合は口が開きそうにない。
「なに、そんなに大事なことなの?」
「大事っちゃ大事、かな」
「なによ百合らしくない」
「だって」
「なにセンチメンタルになってるのよ! ねぇ、みて途中でビール見つけたの。呑みながら話そうよ」
「あたし酔っても理性働くから」
「いいから飲みなよ」
開けられた缶ビールを押し付けられ、百合は喉を潤す程度に飲み込む。
隣では一気に飲み干さんばかりに喉を動かす仁菜が『ぷはー』っと息を吐いている。
「常温でもおいしいね」
「久しぶりに飲んだわビール」
「ビール何好きだった? 私バド」
「熱海で飲んだ柑橘系のビール好きだったな」
月明りの元、二人はビールをやりながら家まで歩いた。
まるで呑み会帰りの大学生のような雰囲気だった。
言ったような百合は酔うことはなかったが、仁菜はどんどん飲んでは次の缶をあけるのでフラフラになると百合の肩を借りた。
「あのね、百合」
「なに?」
「研究所があるんだって。ワクチンを作る研究所が」
「ゾンビ映画の定番だね。でも、そんな短期間で作れるもの?
それにワクチンを作るための設備も人員も確保できてたのかな?
風邪やインフルとは違うんだよ」
「うるせぇなー。このリュックに入ってたノートにそう書いてあったもん」
その場に座り込むと酔った手つきでリュックを開ける。
そこにあったノートを取り出すと百合に突き出す。
「はい、読んで」
「うん」
その場に一緒に座り込んで読む。
月明りだけではうっすらとしか見えないが、それでも研究所のことやワクチンについてのことが記載されている。
「二人でワクチンうってさー、もうゾンビにならないし、ゾンビに怖がらない世界になるといいねぇー。
そんでもって皆もとの世界に戻ってさ。インフラもあって、買い物もできて、病院もいけて。
そうなったら仁菜は百合と一緒に住むの。結婚してもいいかも」
酒臭い息を吐きながら横になる仁菜。
結婚という言葉が少し嬉しかったが、同時に痛みも百合の胸にささる。
そうなったらどれほど良かっただろう。
そうなったのなら、どれほど嬉しかっただろう。
「仁菜はあたしのこと好き?」
「好き好きだいすき。ちゅーしよー」
酔っ払いが抱き着いて絡んでくる。
頬に何度か口づけしそのまま首を這ったかと思うと、今度は唇を奪いにくる。
「酒くさ」
「いいじゃん。ん-、ちゅっちゅ」
優しいキスではなく、ぶつけるような仁菜のキスが唇に何度も繰り返される。
「えへへー、あたし女もイケるんだよ。嫌? 嫌でも、もう無理。好きだもん」
「あたしも好きだよ」
「やったー。このまま持ち帰っていいからね。たっぷり愛してあげる」
「……あのさ」
「なーに?」
どうしてこんな世界になったんだろう。
どうしてこんな体になったんだろう。
どうして今更気持ちが通じるんだろう。
そんなことを思っても、すべては起きてしまったこと。
(どうせいつかは言わなきゃいけないんだ。もう言っちゃおう)
「あのね仁菜」
「なーにー」
「あたしね、もう長くないんだって」
「なにが」
「命」
「いつまで?」
「数か月だって」
「は?」
「ワームがそう言ってた。あたしもワームにあったんだ。ワームが今までみた変異型は数か月のうちに死んでるんだって」
「なにそれ、は? 百合死ぬの?」
「たぶん」
「待って。やだ。それだけはいや。絶対嫌。やだ。は、え? なに嘘でしょ?」
「聞いただけだけど、たぶん本当」
ワームと会ったときを思い出す。
ワームは別れ際、自身の一番後ろの胴体を見せた。
そこには干からびかけた人体があった。
『なにそれ』
『ぼくの本体だよ。もう随分干からびてるからあと数日だろうね』
『まじ?』
『はは、君も変化が分かるよ。最初は背が縮んで、少しずつ身体が干からびていく。
最期は塵になって消えるよ。信じたくないだろうけど……ほら、僕の身体も少しずつ塵になっている』
『……』
『お互い長くない身だ。最期のことはよく考えよう』
『あなたはどうするの?』
『ゾンビを蹴散らしつつ、最期は土の奥深くで死のうと思う』
『そっか』
『じゃぁね、百合。仁菜をよろしく』
「ワクチン打てば治るんじゃない? きっと治るでしょ。ほら、さっさと研究所に……」
立ち上がろうとしてふらついた仁菜がその場に転倒する。
研究所どころではない。まずは酔いを醒まさないことには何もはじまりそうにない。
倒れた仁菜を背負うと、百合は二人の家へと再び歩き出す。
「やだー、百合死んだらやだー。絶対やだーやだあああああ」
背を濡らす仁菜の涙。
百合の頬も同じものが伝ったが、あいにく拭う手は今はなかった。