ドルオタナイトと、甘い思い出
「コエガ……コエガデナイ……コンナハズデハ……」
「片蔵、本番はこれからなのに何やってるんだ」
「オホンオホン、いや、大丈夫。ホットレモン持ってきてる。入れてくるわ」
片蔵は軽く咳をしながらテントの外に出て行った。
同時にひんやりとした空気が入ってきて寝袋のチャックを少し上げた。
今は金曜日の深夜。
明日は年に一度のアイドルフェスだ。
予定通り21時すぎに軽井沢のバンガローに到着して、角煮とご飯を食べた。
片蔵が持ち込んだモニターにノートPCを繋げてデザロズのライブを流し、お酒飲みながら2時間騒いで踊り……今落ち着いた所だ。
ここにはバンガローもあるが、そこでは若いデザロズオタがまだ騒いでいる。
俺と片蔵と横山さんの3人は疲れたので、外に張ったテントで眠ることにした。
「クッキー持ってきました。どうですか」
横山さんはリュックの中から缶に入ったクッキーを出してきた。
オシャレな缶に入っていて高そうだ。俺は一枚もらって口に入れた。サクリと甘くて高そうなのは分かる。
「おいしいです横山さん、毎年あれですよね、甘い物持ってきますよね」
「会社の女の子がくれるんですけど……僕甘いものが苦手で毎年ここに持ってきてます。感想だけください、伝えます」
横山さんは苦笑した。
横山さんも長いデザロズのファンだが、どこにでもいる普通のサラリーマンで都内のデザイン会社で働いているという。
風貌も見るからにドルオタという雰囲気ではない。
それは片蔵も、たぶん俺もそうだと思う。
ホットレモンが入ったマグカップを持った片蔵が戻ってきた。
「去年と同じ子ですか? 横山さんモテますねえ~。これ青山の有名店のクッキーですよね」
「そうなんですか。頂いて……ずっと眠らせてました」
横山さんは「苦手で申し訳なくて……」とため息をついた。
俺はもう一枚食べてホットレモンを受け取る。
「でも普通のクッキーより少し甘さ控えめですね。甘いものが苦手な横山さんのことを意識されているように感じます」
「気持ちは嬉しいんですけど……彼女は甘いもの巡りが趣味なので、俺とは合わないと思うんです」
横山さんもホットレモンを受け取って一口飲んだ。
片蔵はクッキーを貰いながら、
「いやいや、世の中何があるかわかりませんよ、滝本なんて突然会社の女の子と結婚したって。なあ?」
「ええ?! 滝本さんご結婚されたんですか、おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
片蔵には簡単に「会社の同僚と結婚した」とだけ伝えた。
デザロズオタが集まるドルオタナイトで「実は偽装結婚で……」なんていう必要はないので、それだけで十分だ。
「えっ、滝本さんのことをどれくらい知ってる方なんですか?」
横山さんは目を輝かせた。
「ドルオタだってことは知ってますよ。彼女……いや、違うな、お、お、おく、奥さん……も漫画とかが好きで……」
相沢さんのことを彼女というのも、奥さんというのも、外でしたことが無くて一瞬で困惑してしまった。
「おいおいおいおい、滝本、もっと『俺の奥さんは』ってドヤ顔で言えよ。やっぱり言うなーーーーー!!!!」
片蔵がセルフツッコミをはじめてしまった。仕方ない。
そうだ。相沢さんは、俺の奥さん、というのが正しい。
俺の奥さん……奥さん?
思わず口元がニヤニヤしてしまう。
それを見て片蔵が頭にチョップしてくる。俺はその手を払いのける。
「痛いよ!!」
「ムカつくんだよ!! 泊まりのフェスを許してくれるような奥さんいねーだろ!!」
「いないですね、滝本さん……僕たちにウソついてませんか? 二次元ってことはないんですか? 大丈夫ですよ、そんな嘘つかなくても。俺たち仲間ですから、大丈夫なんですよ!!」
片蔵は叫び始めたし(酔ってる)、横山さんは現実逃避を始めた(酔ってる)。
俺はホットレモンを一口飲んで白い息を吐き、酔いもあって少しドヤ顔をしてしまう。
「現実なんだなー……」
「くっそ、前から思ってたけど、いよいよムカついてきた……滅びろーーーー!!」
「同僚にそんな方が……? 奇跡すぎませんか? いいなあ。普通『週末一緒じゃないなんてイヤ』って言いますよ。『私より趣味を優先するの?』『私といるより楽しいの?』『じゃあ私の存在価値は?』『私より若い子が好きなのね』ってメチャクチャ言いますよ。……いや滝本さん、実は奥さん滝本さんがドルオタなことを嫌がってません? 結構聞きますよ、表面上『趣味があるなんて素敵ね』って言いながら、実は我慢してる……みたいなの!!!」
横山さんは一気に言葉を吐き出して俺の方をクッ……と強い視線で見た。
俺はクッキーを一枚貰って口に入れた。
「このテントもですね、フェスに行くからって奥さん……と住んでいる一軒家の庭に、一度張らせてもらったんだけど……中に一緒入って、雨の音とか聞いたんですよ」
俺はテントに貼っているシールに触れた。
実はあの時、相沢さんがテントに小さな穴を見つけてくれた。
俺はその場で補習用のシールを買った。そしたらすごく目を輝かせて「あの、それが届いたら私が貼りたいです!」って、貼ってくれた。
あの時も相沢さんは、ものすごく楽しそうだった。
余ったのを欲しがったので渡したら、ビニール傘に貼って「雨粒のデザインになりました」って傘を自慢げに見せてくれて……。
「……すごく可愛かったな」
「チクショーーー!!」
「チクショーーー!!」
突然小梅太夫しかいない空間になってしまった。
仕方ない。アイドルやテント、それに修復にも興味を持ってくれるような人は……きっと少ない。
偽造結婚で、実は相沢さんは俺のことなんて同僚で、ただのオタクとしか思ってない。
そんなのは分かってるんだ。でも……。
「……好きな人と一緒に暮らしてるんだ。なんかすごいなって、毎日思ってる」
ふたりは再び小梅太夫になり、飲んでいたホットレモンに焼酎を入れて眠ってしまった。
俺は眠れなくて毛布を羽織ってテントを出た。
パチパチと七輪が上げる小さな火を見ながら、夜空を見上る。
そうだ、俺は、好きな人と同じ家で暮らしている。
そんな小さなことが、離れてみると、ものすごく嬉しいんだ。