三日月の夜に(隆太視点)
「三日月だ」
俺は自転車を押しながら夜空を見上げた。
相沢さんの家に引っ越してきて一か月が経過した。
前に住んでいた部屋はわりと駅前の小さなアパートだったので、夜空を見上げることなど無かった。
会社を出て、最寄り駅で降りて、駅前で何かお惣菜を買う。そして冷凍しておいた白米をレンジで温めて食べる。
そういう毎日だった。狭い道から見上げても、明るい街中では月など見えなかった。
でも相沢さんの家があるこの駅は、夜になると結構暗い。
駅前に大きなスーパーがあるので生活には困らないが、基本的に一軒家が多いので街灯が街を照らす程度だ。
だからほら……こうして自転車を押して坂道を歩くと真正面に月が見える。
「……地球からは、月がみえる、らしいですね」
俺はデザロズの曲を小さな声で歌いながら歩いた。
デザロズのアルバムの中に、四人が月面で遊ぶ歌があるのだ。
それ以外の歌詞はすべて『宇宙人の言葉』になっているのに、この部分だけ『これから遊びにいく地球の言葉』になっている設定で、俺はここをとても気に入っている。周りに誰もいない夜道、六月の空気が気持ちが良い。
家の前に到着すると、ほわりとオレンジ色の光と共に『相沢』の表札が見える。
あの電気がついている家に帰る……正直まだそれが新鮮だ。
最近は仕事が忙しくて十時台の電車に乗れればラッキーというレベルだ。
相沢さんは基本的に定時で帰っているようで、帰ってくるといつも玄関の電気がついている。
人がいる家に帰れる。なんかそれだけで嬉しい。
子どもの頃も自分が最初に帰ってきていたので、遅く帰る母さんのために電気をつけて待っていた。
室内で電気をつけて、ついているか確認するために外に出た。
小さくて丸い光。
はやく母さんが帰ってきますように。
そう祈った気持ちも覚えている。
実は今も……鍵を開けながら……一瞬悩む。
一緒に住んでいるけれど、本当の夫婦ではない。それでも「ただいま」と言って玄関を開けてよいものか。
なんだか一緒に住んでいる恋人のようではないか。それはなんだか図々しい気がする。
悩んでインターネットで「ただいま」の意味さえ調べると「只今帰りました」の略語だという。
それならば同じ家に住まわせてもらっている俺は「今、この家に帰りました」と伝えるのは変なことではない。
むしろ何も言わずに家に侵入したら、相沢さんを驚かせるかも知れない。
そういう結論に至り、ちゃんと言うようにしている。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさいー」
挨拶をすると、台所から相沢さんが顔を出してくれた。
同時におでこの上で縛ったちょんまげがポヨリと動いた。
家では前髪を頭の上にちょんまげのように縛っていて、いつも思うがとても可愛いと思う。
しかしそれを顔に出すと良くないので、平然とした顔で頭を下げる。
相沢さんは「あ、ちょっと待っててくださいね」と台所に戻り、段ボールを持ってきた。
その段ボールを見て「あっ」と俺は思い出した。
「今日は荷物が届く日でした、すいません連絡しないで」
「いえいえ、帰ってきたら丁度来ました。ベストタイミングです」
「すいません、助かりました」
「デザロズのロゴが書かれた段ボール可愛いですね」
そう言って相沢さんはほほ笑んだ。
デザロズの公式サイトで買い物をすると、デザロズのロゴが入った段ボールで荷物が届く。
文字がメインのデザインなのだが、初期にみんなで投票して決めたロゴで宇宙船が入っている所が気に入っている。
俺はこの箱が欲しくて公式サイトで買っている。
そして褒められると嬉しくなってしまうのがオタクの性だ。
俺は「中も可愛いんですよ」と廊下でそれをビリビリと開けた。
すると先日大量に購入したデザロズのTシャツが出てきた。デザロズのTシャツは基本的にカラフルな迷彩柄だ。
俺の推しののんちゃんのカラーは赤なので、赤。ほしなちゃんは黄色、アユちゃんは青、ミイちゃんは緑。
それぞれのカラーの迷彩Tシャツになっている。
少し前はデカデカと文字が書いてあるだけのTシャツで現場以外では着られないものだったが、デザイナーさんが新しく入りカラフルな迷彩になり、家でそれを着て現場に向かえるレベルのものになった。
相沢さんはTシャツを見ながら頷いた。
「可愛いですね。これ、あれじゃないですか、スポーツする時に適した素材で作られてるんですね」
「そうなんです。汗のにおいがしない特殊な素材で作ってるんです。ライブで汗をかくので助かります」
「良いですね! わりとこういう特殊素材のTシャツは高いですよね」
「あの、たくさんあるので、もし良かったらもらって頂けませんか? Tシャツはドルオタをしていて最も増えるグッズです」
「えっ……良いんですか?」
「封も切らずにため込んでいるので、着て頂いたほうが嬉しいです」
「そうなんですか! じゃあぜひ」
相沢さんがデザロズのTシャツを着てくれる?!
俺は嬉しくなって段ボールを抱えて二階に上がり、前のアルバムの時に購入したTシャツ箱をひっくり返した。
あまり派手なものは女性に渡すものとして、どうだろう。
あっ、俺はこれなら良いのではないかと思ったものを掴んで一階に戻った。
すると相沢さんは台所にいて手招きしてくれた。
Tシャツを見せると、
「おおおお! 可愛いですね。それに写真のコラージュは黒でカッコイイ」
「でも全体が鮮やかなピンク色すぎて、着る勇気が出ませんでした」
「私は全然着られますね。頂いて良いんですか?」
「はい!」
「ではちょっと着てきますね」
えっ?! 今?!
俺が驚いていると相沢さんはTシャツを持って一番奥の仕事場に消えた。
数秒後……さっきまで着ていたTシャツの上に、デザロズTシャツを着た相沢さんが来た。男性サイズのTシャツなので、ダボダボしている。
なによりデザロズのTシャツを相沢さんが着ているという現実がすごい。
相沢さんは長い髪の毛をくるくるとまとめてポニーテールにしてその場でくるりと回り、
「軽くて着心地が良いです、頂いていいんですか?」
とほほ笑んだ。
かわいい……かわいい……すごくかわいい……。
俺は心を静めて無表情を心がけて言葉を出す。
「もちろんです。Tシャツも喜んでます」
「そうですか! ではお礼に……こっちはアニメオタクしていると無限に集まるクリアファイルです。ローソンでお菓子を買うともらえるやつだったんですけど、お菓子も買いすぎ。そしてクリアファイルが増えすぎです。値段に見合わないかも知れませんが」
「いえいえ! 嬉しいです、ありがとうございます」
相沢さんはたくさんのお菓子とアニメのキャラクターがローソンのユニフォームを着ているクリアファイルをくれた。
俺はそれを受け取って二階に行き、机に置いた。お菓子なんて無限に食べられるし、クリアファイルはどれだけあっても困らない。
なにより相沢さんがデザロズのTシャツを着てくれたのが嬉しい。
俺はコソコソとストック箱から色違いを出した。
実は色違いで持っているものを、わざわざ持って行った。
「……お揃いだ」
逆にこれは着れなくなった。
いや、逆にそれがいい、それがいいな。
しかしあれだ。Tシャツも喜んでます……は無いんじゃないか。
少し気持ち悪くないか? 焦るとすぐに物の気持ちを語ってしまう。
最近言葉を言ってしまってから反省することが多くてつらい。
口に出す前にもう少し考えたい。
しかしもう言ってしまった言葉は取り消せない。
俺はひとり反省会をしながら、ストック箱から出して、箪笥に移動させた。
お揃いの服が箪笥に入っているのが嬉しい。
部屋から見える三日月を見ながらお菓子を食べた。
甘い、静かな夜。
2022年1月17日に2巻が発売されます。
番外編も入ってます。なにより表紙と中の挿絵が超素晴らしいです!
予約して頂けるとうれしいです、よろしくお願いします。