千秋4
ほとんど眠れなかったけど、それでも朝はやってくる。
家族は心配していたけど、なんだかおなかが痛かったのだと話した。まだ具合が悪そうよと言われたけど、こんなことで休むのも気が引けて、学校には出てきた。
図書室の裏は、非常階段があって、そこの下は誰も来ない死角になっている。図書委員たちの間ではひそかに、秘密基地と呼ばれている。
私は今、そこに田中君と座っている。
今日は、夏休み前最後の授業。夏祭りの準備があるから午前授業。
今朝、高貴と顔をあわせるのが怖くて、裏道から学校に来た。
授業が始まる前に、海は断った。すぐに携帯の電源は落として、まだつけてない。
だから、高貴から返信があったかどうかはわからない。理由も書かずに送ったから変に思っているかもしれない。万が一、教室に尋ねてこられても嫌だから、休み時間はトイレとか、自習室とかにこもってた。
「そっか」
昨日の夜からの、私の行動を聞いた田中君は、一言そう言った。
「で、篠野さんは、ショックなわけだ。中山先輩が崎山先輩にキスしたのが。で、いじけてると」
うつむいていた私は、思わず顔を上げて田中君を見た。
「いじけてる?」
「いじけてるよ。だって、キスしたのは中山先輩であって、崎山先輩じゃない。そんなことで、篠野さんに避けられて、約束まで反故にされて。崎山先輩が一番かわいそうじゃない?」
「だって……」
「二人が付き合ってるって噂気にしてるなら、あくまで噂でしょ。本人に確かめたの? 俺の勘だと、別にあの二人に何かあるってわけじゃないと思うけど」
田中君は、前を向いて淡々と続ける。だけど、私のほうを見て、息を呑んだ。
なんだろう。そう思っていたら、慌ててポケットからタオルを出して渡してくれた。さすがセンスいいタオルだな。
のんきにそんなことを考えていたら、自分の頬が温かいのに気づいた。
ーー泣いてた、私。
「ご、ごめん……」
慌てて、タオルを受け取る。
「いや、俺こそごめん。ちょっと言い過ぎた」
「そんなこと無い。……でも、少し一人で考えたいから今日は、もう帰るね。話聞いてくれてありがとう」
立ち上がって、なんとか笑顔を作った。田中君は何か言いたそうにしていたけど、結局、「またね」としか言わなかった。
とぼとぼと家に帰る。
田中君の言葉が繰り返し、頭の中を回ってる。
そっか。私、何にもしてない。妹ポジションに満足して無いくせに、満足している振りをして高貴の隣にいたんだ。
高貴は良かれと思って私を海に誘ってくれたんだと思う。たぶん、私がおとなしいから、高貴の仲間に入れば、新しい世界が広がるかもとか、そういうことまで考えてくれていたのかもしれない。
それなのに、理由も言わずに断った。高貴の性格なら、理由を聞きたいと思っているはずだ。それなのに、私、高貴を避けて、携帯の電源まで切って……。
そこまで考えて、はっとした。私、まだ携帯切ったままだ。
慌ててかばんから携帯を出す。電源を入れてメールを着信をチェックする……。
いや、しようと思った。
「お前! いまどこにいる!」
何かの拍子にちょうどかかってきた電話を受けてしまったらしく、携帯から怒鳴り声がした。思わず落としそうになって、慌てて持ち直した。
「こ、高貴?」
「今、どこ!」
「え、あの、えっと、……帰り道?」
何で疑問形なんだろう、私。
すごい勢いで、私が今いる場所を聞きだした高貴は、
「そこを動かず、待ってろ!」
と言うと、十分もしないで、すごい形相でやってきた。高貴は、みんなの前では飄々とした振りをしているけど、実は意外と怒りんぼだ。でも、こんな誰が見ても怒ってるって顔で怒ることはあまり無い。
私は、思わず謝った。高貴の顔は直視できない。
「ご、ごめんね。高貴。あの、海はやっぱり行く。日程が決まったら教えて。なるべくほかの人の予定に合わせるから。そうだよね、あの、今更行かないとか言って、人数が変わっちゃうのは困るよね。もう、日にち無いんだし。でも、あの、誰が行くかとか、私聞いてなくて、その、ちょっと場違いだったら嫌だなとか、ちょっと思っちゃったんだよね。……誰が行くか聞いていい?あ、でも、誰が行くんでも、頑張って私も行く。高貴が私のこと考えて誘ってくれたんだってわかってるし、あの……」
うつむいたまま、早口でまくし立てた。何言ってるんだろう私。本当に言いたいことはほかにあるはずなのに、うまく言葉が出てこない。
「は?」
高貴の声に、思わず顔を上げた。
高貴はもう怒った顔はしていなくて、きょとんとしている。
「お前、何の話してるの?」
「何って、海の話。今朝断っちゃったでしょ」
「海って……。そっか、毎年恒例の海水浴だと思ってたのか」
「うん。違う……の?」
私が返事をし終わらないうちに、高貴は、はあーっとため息をついてしゃがみこんだ。
「ど、どうしたの?」
慌てて聞くけど、高貴はしゃがみこんだまま動かない。なんだかぶつぶつ言っているような気もするけど、よく聞こえない。
「あの、高貴?私、なんか変なこと……、わあ!」
高貴に恐る恐る手を伸ばそうとしたら、急にはじけるように立ち上がった。
高貴は、真剣な顔でまっすぐに私を見ると、おもむろに言った。
「千秋が好きだ。付き合おう」
は?
口が開いてる、私。たぶん、相当間抜け面だ。
「え? 中山先輩は? 付き合ってるんじゃないの?」
まただ、何言ってるんだろう私。でも、一番聞きたかったことかもしれない。
「やっぱり。その噂知ってるんだ。デマだよデマ。何回か一緒に帰っただけでこれだからな。生徒会副会長と夏祭り実行委員長が一緒に帰って、そんなにおかしいか」
「キスしてたのは? ……無理やりされたの?」
「キス? 誰が?」
「高貴と中山先輩」
「いつ?」
「昨日」
「どこで?」
「高貴の家の前」
「してねーよ」
「してたよ。見たもの。中山先輩から一方的にかもしれないけど……」
途中で、ため息を吐く高貴をみて、声が小さくなってしまった。
「キスなんかしてない。襟元にごみがついているって言われて、取ってもらっただけ。でも中山は千秋のこと、ものすごい意識していたから、キスしてるように見えるようにわざとやったのかもな。……それで、海断ったのか?」
「うん」
「デートだと思ってなかったのに?」
「え?」
あれ? そういえば、何の話だったんだっけ。
「えっと」
頭が真っ白で、うまく考えがまとまらない。
そんな私を見て、高貴はふっと笑った。
「じゃあ、話を整理しよう。俺も落ち着きたいし。千秋は、俺と中山が付き合ってると思っていた。まず、それは無い。俺は、昔から千秋一筋だし。中学のころは、なんとなく暗黙の了解で千秋に近付く奴もいなかったから良かったけど、高校に入ってからは、俺と千秋の関係を知らないやつも増えたから、俺はそろそろはっきりお前とちゃんと付き合いたい。お前こそ、田中ってやつと付き合ってるのか?」
「は? 田中君? 何で?」
「図書館の裏の階段のところで、いちゃついてたから」
そう話す高貴はまた不機嫌な顔になっている。っていうか、いちゃついてって……。
「違うよ! 高貴が中山先輩とキスしたから、相談に乗ってもらってたんだよ!」
思わず言い返していた。あれ、これって。
私の言葉を聞いて、高貴はにやっと笑う。
「なるほどね。そういうことか。じゃあ、問題ないよな。俺はお前が好き、お前も俺が好き。二人は付き合って、初デートは海! 了解?」
「はい」
思わず、返事をしてしまった。あれれ? あれ? あれあれあれ?
「え! ええええええええ!」
道端だと言うことを忘れていた。叫んでしまった。なんだか驚くことが多すぎて、どうしたらいいかわからない。
でも、高貴は動じない。もともとあんまり動じない人だし、私の扱いには慣れているから。
「なんでなんでなんで? 何で私の気持ち知ってるの? 何で両思いなの? 妹だってずっと言っていたのは何なの? 海って海ってデートって何? え? え? 付き合うの? あれ? なに? あれ?」
まくし立てる私の肩を抱くと、
「よし! 計画変更。初デートは、明日! 夏祭り。一緒に回ろうぜ。くだらない噂も消えるし、悪い虫も退治できるし、一石二鳥だろ」
高貴は、携帯を取り出し、チェックする。
「やべえ。委員会途中で抜け出してきたからな。そろそろ戻るわ。じゃあ、明日。また、連絡するから」
私が返事をしないうちに、高貴はさっさと背を向けて学校のほうへ戻って行った。
その夜、高貴から連絡が来た。明日は、実行委員の仕事があるから、昼間は一緒に回れないこと。最後の花火大会は、花火さえ配ってしまえば暇になるから、始まるころに高貴のところまで行けばいいようにしておくこと。それから、田中君にひどいことを言ってしまったので、謝ってほしいと書いてあった。
未だに信じられない。
ずっと、側にいて、でも妹だと思われていると思っていた。
だけど、高貴はわたしのことを好きだと言ってくれた。私の気持ちも、知っていたみたい。
信じられないけど、信じよう。田中君には、高貴の言葉を伝えるけど、私自身、今日の態度はきちんと謝って、そして、たくさんお礼を言おう。
私も高貴からのメッセージに了解の返事をする。
そして一つ息を吐く。
高貴に連絡するのに、こんなにどきどきするのは初めて。今朝、海を断る時ですら、こんなに緊張しなかった。
ずっと、側にいた人。でも、これからはもっと側にいる人。
私は今日最後の返信をした。
『私も、高貴が大好きです。これからもどうかよろしく』
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日からは高貴sideです。