36 衝動のままに(ダンタリオンの視点)
「この話を聞いておぬしがどう思い、行動するか。
それはわしの知ったことではない」
アスタロトは静かに目を閉じ、また開いた。
「しかし、おぬしには今、例えば2つの道があることを示したい」
アスタロトがこの暗い空間の床に手をかざすと、彼女の手に杖が現れた。
「1つは、時の流れに任せて記憶を全て忘れる。
そしてエテルを喰らうことで存在を永らえ続け、悪魔として成熟する」
と、アスタロトが言うのに合わせて、杖の先から黒い煙が現れて、より強大になった俺の姿が形作られた。
「……なるほど」
きっとこれが、一番楽な道だろう。
俺はそう感じた。
「もう1つは?」
恐る恐る尋ねた俺を一瞥して、アスタロトは先ほどとは反対の方向に杖を向けた。
「ふむ。もう1つは、魂の契約をした人間の力を借りて、おぬしが人間だった頃の記憶を思い出す。そして、その遺恨を晴らすのだ」
と、アスタロトの杖の先から、俺が人間と一緒にいる姿が煙で象られる。
「……俺が、人間と契約?」
人間を避けてきた俺が、その正反対を行くということか。
やはりこちらは、ハードルが高い道だ。
「うぬぬ!そう簡単に、己の遺恨を思い出せるもんか!」
と、ちっこい悪魔が喚いている。
「ダンタリオンはまだ記憶の欠片を有している。可能性があるのだ」
アスタロトとちっこい悪魔は、まるで喧嘩するみたいに睨み合った。
「……えっと」
第2の選択肢は、どう考えても難しい。
だが興味をそそられたのは確かだ。
「遺恨を晴らした後、俺はどうなる?」
「エテルを喰らわなければ、元来の魔界の掟にのっとり、おぬしの悪霊としての存在は砂と化して消え去る」
「……」
やっぱり、消えてしまうのか。
「そうして人間界への執念を手放した魂は、ラピスラズリの魔洞窟を通って、人間界へ行き精霊になる」
「精霊に?」
これには驚いた。
悪魔と精霊――正反対の存在が、実は繋がっていたというのか。
「精霊として人間に恩恵をもたらした後は、天界へも行けるようになると言われている」
「……」
こんな禍々しい見た目の俺が、精霊になり、人間に祝福される。
そんな未来が起こるのだろうか。
「わしは第2の選択をとった」
と、アスタロトは静かに語った。
「契約した人間の手を借りて、わしの一族を弔う祠をたてさせている。
それが完成すれば、悪魔としてのわしは消え去るだろう」
「……!」
「その前に――おぬしにも、この選択肢があることを伝えておきたかったのだ」
と、アスタロトは微笑んだ。
「ありがとう、アスタロト。少し、整理ができた気がする」
俺は礼を告げると、一呼吸を置いた。
「……精霊になりたいかと言われると、よく分からない。
だが、俺は悪魔になるほどの遺恨を、忘れ去ってしまいたくはない。
そこに大切な思いがあるような気がする」
俺は俺の両手を見た。
人間を治療していた人間の俺が、一体なにを考え、なにを恨んだのか。
「……」
アスタロトには、きっと俺の過去もはっきりと見えている。
だから今ここで、俺にこの話をしてくれたことに、
何か俺の過去に繋がる「意味」があるのだろう。
(俺の正体を、教えてくれないか)
そう口を開きかければ、アスタロトはしーっと指を立ててそれを阻止した。
「わしの口から、おぬしの過去を話しても意味ない。
自らを知りたければ、まず、己が己にはめた認識の枠を外すのじゃ」
俺は首をかしげる。
そんな俺を見るのを楽しむように、アスタロトはふふっと笑みをこぼした。
「悪魔らしくないからと否定し、隠したおぬしの衝動の中に、
おぬしの過去が、意志が、見いだせるということ」
アスタロトはお茶目にウインクをした。
(隠した衝動、か……)
思いを巡らす俺を見て、アスタロトは満足したようだ。
「――検討を祈るぞ、ダンタリオン」
そう言うアスタロトの声を最後に、暗闇の空間が消え去り、俺とちっこい悪魔は元の市場へと戻った。




