23 よみがえる幻影(ダンタリオンの視点)
「大丈夫か?」
地面に倒れ、ボロボロにちぎれたちっこい悪魔を、俺はそっと両手で広い上げた。
「う…う…ちくしょー、ちくしょー」
その悪魔は、俺の手のひらにすっぽり収まるほど小さく、2本の小さな角と白くまん丸な両目以外は全身真っ黒だ。
「う…うぐっ…痛い…痛いっ…!」
ひどく深い傷は、悪魔特有の高い自己治癒能力でも追い付かないほどで、このちっこい悪魔は白いまん丸目からぽたぽたと涙をこぼしていた。
「これで、痛みが和らぐ」
俺は、屋台のテーブルにそっとこの子を寝かせ、俺の薬を塗ってやった。
売り場に出していた自己治癒を早める効果と、痛みを止める効果を持つ薬だ。
「うううう……優し…優しすぎるのだぁあああ!」
「わかったから、じっとしていてくれ」
泣きに泣くこの悪魔の涙で、水たまりができ始める。
仕舞には自分の涙の水たまりに溺れそうになったので、慌てて水たまりから拾い上げてやる。
そしてもう一度、傷口に薬を塗ってやっていると。
俺は、俺の手が人間の手になって、次々と人間を治療していく幻影を見た。
(……またこの幻影か)
それは、たびたび俺の頭をジャックする幻影だ。
パブロを治療していたときも見えたし、もっとずっと前の、悪魔としての記憶が始まったときから焼き付いて消えない。
(一体、なんなんだろうな)
俺の手が人間になる、ということは、幻影の中で俺は人間ということだ。
悪魔になる前の記憶がない俺にとって、こんな不可解な幻影はない。
俺がそう思い悩んでいるうちに、ちっこい悪魔の痛みは治まったようで、安らかな呼吸を始めていた。
「……しばらく休んでいてくれ」
と、ちっこい悪魔に声をかけ、俺も一息つく。
そして俺は、ふたたび俺の両手をみつめる。
もう幻影は終わり、俺の手は元通り、悪魔の黒い手だ。
(ほんとうにただの幻影なのか。それとも……)
パブロと会った頃からだろうか。
幻影というよりもっと、リアルな感覚が増してきている。
まるで実体験を生々しく思い返すような……。
俺は少し不気味な気持ちがしてきていた。
どうやら暴いてはいけない秘密を前にした時の、居心地の悪さである。
「それはおぬしの記憶じゃ、ダンタリオン」
しわがれ声がして、俺は顔をあげる。
すると目の前に声の主が――占い師の悪魔アスタロトが立っていた。
(アスタロト……!)
俺を見据えるアスタロトの顔を、俺は初めてまじまじと見た。
真っ暗闇のガスの塊のような全身に灰色のフード付きのコートを被り、ニタニタと笑う半月型の目と、これまたニタニタと笑う大きな口だけが浮き出している。
その少々不気味な姿に、俺はごくりと唾をのんだ。
「俺の記憶とは、どういうことだ。
俺が人間を治療している幻影が、あんたにも見えるってのか」
俺が頭でそう思えば、それだけでアスタロトに伝わったようだ。
「幻影ではない。おぬしが悪魔になる前の記憶じゃ。
――おぬしが人間だったころの記憶じゃ」
アスタロトの口は動かない。
ただ直接俺の頭に語り掛けて来るようにアスタロトのしわがれ声が響く。
「俺が人間だったと?」
俺は、困惑に頭を乱される。
全てを見透かしたようなアスタロトの目と目があった次の瞬間、俺と奴は、なにもない真っ黒な空間に移動していた。




