セロとつばめ
「鳥人間コンテストってご存知ですか?」
長い灰色の髪をなびかせて、少女は問うた。十六歳ほどの彼女は、綺麗な青いドレスを身にまとっている。
広大な城の庭先で少女の青い目が前に捉えるのはドラゴンのように巨大な、オスのつばめである。
彼女は、その巨大な鳥に話しかけていた。
「ああ、鳥の真似事してるやつね。人力飛行物体の滞空距離と飛行時間を競う大会でしょ」
その鳥は、人間の言葉を発して少女の問いかけに応じた。
巨大な鳥はこの世界で珍しくはないのだが、人の言葉を喋る鳥など存在しないはずのものである。
しかし少女は平然と、その鳥と会話していた。
辺りには誰もいない。もし他に人がいたのならば、この怪奇な状況に驚愕していただろう。
「そういえば何度かお会いしているけれど、あなたの名前を聞いていませんでした」
「名前? ないよ。僕はただのつばめだから」
「名前がないのもないで、寂しくありません? あなたの背中にも乗せていただいたことがあるのに」
巨大な鳥に乗れるのは、その鳥に信頼を受けた者のみである。
少女にとっては、背に乗せてもらったことはアピールポイントらしい。
「私も鳥になりたい」
少女は、ぽつりとつぶやいた。
つばめが彼女の顔をうかがえば、少女は空を見上げて、哀に染まった目を天に押し付けていた。
「なんでさ」
「鳥になれば、あなたと歩幅を合わせて、空を歩けるでしょう?」
少女の目がつばめへ向く。愛に染まった目を鳥に押し付けて、口角を引き上げて口元に月を浮かべた。
少女の心が弾んで登る。
つばめは黙ってしまった。
「空は歩くものじゃなくて飛ぶものだよ」
しばし間が空いて、つばめは翼を広げて少し体を動かす。
「だいたい、僕の背中に乗れば一緒に飛べるでしょ?」
「そうですね……巨大なつばめの背中に乗れば、私は鳥にもなれるでしょう。でも、それではダメなんですよ」
「鳥頭には、君の考えがよく分からないな」
つばめが呆れたような声色で伝える。
『お嬢様ー?』
遠くの方で女性の呼び声が聞こえた。
少女とつばめは声のする方へ顔を向け、お互い目を合わせる。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰るとするよ」
つばめは翼を広げて上空へと飛ぶ。
「また、会いに来てね」
「機会があればね」
少女の言葉に一つ返事を返してから、つばめは空を飛んでその場を離れていった。
城の廊下から、メイド服を着た長い茶髪のメイドが少女のもとへ来た。
「セロお嬢様、何をなさっていたのですか?」
メイドは少女を、セロと呼んだ。
「んー? おままごとだよ」
「おままごと? それにしては道具類が見当たりませんが……」
メイドが辺りを見回すが、おままごとなどしていないセロの周りには当然ままごとの道具はない。
「ねえ、アンナ」
怪訝そうにするメイドに、セロは彼女の名前を呼んで注意を引きつける。
そして再び口を開き、続きを口にした。
「これから質問するから、必ず『はい』と答えてちょうだい」
「? 承知いたしました」
セロの意図がわからないアンナは、ただ彼女の指示に従うのみである。
セロが再び言葉を音に出した。
「ねえ、アンナ。人間は鳥になれるかしら」
「え。あ……はい」
セロは前方の上空に飛ぶ、先程のオスのつばめを眺めていた。
オスのつばめの周りには数羽の巨大なメスのつばめが群れていた。
セロの目線は、オスのつばめからメスのつばめに移り、メスたちを捉えて離さない。
「私は、あの鳥たちがとても羨ましいわ」
「……セロお嬢様は籠の中の鳥とは無縁の女性でしょう」
「そういう意味ではないのよ。私は、ただ鳥になりたいの」
「はあ……」
アンナはセロの言いたいことが分からず、分からないながらも音をもらした。
「アンナ、銃を」
「……はい」
セロが指示をすれば、アンナは手を横に振った。すると今まで何もなかったアンナの手元にライフルが出現した。
彼女はそれをセロへ手渡す。
セロはライフルを構え、一発撃ち放った。
放出された弾丸は、オスのつばめに群れていたメスのつばめの一羽を撃ち抜く。
メスのつばめは、ふらふらと揺れて降下していった。
セロはボルトハンドルを起こしてロックを解き、ボルトを引いて薬莢を排出する。
ボルトを前に押し、薬室に入れてある弾薬を装填した。
ボルトハンドルを倒して薬室を閉じると、また銃口をメスのつばめへと向けた。
銃声が一つ鳴り響く。
一羽メスのつばめが空から落ちて、また金属音が鳴って、続けて発砲音が轟く。
一発ごとに、セロの心は弾んで膿とともに落ちていく。
セロがそれをしばらく繰り返せば、オスのつばめの周りには何者もいなくなった。
彼女はライフルを下ろして、オスのつばめを見つめる。彼は前方の空で、停滞していた。
「私は、あの鳥を落としたいのよ」
空で翼を動かしながらその場に留まるオス鳥に向けて告げるように、セロは言葉を発する。
アンナは鳥を撃ち落とすセロに驚いて、撃ち落とされたメス鳥たちに同情するように、そして最後の一羽を撃たない不気味さに言葉を詰まらせる。
「あの……お嬢様……」
「今夜は焼き鳥ね、アンナ」
「……はい」
セロは鳥から目を離してアンナに微笑みかけた。