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8  きっかけはひとつの出会いから



 どうやら俺は死んだらしい。

 らしいというのは、死ぬ間際の記憶がないからだ。いや、実際は死ぬ間際どころか、自分自身が誰なのかすら分からない。


 気がついたら城下の真ん中で、ひとりぽつんと立っていた。道ゆく人はみんな俺をすり抜けて、まるでそこに誰もいないかのように通り過ぎる。

 声をかけてみても、誰ひとり反応はない。


 しばらくそんなことを繰り返して、ようやく悟った。自分の姿は他人には見えていないし、声も届いていないのだと。

 よく見ると身体は透けているし、膝から下の足もない。


 そんな己の現状を表すのにぴったりの言葉が思い浮かんだ。


『なんだこれ、まるで幽霊じゃないか』


 そう。どうしてだか分からないが、自分は幽霊になってしまったらしい。と言うことは、俺は死んだのだろう。


 死んでなお、ここにいる理由は分からない。現世に留まり続けた幽霊が悪霊になってしまうと言う話も聞いたことがあるし、早く天国に行かねば、なんて冷静に考えた。


 とりあえず記憶を取り戻さなければ何も始まらないと思い、適当に街中を浮遊する。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ゆらゆらふわふわしていたら3日が過ぎていた。


 自分が誰かも分からず、他人と話すこともできず、ただ無駄に過ぎていく時間に少しだけ危機感を覚え始めたころ、ひとりの女の子と出会った。


 初めは、なにかの見間違いかと思った。だってこんな暗い夜道を、ドレスを着た女性がひとりで歩いているのだ。訳ありかと思いつつ、心配になってつい後を追ってしまった。


 いま考えればあの時の判断が、この先の己の運命を決めたのだと思う。あそこで好奇心に負けて彼女を追いかけなければ、自分の身体には戻れなかっただろうし、彼女を助けることもできなかった。



 高級なベッドの上に座る、金色の髪に青い瞳を持つ男を見る。


『準備が整いましたよ。モントリス元伯爵』

「申し訳ありません、本当にご迷惑をおかけします。ライベル殿下」


 まったくもって不思議な感覚だ。目の前にいる、自分の身体と話すことは。

 全ての元凶となった男は、俺の身体を使って丁寧に謝罪を述べた。


『いえ、俺はいまこの状況に感謝しているくらいです』

「感謝?」

『ええ。あなたの娘、ノアンと出会うことができたので』

「そのように言っていただけるとは、ライベル殿下を選んでよかった。……どうか、娘をお願いします」

『任せてください』


 安心させるようにポンっと胸を叩いて応えると、目の前の男は小さく笑って目を閉じた。


『ではその身体、返してもらいますよ』

「はい」


 そのまま肩に触れると、俺の意識は身体の方へと吸い込まれる。視界が暗転して次に目を開いたときには、目の前に中年の男性が立っていた。白髪の混じった髪を後ろへ撫で付けたその紳士の姿は、一目見ただけで分かるほど透けている。


 男性はそのまま静かに一礼して、スッと姿を消した。


 ひとりになった部屋で己の身体を確認する。特に違和感はない。記憶も残っているし、意識もはっきりとしている。

 ベッドから立ち上がり、深呼吸をするように大きく息を吸い込んだ。


「……さて、のんびりしてはいられないな」



   ◆◇◆



「はあっ!?」


 室内に大きな声が響き、思わず顔をしかめる。


「ジーク、声がでかい」


 窘めてみるも、騎士服を着た黒髪の男は気にする様子もなく、俺に詰め寄るように言葉を続けた。


「じゃあなんだおまえ、急にぶっ倒れて記憶喪失になったのは、中身がおっさんと入れ替わってたからなのか?」

「簡単に言えばね。伯爵はとある目的で、権力のある王族の身体を乗っ取ろうと考えたらしい。結局俺の身体を奪うことには成功したけど、入れ替わった衝撃でお互いに記憶が飛んだみたいだ」


 自室のソファに腰かけ、珈琲を啜りながら説明する。2週間ぶりに感じた味覚に、無性に感動を覚えた。


「は~、そんなこと本当にあるのかよ。……って言いたいところだが、信じるしかねえな」


 向かい側に座った男は、妙に納得したように頷く。彼は俺の護衛だが、幼なじみでもある。隣国に留学する際も共に付いてきてくれた、頼りになる友人だ。


「信じてくれるんだ?」

「だっておまえ甘いもん嫌いなのに、毎日うまそうに食ってたぞ」

「えぇ……」


 想像したら、なんだか胃がムカムカしてきた。そう言われると、気のせいか腹回りに肉がついたような気がする。これは少し運動でもしなければ、なんてことを思っているとジークが話を戻した。


「それで幽霊になったおまえは興味本位でライベル殿下ってやつを見に来て、記憶が戻ったってことか?」

「そう。ベッドに座ってる自分を見たら、一気に思い出した。伯爵も幽霊の俺を見て記憶が戻ったらしい。そのあとはお互いに現状の把握と、どうしてこんなことになったのか伯爵と話をしてたら夜が明けてた」


 あの時のことを思い出す。きっと王宮に行く選択をしていなかったら、自分はいまも幽霊のままだったかもしれない。


「で、その伯爵様の憂いはなんだったんだ?」


 頭の中に、ひとりの女性の姿が思い浮かぶ。色素の薄い茶色の髪に、黄色味の強いアンバーの瞳。夜空に浮かぶ満月のような、大きな瞳が印象的だった。


「……ジーク」

「ん?」

「俺、好きな人ができた」

「……は?」


 話の流れとは無関係とも言える突拍子のない言葉に、あきれたような顔でこちらを見てくる。その視線を正面から受け止めて、真剣な表情で口を開いた。


「どうしても彼女がほしい。だから協力してくれ」


 これは伯爵から頼まれたからやるのではない。自分自身が望むからだ。

 己が持っている権力の全てを使って、彼女を救う――……いや、手に入れてみせる。


 ジークは小さくを溜め息を吐いて、仕方なさそうに頷いた。


「……詳しく話せよ」



 それからジークを巻き込んで、徹底的に進めた。


 まずは馬車事故について調べ直し、当時の御者を拘束して知っていることを吐かせた。少し脅しただけで、現在のモントリス伯爵夫妻の指示で、馬車事故を偽装したことを認めたのだ。

 これで証言は取れた。あとは証拠だが、それについては幽霊となっていた間に見つけている。


 記憶を取り戻してからは、幽霊の姿で夫妻の行動をずっと追っていた。

 俺の姿は、ただひとりを除いては誰も見ることができない。まさか室内に幽霊がいるなどと思うはずもなく、夫妻は事故の話を酒の肴にしていたのだ。

 証拠についてもべらべらと話してくれたので、おかげで探す手間も省けた。


 あとはあの屋敷を押さえるだけだが、もうひとつ、聞き捨てならない話を耳にする。それを聞いたとき、いまが幽霊でよかったと思った。そうでなければ、あいつらを殺していたかもしれない。それほどの怒りを感じた。


 ――彼女を、とある侯爵家へ売るなんて。


 7年間隣国にいた俺には、その侯爵家がどういう家なのかは分からない。だが汚い顔で笑いながら話す夫妻を見て、彼女の未来が明るいものではないことを一瞬で悟った。


 彼女が売られるのは、運悪くも王宮での夜会が開かれる日。俺はその夜会では主役の内の一人だったため、抜けることは難しい。

 記憶喪失のふりを続け夜会に出ない選択肢も考えたが、いっそのこと彼女を招待してしまえばいいのでは、という結論に至った。さすがに第一王子からの直接の招待を、無下に断りはしないだろう。


 彼女はドレスの持ち合わせがないようなので、特注で作らせた。何人ものお針子を徹夜させて、5日で終わらせた。お針子たちには無理をさせてしまったが、通常の何倍もの報酬を支払ったからか、思ったほど不満の声は上がらなかったようだ。


 夜のおしゃべりの際、彼女はいつもネグリジェ一枚で俺の前に来ていたので、サイズを把握するのにも苦労はしなかった。こんなことを女性の前で言ったら、確実にヘンタイ扱いされそうだ。


 そうして準備も整い、あとは当日を迎えるだけ。

 だが俺は、最大のミスを犯していた。

 ここまで完璧に準備していたのに、気づけなかったのだ。


 ――彼女の妹と母親が、想像以上の馬鹿だったという事実に。



「ラウ、おまえが贈ったドレスを着た令嬢がもう会場に来てるぞ」


 俺のことを愛称で呼んだのは、今回の計画を全て知っているジークだ。


「分かった、あとは頼んだよ」

「任せろ、って言いたいところなんだが…」

「何か問題が?」


 ジークと話してまとめた計画はこうだ。

 まずはノアンを夜会に招待し、屋敷から避難させる。迎えの馬車も手配したし、抜かりはないはず。

 そして彼女が会場にいるうちに、伯爵夫妻を取り押さえる予定だ。実行はジークに任せているため送り出そうとしたのだが、彼は会場の入口の方を見て顔をしかめた。


「……いや、見たほうが早いと思うわ」


 そう歯切れ悪く言うもんだから、首を傾げながらも足早に入口へと向かう。

 やっと……やっと彼女に会える。この瞬間を待ち望みすぎて、何度夢に見たことか。


 そして期待を胸に目的の場所に到着した俺は、目の前の現実に思考が停止した。


「おまえの好きな子って……あれなのか?」


 ジークが顎で示した先には、俺が徹夜で作らせたすみれ色のドレスをまとった、オレンジ色の髪の女性がいた。まだ幼さの残る顔立ちに、大人びたドレスが全く似合っていない。髪色との相性も悪く見える。


 思わずぶんぶんと音が鳴りそうなくらいに、首を横に振った。


「やっぱそうだよなぁ。どうするよ、あれ」


 どうするも何も、事情を聴き出すしかない。俺は盛大に溜め息を吐いて、ドレスを見せつけるように会場を歩いていた令嬢に声をかける。


「こんばんは、シエンナ」

「どちらさまですか?」


 隣国にいた期間が長かったため、この国では俺の顔はほとんど認知されていない。今も会場内を悠々と歩いてきたが、誰も俺が王子だとは思わなかったようだ。


「そのドレスを贈った本人だよ」

「……まあ! ライベル殿下でいらっしゃいますか!?」


 大きなはしたない声に、周囲にいた者たちが一斉に振り向いた。その視線を気に留めず、俺は湧き上がる怒りを必死で抑えながら尋ねる。


「どうしてきみがそのドレスを着て、ここにいるのかな?」

「もちろん、ライベル殿下にご招待されたからですわ。このドレス、とても気に入りましたの」


 一瞬眩暈がしそうになった。たしかに招待状は送ったが、宛名は正しく指定したはずだ。いったい何がどうなって、こうなってしまったのか……

 もう考えるのも煩わしくて、怒りのままに言葉を口にする。


「ドレスの宛先はきみのお姉さんになっていたはずだけれど? きみのような性悪女を、俺が招待するわけないだろ」

「しょう、わる?」


 目の前の顔から一瞬にして笑顔が消える。周りからひそひそとした声が聞こえ始めると、それを遮るように別の声が割り込んだ。


「ほらな、だから言っただろ。殿下がおまえにドレスなんて贈るはずがないんだ。大人しく俺のドレスを着ていれば――」

「サイラスさまは黙ってて!」


 近くにいたノアンの元婚約者が窘めるも、シエンナはそれを一蹴してまたこちらに向き直る。


「ライベル殿下! わたしっ――……」


 それから俺に向かって両手を伸ばし――、パサリッという、布が擦れたような音が耳に届いた。


 この人の多い会場内でその微かな音がしっかりと聞こえたのは、たったいま起きた事態をまざまざと目撃してしまったからだろう。

 一瞬周囲に沈黙が訪れて、――今度は悲鳴ともとれぬ絶叫が響いた。


「きっきゃああああああぁぁあ!?」


 つんざくような女性の声に、思わず耳を押さえる。目にしてしまった光景に、さすがの俺も引いた。そりゃもう、全力で。

 だって……目の前にいる女性のドレスが脱げ落ちて、いきなり肌をさらけ出す展開なんて誰も予想しないだろ?


 辛うじてシュミーズとコルセットで大事な部分は隠れているが、痴態をさらしていることには変わりない。

 恐らくだが、ドレスのサイズが合っていなかったのだろう。この女のために作ったのではないのだから当然だ。


 周囲にいた者たちの反応も様々で、扇子を片手に目を逸らすご婦人や、興味津々で舐めまわすように見ている男もいる。


 この騒然とした空気のなかで、俺は急に襲ってきた頭痛に目頭を押さえた。それから近くにいた警備の騎士を呼びつける。


「彼女を別室で保護してやってくれ。俺の許可があるまで部屋から出さないように」


 命令を聞き入れた騎士がシエンナを連れて会場の外へと出て行く。ふたりの後ろ姿が人の群れに消えたのを確認して、深い溜め息を追加した。

 隣にいたジークがポンッと俺の肩を叩く。


「おまえ、本当に苦労性だよな」

「それは否定できない……けど、今回は俺の落ち度もある。やっぱり直接迎えに行くべきだった。ノアンが心配だから、俺もモントリス邸に行く」

「主役なのに抜けていいのかよ?」

「俺はおまけみたいなものだからな。終わるまでに戻ってくればいいだろ」


 今回の夜会は、弟であるエイデンの立太子を祝す意味合いの方が強い。俺はあくまで帰国したことを知らせ、貴族に顔見せするくらいだ。それに婚約者候補を探しているなんて言う厄介な噂も流れているため、正直抜け出したほうが好都合だったりする。


「なら、とっとと終わらせるか」


 親友の言葉に頷き、俺たちは会場を飛び出した。

 シエンナがここにいたということは、ノアンは屋敷にいるはず。手遅れになる前に彼女を保護しなければ。


 早く早くと急かす心を落ち着けて、馬車に乗り込んだ。



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