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3  見えないからこそ



 幽霊さんと出会ってから1週間が経つ。毎朝彼が丁寧に起こしてくれるので、最近は余裕をもって朝の支度ができている。

 毎日決まった時間に起きてくるようになったわたしを見て、妹は不思議そうに首を傾げていた。


 幽霊さんとはだいぶ親しくなり、思いのほか夜は楽しい時間を過ごせている。

 彼は人と話すのが本当に好きらしく、記憶がないというのに全く話題が尽きない。なんだかんだで夜の秘密のおしゃべりが楽しみになっていた。



 今日は午前中で授業は全て終わってしまったので、天気がいいこともあり学園の裏庭に来ていた。

 人通りの少ない木陰を選び、芝生の上に腰を下ろす。そよそよとした温かい風が肌を撫でていき、その心地よさに目を細めながら一冊の本を取り出した。


 以前は図書室を利用していたのだが、妹に見つかってからは点々と場所を変えている。屋敷の自室にいてもいきなり押しかけてきて邪魔をされるので、読書すらままならないのだ。


 実は幽霊さんとのおしゃべり中にも、妹が部屋に来たことがある。当たり前だがわたしの姿しか見えていなかったようで、「独り言とか気持ち悪い」と言って早々に部屋を出て行った。

 何もせずあまりにもあっさりと帰ったので、今度からこの方法で撃退しようかと考えたのは内緒だ。


「今日はゆっくり読めそうね」

『なにを読むの?』


 ほっと息を吐いたわたしの真横から、声がかけられた。


「これは最近流行っている恋愛小説で――」


 あまりに自然な流れに反射的に答えてしまう。途中でぴたりと動きを止め、そのままぎこちなく首を動かして隣を見上げた。

 眩しい金髪を揺らして男がにこりと笑う。ただし、その姿はうっすらと透けていた。


「……幽霊さん、どうしてあなたがここに?」


  普段の彼は、昼間は記憶探しの旅に出ている。基本は朝と夜しか会うことはないのだが、今は昼間にもかかわらずわたしの前に姿を現した。


『そういえば学園の中は見てなかったな、と思って来てみたら偶然ノアンを見つけたから、つい声をかけてしまったんだ。もう授業は終わったの?』

「終わりました。そちらはなにか収穫がありましたか?」


 小声で問いかけると、彼はゆるゆると首を振った。


『残念ながら、なにも。でもノアンに会えたから、それだけで十分な収穫かな。あ、俺のことは気にしないで読書に集中してもらっていいから』


 言うなり隣に腰を下ろす。気にするなと言われても、じっとこちらを見てくるせいで全く集中できない。


「あの……そこにいられると、どうしても気になってしまうのですが」

『そう? こんなに透けてるのに? 幽霊なんだから、いないものと思ってくれていいんだよ?』

「残念ながら、わたしにはあなたの姿がしっかりと見えてしまっていますので……」


 抗議すると、彼は『困ったな』と言いながら顎に手をあてた。困っているのはどちらかと言うと、わたしの方なのだけど……


 仕方なく開きかけていた本を閉じると、幽霊さんが急に立ち上がった。場所を移してくれる気になったのかと思いながら、首を傾げる。


「幽霊さん? どうかしま――」

『しっ』


 問いかけようとした言葉は、再びわたしの隣に膝を突いた彼の人差し指によって止められる。唇に添えられた彼の指先に、あるはずもない熱を感じた気がした。

 どきどきと心臓の音がうるさくなっていく。実際に触れてなどいないのに、今の状況になぜか無性に恥ずかしさがこみ上げる。


「っ……あの」

『静かに、すぐ近くに人がいる。きみの妹さんだ。もう一人は……ああ、ノアンとの婚約を破棄したっていう残念なご令息かな?』


 その言葉に思わず身体が強張った。


『ここからなら見つからないから、下手に動かない方がいい。俺が見張ってるから、ノアンはそこにいて』


 言うなりわたしから離れ、妹たちの様子を窺っているようだった。彼と距離が空いたことに少しだけ安心する。まだうるさい心臓の音を沈めるように、そっと胸に手をあてた。


 しかし、この裏庭は妹たちの散歩コースだったらしい。植木のおかげでお互いの姿は見えないようだが、二人の会話は聞こえてくる。


「サイラスさま、2週間後の夜会なんですけどぉ」

「ん? ああ、王宮で開かれる夜会か。たしか帰国した第一王子が参加するとかで、派手に行うらしいな」


 王宮での夜会? 初めて聞いた。恐らく妹の影響で情報が流れてこなかったのだろうが、どちらにしても今の私には無縁の話だ。


「第一王子の婚約者候補を探す目的もあるみたいだから、かなりの数のご令嬢が招待されていると聞いたな」

「そうなんです! みんなきっと気合いを入れて、とってもステキなドレスを着てくると思うんです。だからわたしも新しいドレスが欲しいなぁ」

「ドレスを? ……今からオーダーメイドするのは少し無理があるぞ」


 オーダーメイドのドレスはデザインにもよるが、普通は早くても3週間はかかる。金にものを言わせればそれだけ早く作ってもらうことは可能だが、サイラス様はまだ学生なのでそれほどの余裕はないだろう。

 お父上である公爵様に頼めば可能だろうが、なかなか厳しい方で、正当な理由がない限りは難しいだろうなと思う。


「そうですよねぇ……それじゃあ既製品でもいいので、一点もののやつをプレゼントしてくれませんか?」

「まあ、それならなんとかなるか」

「やったぁ、楽しみにしています!」


 なんとも強引である。サイラス様の流されやすい性格を、妹はよく理解している。正直わたしよりもずっと上手く扱っているので、本当にお似合いだと思ってしまった。

 まあ……、もともとサイラス様に対して恋愛感情がなかったから、そう思えるのだろうけれど。


 そのあとは互いに好きだのなんだのと生ぬるい会話をしながら、二人の声は遠ざかっていった。

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、今度は別の方向から名前を呼ばれる。


「ノアン、ここにいたのですね」

「クリス……?」

「もう帰ってしまったのかと思って、少し焦りました」


 走ってきたのか乱れて顔にかかった銀髪を、耳にかけながらほほ笑む。


「わたしにご用ですか?」

「用ってほどではないのですが、先日の話の続きをしたくて。ノアンは2週間後に開かれる、王宮での夜会のことは知っていますか?」


 たったいま耳にしたばかりの話題を出され、思わず笑ってしまいそうになった。すんでのところで抑え、口もとを手で隠しながら頷く。


「ええ、知っています」

「それなら話が早い。僕も特別に招待されているので、よろしければ一緒に参加しませんか?」


 クリスは庶民だが、バローナ商会の跡取り息子ということもあり、多くの夜会に顔を出しているようだった。


「お誘いはありがたいのですが、わたしは招待状を受け取っていないので難しいかと。それに王宮の夜会に着ていけるようなドレスがないのです」


 夜会があること自体、いま知ったばかりだ。もしかしたらわたし宛にも招待状が届いているかもしれないが、母か妹によって捨てられている可能性が高い。


 それに今はお古のドレスしか手元にないので、さすがにくたびれたドレスで華やかな王宮の夜会に参加する勇気はなかった。


 丁寧に断りを入れたのだが、クリスは優しくほほ笑んで首を振る。


「それは心配いりません。バローナ商会宛の招待状は、付き添い人を連れて行けるのです。ですから、僕のパートナーとして参加していただけないかと」


 その言葉に目を瞬かせながら、まじまじと目の前にある中性的な顔を見てしまう。わたしの視線など気にせずに、クリスは続けた。


「ドレス一式も僕に用意させてください。いま発注すれば、まだ間に合うので」


 さすがバローナ商会の跡取り息子。2週間でオーダーメイドのドレスを作れるとは。どこかの公爵令息とは大違いである。


 ……なんて悠長に思っている場合ではない。

 彼の言葉の本質は、別のところにあるのだ。前回話したときの内容は、てっきり冗談だと思い込んでいたのだが……


「クリス……その、わたしは……」

「僕の気持ちは迷惑ですか?」


 深い紺色の瞳に見つめられて――


『ノアン』


 真横から声が投げられ、開きかけた口はそのままに隣を見る。


『……俺がいるのに、他の男としゃべらないで』


 抜けるような青い空と同じ色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

 ちょっとやそっとのことでは動じない自信があったわたしの精神も、いま起きている事態に完全に思考が停止する。


「ノアン?」


 話の途中で急に視線を逸らしたわたしを不審に思ったのか、クリスが顔を窺うように尋ねてくる。

 その声にびくりと身体を揺らしたのは、視線の先にいた金色の透けた髪を持つ幽霊だった。


『っ――、ごめん! 今のは忘れて!』


 はっとして驚いたような表情をしながらも、どこか悲しそうに顔を歪ませて、幽霊さんは慌てた様子で言う。それからもう一度、なんとか聞きとれるくらいの小さな声で『ごめん』と言って、ふわりとどこかへ飛んでいってしまった。


 金色の髪が消えていった空をぼーっと見つめる。そんなわたしの顔を、心配そうにクリスが覗き込んできた。


「ノアン、どうかしましたか?」

「…………」

「……やっぱり、僕では君にふさわしくありませんか?」

「え……あっ、そんなことはありません!」


 自信なさげに問いかけられた言葉に、やっと思考が現実に戻る。次々と想定外のことが起こりすぎて、頭が追いついていない。

 妹になにをされても冷静に対処できていたのに、どうして今はこんなにも動揺しているのか。


 目の前にいるのはクリスなのに、歪んだ青い瞳がずっと目に焼き付いている。一瞬泣きそうに見えたあの顔が、どうしても離れない。


「クリス、すみません。この話は明日改めて返事をさせていただきます。今日は帰りますね」


 強引に話を切り上げると、クリスは小さな声で了承の返事をする。それを見届けて、わたしは早足で裏庭を後にした。



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