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2  夜のおしゃべり



『ノアン、朝だよ。起きて』


 その声にゆっくりと重たいまぶたを押し上げると、眩しい金色の髪が目に入った。


『おはよう。ごめん、外から声をかけたのだけど、まったく起きそうもなかったから勝手に入ってしまった』

「いえ……ありがとうございます」


 幽霊さんは謝ってくれたが、すぐに起きられなかった自分の方が悪いだろう。本当に、朝は苦手だ。

 指定の時間に起こしてくれたおかげで、湯浴みをする時間も確保できた。これには正直感謝するしかない。


「うん、完璧だわ」


 鏡の前で自分の姿を確認する。長くまっすぐ伸びた薄茶色の髪は、後ろでひとつに結った。最近は時間がなくぼさぼさのまま家を出ることも多かったので、こんなにきちんと制服を着こなせたのは久しぶりだ。


 もう一度幽霊さんにお礼を言って部屋を出る。昼間のうちは自分の記憶を探すらしく、彼はふらりとどこかへ消えていった。



   ◆◇◆



 昼休み、わたしは学園内にある食堂にいた。

 最近はお弁当を持たせてくれなくなったので、食堂を利用するようにしている。学園に対して一定額以上の寄付をしていると、無料で利用できるのだ。


 入学する際に父が寄付をしており、おかげで登校日は確実に昼食をいただくことができる。今のわたしには非常にありがたい。


 お気に入りのビーフシチューのセットを手に取り、窓際の席に座る。半分ほど手を付けたところで声をかけられた。


「ご一緒しても?」


 向かい側の席を示して問いかけてきたのは、顔見知りの男子生徒だった。


「どうぞ。久しぶりですね、クリス」

「ええ、本当に」


 肩の下辺りまで伸びたさらさらの銀髪を揺らしながら、やわらかい所作で椅子に座る。彼は中性的な顔立ちが魅力的で、たまに女性に間違われるほどだ。


「最近はうちを全く利用してくれなくなったので、父も寂しがっています」

「利用したいのはやまやまなのだけど……」


 クリスはこの王都でもかなりの豪商と言われている、バローナ商会の跡取り息子だ。庶民でありながら、彼の実家はそこいらの貴族より遥かに裕福である。


 この学園は一定額以上を納めれば、身分に関係なく入学できるため、同学年のクリスとは話す機会が多かった。

 父はバローナ商会を贔屓にしており、入学前から彼とは付き合いがあったのだが、それも今はさっぱりだ。


「分かっていますよ、あなたの家の事情は。最近はゆっくり話す時間も取れないので、少しいじわるを言いました」


 わたしと親しく話していると妹におかしな噂を流されるため、友人はみんな距離を取るようになった。それは仕方のないことだろう。

 むしろ申し訳ないので、離れていてくれた方がありがたい。わたしはひとりでいることに抵抗はないので。


 まあそんなわけで、授業中以外は迷惑にならないように人の多いところは避けている。話せる機会があるのはお昼休みくらいなので、クリスとしては不満が募っていたのだろう。


「昨日のことは聞きました。大変でしたね」

「いえ……」


 恐らく舞踏会での、サイラス様の婚約破棄について言っているのだろう。クリスは参加していなかったらしく、人伝いに聞いたようだ。

 きっと学園内でも、すでに噂になっているはず。


「今後はどうされるのですか?」


 学園を卒業後、わたしはすぐに公爵家へ嫁ぐ予定だったのだが、昨日サイラス様に婚約を破棄されたことによりそれはなくなった。

 よって今後の身の振り方について問われているのだろう。


「とりあえず卒業までは、このまま頑張ってみようと思っています」

「卒業まで?」

「はい、そのあとは家を出ようかと」


 わたしの決断に、クリスは紺色の瞳を僅かに見開いた。


「……当てはあるのですか?」

「いえ、今のところはないです。最悪領地に戻って、親戚のつてを辿り家庭教師でもできればなと」


 漠然とだが考えていたことを言葉にすると、クリスは「ふむ」と頷く。それから控えめに口を開いた。


「……あなたのような聡明な方であれば、是非うちの女将になっていただきたいですね。身分は捨てることになりますが、暮らしは今よりずっと豊かになるかと」


 クリスの言葉に目を瞬かせる。それは直訳すると、彼のもとに嫁ぐという意味だ。今まで彼の口からそんな話が出てきたことはない。

 まさかとは思うが、きっと本気ではないだろう。


「まあ、ご冗談を」


 きっとわたしを勇気づけるために言ったのだろうと、苦笑を浮かべながら返答すると、クリスは肩を竦めてみせた。


「……冗談ですか、僕はいつでも本気なのですが」

「そんなことをおっしゃって。いつもぼんやりとしているわたしに、商いは向いていないと思うのです」

「ふふ。ノアン、あなたはいつも誠実で謙虚だ。僕はあなたのそういうところが――」


 途中まで言葉を紡ぐものの、続きを飲み込むように喉を上下に動かす。それから眉を八の字にして、困ったような顔で微笑を浮かべた。


「クリス?」

「……いえ、なんでもありません。そう言えば、ノアンは知っていますか? ライベル殿下が帰国されたこと」


 この話は終わりとばかりに、クリスは強引に話題を変える。わたしはデザートのプリンに、スプーンを差し入れながら頷いた。


 ライベル殿下。

 この国の第一王子であらせられるその人は、7年前より隣国へ留学していた。当時まだ12歳だった殿下がなぜ単身隣国へと渡ったのかと言うと、あとに産まれた第二王子である、エイデン殿下との諍いを避けるためだと言われている。


 現国王陛下と王妃殿下の間にはなかなか子ができず、世継ぎの問題もあり、仕方なく側妃を受け入れ子をもうけた。その際に産まれたのがライベル殿下だ。

 しかし10年後、ご正妃様が懐妊される。そうして産まれたのがエイデン殿下なのだが、太子としてどちらの王子を立てるか、王宮内で対立が始まった。


 それから約2年、見苦しく互いの派閥を罵り合う大人たちを見て、まだ12歳のライベル殿下は王位継承権を放棄すると宣言し、数人の従者と護衛を連れて隣国に留学することになる。

 そして一度も国には帰らず7年が経ち、19歳になったライベル殿下は今年隣国の学園を卒業して帰国するらしい。


「聞いてはいましたが、すでにお戻りに?」

「ええ。僕は商会の関係で話を聞いたのですが、高位貴族の間ではすでに知られていることです」


 母と妹の影響で、最近のわたしの耳には社交界の情報はほとんど入ってこない。外にいても人と関わることがあまりないし、現在の情報源はもっぱらクリスからだった。


「数日前に、王宮からバローナ商会あてに要請がありまして。ライベル殿下が帰国されるので、日用品や家具、洋服など全てをそちらで揃えたいから王城に来てほしいと。そのように言われたものですから、張り切って父と出向いたのですが……」


 当時の状況を思い出したのか、クリスはわずかに憤りを顔に滲ませた。


「王城に着くなり、ライベル殿下の都合がつかなくなったので、今日は帰ってほしいと言われたのです。では次はいつ登城すればいいかと尋ねると、分からない、落ち着き次第連絡する、と」

「まあ、随分と勝手ですね」

「そう思うでしょう? 父も僕も張り切っていた分、落胆が大きくて……結局それから3日が経つのですが、いまだに連絡はありません」


 帰国した王子の生活用品一式を揃えるなんて言われたら、商人からしたらそれはもう期待してしまうだろう。クリスが怒るのも納得できる。


 彼は物憂げに空になった食器を見つめ、小さく溜め息を吐いた。顔にかかる銀糸のような髪がさらりと揺れる。憂いのある表情に、通路を挟んで隣の席に座っていた女生徒が頬を染めていた。


「すみません、あなたに愚痴を言うつもりはなかったのですが……」

「愚痴くらいなら聞きますよ。最近はいつでも、というわけにはいきませんが」

「そうですね、ノアンもたまには僕を頼ってください。ああ、そうだ。今度王宮で夜会が――」


 クリスの言葉を遮るように、わたしは突然勢いよく立ち上がった。たったいま食堂の入り口に、会いたくなかった二人の人物を見つけてしまったからだ。


「クリス、すみません。先に失礼しますね。続きはまた別の機会に」


 わたしの視線の先を追ったクリスは、納得したように頷いた。それを見届けて、別の扉から食堂を後にする。


 ――どうして、シエンナとサイラス様が。


 ふたりは普段、学食など利用しないはずだ。それなのに仲睦まじく腕を組んで、食堂に入ってきた。

 昨日わたしとの婚約を破棄したからか堂々と並んで歩いていたので、周囲に見せつけるためかもしれない。もしくはわたしがいることを想定して、嫌がらせをしに来たとも考えられる。


 どちらにしろあの場に居たら厄介なことになりそうであったし、クリスに迷惑がかかる可能性も考えられたので、逃げるように教室へと戻った。



   ◆◇◆



 その日の夜、湯浴みを済ませて窓を開けると、待ってましたと言わんばかりの眩しい笑顔で、幽霊さんが出迎えてくれた。


『ノアン! 待ちくたびれたよ! ああ、昨日のドレス姿も今朝の寝起きの顔も可愛らしいけれど、今の湯上りの濡れ髪姿も素敵だね。俺がきみに触れられたら、丁寧に梳いてあげたのになぁ』

「はあ……」


 相変わらず、よくしゃべる。それに、軽い。

 こういう男を指す、若いご令嬢たちの間で使われているぴったりの言葉があった気がする。


 なんだっけ……たしか、チャラい? そんな言葉だった気がする。

 語源は知らないが、この男にはなぜかしっくりくる。


 元々たれ目気味の目尻をさらに下げて、本当に嬉しそうにわたしを見てくるものだから、まるで主人の帰りを待っていた犬みたいだと思ってしまった。


「記憶は思い出せました?」

『いいや、まったく。貴族と思われる家は片っ端から中を覗いてみたけど、ピンとくるものはなかったんだよね。さすがに家族や自分が住んでいた家を見れば、何かしら思い出すかと思ったんだけど……』


 がっくりと肩を落として、悲しそうな表情をする。的が外れてショックが大きかったのだろう。もし幽霊さんに耳と尻尾が生えていたとしたら、盛大に垂れ下がっていたんじゃないかと思う。


「気を落とさないでください。すでに死んでいるのですから、焦る必要はないと思います。あなたが天国にいけるまでお付き合いしますから、ゆっくり探しましょう」


 むしろ天国になどいかずに、この先もずっと、朝になったらわたしを起こしてほしいと思ってしまった。

 彼は目覚ましとして優秀すぎるのだ。わたし以外の人間には見えていないし、聞こえてもいない。妹によって嫌がらせを受けているわたしに最適すぎる。


『ありがとうノアン。俺、嬉しくて涙が出そう……』


 わざとらしく目尻を拭うしぐさをして、これまたわざとらしく鼻を啜った。

 演技がかったその様子に、思わず笑ってしまう。


「演技がお上手ですね。あなたは天国に行きたいのでしょうが、わたしとしてはこの先もずっと朝起こしていただけると、とてもありがたいのですが」


 本心を漏らすと、幽霊さんは一瞬驚いたような表情をしてから真面目な顔で言った。


『それってプロポーズみたいだね。でも、だめだよノアン。きみはちゃんと生きている人間で、この先誰かのお嫁さんになるんだ。俺みたいな素性の知れない男を受け入れたらいけないよ』


 また説教されてしまった。

 誰かのお嫁さんになる……か。


 生きていくためには、それも選択肢のひとつではあるのだろう。まだ若いし、相手を選ばなければ嫁ぎ先はいくらでもある。元々サイラス様との婚姻も家同士で決めたことだし、それと似たようなものだ。


 でも……それでも今は、知らない誰かのもとに嫁ぐのなら、ひとりで生きていく方がいいと思うようになっていた。


「……そうですね。軽はずみな発言でした」

『分かってくれたならよろしい』

「ふふ。幽霊さんって、たまにとても大人っぽくなりますね。年齢はいくつくらいなんでしょう?」

『うーん……きみと同じくらいじゃないかな? 友人からは、おまえはたまにすごく大人びたことを言うなってよく言われ――』


 途中まで言って気づいたのか、大きく瞳を見開いて言葉を止めた。


「記憶が……戻ったのですか?」

『……いや、なんとなくそういうことがあったような気がしたんだ。何かを思い出したわけじゃないのだけど……』

「なるほど。ではたくさん話をすれば、いずれ思い出すかもしれませんね」


 少しふくざつそうな顔をして、幽霊さんは「そうだね」と言って小さく笑った。



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