13 秘密の――
この度、本作
『幽霊殿下とわたしの秘密のおしゃべり』を電子書籍として刊行していただけることになりました。
本日より各販売サイトにて配信を開始しておりますので、ぜひお手に取ってみてくださいませ。
詳しくは活動報告をご確認ください。
また電書化にともない、こちらの記念SSを投稿させていただきました。
短いお話ではございますが、お楽しみいただけると嬉しく思います。
ぽかぽかとした優しい陽射しが降り注ぐ。
眩しさに目を細めながら後ろを振り返ると、通い慣れた学舎が目に映った。
「ここに来るのも、今日が最後ね」
本日は3年間通った学園最後の登校日。無事に卒業式を終え、あとは帰宅するだけである。
先ほどお世話になった先生方に挨拶を済ませたわたしは、今日でお別れとなる学舎に少しだけ感傷的になっていた。
この学園ではさまざまなことがあった。妹の仕打ちのせいで良い記憶ばかりではないけれど、それでも、わたしにとって忘れられない思い出もたくさんある。
「もう少しいろいろと回りたかったけれど、そろそろ迎えが来るころね」
最後と言っても、絶対に敷地内に入れないわけではないし、迎えに来る彼のことを待たせるのも忍びない。
潔く学舎にさよならを告げ、馬車の停留所へと足を向ける。
「ノアン様、途中まで一緒に帰りませんか?」
一歩を踏み出したところで声をかけてきたのは、よく知る人物。
「サーラ、あなたもこれから馬車に?」
「ええ、停留所までご一緒させてください」
ふわふわの長い栗色の髪を揺らして、にこやかに微笑んだのは、サーラ・エヴィン嬢。同じ伯爵家のご令嬢だ。
「もう、サーラったら、ノアン様なんて呼び方はやめてって言ったでしょう?」
「そうは言っても、あなたはライベル殿下の婚約者よ。どこで誰が聞いているか分からないし、二人きりでもない限り我慢してちょうだい」
サーラとは、親友と呼べる程度には親しい間柄だ。けれども、妹の嫌がらせに巻き込んでしまっては申し訳ないと、この半年間はほとんど会話をすることもなかった。現在はまた以前のように仲良くさせてもらっている。
「分かったわ……でも、卒業しても友達でいてね?」
「もちろんよ。あなたの立場が変わっても、親友であることに変わりはないわ」
ほっと胸を撫で下ろしながら、足を進める。停留所に辿りつくと、とある馬車の前に人だかりが出来ていた。
「あら、すごいことになっているわね」
少し離れたところから人の群れに目を向けて、サーラが呆れたように呟く。わたしもつられて、溜め息とともに言葉をこぼした。
「こうなるから、迎えは断ったのだけど……」
「ふふ。7年ぶりに帰国した第一王子殿下の容姿と性格があれじゃ、女生徒に人気がでるのも仕方がないわ」
人が集まっているのは、王家の紋章が刻まれた豪勢な馬車の前。あの馬車の中には、わたしの大好きな人がいる。
何度か送り迎えをしてくれていた彼は、その度に女生徒の目に留まり、いつの間にか学園の人気者になっていた。
さらに誰とでも親しく話してしまう彼の性格が災いして、声をかけられた生徒から噂が広まり、今では殿下と一言でも言葉を交わしたいと思う女性たちが、群れをなすようになってしまったのだ。
「殿下が学園にくるのも今日が最後だからか、いつになく騒がしいわね」
「あれでは近づけそうもないし、落ち着くまで待っているしかなさそうだわ……」
「そうね……私も付きあうから、よかったら食堂でお茶でも――」
そう言ってこちらを見たサーラの声が止まる。そのままわたしの後ろへと視線を向けて、ぽかんと口を開けたまま瞳を見開いた。
「サーラ? どうかし――」
紡ぎかけた言葉は、後ろから伸びてきた手に口を塞がれたことによって、飲み込まざるを得なかった。さらに腰に回されたもう片方の腕に、身体を後ろへと引き寄せられる。
何が起きたのか、一瞬混乱の渦に飲み込まれそうになったが、すぐに把握する。ふわっと香った、彼のお気に入りの香水の匂いによって。
「ラウ……?」
首だけを傾けて後ろを見ると、金色のサラサラとした髪が見えた。彼はにこりと笑ってわたしの口を塞いでいた手を離すと、今度は人差し指を立てて己の口元へ当てる。静かに、という意味だろう。
「ごめん。彼女、借りていくね」
小さな声で呟くと、ラウはわたしの手を取って歩き出す。「あらまあ」と口元に片手を当てて声を漏らしたサーラは、控えめに手を振って見送ってくれた。
人目を避けながら辿り着いた場所は、学園の裏庭。もともとあまり人が通る場所ではないのだが、卒業式という記念すべき日だからか、今日は目につく限り人の姿は見当たらない。
すぐに馬車に乗るのかと思っていたわたしは、パチパチと目を瞬かせながら問いかける。
「ラウ、どうしてこの場所へ?」
「二人きりになりたかったから」
それならば馬車の中でもよかったのでは、という疑問はさておき、ふたつ目の質問をする。
「いつの間に馬車から降りていたのですか?」
「あの馬車には最初から乗っていなかったんだよ」
「乗ってない……?」
「そう。騒がれることは予想できていたから、おとりを先に行かせて俺は別の馬車で来た」
そこまでして? という疑問も飲み込んだ。ラウがとある場所へと歩き出したから。
「ここ、覚えてる?」
大きめの、植木の影。近くの大木から伸びた枝が木陰をつくる芝生の上。人が通る道から死角になったその場所は、まだ幽霊だった彼と学園で初めて会った場所。
「覚えています。ここで本を読んでいたら妹とサイラス様がきて、この植木の影に隠れたこと」
あの時は本当に助けられた。幽霊だった彼がいなければ、妹たちに見つかってまた面倒なことになっていただろう。
「それから二人がいなくなったと思ったら、今度はクリスがきて――」
つらそうに眉を寄せながら、クリスと話すわたしを見ていたラウの顔を思い出す。あの瞬間、彼は何を思っていたのか。いまだに答えは分からないままだ。
樹を眺めながら当時の記憶を思い返していたのだが、ふと隣に並ぶ彼の顔を見上げる。その瞬間、どくりと心臓が揺れた。
頭上に広がる空と同じ色の澄んだ瞳が、まっすぐにわたしを見ていたから。
「好きだよ」
唐突な告白に、ぽかんと口を開けたまま青い瞳を見つめ返す。彼は目尻を下げて、優しげな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「あの時から、ずっとノアンが好きなんだ。クリスと話すきみを見て、自分の気持ちを自覚した」
泣きそうに歪んだ顔を思い出す。
わたしとクリスの会話を遮った彼は『ごめん』とひと言謝罪を述べながら、空へ溶けるように消えていった。彼もまた絶対に叶うはずのない恋心に気づき、やり場のない想いを胸中に抱えていたのだ。
長い指先が近づいてきて、わたしの頬を撫でる。
「だからこそ、今こうしてきみに触れられる奇跡が、本当に尊いことだと思っているんだ」
奇跡の連なりで、わたし達は出会った。神様のいたずらといえば、それまでかもしれない。けれどもこの奇跡は、確実にわたし達の未来を変えたのだ。
「わたしも、同じです」
どうやったって感じることなどできないと思っていた温もりに、頬を擦り寄せる。
「この奇跡を大切にしたいと思っています」
満足そうに細められた空色の瞳を見つめると、ゆっくりと彼の顔が近づいてくる。間近に感じた吐息に恥ずかしさを覚え視線を逸らそうとすると、熱を持った指先がそっとわたしの顎を持ち上げた。
「あ、あの……ここでは……」
「大丈夫。みんな正門のほうにいるから、今は誰もいないよ」
確かに人気はないが、そういう問題ではない。しかし、このまま反論を続けたところで離してくれそうもない。
「……少しだけですよ?」
潔く観念したように言うと、彼は嬉しそうに口元を綻ばせる。間近で見てしまった眩しい笑顔に、どくんと心臓が高鳴った。
顔が熱い。きっと今、わたしの頬は真っ赤に染まっていることだろう。
目を閉じる。
それが、合図。
近づいてきた気配に身を委ね、感じた熱に心を震わせる。
優しい風が頬を撫で、熱をさらっていく。
木漏れ日の下で、わたし達は秘密のキスをした。




