12 あなたと、初めてのワルツを
「きみの叔父と夫人の処罰が決まったよ」
どくん、と心臓が脈打った。
恐る恐る隣に座るひとの顔を見上げる。静かに動き出した馬車に揺られながら、次の言葉を待った。
「叔父の方は余罪が出てきてね……禁止薬物の密売なんかにも加担していたようで処刑が決まった。まだ余罪のあぶり出しと捜査が残っているから、執行はしばらく先になると思う」
「そう、ですか」
事前にラウが予想していた結果のため、驚きはない。
しかし、父の殺害以外にも悪事に手を染めていたとは……連れていた使用人のあやしさと言い、今さらながら叔父がどれほど恐ろしい人物なのかが判明し身震いする。
「夫人は直接手を下していないこともあり処刑は免れた。その代わり身分剥奪の上、労働奴隷への降格。恐らく一生を労働所で終えることになると思う」
言われた言葉を頭の中で繰り返し、静かに目を伏せる。
母は幼いころから躾に厳しかった。
わたしはいずれ公爵家へと嫁ぐ。そのため社交界に出ても恥をかかないようにと、娘を思うがゆえの行動なのだと思っていた。
おかげでマナーや学問は人並み以上に身に付き、第一王子の婚約者となった今でも大変役に立っている。
……けれど、今なら分かる。
きっとあの厳しさは愛情ではなく、憎悪からきていたのだと。
父と母がどういう経緯で結ばれたのかは分からないが、貴族であれば政略結婚は当たり前だ。きっとわたしの知らない事情があったのだろう。だからと言って、父を害する理由にはならないが。
黙り込んだわたしを見て、ラウは控えめに口を開く。
「もし減刑を望むなら、俺の方から嘆願書を――」
「いいえ、必要ありません。教えてくださり、ありがとうございます」
わたしの強い意思を感じ取ったのか、彼は小さく頷いてから、それ以上はなにも言わなかった。
しばらく馬車の中に静かな空気が流れる。コトコトと地面を蹴る馬の蹄と、車輪の音だけが響いていた。
ふと窓の外を見ると城門が目に入る。どうやら彼との馬車旅ももう終わりらしい。実は学園から王城まではそう遠くなく、馬車で数分の距離だ。
城門に差しかかる頃合いで、ラウが口を開く。
「さて、この後の予定は覚えているかな?」
「もちろんです。わたしの希望ですから、忘れるはずがありません」
「よろしい。それじゃあ夜はよろしくね」
「はい」
少ししんみりとしてしまった空気を吹き飛ばすように、この後の楽しみを想像して笑顔で頷いた。
◆◇◆
「お手をどうぞ、お嬢さん」
僅かな明かりの灯る室内で、差し出された手を取る。もう片方の手はわたしの腰のあたりに添えられ、促されるままに一歩を踏み出した。
ここは王宮内にある、ダンスの練習などに使うための広めの部屋。明かりが最小限に抑えられたこの場にいるのは、わたしとラウのふたりだけ。
今日は新月なのか月明かりはなく、窓の外には漆黒の夜空が広がっている。こんな真っ暗な夜は、彼と初めて出会った日を思い起こさせる。
半透明でも分かるほどの美しい金髪。真昼の空と同じ色の爽やかな瞳。スッと通った鼻筋に、垂れた目尻が印象的な甘い顔立ち。突如現れた幽霊は、いまはこの国の王子としてわたしの前にいる。
彼は黒の夜会服に身を包み、ワルツのリズムを口ずさみながらわたしをリードした。
ラウの動きに合わせ、すみれ色のドレスの裾を翻しながらステップを刻む。
このドレスは妹が王宮の夜会で着用したものだ。高級な布をふんだんに使った可愛らしい一着だが、本来の贈り主に着られることはなく、廃棄されそうになっていたかわいそうなドレス。
なぜ今わたし達が夜会服を着てダンスをしているのかと言うと、全てはわたしのわがままから始まった。
ドレスというものは、普通多数の夜会に着回すものではない。特に王族や高位の貴族ともなると、一度袖を通したドレスは二度と着ることはない。高級なドレスを何着も用意することで、家の豊かさを誇示できるからだ。
今回は妹が一度着てしまったため、わたしが別の機会で着用することは難しい。そのため捨てられる運命にあったこのドレスだが、ラウが初めてわたしに贈ってくれたものということもあり、どうしても袖を通してみたかった。
ただ試着するだけでも構わなかったのだが、せっかくだからとラウはわざわざこの場を用意してくれたのだ。どうやら彼自身も、このドレスを着たわたしと踊ることを楽しみにしていたらしい。夜会に来たのが妹だったので、相当落ち込んだと言っていた。
「ノアンはダンスも上手だね」
「あなたの方こそ」
さすがに楽隊を呼ぶわけにはいかず、音楽はない。初めは彼が口ずさむリズムを頼りにしていたが、慣れてくれば会話をしながら踊れるようになっていた。ダンスの相性もいいようで、自然と足が進んでいく。
「実はきみと踊れると思って、身体に戻ってから練習したんだ。隣国じゃ学園主催の舞踏会に稀に出るくらいだったから、ノアンより経験は浅いと思うよ?」
「わたしも父が亡くなってからはご無沙汰でしたし、似たようなものですよ」
そう言ってふたり揃ってくすくすと笑う。他人から見たら不格好なダンスかもしれないが、今はこのひとときがとても楽しかった。
ひとしきり踊ったところで、彼は突然わたしの腰をぐいっと引き寄せる。
「あっ」
バランスを崩しそうになったが、ラウがしっかり支えてくれたので大事には至らなかった。その代わり二人の距離は一気に縮まり、端正な顔が目と鼻の先にある。
「昼間はお預けくらったけど、今はふたりきりだから……いいよね?」
「えっと……はい」
躊躇いながらも頷くと、彼は嬉しそうに口元を綻ばせる。それから一瞬だけ、バルコニーへと続くガラス窓のついた扉へと視線を向けた。
「どうかしましたか?」
「んー……まあ、いっか」
「え?」
気になって同じところを見ようとしたわたしの動きを遮り、唇が重ねられる。首裏に腕が回され、今までよりも深めの口づけに頭の芯がくらくらした。
しばらくして唇が離されると、ラウはパンッと手を叩く。
「今日はノアンにとっておきのプレゼントがあります」
「……プレゼントですか?」
初耳だ。今日この場を設けてくれただけでも十分ありがたいのに、まだ何か用意しているらしい。
「こちらへどうぞ、お嬢さん」
再び手を取ると窓際の方へと連れて行かれる。バルコニーへと続く扉の前にわたしを立たせて、ラウは室内に灯っていたランプの明かりをひとつずつ消していく。
徐々に光が失われ完全な暗闇が訪れると、窓の外に灯る星の輝きがより一層はっきりと見えた。
「ラウ? いったい何を……」
明かりを全て消し終えると、今度は扉の前に立ち取っ手に手をかける。それからわたしに視線を向けて、今までに見た中で一番優しいほほ笑みを浮かべた。
「俺たちを繋いでくれたひとに、感謝を」
茫然とするわたしの前で扉が開かれていく。一面に広がる夜空の中心に、薄っすらと人影のようなものが見えた。徐々に輪郭が鮮明になっていき、やがて見覚えのあるひとりの姿が浮かび上がる。
その人物を瞳に映したわたしは、喉から絞り出すように震える声で呟いた。
「お、とう……さま?」
白髪の混じった髪を後ろへ撫でつけ、紳士服を着たその人は、慈愛を含んだ顔でわたしを見ていた。半透明――と言うよりも、もうほぼ透明に近い。ラウが幽霊だったころよりもずっと薄く、微かにその姿が認識できる程度。だけれどそれが父であると、はっきりと分かった。
「お父さまっ……!」
わたしが近づこうとすると、父は首を左右に振る。こちらに来てはいけないと言われた気がして、自然と足を止めた。
どうしてここに父がいるのだろう。ラウからはすでに天国へ行ったと聞いていたのに。あの言葉は嘘だったのか、それとも現世に舞い戻ってきたのか、疑問はいろいろと浮かんだが答えを探す余裕はない。
驚きと感動で足が震え出しふらりとよろけてしまったが、すかさずラウが手を伸ばし身体を支えてくれた。
その様子を見ていた父は、眉を八の字にしてくしゃりと笑う。そしてそよ風のような、優しいけれどもすぐに掻き消えてしまいそうな声で言った。
『ノアン、幸せに』
同時に一陣の強い風が吹き、反射的に目を閉じる。ラウが支えてくれたおかげで倒れることはなかったが、再び開かれた視界に映ったのは、一面に広がる星の海だけだった。
「お父様?……ラウ、お父様は!?」
叫んだわたしに、彼はゆるゆると首を振る。
「天国に行ったんだよ。今日が……最後だったんだ」
「最後……?」
「そう。実は俺の身体から出て行ったあとも、伯爵はまだ現世にいたんだ。だけれどきみに会ったらきっと未練が残るからと、あえて姿は見せなかった」
彼はわたしの知らなかった事実をひとつひとつ話していく。
「ノアンに直接会うことはしなかったけれど、ずっと見守っていたんだ。……でも、その時間にも終わりが近づいてた。きみを助けるという目的を果たした伯爵は、天国に行かなければならない。日が経つにつれ姿が薄れていって、ここ数日は俺も見るのがやっとなくらいだった」
きっと父は、彼の前にだけは姿を現していたのだろう。先ほどキスをする前にラウが窓の方を確認したのは、父の存在に一瞬躊躇したからかもしれない。
「それで、最後だけは会ってあげてくれないかって頼んだんだ。伯爵は悩んでいたけれど、最後の最後なら構わないと許してくれた。明るいところだとほとんど視認できないから、今日この場を用意して見送ることにしたんだ」
わがままを叶えてくれただけでなく、父を説得してわたしに会わせてくれたなんて。一瞬だったけれども、生きていた頃と変わらない優しい父の姿だった。
胸の中に温かいものや悲しいもの、そう言ったさまざまな感情が湧き上がり、大粒の涙が瞳から零れ落ちる。ラウがそっとわたしを抱き寄せたので、彼の胸元に染みが作られていった。
「これからは伯爵に代わって俺がノアンを守るから、悲しいことやつらいことも全部半分こしよう?」
鼻を啜りながら、こくりと頷いた。彼がそばにいてくれたら、そんなことは起きないような気がしてしまうが、いまは口には出さない。代わりに手の甲で涙を拭って、父と同じようにくしゃりと笑いながら言った。
「嬉しいことや楽しいことも、半分こですよ?」
面食らったように僅かに瞳を見開いてから、ラウは頷く。
「もちろん」
それから父がいなくなったバルコニーへと出て、月のない空をふたりで眺めた。相変わらず風は強かったけれど、昼間のような乱暴さはない。きっとこの風が、今までの悲しみを全てさらってくれるはず。
彼と出会った日と同じ夜空は、今日もわたし達を見守ってくれている。
この漆黒の空に浮かぶ無数の星の輝きを、わたしは一生忘れないだろう。
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