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1  出会いは月のない夜に



『こんばんは、お嬢さん』


 それは月明かりもない真っ暗な夜だった。

 自室の窓からぼんやりと外を眺めていたわたしは、突如聞こえた声に我に返る。ぼーっとしすぎて焦点の定まっていなかった視界が鮮明になると、なにやら奇怪なものが瞳に映った。


『お嬢さーん、聞こえてる? 見えてる?』


 窓の外側から金髪の男が、にこにこしながら目の前で手を振っていた。それも、手を伸ばせば届くほどの至近距離で。

 ごくりと唾を飲み込み、一度冷静に考える。家の事情で鍛えられたわたしの精神は、こんなことでは動揺しない。


 ――そう。たとえここが3階で、窓の外に人が立つ空間などないとしても。目の前にいる男が半透明で、膝から下の足がなかったとしても。



   ◆◇◆



 煌びやかな夜会服をまとった生徒たちの中心にわたしはいた。

 今夜は学園に在籍している生徒たちが中心の舞踏会が開かれている。あまり目立ちたくない性分なゆえ、壁の花になっていたわたしの名を大きな声が呼んだ。


「ノアン、話がある」


 無駄によく通るその声に、周りにいた学生たちも振り向いた。

 皆が視線を向けた先には、わたしの婚約者であるサイラス様が立っている。公爵家の嫡男で、わたしとは同い年だ。物心がついた頃から、この人と結婚する未来が決められていた。


「ノアン、聞いているか? 相変わらず、おまえはどこにいても呆けているな」

「……失礼いたしました。聞こえております、サイラス様。妹を連れて、わたしに何かご用でしょうか?」


 表情ひとつ変えず問いかけたわたしに、サイラス様はぴくりと片眉を吊り上げる。一瞬ピリッとした空気が漂ったものの、隣にいた人物の猫なで声で一変した。


「サイラスさま、早くお姉さまに伝えてくださいよぉ」

「あ、あぁ。そうだな、シエンナ」


 妹の名を呼びながら腕に添えられた小さな手に触れ、サイラス様はほほ笑む。それから今度は鋭い目つきでわたしを睨みつけ、やっぱりよく通る声で言った。


「ノアン、おまえとの婚約は破棄させてもらう。僕は心から愛しているシエンナと婚約を結ぶことにした。モントリス伯爵のことは残念だったが、愛のないおまえとの結婚よりも真実の愛と呼べるシエンナとの結婚のほうが、亡くなった伯爵も喜ぶだろ?」


 声をかけられた時点である程度は予想していた。

 半年前に父が亡くなり、それまで家同士の決めた婚約に特に嫌な顔をしていなかったサイラス様が、急に態度を変えたのだ。恐らくはあの妹に懐柔されたのだと思う。


 彼は流されやすい性格をしており、子猫のような可愛さのある妹に愛を囁かれて、ころっと落ちてしまったのだろう。

 ここ最近、学園内でもふたりが仲睦まじく歩く姿が目撃されており、婚約が破棄されるのも時間の問題かと思っていた。


「そうですね、わたしとの愛のない結婚よりもずっとお似合いだと思います。サイラス様、シエンナ、ふたりともお幸せに」


 これは本心だ。

 他人に流されやすいサイラス様は、おっとりとしている性格と言われるわたしよりも、ぐいぐいと引っ張っていくタイプの妹の方が合っているだろう。


 念のために言っておくが、サイラス様が嫌いだったわけではない。好きだったわけでもないけれど、妹がサイラス様を欲しいというのなら、大人しく渡したほうが楽なのだ。


 そうやってこの半年、わたしは全てをあきらめてきた。


 この妹とは、半分しか血が繋がっていない。

 わたしは前モントリス伯爵の実の娘なのだが、父は不慮の馬車事故で亡くなった。遺言書には自分が死んだ際は弟に爵位を譲ると明記されており、その通りに叔父が伯爵位を継いだ。

 そして待ってましたと言わんばかりに、母は叔父と再婚したのだ。


 どうやら母の本命は父ではなく、叔父だったらしい。父の知らないところで浮気をしていたのだ。

 しかも、妹の本当の父親は叔父だと言う。実の母ながら、事実を知った時はあきれるしかなかった。


 唯一の救いは、父が何も知らずに天国に行ったことだろうか。それを救いと言っていいものかは分からないが。


 叔父が屋敷に住むようになってからは、本当に酷い生活が続いている。

 母は望まない結婚だった父との間にできたわたしよりも、愛した男の子供であるシエンナのほうが可愛いようで、わたしには一切構わなくなった。それどころか、何かと冷たく当たられる。


 シエンナは今まで少しわがままなところはあったが、父が生きていた間はそれほど目立つほどではなかった。

 しかし自分の父親が叔父だということはとっくに知っていたらしく、父がいなくなってからはあからさまな嫌がらせが続いている。


 一番困っているのは私物をあさっては勝手に持っていくことで、いつの間にかドレスや普段着ている服がほとんどなくなっていた。

 持っていた数少ないアクセサリーも、きれいさっぱり消えている。特別気に入っていたものではないので、まあいいのだけれど。


 だが、普段着を持っていかれるのは本当に困る。叔父も母も新しい服は買ってくれないし、最近は残っていた数少ない服を何回も着まわしているせいで、だいぶくたびれてきていた。


 今日は唯一クローゼットに残っていた、だいぶ前に作ってもらった古いドレスを着て舞踏会に臨んでいる。オーダーした頃よりも胸の辺りが成長しているため少し窮屈だが、身長はあまり変わっていないので問題はない。


 いっそ参加しないことも考えたのだが、シエンナがどうしてもというので仕方がなかった。断ると、あとがめんどうくさいのだ。

 わたしにしつこく参加を促した理由は、先ほどの状況で理解できる。


「では、わたしはこれで」


 手をとって並ぶサイラス様とシエンナにカーテシーをして、早足で会場をあとにした。周りで見ていた生徒たちの視線を感じたが、今は構っている余裕はない。


 やたらとわたしのものを欲しがるとは思っていたけど、まさか婚約者まで奪っていくとは。

 サイラス様との婚約は、家同士が決めたことだ。父が亡くなったことで、婚約を破棄しても問題ないと思ったのだろうか。公爵様の許可が下りたのかは分からないが、サイラス様が自ら口にしたのだから公爵家も周知なのだろう。


 会場に来る際はシエンナとふたりで馬車に乗ってきたが、わたし専用に帰りの馬車は用意されていない。ここから屋敷まで、歩けば30分以上はかかる。

 小さく溜め息を吐きながらも、まあ歩けないほどではないし……いいか、と夜道を進むことにした。


 女が夜に一人で出歩くのは危険すぎるが、どうせわたしがいなくなっても悲しむ人はいない。そう考え軽い気持ちで歩き出したのだが、ヒールのある靴を履いていたため、結局屋敷に到着するのに一時間近くかかってしまった。


 足は靴擦れで血まみれだし、もう湯浴みをする気分にもなれず、自室の部屋の窓からぼんやりと外を眺める。

 今夜は新月なのかお月さまの姿は見当たらず、雲ひとつない空にあまたの星々が輝いていた。


「この先、どう生きていこうかしら」


 最近はうっかりという名目で食事が抜かれることも増えてきたし、嫌がらせは日々進化している。もうこの屋敷にわたしの居場所はない。

 かといってまだ学生であるわたしに、家の外で生きていくすべもない。


「いっそ全てを捨てて、住み込みで働かせてくれるところでも探そうかしら」


 学園の卒業までは、あと3か月。その間は耐えて、卒業と同時に家を出るのもいいかもしれない。

 今まで学んできたマナーや学問を生かして、家庭教師をするのはどうだろうか。学園では上位10人以内には入る成績を収めているので、ある程度は自信がある。


 そんなふうに考えていたら、なんだか少しわくわくしてきた。


「そうね、あと3か月……3か月は頑張ってみましょう。きっといつもみたいにぼんやりしていたら、あっという間だわ」


 自分を勇気付けるようにくすりと吐息を漏らす。そろそろ寝ようかと思ったとき、突然目の前で声が聞こえた。


『こんばんは、お嬢さん』


 え? と思い前を見ると、明るい金色の髪をした美丈夫がこちらに向かって手を振っている。

 にこにこときれいな笑みを浮かべた男の身体はなぜか半透明で、膝から下の足は夜の闇に溶け込むように消えていた。


 もしかして……いや、もしかしなくても、これは幽霊というやつだろうか。

 だってここは3階で、窓の外に人が立てる空間などない。これが幽霊ではなかったら、逆に怖い。


『うーん、返事がないってことはやっぱり見えてないかぁ』


 男はひとりで呟きがっくりと肩を落とした。反応がなかったことが、よほど残念だったようだ。


 ここ最近の母と妹の悪行にすっかり鍛えられてしまったわたしの精神は、幽霊が現れたくらいでは動じなくなってしまったらしい。いまも冷静に目の前の男を観察していた。


「……幽霊なんて見たのは初めてだわ。服装からして、貴族の方かしら?」


 男の服装はとても身なりが良く見える。間違いなく庶民ではないだろう。

 思ったことが口から漏れてしまったわたしを、ガバッと勢いよく顔を上げた男が覗き込んできた。真昼の空と同じ色をした、青い瞳と目が合う。


『もしかして……俺のこと見えてたりする?』

「見えてはいます。透けてますが」


 質問に答えると、男は一瞬ぽかんと呆けた顔をしてから盛大に笑い始めた。


『ふっ……あははっ。俺が見えててその反応なの? きみ、面白いね』


 面白いなんて言われたのは初めてだ。むしろ幽霊のほうがよっぽど面白い存在だと思うのだけど。


「どちら様ですか?」


 どうして幽霊が見えているのか、そして声が聞こえているのか、いろいろと疑問は湧いたが、一番気になったことを尋ねた。


『残念ながらその質問には答えられないな。俺も自分が誰なのか分からないから』

「まぁ……記憶がないのですか?」

『そう。目が覚めたら、なぜかこの状態だったんだよね。きみ以外の人には声も届かなかったし、自分がどこの誰かも分からないから困っていたんだ』


 そう言って男は苦笑を浮かべたが、言うほど困っているようには見えない。それどころか、いまの状況を楽しんでいるような気がする。


『まあこんな状態でいるってことは俺は死んだんだと思うけど、一向に天国に行けそうにないんだよね。とりあえず記憶を思い出すために適当にさまよっていたら、きみを見かけたんだ。女性がドレスを着て夜道をひとりで歩くなんて感心しないな。気になって、つい後を追ってしまったよ』


 なぜか幽霊に説教されてしまった。ふくざつな気持ちのまま、再度問いかける。


「それはご心配をおかけしました。わたしはこの通り無事ですが、他に何かご用ですか?」

『きみがひとりで歩いていた理由が気になってしまってね。なにか事情があるのかな?』

「それは……」


 婚約破棄の件も、家の事情も、本来であれば他人に話せるような内容ではない。だけれど、いまここにいるのは幽霊だ。死んだ人間になら話しても問題はないだろう。この人は、わたし以外とは話せなかったと言っていたし。


「実は――」


 ひと通り自分の置かれている状況を説明すると、幽霊さんは先ほどまでとは雰囲気を一変させ、腕を組みながら神妙な面持ちで言った。


『それはまた、難儀だねぇ』


 この人に話したところで状況が変わるわけではないが、他人に聞いてもらったことでなんとなく胸がすっきりした気がする。


「そういう事情なので、わたしはそろそろ寝ますね」

『えっもう寝るの? もう少し話さない? ね?』


 なぜか食い下がられ、わたしは少し不機嫌を滲ませた声で抗議する。


「そういうわけにもいきません。恥ずかしながら、わたし朝がとても苦手でして……以前は使用人に起こしてもらっていたのですが、最近は妹に止められているのか部屋に来ないのです。ですから、早めに寝ないと寝坊してしまいます」


 実際すでに何度か寝坊して、学園に遅刻しかけている。こればかりは他人に頼るしかなく、自力で起きるには夜更かしをやめるしかない。


 失礼します、と窓を閉めようとすると、幽霊さんは慌てて窓枠に手をかけてきた。だが彼の半透明な腕は、するりと窓をすり抜ける。その様子を目で追っていたわたしは、思わず手を止めてしまった。


『まっ待って! それじゃあ俺が朝起こすから、また明日も今日みたいにおしゃべりしてくれないかな?』

「おしゃべり……ですか?」

『そう。もうここ3日間誰とも会話してなくて、頭がおかしくなりそうだったんだ』

「はぁ……」


 3日間誰ともしゃべらないなんて、父が死んでからのわたしには日常茶飯事だが、この人は違うらしい。たしかにわたしが話しているときも聞き上手だったし、人と話すのが好きな人なのかもしれない。


「分かりました。では明日わたしがあなたの声で起きられたら、夜はお付き合いして差し上げます」


 了承の返事をすると、嬉しそうに口元を綻ばせる。


「それはそうと、幽霊さんは眠らないのですか?」

『ああ、気にしないで。幽霊になってから一睡もしていないけど、眠くならないんだよね。一晩中起きてるから、指定した時間に起こすよ。……それにしても、幽霊さんかぁ』


 幽霊さんという呼び方は、気にくわなかっただろうか。彼は眉を寄せて首を捻った。


「ご不満でしたか?」

『いや……、名前も分からないんだから仕方ないか。きみの名前は教えてもらえるのかな?』

「ノアンです」

『ノアン、可愛らしい名前だね』


 この幽霊……ずっと思っていたが、さらりと褒めてくる様子からして、相当女性の扱いに慣れているように見える。今年でもう18歳になったわたしは、可愛いと言われたくらいではなんとも思わないが。


「では、明日はよろしくお願いいたします」

『任せて。おやすみ、ノアン』

「おやすみなさい、幽霊さん」


 不思議なことに、窓を閉めると彼の姿はほとんど見えなくなった。

 薄っすらとガラスに浮かぶ金色を尻目に、素早く着替えを済ませベッドに入る。


 幽霊さんは壁をすり抜けられるようだが、部屋の中には入ってこなかった。一応女性の部屋なので遠慮しているのかもしれない。

 基本的には軽い雰囲気の人だが、そういうところは紳士的だな、なんて思う。


 彼との不思議な会話を思い出しているうちに、わたしはいつの間にか眠りに落ちていた。



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