195(IDセレヌス山脈)
グリッチ。広義としてはバグ技と呼ばれ、運営側の意図しない挙動を自主的に引き起こす行為。それは本来、忌むべき害悪行為であり、ましてやオンラインゲームでグリッチをやるなど言語道断。やるにしてもオフラインモードで行うことが暗黙の了解だ。
運営側の意図しない挙動を自主的に引き起こすなんて、それだけで悪のようにも思える。しかし中にはあえてバグを残したままにするケースもある。つまり運営は知っていて直さないのだ。遠回しに〝グリッチを使ってもいいですよ〟という明示でもある。
たとえばグリッチによってプレイヤーが素早く移動できたり、移動時間の短縮になったり、或いは強すぎるボスを攻略しやすくなったりなど、グリッチによって種類はさまざま。
何れにせよあえて残しているグリッチの大半は〝プレイヤー側に有利〟なケースが多い。だからこそ運営は修正しないのだ。ある種の優しさである。
だからといってグリッチを使うかどうかはその人次第だ。グリッチ自体を悪だと断ずる風習は根強いし、俺もその考えを否定はしない。
グリッチは真っ当にプレイしている人にとっては悪夢そのものだからだ。バグ技で楽ができるような環境になって楽しいはずもない。だからこそグリッチは表に出さず、ひっそりと一人で楽しむ行為なんだ。
だけどここでは違う。どうやらみんなこの世界が現実だと認識しているようだし、ならばオンラインゲームもクソもないだろう。何より今は誰にも迷惑をかけないTA勝負だ。IDの中でグリッチするくらいならいいだろう。
「とは言え問題は……そのグリッチが残されているかどうかだな。一応、体裁は新作ってはずだしバグが消されてたら使えない。頼むぞ運営、残しておいてくれよ」
IDセレヌス山脈のクリア条件は、山頂へと辿り着くこと。目の前の断崖絶壁を、僅かな足場や引っかかりを利用して駆け上がっていかないといけない。
だが空中にはコウモリやバード類などの鬱陶しいMOBがうじゃうじゃといる。噛みつかれて麻痺れば地上へと真っ逆さま。前作じゃ有名なイライラIDだ。
「あったな」
崖の端まで行くと、岩壁と岩壁のつなぎ目がおかしい部分があった。テクスチャが見切れているというか、ちょっとズレているというか。まるで液晶パネルに亀裂が走っているかのような不自然さだ。
そのつなぎ目で全力で左右に身体を擦り、ダッシュ&ジャンプを重ねると――
「……成功だ。どうやらグリッチは残しておいてくれたらしい」
俺は何もない場所で直立していた。つなぎ目のちょっと手前の空中で浮いている。まるで見えない足場があるみたいに。
「テクスチャのつなぎ目を利用したり、僅かな突起物を利用して宙に浮くグリッチ――通称フローティング。プレイヤーの座標をバグらせることで、空中を歩くことさえ可能にさせる。ゲーマーでもごく一部しか知らないマイナーな手法だ。これであいつを完封できる」
ぐっと足に力を込めて一目散に空を駆け上がる。空中に足場なんてもちろんない。だがひとたび蹴り出せば体はすさまじい勢いで飛んでいく。
セレヌス山脈のコウモリ、七色の小鳥ハミングバード、羽の生えた蛙ジグリー、その他多くのモンスターが俺の行く手を遮ろうとし、だが奴らは俺に触れることすら適わない。
本来はゆっくり崖を登っていくプレイヤーを相手にすることを想定している。空へと飛び跳ねる俺を捕捉できる速度なんてもっちゃいない。
かくして――
『クリアおめでとうございます!』
無機質なシステム音声がセレヌス山脈の踏破を報せた。
頭上には俺のクリアタイムが表示されている。
二分五十七秒。
正攻法で挑めば一時間はくだらないダンジョンを、俺は三分を切る速度でクリアした。
(だいたいのゲームではオンライン状態でグリッチするとBAN対象なので良い子は真似しないでください)