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雪うさぎ

作者: 結花ユイ

「雪の匂い……」

 職場の裏口から出て、ふとつぶやいた一言。

「何ソレ。雪の匂い?」

 首を傾げた同僚である、笹倉美優だ。

「ほら、雪降る前って独特な匂いしない?」

 私の説明も虚しく、美優は首を傾げたまま。けれど、ふっと夜空を見て頷いた。

「雪、降りそうだね」

 星一つ出ていない夜空。美優は嬉しそうに空を見ている。

「雪降るのが楽しみなの?」

「うん。穂乃果は? 降るの嫌なの?」

 美優の言葉にゆっくりと頷く。「なんで?」と言わんばかりに、私を見る美優。

「雪国出身だから、かな。もう、雪にも飽きちゃってさ」

 なんて、冗談ぽく言って私は店から歩き出した。

 でも、本当は違う。雪国だから雪に飽きた。そんなんじゃない。雪には……辛い思い出が詰まってる。


「穂乃果? おーい。感傷に浸っちゃってる?」

 ひらひらと、手を振りながら美優に顔を覗きこまれ、私はにっこりと微笑んだ。

「そんなんじゃないよ」

 別に、雪の思い出を美優に話したくないわけじゃないんだ。ただ、あの頃の自分は捨てたから。今更、誰かに話す必要なんて無い。

 いつものように雑談して、駅に着いて美優と別れて。満員電車に揺られながら、私は家へ戻った。



「はぁ……」

 遅番の日はいつもこう。満員電車に揺られ、家に着く頃にはヘトヘトになってしまう。

 アパートの入口にある郵便受けの前で、疲労と安堵のため息が恒例だ。

「あれ……?」

 いつもなら不動産屋のチラシや美容系のダイレクトメールしか無いはずの、郵便受けに封書があった。

 丁寧に『筒井穂乃果様』と書かれた表面。誰からかと思い裏面を見れば、差出人はお母さん。

(なんだろう……?)

 封書の裏を見ては表を見て。表を見ては裏を見て。そんなことを繰り返しながら、我が家への階段をゆっくりと登る。


「ふぅ……」

 家に入っての一息も、もう癖のようなものだ。

 このアパートに住み始めて五年は経過しているし、洋菓子店で仕事をし始めてからも、もう五年だ。

恐ろしく変化の無い日々。

 なんて、ちょっと過去を振り返ってはっとした。お母さんから来ていた手紙の存在。

「ハガキ……?」

 中からは往復ハガキ。それからお母さんからの便箋が一枚。

 ――中学校の同窓会があるから参加してみなさいよ。

 そんなことが書かれた便箋を、コタツの上に置く。その同窓会の招待状とやらのハガキを持ったまま、私は仰向けになった。


(同窓会……ねぇ……)


 目の前でハガキを開く。お決まりの季節の挨拶から入る文面。行く気など無いのだから、読む必要も無い。

 と思ったのだけれど……。


『卒業して10年ですね。なので、今回は絶対来てください。遠藤隆一』


 招待状の一番下に、直筆でそう書いてあった。


「遠藤隆一……」

 その名を呟くと、妙な感覚に陥る。忘れもしない。私が雪を嫌いになる原因を作ったのは彼なのだから。

 


 あれは……私が中学三年の冬の出来事。

 地味で大人しかった私。仲の良いクラスメートもいなかった私は、放課後、誰かとおしゃべりをするなんてこともなく、学校が終わればすぐ家へ帰っていた。

 冬になれば、当たり前のように雪が積もる地域だったから、私は家に帰っては雪うさぎを作るのが日課になっていて……。


 その日も、家の庭で雪うさぎを作っていた。それを偶然、クラスメートである遠藤隆一に目撃されてしまったのだ。

 バカにされるに違いない。そう思ったのだが、遠藤君は何を思ったのか私の隣に来て、「一緒に雪うさぎ作るか」と、言ってくれた。

 遠藤君は不器用らしく、お世辞にも可愛いとは言えない雪うさぎの出来上がり。このことがきっかけで、私と遠藤君は一緒に雪うさぎを作る仲間になった。


 放課後の校庭や、帰り道の公園。今まで、ほとんど誰とも遊ばなかった私にとっては新鮮だった。いつしか、私は遠藤君に仄かな恋心を抱き始める。今思えば、あれは初恋だったんだと思う。


 けれど、そんな初恋が一瞬で崩れ去る日が来るのだ。


「おい、遠藤、お前最近いっつも筒井と話してるじゃん」

 ある日のお昼休み。給食を終え、私に話しかけに来てくれた遠藤君に向かって、クラスの誰かが言った。

「あれぇ? もしかして遠藤って、筒井のこと好きなんじゃねぇのー?」

 その言葉で調子に乗ったクラスメート。子供だから、バカみたいに騒ぎ立てて……。そうしたら遠藤君は真っ赤な顔して怒鳴り散らした。

「だ、誰がこんなブス!」

 初恋を終わらせる一言を。クラスメートはそれ以上何も言わなかった。ただただ、気まずい空気の中、五時間目が始まる。

 私はそれ以来、雪を見るのすら嫌になってしまったのだ。



「ブス、かぁ」

 ふと、中学時代の思い出に浸っていた私は、鏡を見た。あの頃の面影がない私。派手目な髪色にバッチリのアイメイク。

 私はいわゆる高校デビューを果たしたのだ。幸いなことに、私の進学先には同じ中学だった人がいなかったので高校デビューのことは誰にも知られていない。遠藤君に言われた「ブス」の一言が痛くて辛くて。

 いつか、遠藤君を見返したい。その一心でファッション雑誌を読んで、メイクの研究して。そんな私が今更同窓会になんて行けるわけもない。

 高校デビューと知られるのも恥ずかしいし、何よりも遠藤君に会うことが怖かった。

「……返事、出さないと」

 私はそっと、同窓会の招待状に○をつけた。

 ――もちろん、欠席に。




「いらっしゃいませ」

 お店のドアが開けられと同時に店内にフワリと甘い香りが広がる。お店に足を踏み入れるお客さんも、そんな香りに笑顔になる。

のが通常なんだけど……たった今、店内に入ったお客さんは違った。何やら難しい顔をしている男の人は、焼き菓子に目をくれることもなく、ショーケースのケーキを眺めることもなく、一直線にレジへと向かって歩いてくる。

(クレーム……?)

 そう思ったのだが、男の人は私の前に立つなり、

「あの、筒井穂乃果さんってここで働いてませんか?」

 そう言った。反射的に、首を傾げてしまう。何故なら、筒井穂乃果である私を訪ねてきたこの人を私は知らない。

背が高く、オシャレにも気を使っている男の人。顔もいわゆるイケメンだ。残念ながら、こんなイケメンの知り合いは私にはいない。

 いや、でももしかしたらどこかで知り合っているのではないかと記憶の糸を手繰り寄せる。すると、まさかと思うような人物と一致したのだ。私は慌てて自分の考えを取り消した。


 だって、まさか……。そんなはずは無い。まさか……。 私の前にいる男の人が、遠藤隆一だなんてありえない……。

「あの……?」

 呆然と私に見つめられ、男の人は困惑していた。遠藤隆一なはずがない。自分にそう言い聞かせ、相手の様子を伺った。

「筒井に、何か御用でしょうか?」

 私が言うと、男の人は慌てた様子で名乗りだした。

「あの、怪しい者じゃないです。俺、筒井さんと中学の同級生で……遠藤隆一って言います。」

 確定だ。この男の人は遠藤君だ。 私は鼓動が早くなるのを感じつつ、満面の接客スマイルを向けた。

「申し訳ありませんが、筒井は先月、退職しました」

 脈絡もなく、私は告げた。

 「そっか……」と小さく呟いた遠藤君。諦めて帰るのかと思いきや、今度は名刺を出してきた。

「あの、もし筒井さんと会うようなことあったら、この名刺渡してくれないかな?」

 会うことはない。筒井さんとは連絡をとっていない。そんなことを告げても遠藤君は食い下がる。結局、筒井さんのことで何かわかったら連絡します、と言ってようやく納得して帰ってもらった。

(どうして、遠藤君が私のことを探してるんだろう……)

 そんな疑問は解決しないまま、私はただただ遠藤君に渡された名刺を見ていた。フリーデザイナー遠藤隆一そう書かれた名刺を。


「気にならないの?」

「いや、気になるけどさ」

 仕事が終わり、ロッカー室で着替えをする。そんな中、声をかけてくる美優。悩みに悩んで、私は美優に全てを話したのだ。

 中学時代の初恋と失恋。そして、高校デビューのこと。美優は中学の同級生が気が付かないぐらいのデビューっぷりなんだ、と感心していた。自分でもそう思う。整形したわけでも無いのに遠藤君は私に全然気がついていなかったのだから。

「職場にまで探しに来るだなんて、よっぽど何かあったんだろうね」

 確かにそうだ。というか、どうして遠藤君は私がここで働いていることを知っているのだろう?

 考えれば考えるほど疑問が増えていってしまう。

「探りなよ」

 あっさりと美優が言った。

 名刺を渡されたんだから、「筒井さんと連絡とれましたよ」とか言って遠藤君に探り入れればいいじゃん、と言うのが美優の言い分。

「でもなぁ……」

 コートを羽織りながら気乗りしない返事をすると、つかつかと美優が歩みよって、私の手から遠藤君の名刺をとった。

「穂乃果が探らないなら、あたしが探るよ」

 突拍子もない美優の言葉。美優の行動力を考えれば、きっと今日にでも遠藤君に電話をするだろう。

「……いいよ、自分で探る」

 しばらく考えてからそう答えた。美優に探らせて、うっかり私が筒井穂乃果だと知られるのが怖かったから。


 それから数日後のこと。

『はい、遠藤ですが』

 二度目のコールで遠藤君は電話に出た。疑問をはらんだ声。知らない番号からかかってくれば当然だろう。

「あ、あの、先日名刺を受け取った者です。筒井さんと連絡とれたのでお電話しました」

 私の言葉に、遠藤君は小さく、あぁと漏らした。

「あの、筒井さん、諸事情があってあなたとは連絡が取れないそうなのです」

『……そっか』

「それで、用件を聞いて欲しいと言われて……」

 苦し紛れの言い訳を、さも本当かのように並べる。嘘がバレるのではないかとヒヤヒヤしていると、電話口から穏やかな声が聞こえた。

『なら、君と会って話をしたいな』

 会って話なんかしたら、嘘がバレるかもしれない。しばらく、無言で悩んでいると再び電話口から声がする。

『もしもし? 会うの嫌?』

「い、嫌じゃないです」

 とっさにそう言ってしまった。それから話はとんとん拍子に進み、結局、私と遠藤君は会って「筒井穂乃果」の話をすることになってしまったのだ。

 自分の素性を隠して自分の話をするだなんて不思議な気分。遠藤君との電話を終えると、どっと疲れが出た。

 電話だけでもボロが出ないかヒヤヒヤしながらだったのに、これが直接会うとなったらどれだけ神経使えばいいんだろう。そう考えると……正直、遠藤君には会いたくなかった。



 待ち合わせ五分前。

 私は今にも雪が降り出しそうな空を見上げた。雪の匂いがするし、天気予報でも今夜は雪が降ると言っていた。

(雪で、電車が止まらなきゃいいけど)

 なんて考えていると、遠藤君が私を見つけて会釈した。なんだか、変な気分だ。遠藤君は私のことを筒井穂乃果だとは思っていない。

 遠藤君からしたら、私はたった二度しか会っていない筒井穂乃果の元同僚。それなのに、どうして遠藤君は会って話がしたいだなんて言い出したのだろう。


「ごめんね、待たせちゃって」

「いえ、私も来たばかりですから」

なんて、軽く挨拶を交わして。そして無言。遠藤君は言葉を探しているかのように、空を見上げた。

「雪、降りそうだね。雪の匂いがするし」

 そんな遠藤君の言葉で、ドクンと心臓がはねる。元々、雪の匂いに敏感になったのも、思えば遠藤君がきっかけだった。


体育の時間のこと。

ふいに遠藤君が近寄ってきて「今日は雪の匂いがするから降るかも」と言ったのだ。そして、「雪が降ったら、また雪うさぎ作ろうな」とも。あの頃は、素直にその遠藤君の言葉が嬉しかった。結局、「ブス」発言で全てがとけた後の茶色い雪みたいな嫌な思い出になっちゃったけど。


「寒いし、どっかの店で話そうか」

 目の前の遠藤君が言った。私は無言で頷いて、遠藤君の後ろを歩き始めた。

「えっと、改めまして。筒井穂乃果さんの同級生遠藤隆一です」

 近くのファミレスで向かいあって座るなり、遠藤君が言った。私も名乗らなくては、と思った瞬間、言葉に詰まる。

 名乗れるはずがない。筒井穂乃果ですだなんて、言えるわけもない。

「筒井さんの、元同僚の笹倉美優です」

 思わず、そう名乗ってしまった。遠藤君は、当たり前だけど疑うこともせずに、「よろしくね、笹倉さん」と。なんとも言えない気持ちになった。

「それで、あの、筒井さんのことなんだけど……何か言ってた?」

「筒井さんから聞いたんですけど、同窓会があるそうですね」

「うん、そうなんだ」

「筒井さん、用事があって行けないって言ってました」


 さすがに堂々と嘘を付けなくて、私はメニューで顔を隠しながら言った。そのせいで、遠藤君の表情は見えなかったけれど、大きなため息と、「やっぱりか」という言葉が聞こえた。

 私はここで、ぐっと決意を固める。遠藤君がどうして私を、筒井穂乃果を探しているのか、核心に迫ろう。

 ゆっくりとメニューを下げて、ちらっと遠藤君を見ると、私が同窓会に行かないことがよっぽどもショックなのか大きくうなだれていた。


「えっと……」

 声をかけるのも躊躇うほどに落ち込んでいる遠藤君。私の声にはっとしたかのように、顔を上げた。

(よし、聞こう!)

 心の中で気合を入れ、私は再び遠藤君を見た。

「どうして、筒井さんを訪ねてきたんですか?」

 意を決して質問をしてみたけれど、遠藤君は言葉を濁した。深追いするべきか、それともここで質問をやめるべきか。

 下手に質問をして、私が筒井穂乃果だとバレる可能性もある。

 けれど、どうして遠藤君が私を探しているのかは知りたいし、何よりもその理由を聞かなかったら美優が遠藤君に直接聞いてしまうのではないのか、という不安もあった。

「あの……」

 言いかけて、私はやめた。遠藤君が話さないなら、それでいい。私が笹倉美優と名乗った以上、遠藤君と筒井穂乃果は会うこともないのだから。

(……本物の美優が行動しなければね)

 そんな不安要素を感じつつも、私はそれから遠藤君と当たり障りない会話をした。遠藤君は今、フリーデザイナーとして、企業のロゴやサイトを作る仕事をしているらしい。

 高校を卒業して、洋菓子店の販売をずっとやってきた私からするとかっこよく見えるのだが、安定してる仕事のほうが羨ましいと言われ、結局は無い物ねだりだねと二人で笑いあった。

 

 食事を終え、外に出ると、辺りはすっかり銀世界になっていた。

「あー、雪だ」

 なんてちょっと嬉しそうに言いながら、遠藤君はファミレスの垣根に積もった雪を集めだした。何をしているのかと思って見てみれば、不器用ながらに懐かしい手つき。

 中学の頃とまったく変わらない可愛くない雪うさぎが出来上がる。

「ふふ、なんですか? それ」

 あまりの不細工さに、私が笑いながら聞くと、遠藤君は恥ずかしそうに小声で雪うさぎ、と呟いた。

 あの頃のままの雪うさぎ。なんだか懐かしくなって、私も垣根の雪を集め始めた。遠藤君は、ただただ黙って私の雪うさぎの完成を待っていた。

「あ……」

 私の雪うさぎが出来上がると、おもむろに声を上げる遠藤君。

「懐かしい……この雪うさぎ……」

「え……?」

 怪訝そうに聞き返すと、遠藤君はなんでもない、とはにかんだ。

(もしかして……バレた?)

 一瞬、そんな考えが過ぎった。ううん、そんなわけない。たかが雪うさぎ作ったぐらいで、私が筒井穂乃果だなんてバレるはずがない。必死に自分に言い聞かせる。

 それから、駅につくまで、また当たり障りない会話をして私達は別れた。

「本当に、何の進展もないの?」

 結局、遠藤君がどうして私を、筒井穂乃果を探しているのかはわからないまま、数日が過ぎた。

 もちろん、理由は今でも知りたいとは思うけれど、私はもう遠藤君と会わないほうがいいような気がしていたから連絡もとっていない。

 もちろん、遠藤君からも何もアクションはない。

「連絡とってみなよー」

 美優は美優で、遠藤君が私を探していた理由に興味があるらしい。しきりに、探れ探れと言ってくるのだけれど……そんな勇気、私には無かった。

 雑談をしていると、お店のドアが開かれる。

 私も美優も雑談をやめ、「いらっしゃいませ」と言った直後……凍りついてしまった。店内に足を踏み入れたのが遠藤君だったから。

 反射的に、私はバックへ戻る。そんな私を不思議そうにレジから見る美優。そんな美優に近づく遠藤君。

 私は、息を殺してバックから二人を見ていた。

「あの、笹倉美優さんいらっしゃいませんか?」

 美優を前に、遠藤君はそう言った。ポカンとしている美優。鼓動が早くなる私。だが、私に視線を投げかけた美優は全てを悟ったのか、私のことを「美優ちゃん」と呼んだ。

 美優の機転のおかげで、私は笹倉美優として遠藤君の前に立つ。この前みたいに、小さく会釈をする遠藤君。と、思えば映画のチケットを差し出してきた。

「あの、映画のチケットもらったんだけど……これ、恋愛物でさ」

「みたいですね……」

「男友達と二人で行くのも微妙だし、もし良かったら一緒に行かない?」


 なんともベタな誘い方な上に突然の提案。私は言葉を発せず、呆然とチケットを見ていた。すると、美優が唐突に合コン仕様の甲高い声を上げやがった。

「わぁ、美優ちゃん羨ましいなぁ! こんな素敵な人に映画誘ってもらえるなんて!」

 美優は私のことを美優と呼び、映画に行けと言わんばかりの視線をぶつけてくる。

「都合悪い?」

 私が返事をしないでいると、遠藤君が遠慮がちに聞いてきた。すかさず美優は満面の笑みを浮かべ、

「そんなこと無いですよ。美優ちゃん彼氏いないしね?」

「え!?」

「せっかくだから映画行きなよー」

 美優の名前を勝手に借りてしまったことに罪悪感もあり、私はぎこちない笑顔を浮かべながらも映画のチケットを受け取った。

 その日の帰り道、美優から私を探している理由を絶対探って来い、と命令されたのは言うまでもない。


 待ち合わせ十分前。

 指定場所に行くと、遠藤君の姿はもうそこにあった。ソワソワしながら辺りを見回している。

「あの……」

 ためらいがちに、遠藤君に声をかけると、満面の笑みを向けてくれる。

「いきなりお店に誘いに行っちゃってごめん。驚いたよね?」

「はあ……」

「電話で誘おうかと思ったんだけど、俺仕事で携帯使ってるから君の履歴が消えちゃってさ」

 まるで言い訳でもしているかのような早口で遠藤君が言う。なんだか、それがおかしくって、思わず笑ってしまった。

 それじゃあ、改めて連絡先の交換を、と私の携帯番号をアドレス帳に入力する遠藤君。登録する名前は……もちろん笹倉美優。

 美優にも、遠藤君にも後ろめたい気持ちになったけれど、私が筒井穂乃果と名乗れない以上しかたがないことだ。

 次に、遠藤君は名前の呼び方をどうしようかと悩み始めた。一人でブツブツ考えているようだったけれど、しばらく経って手をパンっと叩いた。

「美優ちゃん、って呼んでいい?」

 にっこりと微笑まれ、私は頷くしか無かった。だって、私は笹倉美優なんだから。筒井穂乃果じゃないんだから。

「俺のことは、隆一って呼んで」

 私は、笹倉美優として遠藤君のことを、隆一、と呼ぶようになった。

 それからも、遠藤君はたびたび私をデートに誘ってくれた。デートといっても、ご飯を食べに行ったり、買い物をしたり、当たり障りないデートとでも言うのだろうか。

 お酒を飲みに行く事もない。手すらつながないような、まるで中学生の恋愛のようなデート。

 そんなことが続いていくにつれて、私の中で二つの思いが芽生え始めた。遠藤君に対する罪悪感と、遠藤君への恋心。

「美優ちゃん? 考え事?」

「え? ううん、なんでもないよ」

 デートの最中、こうやって心配されるのも最近は増えてきた。遠藤君と会うにつれて、罪悪感も恋心もどんどん大きくなっていってしまう。だから、ついつい考え事をしてしまうのだ。

 美優ちゃんと呼ばれるのが当たり前になる自分。隆一と呼ぶのが当たり前になる自分。このままじゃダメなのは自分でもわかっている。でも、遠藤君には何一つ本当のことが話せないでいた。

 早く、遠藤君に筒井穂乃果を探している理由を聞いて、会うことをやめればいいのに。と、思っていても、遠藤君は筒井穂乃果の話になるといっつも言葉を濁す。


「同窓会に誘いたかっただけなんだよね」


 遠藤君はそうは言うけれど、誘うためだけに職場に来るのはおかしい。きっと他に何か理由があるはずだ。というのが私と、美優の見解だ。

 核心に迫れず、デートを重ね……正直、私のキャパシティーはオーバーしそうだった。


 いつもは、ほんの二、三時間のデート。だけど、今日は違う。

 私も、遠藤君も丸一日空いていたので、少し子供っぽいけど遊園地でデートすることになった。

 まるで童心に戻ったかのようにアトラクションを回る遠藤君は本当に楽しそうで、中学の頃の面影が全面に出ていた。

「ちょっと休もうか」

 アトラクションの半分を制覇した頃、遠藤君が言った。

私をベンチに座らせるなり、ジュースを買いに行く後ろ姿を見て、胸が締め付けられる。

私は遠藤君が好きなんだ。だけど、この気持ちは伝えられない。いつまでも、この関係は続けられない。

そんな私の気持ちも知らずに、笑顔で温かいココアの缶を渡してくれる。その笑顔が、嬉しくて、幸せで……とっても痛い。

「あのさ……」

 遠藤君は、自分用に買ったコーヒーの缶を開けながら、静かに口を開いた。

「俺、美優ちゃんのこと、好きなんだよね……」

 時が止まったかのように、私達は顔を見合わせた。小刻みに震える、遠藤君の腕。その震えは、さっきの告白が本気だった証拠だろう。私は、この時どんな表情をしていたのだろう。

 笑顔だったのだろうか、困惑していたのだろうか。今となってはわからない。

 だって、私は告白に返事すること無く、その場を走り去ってしまったのだから。


「どうすんのよ」

「……どうしよう……」

 翌日、私はショーケースにケーキを並べながらため息をついた。美優は呆れ顔で、私を見る。遠藤君に告白されて、何も言わずに逃げ出して。告白されたこと自体は嬉しかった。でも遠藤君は、私が筒井穂乃果だと知っていても、告白してくれたのかな。

 中学の頃、ブスと言った私と知っていたら……告白は愚か、デートすら重ねられなかったのかもしれない。

「そんなに落ち込むぐらいなら、本当のこと言えばいいのに」

 いつまでも辛気臭い顔をしている私に美優がポツリ。

「言えればいいけど……」

 実は私が筒井穂乃果で、遠藤君のことが好きです。……そんなこと、言えるわけがない。

 あれだけ筒井穂乃果を探していた遠藤君に嘘をつき、笹倉美優と偽って遠藤君と会っていたのだから。

「でもさ、今言わないと絶対後悔するよ」

 既に、自分の正体を偽っていたことを後悔し始めている私に追い打ちをかける美優。遠藤君と再会した時は、まさか遠藤君に恋するだなんて思ってなかった。それに、こんなにデートするだなんて思ってなかったから。安易についた嘘に、こんなに苦しめられることになるだなんて、思いもしなかった。

 

 考えては落ち込んで。落ち込んでは考えて。

 そんなことが数日続いた。

 遠藤君と最後に会ったのは一週間前。以降、一度も連絡はない。当然といえば当然だろう。もしも私が遠藤君の立場だったら、告白の返事もせずに逃げ出した相手に連絡なんかとれるはずもない。

 美優は自分の正体を明かせという。本当のことを遠藤君に伝えるべきだと。

 遠藤君に告白されてから何度も何度も後悔した。どうして最初から本当のことを言わなかったのだろうと。

 もし、もし私があの時……遠藤君が私を訪ねてきたあの時に、本当のことを言っていたらどうなっていたのだろう。そんなこともよく考える。

 遠藤君は、私を同窓会に誘うために店を訪れたと言った。もし、あの時に私が筒井ですと名乗っていたら、同窓会に誘われて終わりだったのだろうか。

 ベッドに寝転がりながら、穴が空くほどに携帯電話を見つめる。遠藤君にもらったメールを読み返すとうっすらと涙が滲んでしまう。

『この前はありがとう。今度はどこ行こうか?』

『今日のカフェ、雰囲気良かったね。また行こうよ』

 楽しかった。遠藤君とデート出来て嬉しかった。

(どうすればいいんだろう……)

 きっともう、私からアクションを起こさない限り遠藤君と会うことはないだろう。


 最近、店長からよく注意をされる。笑顔が足らない、と。本当のことを伝える勇気がないのだから、遠藤君のことはきっぱり諦めればいいのに。

 諦めきれない中途半端な思いのせいで、考えっぱなしの私は、仕事中でも難しい顔をしてしまう。

「筒井さん、また店長に怒られちゃいますよ」

 焼き菓子の補充をしながら、アルバイトの里英ちゃんに言われてはっとする。私、また難しい顔してたんだ。

両手で顔を叩いて気合を入れなおす、と同時にお店のドアが開いた。

 お客さんだ、笑顔を見せなきゃ……と思った。が、お店にやってきたのは遠藤君。まさかの遠藤君の登場に慌てて私はバックへ引き戻し様子を伺った。

 店内をキョロキョロした後、遠藤君は里英ちゃんに何やら話しかけている。すると、里英ちゃんも辺りを見回す。

 やがてレジの方へ来て、バックにいる私と目があった。嫌な予感しかしない。

「筒井さん、今日って笹倉さんお休みですか?」

 遠藤君は、その言葉を聞き逃さなかった。

「筒井さん? あ、えっと、筒井さん呼んでください」

 里英ちゃんはこくりと頷き、バックにいる私に向かって私に声をかけた。

「筒井さん、お客様です」

 鼓動が早くなりすぎて目眩がして手には冷や汗が握られる。

(どうしよう……)

 里英ちゃんに呼ばれても、私は動くことが出来なかった。すると、里英ちゃんは不思議そうな顔をして私に近づく。何も知らない彼女には不思議に思えて当然だ。

 慌てて、私は近くにあった注文票を確認するフリをして、手が離せないから、と言ったのだけれど……

「私がやっておきますよ」

 そんなことを言われて、微笑まれては断るわけにもいかない。きっと、これは正体を明かすべきというお告げか何かなのだろう。

 重苦しい空気をまとい、項垂れながら私はゆっくり遠藤君の前に出ていった。

「…………」

 遠藤君は小さく息を漏らした。私は、遠藤君の顔を見ることも出来ず、ずっとうつむいたまま。

「筒井……さん……」

 かすかに震える声。動揺しているのだろう。

(当たり前だよね……)

 遠藤君が知っている私は筒井穂乃果の元同僚、笹倉美優。何も言わない遠藤君。未だ、顔すらあげられない私。何か言わなきゃ。焦れば焦るほど、何も出てこない。何をどう伝えればいいのか、整理ができない。そうしてやっと、頭に浮かんだ一つの言葉。

「ごめん、なさい……」

 それだけ言って……私はバックへ逃げるように戻ってしまった。結局、遠藤君の顔は見れずじまい。足音から察するに、遠藤君はそれからしばらくして店内を後にしたのだろう。


 遠藤君に正体を知られてしまった。そのことで頭がいっぱいだった私は、案の定、店長に呼ばれた。

 十数分に及ぶお説教が終わり、ロッカー室に戻ると、携帯が震える音がした。メルマガか何かだろう。特に意識をしないでメールを開く。

『会いたい』

 何の心構えも無く、メールを開いてしまったことを後悔した。遠藤君から、ただ一言。たったそれだけのメールだった。

 ドクドクと、ものすごい速さで心臓が脈打ち始める。慌てて携帯電話を閉じ、いつもより早く着替えた。

 メールは返さない。遠藤君とは二度と会わない。自分に何度もそう言い聞かせながら、足早にお店を出る。

 さっさと家に帰ろう。さっさと寝てしまおう。そうすれば、遠藤君のこと、何も考えないで済む。

そうは思ったのだけれど、外に出た瞬間……ふと雪の匂いを感じた。

 私は、無意識のうちに遠藤君の電話番号をダイヤルしていた。

『筒井さん……』

 電話口の静かな声。私のことを筒井さんと呼ぶ遠藤君。もう、私は彼の前では笹倉美優では無いのだ。

「会いたい……」

 ポツリと出た言葉。

『俺も』

 遠藤君は優しい声で、そう言ってくれた。職場の最寄り駅。すぐに行くから、と電話を切った遠藤君。

なんとも言えない気持ちで、私は遠藤君を待っていた。嫌われるかもしれない、怒られるかもしれない。

 そんな不安の中、現れた笑顔の彼。

「仕事、お疲れ様」

 いつもと同じ。デートの時と同じ笑顔を私に向けてくれる遠藤君。その笑顔が……今の私には辛かった。

 罵ってくれたほうが、よっぽども気が楽なのに……。

「顔、あげて」

 くしゃりと、私の前髪をかき上げながら言われ、我慢できずにとうとう涙が溢れだす。筒井穂乃果と知られてしまったこと。遠藤君に嘘をついていたこと。色々な感情が混ざり合って、私の涙は止まることがなかった。

 そんな私の涙を、彼はそっと親指でぬぐってくれる。そうして、ふっと視線を外した。

「……気がついてたよ、筒井さんだってこと」

「え……?」

 遠藤君は、再び私に視線を向けて、更に言葉を続けた。

「最初は本当に気が付かなかった。……筒井さん、美人になりすぎてたし。でも、初めて電話もらった時……電話口の声がなんか懐かしくてさ。もう一回、会って確かようって思ったんだ」

 けれど、遠藤君の前に現れた私は笹倉美優と名乗った。でも、私と話をしていて確信していったのだと言う。話し方とか考え方とか、あの頃と全然変わってなくて嬉しかったよ、と遠藤君は微笑んでくれた。

「決定打は、筒井さんが作った雪うさぎなんだ」

 言われてはっとした。確かに、私の作った雪うさぎを見て、遠藤君は「懐かしい」と口にしたんだ。

 あの時から、遠藤君は私が筒井穂乃果だとずっと知っていたのかと思うと、自分の行動が恥ずかしくて仕方ない。

「筒井さんがね、俺に正体隠してる理由……俺わかってたから、本当のこと聞けなかったんだ。……ブス、だなんて言ってごめん」

 彼は、中学校時代の謝罪を告げた。あの時はまだ子供で、周りに冷やかされるのが恥ずかしくて、心にも無いことを言ってしまったと。そのことを、ずっと後悔していた。

 卒業して、十年の節目の年に、どうしても謝りたくて、私の母親に職場を聞いて訪ねてきたと。

「筒井さんがね、ずっと笹倉美優って名乗ってるならそれでもいいと思って告白したんだ。本当の名前とかどうだっていい。だって、俺が好きになったのは君だから」

 私はあふれ出る涙をぬぐいながら遠藤君を見つめた。彼は、私が筒井穂乃果と知っていて、告白してくれた。

 なんだか信じられなくて、呆然としたまま遠藤君を見つめると、彼も私を見つめ返してくれた。

「好き、私も遠藤君のこと好き」

 たまらず、声が喉をついて出る。

「筒井さん……ありがとう」

 優しく、ふわりと私を抱きしめた遠藤君。駅前は静かに、雪が降り始めていた。



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― 新着の感想 ―
[一言]  優しいストーリーだと思いました。
2020/09/12 09:03 退会済み
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[良い点] ハッピーエンディングで安心しました♪ [一言] 雪うさぎが2匹並んで………いいですねぇ(*^^*)
2020/09/11 21:37 退会済み
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