第9話
「んー! これから頑張るぞ!」
表に出た所で体を伸ばし、気合いを入れる。
何度か休みの度に研究局の外には出ていたが、この日ばかりは景色がいつもと違って見えていた。晴れ渡る空も、顔馴染みの衛兵も、道行く人々も、すべての物が俺の門出を祝ってくれているようなそんな心地になる。
振り返ると研究局が高くそびえ立っており、自分が一ヶ月もこの場所で過ごしていたのが夢のようだった。チンピラに絡まれ、キャロに助けられ。そんなことももう昔の話だ。
入り口を守る衛兵達に軽く頭を下げながら町に下りる。
最初に目指すのは冒険者ギルドだ。まずはそこで冒険者として登録する。
キャロと共に数度顔を出したが、一人で向かうのは初めてである。それほどわかり辛い場所にあるわけではないが、この町は大きいので迷わないように気をつけなければ。
見知った道を歩いていると、ふと前は気づかなかった細い路地に気づく。一ヶ月過ごしてもまだ知らない場所の方が多いこの町を散策したかったが、今はその気持ちを抑えて真っ直ぐギルドを目指す。
時刻は昼過ぎ。
今日の内に冒険者として登録して当座の宿を決めねばならない。
しばらく研究所に滞在すれば、と提案されたが、流石にそこまでお世話になるのは申し訳ないので断ったのだ。
手元にはアジールからもらったそれなりの資金。冒険者としてうまく生計を立てられるかわからないので無駄遣いはできない。とはいえあまり安い宿に泊まるわけにもいかない。宿探しに時間を使うためにも、冒険者の登録はすぐに終わらせるべきだ。
少し、足を速める。
道中、幸いにもチンピラに絡まれることはなかった。
ガントレットのお陰でそこらのチンピラには引けを取らないだろうが、それでも好んで喧嘩をするような性格の俺ではない。目つきのせいで誤解されがちなのだ。
冒険者ギルドは研究局から離れた場所にある。
普段から荒っぽいことをしているだけに、犯罪者の取り締まりもしている軍の施設からは離れたいのだろう、とキャロは笑いながら言っていたが本当の所はよくわからない。少なくとも、喧嘩が日常茶飯事と呼べるくらいには起きているので、取り締まる側からしたら余所へ行って欲しいだろう。
冒険者ギルドは特に飾りっ気のない建物である。そのすぐ隣に立っている銀行の豪華さに比べると見劣りする。しかし逆に、見た目を気にせずにただ機能のみを追求しているようで冒険者らしくもあった。
これまでキャロと来たのは隣の銀行である。ここには俺の口座もあり、アジールから受け取った金のほとんどは預けてある。
冒険者ギルドの様子は銀行の方から何度か見ていたが、入る場所が一つ違うだけで気分も変わるものだった。
「よし! ここから俺の異世界生活が始まるんだ。怖じ気づくわけにはいかないよな!」
あえてそれらしい言葉で自分を奮い立たせ、扉を開く。
途端、一斉に注がれるギルド内の視線。それらはすぐに外されるが、一瞬とはいえ建物の中の全員から見られるというのは緊張する状況であった。
「なんなんだよ……」
面食らって立ち止まってしまった足をなんとか動かす。ついでに、できるだけ目つきが柔らかくなるように意識する。
全員、俺よりも余程戦闘慣れしている人達だ。変に絡まれても厄介である。
ぎこちない、なんとか怪しまれないレベルの歩みだったが、その間もチラチラと視線を向けられているのがわかる。
銀行から入った時には感じなかった視線で、ある意味では冒険者達による洗礼とも言えた。
喧嘩で鍛え、一ヶ月間キャロと戦っていたとはいえ、それ以外のことはほとんど未経験である。一人一人と殴り合うならまだしもこうして値踏みされるような視線は必要以上に緊張してしまう。
「ようこそ。冒険者の方ではないですよね?」
「はい。冒険者として登録をしたくて……」
受付カウンターの女性は優しく微笑んでいる。それがギルド内唯一の癒やしに思えるからこの場所がどれだけ殺伐としているか想像できるだろう。
視線をビシビシ感じる。背中を向けているせいで遠慮が失くなっているようだ。
ガントレットを外せば注目もされないのかもしれないが、そうするとどこかに置き忘れてしまいそうだ。流石にこんな場所にスリはいないだろうが――冒険者の仕事には盗賊団の壊滅や凶悪犯の逮捕もある――警戒するに越したことはない。
手汗でジットリ蒸れて気持ち悪い。
「次第に馴れますよ。観察するのが癖になっているような人達なので」
俺の様子を見た受付の女性はそう言って笑う。しかしそれにすら曖昧に笑って返すことしかできなかった。
ガチガチに緊張している間に女性はカウンターの下を探り、小さな機械を取り出した。
なにかを差し込むような穴が開いた土台の上に小さな水晶玉のような物が乗っている。
その開いている穴に金属製のプレートを差し込んだ。
「冒険者の登録に必要なのは登録金二百リリンと魔力です。お金はまた今度でもいいですがいかがしますか?」
「払っちゃいます」
リリンとはこちらの世界のお金の単位である。多少の常識がなくては冒険者としてもやっていけないので、ここら辺の知識はなんとか頭に叩き込んだ。
財布の中から銀貨を二枚、女性に渡した。
「確かに。ではこちらの玉の上に手の平を置いて魔力を流してください」
魔力を流すとは読んで字の通り、体の中を流れる魔力を操作することである。
これまで暮らしていた世界に魔法なんて物は存在していなかったが、この一ヶ月でその魔力操作にも慣れたものだ。要は身体強化の魔法と似たような物、と言うよりは魔力の操作が魔法より先にあるのだから、身体強化の魔法を使えれば魔力を操作することもできる。
右手のガントレットを外し、水晶玉の上に乗せる。
このガントレットは外に魔力を出せない仕組みになっているらしく、シルヴィアが「これも改善点なんだよねぇ」と日々ぼやいているのを聞いていた。
手以外の場所からなら魔力の放出もできるのだが、それだと水晶玉に足なり額なりを乗せる摩訶不思議な人間になってしまう。俺のことを観察している冒険者もビックリだ。
体の中を流れる魔力をイメージし、それを左手を通じてガントレットに流す。そして増幅してガントレットから返された魔力をそのまま右手に。そして触れている水晶玉に流す。
魔力が流れるに従って水晶玉も淡く輝き出す。
「はい。それくらいで結構ですよ」
機械からプレートを取り出し、それをこちらへ渡してくる。
特になにか文字が刻まれているわけでもないただの板である。
「それがギルドカードです。あなたの――そういえばお名前を聞いてませんでしたね」
「平有樹です。よろしくお願いします」
「ユウキさんですね。私はミリイです。それではギルドの中を案内しますね」
受付の女性――ミリイはカウンターの天板を上げて出て来る。
面白い仕組みになっているものだ、と関係のないことを考えながら、歩くミリイの後を付いて行く。
やはりその間も冒険者達の視線はこちらへ向いていた。
ひそひそと話しているのは俺を酒の肴にでもしているのだろうか。気になってしまうのは日本人の性だろう。
「そのギルドカードがユウキさんの身分証明書です。ユウキさんの魔力を登録してあるのでユウキさんが魔力を流すと発熱する仕組みになってます。失くさないようにしてくださいね。
銀行口座をお持ちでしたら後でギルドカードと紐付けておきますね」
失くしてはならない物がまた一つ増えた。これは財布にでも入れておこう。
階段を使って二階に上がる。
ロングのスカートなので見えることがないのは残念であり安心。
「もし失くしちゃったらどうなりますか?」
「どうなることもありませんが再発行にはまた二百リリンが掛かりますから気をつけてください」
特に悪用されるわけでないのなら失くしたとしても大丈夫だろう。かと言って雑に扱うわけでもないが。
元いた世界にはない仕組みのギルドカードを眺めながら二階に上がり、奥の部屋に通される。
窓のない閉め切られたその部屋はそれほど広くなかった。大人が十人くらいは入れそうな広さ。家具も特に置かれているわけではなかったが、中心に置かれている巨大な魔石がこちらへ圧迫感を与えていた。
魔石――魔力の宿った鉱石のこと。ギルドカードやそれを差していた機械の水晶。そしてガントレットにも使われている。
こちらの世界の生活に根ざした物ではあるが、この部屋に置いてある魔石はこれまで見てきた魔石の中では一番の大きさだった。
「この魔石は各地の冒険者ギルドに置かれています。これを使うことで各ギルド間の情報伝達もスムーズにできるんです。これを動かすために冒険者の皆さんには月に一度、魔力を貯めてもらいます」
研究所内では電話のような物を使っていたが、あれも同じ建物内だったから使えたのだろうか。
町と町の通信にこれだけ巨大な魔石を使うとなれば、一般人の情報伝達は中々に不便だろう。町の外には魔物が現れることも考えれば、手紙も確実に届くとは言い切れない。
これもまた、元の世界との違いである。
閑話休題。
魔石に近付くと、その魔石を中心に床に魔法陣が浮かび上がった。
そしてその輝きの中で魔石に手を触れた途端、体から急速に力が抜けていくのを感じる。魔力を吸われる感覚だ。一度、シルヴィアとの実験の最中に同じような感覚を味わったお陰で戸惑わずに済んだ。その時は少ない魔力をすぐに根こそぎ持っていかれて倒れた苦い思い出の感覚である。
残り僅かな魔力を必死に左手のガントレットに流し、吸われる魔力を補っていく。
やがて魔法陣の輝きが収まると、魔力の吸引は止まった。
「ふぅ……」
深く息を吐き、魔力を吸われたことによる目眩を隠すようにしたが、数歩フラついてしまう。しかし倒れることはなんとか防ぐことができた。
一人で勝手に綱渡りをしていた気分だ。
「ユウキさんはあまり魔力が多いわけじゃないんですね。次からは気をつけてください」
そんなことを肩を貸してくれつつミリイは言う。
キャロやシルヴィアから、一般人よりも魔力の量が少ない、と言われていたが、そのことは隠すようにしている。
それにはいくつかの理由があるのだが、今回はなんとか、多いわけではない、という評価に落ち着く。この程度であれば怪しまれることもないだろう。
唐突に訪れた試練を乗り越え、ミリイに気づかれないように俺は胸を撫で下ろした。
『異世界の沙汰も~~』にもあった冒険者としての登録シーンですね