第8話
「僕には手加減してくれてもよかったのに……」
治療を終えて廊下に出ると、待っていてくれたキャロの第一声がこれであった。
しかし、治療を受けた自分の顎を恐る恐る触るのにいっぱいいっぱいでそれどころではない。
触っても痛みはない。
「あんまり触らないの」
自分でもわかっているが気になってしまう。
「あれだけやってて手加減もなにもないだろう」
喋り方もどことなく慎重な感じになる。
ファンタジーの世界ということもあって、治癒魔法も立派な医療の一つとして認められている。何度もお世話になっているがその度に驚くものだ。
特に今回は骨が砕かれていて、それが治療を受けて一晩寝れば治るというのは、自分が実際に体験しても信じられなかった。
昨日、キャロとの勝負が終わった後に治療を受け、先ほど最後の仕上げを終えて治癒術士からもう大丈夫、と太鼓判を押されても心配になる。
実は痛みがないだけで今も骨は粉々なんじゃないか、なんて考えてしまう。
「っつつ……」
「だから触らないの」
喋るのに支障はなくとも違和感は残る。強く触れば痛みもあった。しかし日常生活に問題がないほどにまで治せるだなんて、改めて魔法の便利さを実感する。
治療を終えて向かっているのは局長であるアジールのいる部屋だった。
本当は昨日のうちに挨拶を済ませるつもりだったのだが、大人げないキャロの一撃で入院する羽目になってしまって今日になった。
無口な門番の横を通って執務室に入る。
部屋ではすでにシルヴィアがソファに腰掛けていた。その向かいにキャロと座る。そして上座の位置にアジールが着いた。
テーブルにはガントレットが置かれている。
「まずはシルヴィアから実験の成果を聞こうか」
「了解です。ユウキさんにこの一ヶ月間協力してもらって、魔力量が極端に少ない人のパターンデータが収集できました。なので試作機第二弾を作るために色々やってます」
シルヴィアの報告を受け、アジールはテーブルに置かれたガントレットを手に取るとまじまじと眺めている。
「つまりこれはもう用済みか?」
「用済み……ってほどではないですけど、昨日の内に解体して中は見たのでしばらく出番はないですね」
どことなく白々しいやり取りに聞こえた。
「ではこれは君に貸そう」
「……へ?」
急に話を向けられ、意味のある言葉を返すことができなかった。
実験の報告は逐一されている。今俺の前で行われているのも状況確認程度の物。そう思ってまったく話を聞いていなかったので心の準備ができていなかった。
それでなくとも、
「これって……大事な物じゃないんですか?」
改めて見てみるが、やはり俺がこれまで使っていたガントレットだ。
このガントレットの実験に協力するようになった経緯も、一般人にもあまり見せたくないから、との理由であった。
そんな大事な物をこうも簡単に貸してしまっていいのだろうか。失くしたり壊したり、予備があるとかは聞いていない。
しかし心の中でハラハラしている俺と違って、その場にいる三人は至って平静である。
「大事ではあるがユウキ君、君なら信頼できるからね」
「でもそれホントに大事だから失くさないでよ?」
アジールからの信頼と同時にシルヴィアから釘を刺される。
どっちだよ、とツッコんでしまいそうになるが、シルヴィアの必死な表情を見ればこっちの方が正しいのだとわかる。
一見すると綺麗なただの装備品にしか見えないであろうこのガントレットのことを、国が研究している最新の装備だとわかる人は少ないだろう。つまり、価値のある物だとわかる者は少ない。しかし見た目は装飾の施された装備品であり、狙われないとも限らない。
このガントレットを奪おうとする者が現れた時に守ることができるのか。その自信は正直に言うとまったくなかった。
失くすか失くさないかに関しては、ずっと身に着ける装備品ということでその心配はないだろう。
「ユウキは……冒険者になるって前に言ってたよね?」
「うん。そうだけど……」
この話の流れとは関係なく思えるキャロの一言。うなずいておくが、なにを言われるかわかったものではない。
冒険者とはこの世界でポピュラーな職業である。
危険な魔物を狩ったり、危険な場所に生えている薬草を採ったり。町と町を移動する商人の護衛をしたりと、詰まる話が物騒ななんでも屋である。冒険者と言いつつも実際に未踏の地を冒険して宝を探すのはほんの一握りの話。
魔物が跋扈している世界ならではの職業であり、いかにもなファンタジー臭の溢れる職業でもある。
冒険者を知って真っ先にこの職業になると決めた。ファンタジーに魅せられた、という理由もあったがなにより他にできそうな仕事もなかったからだ。多少、こちらの世界の常識がなくとも通用する。人を相手にする商売だと、知らず知らずの内に失礼なことを言ってしまいそうでそれが怖かった。
しかし俺が冒険者になる話がこの場面でどう関係するというのか。
「そうか冒険者か……」
「ピッタリじゃないですか? ガントレット的にもユウキさんの実力的にも」
この場で話が繋がっていないのはどうやら俺だけのようだ。
助け船とばかりにキャロが再び口を開く。
「身体強化の魔法が使えるって言っても、それはガントレットありきの話。ガントレットなしで冒険者をやるのは無茶じゃないの?」
キャロの言うことは俺も考えていた。
一度、ガントレットなしでどれだけ戦えるかを試してみたことがある。ガントレットありで戦った場合は勝ちこそしないもののいい勝負はできていた。が、ガントレットなしの場合では惨敗である。
キャロの動きに目が追いつかずされるがまま。手加減された一撃でも簡単に吹っ飛んでしまった記憶がある。もちろん、避けないでもらって殴った一撃もまったく効いていなかった。
あるとないとでは体の動きが雲泥の差であったのだ。
そのことを忘れたわけではない。
「でもそれは……徐々に強くなっていこうかと……」
初めは使えなかった身体強化の魔法も使えるようになったのだ。実験を続けるに従ってその出力も上がったということは、段々の魔法の使い方を覚えたということ。
冒険者をやりながら強くなる、という話もあながち無茶ではないと考えていた。
「まぁ……そんなストイックな姿勢も嫌いじゃないけど……」
シルヴィアの言葉。
言外にそれでは現実的ではない、と言いたいのだ。
「アタシ達もボランティアでユウキさんに貸すわけじゃなくてさ、ガントレットをどんどん使ってもらってデータが欲しいんだよ」
「でもデータは十分取ったんじゃ……」
「ユウキ。言わせないでよ」
隣のキャロは呆れた様子で、向かいのシルヴィアは少し恥ずかしそうに。そしてアジールは表情から感情が読み取れない。
そのアジールが、
「……つまり、私達から君への餞別というわけだよ」
諦めたように言い、ようやく理解した。
俺の異世界での生活を案じ、冒険者として身を立てられるように、ガントレットを貸し出すのだ。わざわざ実験のためと理由をつけて。
実験の結果を報告する、という白々しいやり取りもこのための布石か。
言われるまで気づかなかったのが少し恥ずかしい。
それを理解した今、断る理由はなかった。
「ありがとうございます。ありがたく使わせていただきます」
「ホントに失くさないでよ? それとたまにでいいからアタシの所に来てメンテナンスを受けること」
シルヴィアが念を押し、ようやくガントレットを手にする。
これまでの実験の日々によって俺の体の一部のようになっていたガントレットである。
単純な価値よりも、こうして餞別として贈られた以上、失くすわけにいかなくなった。
「では、ユウキ君に今後どうするか聞こうと思っていたが冒険者になるんだな?」
「自分の世界にはなかった職業ですし、せっかくなら色々見て回れる冒険者がいいかと思いまして……」
冒険者は依頼を受けて報酬を得る、という形態のお陰で一所に留まる必要はない。同じ町を拠点している冒険者もいれば、気の向くままに色々な町を巡る冒険者もいる、とのキャロの話である。
異世界を見て回るならこれ以上の仕事はない。
魔物と戦うにしてもガントレットがあれば心強い。
「なにかあれば我々を頼ると良い。私もキャロも大抵はここで仕事をしているからな」
「心強いです。ありがとうございます」
頼りっぱなしではいられないが、それでもこちらの世界でも知り合いをこうして作れたのは幸運だったろう。
最初にチンピラに絡まれこそしたが、災い転じて福と成す、といった感じである。
意識していなかったがアジールは国の研究機関のトップである。そのアジールとコネがあるのはこの国においてどれほどの力になるか。
これからの異世界生活が明るくなったような思いだ。
「君の健闘を祈るよ」
「大丈夫だと思うけど気をつけてね」
「メンテナンスのこと忘れないでよね」
アジール達にはアジール達の旨みがあって俺に手を貸してくれた。それをわかっていても、最初に出会った人達がこの人達でよかった。心からそう思える。