第4話
キャロの言葉を聞き、アジールの耳がピクリと動いた。そして黙り、しばし考え込む。
沈黙がとても恐ろしかった。キャロはニコニコと笑っているだけでなにも話さないし、アジールは深く考え込んでいる。
シルヴィアという人がどういう人物なのかも説明されない。名前の響きからして女性なのだろうが、あだから安心できるかと言えばまったくそんなことはない。
そろそろどんな話がされているのか尋ねようと口を開きかけた時、
「よし。シルヴィアに連絡をしよう」
すでに俺自身がどうこうできる地点から離れているように思えた。俺への確認すらなく、黙って従うほかない。
半ば諦めた心地で外の風景を眺める。
石造りだろうか。家々がどこまでも続き、相当広い町であるのが想像できた。小さく城壁のような物が見えるが、あれが町を囲う城壁であるならば、なにかから町を守っているのだろう。ファンタジーの世界であれば魔物だと相場が決まっている。しかし広い。
大きな鳥が飛んでいた。空飛ぶ魔物に対してはどんな対策を講じているのか。きっとどうにかするのだろう。
町を二分するように線路が走っている。その時ちょうど、紫色の煙を吐きながら列車が通って行く。上空まで昇った煙はやがてキラキラと輝きながら霧散していく。少なくとも列車がある程度には文明も進んでいるらしい。
エレベーターもあったことだし、勝手に文明が遅れているイメージを持っていたのは申し訳ない。今の内に修正しておく。元の世界の基準と同じように考えていいだろう。
紫色の煙については気になるが。
「ユウキ、大丈夫?」
キャロに声をかけられて現実に戻る。
「話がついたよ」
「で、その話っていうのはなんなんだ?」
「……あれ? 話してなかったっけ?」
ため息を吐いたのは俺だけでなかった。アジールに関しては頭まで抱えている。
「お前は思いついたことをすぐ行動に移すのと、自分の中で完結して説明をしない癖を直せ。とりあえず、君はそこに座りなさい」
ため息交じりに促されてソファに腰を下ろす。隣にキャロ。向かいにアジールが座る。
席を立ったアジールは俺よりも頭二つ分くらい背が高く、キャロが三人分か。
「まず、君がこことは別の世界から来たという話を一先ず信じよう」
「そうですか……ありがとうございます」
胸を撫で下ろす。
これを信じてもらえなければ話が進まないし、俺としても今後を左右するような切実な問題だったのでまずは一安心である。
嘘つきだと断じられて外に放り出されても、右も左もわからないこの世界では野垂れ死ぬだけである。その心配はなくなったと思っていいだろう。
「それでユウキ君に頼みたいことが二つあるんだ」
さっきまでは一つだけだったはずだが、いつの間にか増えていた。
それでもうなずく。
「まず一つ目が、なにも難しいことではないが、君の元々暮らしていた世界とこちらの世界、その相違点を教えて欲しいんだ」
「違い、ですか……」
「そうだ。とりあえずはなにか思いつくかな?」
「そうですね……。俺のいた世界には獣人もいないし魔法もなかった、って所でしょうか」
わかりやすい相違点だった。
それがあったからこそすぐにここが異世界だと確信できたのだ。
もしも獣人も魔法も目にしていなければ、地球のどこかの国に飛ばされたと考えただろう。もしかすると、言葉も通じたせいで日本だと信じていたかもしれない。
「そういえば……なんで言葉が通じるんだろう?」
俺の言葉に、アジールとキャロが揃って首を傾げる。
言葉が通じることを俺と同じように疑問に感じている、というよりはむしろ、言葉が通じることを疑問に感じている俺のことを不思議に思っているような感覚だ。
言葉の壁という物がないのだろうか。
「なんて言ったらいいのかな……。俺のいた世界では国ごとに違う言語が使われてて、別の国に行ったら言葉は通じないのが普通だから……」
「言葉――言語は一つしかないと思ってたからなぁ……。あっ、ホウシァ・ネネと話す時の感覚かな?」
「私達の言葉とユウキ君の使う言葉がたまたま同じ、ってこともないだろうが……」
二人の研究者らしい一面を見て、ちゃんと頭がいいんだと実感する。すぐにあれこれと議論をする姿――特にキャロ――は新鮮だった。
「……別の世界から来た人間というのは初めてだからな。こんな風に様々なことがわかるんだ。だから定期的にそういった気づきを報告して欲しい」
言語についての議論も結局は納得のいくように収まらず、アジールは仕切り直す。
そしてデスクの引き出しから手の平に収まる小袋を取り出すと、アジールは俺の前に置いた。金属が触れ合うような音が聞こえた。
「これは協力してくれるお礼だ。今後も、報告をくれる度に多くはないが謝礼は出そう」
一言断ってから袋の中身を手に出してみる。
袋に入っていたのは金貨が一枚と銀貨が五枚であった。きっとこちらの世界のお金だろう。枚数は少ないのにズッシリと重たい。
見ると、それぞれ違った人物の横顔が描かれている。どこもお金のデザインは似ているのか。
隣のキャロが小さく「おぉ」と漏らしたので、けっこうな額だと予想できる。
「最初だからな。ユウキ君の今後も考えて色は付けておいた」
「それにしても多くない?」
「……いくらくらいなんだ?」
あまりに多いようなら俺だって遠慮したい。それに見合う働きができるかわからないからだ。特に今回はちょろっと俺の疑問を話しただけだ。精々がお昼ご飯一回くらいか。
上手い例えがすぐに思いつかないのか、キャロは頭を悩ませる。
「金貨一枚あればしばらく食べる物には困らないかな」
「なっ!?」
抽象的ではあるが、今の俺には手に余る金額だというのはわかった。
本当に受け取っていいのか悩んだが、キャロに促されて結局、ポケットの中にしまう。
アジールの好意だと思えば、俺も働きでそれに返せばいいだけである。これは異世界も純粋に楽しんではいられない。
「このことについては協力してくれるかな?」
「はい。これくらいでよければ全然大丈夫です。それでもう一つの頼みというのは……」
「今開発している魔道具の実験に協力して欲しくてな」
実験、と聞いて頭の中にはろくなイメージが湧いて来なかった。自分の体がおかしな風に改造されてしまうのではないか、そう思うと震える。。忘れていた想像が蘇る。
こちらの世界の違いを説明する、なんてことに比べたら二の足を踏んでしまうのは確かであった。
「謝礼については……実験が終わるまでの衣食住の保証、でどうだろうか」
今日明日で終わるような実験でないとわかり、更に尻込みする。
しかし右も左もわからぬこの世界で、食べることと住む場所に困らないのは魅力的でもあった。今はまだ元の世界に戻る、だとかは考えられていないが、いずれそうなった時のことを考えて――アジールからの一つ目の頼まれ事もあり――こちらの世界については腰を据えて調べていった方がいいだろう。
そういう意味でも生活が保障されているのは美味しい。魅力的だ。
しかし、
「実験の内容にもよるんじゃないかな?」
キャロの一言に尽きた。
これで変な薬を飲んでくれ、なんて頼まれたら固辞するだろう。後は資料として指の一本や内蔵をくれとか言われても困る。
「確かにそれもそうだったな」
どうしたものかと悩んでいた俺に対する助け船であったろうが、キャロにとっては余計な一言だったかもしれない。
「ではキャロ、ユウキ君をシルヴィアの所まで案内してあげてくれ」
あからさまに面倒くさがっているのは、表情からありありと伝わって来た。