第3話
「ふーん。じゃあ本当に別の世界から来たみたいだね」
検査のための施設に向かう道すがらで、俺のことを助けてくれた獣人――キャロット・カロットにすべてを打ち明けた。
獣人も魔法も初めて見たこと。気がついたらあの市場にいたこと。そしてついでにチンピラ二人の愚痴までも。キャロットはそれを馬鹿にすることもなく最後まで聞いてくれた。
特に治安が悪い場所でもなさそうなので、あの二人に関してはそれこそ野良犬に噛まれたようなものだと思って忘れるしかないだろう。
「キャロはこの話を信じてくれるんだな」
「七割方ね。でももう少し、ユウキの言葉以外での根拠が欲しいかな」
そんなことを言われても示せる根拠を持っているわけがない。
まさか俺のいた世界に連れて行くなんてことができるはずもなく、七割方信じてもらえているならそで十分だろう。
話しながら、キャロとはすっかり打ち解けていた。少なくとも愛称で呼ぶくらいには。
このキャロが実は二十五歳で、俺よりもずいぶん年上だという事実を知った時、獣人を見た時以上に驚いたのは言うまでもない。
この体格はラッタ種という獣人特有の物らしい。そういう情報を聞く度にやはり、ここが異世界なのだと強く実感する。他にもいくつか獣人はいるらしく――もちろん、エルフやドワーフも――俺みたいな人間のことはこちらの世界ではヒト種と呼ぶらしい。
キャロからの質問も間に挟みつつ、説明しながら歩いているうちに目的地に着いたようだ。
漢字の山を思わせるようなデザインの建物である。
端と端の棟を移動するのに一階まで降りなくてはならないのが不便で、端っこの棟を倒したらそのままドミノ倒しになりそうだ。しかしその心配は俺がすることではない。
この建物は、キャロの職場であるマエリファーナ国立魔法研究局。このマエリファーナという国の発展のために魔法を研究する、いわゆる軍事施設であった。そしてキャロはここの研究員と軍人とを兼ねている。
その情報にもまた驚きである。話し方からして、キャロは研究員に見えなかった。
最初は病院を目指していたのだが、俺が異世界から来たと知るや行き先を変更してこの場所になった。そんな経緯、そして研究という言葉のイメージがイメージなだけに、少々嫌な予感がしている。
研究の名目でなにをされるかわかったものではない。だが虎穴であったとしても、それ以外に道が見つからないのであれば飛び込むしかなかった。ここで「やっぱり止めた」なんて言っても路頭に迷うだけで、それよりはいくらもマシである。
中は軍事施設と言うよりは大企業のオフィスの様な雰囲気だった。
広いロビーに受付があり、その奥にならんだ三つのエレベーター。しかし人通りは少なく、その数少ない人達もどこかピリついた空気を醸していた。
軍人だからか、それとも研究員だからか。
異世界にもエレベーターがあったことに驚きつつ、右端のそれに乗って移動する。
「身体検査くらいだから安心してよ」
キャロの言う通り、本当に身体検査だけで終わった。
身構えていただけに拍子抜けだ。異世界の身体検査だからなにか見たこともない道具や魔法を使うのかとも思えばそういうわけでもなく、怪しいことをされた雰囲気もない。
ただ、検査結果を見ながらキャロが難しい顔をしていることだけが不安の種だ。
「どっか悪いのか?」
検査の過程でなにか重大な病気でも見つかったのだろうか。さっきとは不安の意味が変わる。
「そういうわけじゃないよ。ただ、うーん……」
歯切れが悪かった。
これ以上急かしたところで、キャロの中で答えが出るまでは意味のある言葉は返って来ないと悟り、大人しく待つ。
「うん。局長に会いに行こうか」
実際には五分くらいだろうが、待っているだけの俺には一時間くらいにも感じられた。
キャロが結論を出した時、俺は待っている間に救急セットを借りて傷の手当てをしているところであった。
たまたま部屋にあるのを見つけて拝借したのだが、今度はこれが終わるまでキャロを待たせるはめになってしまった。急いで終わらせる。
誇れることではないが、喧嘩する度に自分で処置していたのでこれくらいはは朝飯前だ。
「その局長とやらに会ってどうするんだ?」
「ユウキが異世界から来た、っていうのはほぼほぼ確信しているからね。この後どうしようかの相談」
この後どうしようか。
まさか新薬の実験体として薬漬けの毎日か。新兵器の試し撃ち。異世界人はめずらしいのでバラバラに解剖されてしまうとか。
黒い想像のせいで体中から汗が噴き出る。
「俺、どうなるんだ?」
「大丈夫。悪いようにはしないから」
笑いかけられても安心できなかった。むしろそれが悪魔の笑みにすら見えてくる。
エレベーターは真ん中の棟に移動し――左右移動する仕組みになっていた――そのまま最上階まで上がる。
局長だけあって一番高い所にいるのだろう。
移動している間はまさに、死刑台に上がらされているかのような心地で、話しかけてくれるキャロにも「うん」とか「ああ」とか、曖昧なことしか返せなかった。
俺がなにを心配しているかも伝わったようでキャロには「僕のことをなんだと思ってるの?」と苦笑いしながら聞かれてしまう始末だ。
まさかマッドサイエンティスト、と答えるわけにもいくまい。
ようやくエレベーターが泊まり、扉が開くと短い廊下が一本。その先に扉が一つあるだけだった。
「まさか最上階丸ごと局長の部屋なのか?」
「そのまさかだよ」
肩書きだけでは想像できなかった権力の大きさに驚きつつ、キャロに付いて廊下を進む。
このフロアでなにがあったとしてもキャロとその局長以外にはわからないだろう。
俺の思考はすっかり悪い妄想に支配されていた。なんとかそれを笑い飛ばして頭から追い出す。
キャロの足取りは軽く、俺の足取りは重い。身長の関係で歩幅は違えど歩く速度は丁度良くなっていた。
廊下を進み、扉の前には一つの人影が。気配が極端に薄く、近くに来るまでそこに人がいることに気づかなかったのだ。
扉の先に誰も行かせないように仁王立ちしている。
「ここの門番なの。男か女か、大人か子供かもわからないし喋ってもくれないんだよね」
キャロがそう言っている間も、まるでその話が聞こえていないかのように、門番は身動き一つしなかった。
身長ほどもありそうな刀身の太刀を携えている。こんな狭い廊下では扱いにくそうだが、どうやって戦うのだろうか。それとも威嚇のためだけに持っているのか。
「局長に会いたいんだけど、いるかな?」
アポくらい取っておけ、と門番が思ったかは定かではない。が、少なくとも俺は心の中で叫んでいた。そして同時に「不在であれ」とも。
どうやら中にいるのか、門番が横に逸れた。
「ありがと」
すれ違う瞬間、門番が微かにうなずいたように見えたが、気のせいだったかもしれない。
扉を開けたキャロに続く。
ワンフロア丸ごと部屋にしている割りには狭かったが、それでも学校の教室の二倍くらいはある広い部屋だ。
その中心よりも奥。一面ガラス張りになった窓だか壁だかわからない方に背を向けて、デスクが置いてある。そこに着いている男が一人。キャロの言う局長だろう。扉から入って右側には大量の本が収まった本棚が壁一面に並び、左側には扉が一つ。人と話すためか、ソファとテーブルがデスクの手前に置いてある。
どことなく張り詰めた空気が漂っており、二の足を踏む。
しかしキャロはなんでもないように進んだので、それに付いて行くしかなかった。
昔から偉い人に会うのは必要以上に緊張してしまう質で、しかも今回の相手は校長先生なんかよりももっと偉い大人だろう。正直、吐きそうだった。
そのせいで俯いてしまい、正面から顔を見ることができていない。
「局長、お疲れ様です」
親しげに話しかけるキャロ。
一国の研究機関のトップに、そこの職員とはいえ易々と話しかける。そのマイペースさに当事者でもないのに胃が痛むような思いだ。なにか粗相をしでかすのではないかと。
今のところ俺に対する局長の印象はキャロ次第である。頼むから下手なことはしないで欲しい。
「久しぶりだな。最近は大人しいと思ったらなにか問題でも連れて来たか」
腹に響くようなバリトンボイスだった。
男としてはこんな声に憧れるのだが、この時ばかりは重しのようにのしかかってきた。
「いやだな。そんなんじゃないですよ」
「めずらしいこともあるもんだ」
二人の間に笑いが起き、少し空気が軽くなった。
ここでようやく顔を上げることができて局長を見ると、研究局の局長という肩書きから想像していた体つきではなかった。もっと貧弱な体か、でっぷり太っている姿を想像していたのだが、目の前にいる人物は細身でありながら弱々しい雰囲気は感じさせない。きっと、キャロと同じように軍人と兼任しているのかもしれない。
そして目に付くのが、頭の上の犬のような耳だ。そう思うと顔つきもどことなく犬っぽくも見える。流石に口が突き出るほど犬らしくはないが、チラリと見えた歯は鋭く尖っていた。
ここでも獣人か、と心の中でため息を吐く。
これまで関わってきた中で自分と同じ普通の人間がチンピラ一人だけなので、普通の人間の立場が弱いのではないかと心配になってしまう。そしてついでに出会ってきた獣人が絡んできたチンピラと、マイペースなキャロ。あまりいい印象はない。
「この子はタイラ・ユウキっていう子」
「そうか。ここの局長を務めさせてもらっている、アジール・シーリングだ。よろしく」
「……よろしくお願いします。平有樹です」
見た目通りの力強さで握手を交わし、すぐにまたキャロへと向き直る。
「で、彼がどうかしたのか?」
「なんと驚くことに、ユウキは別の世界から来たんですよ!」
「……それがどうかしたか?」
数秒の間を置いて答えるアジール。
その間がどういう意味を持っていたのか気になって仕方がない。
「あれ? 反応悪いな……」
そう言いながらキャロは一枚の紙を渡す。
いったいなにが書いてある紙なのか。俺の身体検査の結果だろうが、こちらの世界にはない成分でも検出されたのか。
それを受け取ったアジールは、懐から眼鏡を取り出す。獣人の顔の形に合わせた形状の眼鏡である。書類に一通り目を通して、眼鏡はまたしまう。
「なるほど。魔力量が極端に低いな。これは間違ってないのか?」
「機械の故障でもなければね。興味出てきたでしょ?」
キャロの言葉に応える代わりにアジールは、俺の全身を隅から隅まで観察する。興味が出ているのだとすぐにわかる。
しかしその興味は研究対象として、だ。
居心地悪いことこの上ないが、逃げることはできない。
「このデータだけでは異世界から来たとは言い切れないだろう。ここに連れて来たからには他になにか目的があるんだろ?」」
「シルヴィアに頼んでるアレに協力してもらおうかと」
もう少しキャロの人柄がわかるようなエピソードを入れるべきだったかもしれぬ