表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/76

第1話


 その光景はパッと見た限りではなにかの市場のように見えた。


 数多もの屋台や商店が左右に軒を連ね、その店先で店主が威勢のよい声で呼び込みをしている。そしてそこを楽しそうに歩く人々。ご飯のおかずを求める主婦や、只者ではない雰囲気をまとった鎧の偉丈夫。厚手のローブに身を包んだ魔法使い風の女。

 通行に支障が出るほど人で溢れ返っているわけではないが、右を見ても左を見ても人、人、人。人波に酔ってしまいそうだ。


 それらが本当に人なのかどうかも定かではないのだが。


 祭りさながらの賑やかさはそれだけで心躍る。が、笑顔で歩く人々の真ん中で俺――平有樹は、頬をつねっていた。


「痛い……」


 想像していた通りの痛みが走る。その痛みはこれが夢の中でないのだと教えてくれる。念のために反対側の頬もつねってみるが、やはり変わらず痛いままだった。


 だからと言って現実だと受け入れられるわけでもないのだが。


 目が覚めたら、と言うよりは気がついたらここにいた。考え事をしながら歩いていたら知らない道に出ていた、なんて生温い話ではなく、本当に気がついたらこの場所に立っていたのだ。

 俺が気づかないほどの手際で眠らされでもしたのか。それにしては頭はスッキリしている。


「ドッキリ……はないか」


 正味五分ほどかけて出した答えがこれ。しかし自分がドッキリにかけられるような人間でないことは重々承知している。


 並みの偏差値の学校で真ん中よりも少し低いくらいの成績。ガタイはそれほど悪くない。喧嘩慣れしたお陰で鍛えられているのだ。顔は自己評価甘めで中の上だろう。特筆すべきことはなく、面白いリアクションが取れるとは自分でも思っていない。

 特徴らしい特徴と言えば鬼でも宿っているかという目つき、か。

 これのお陰でただ道を歩いているだけでも喧嘩を吹っかけられる人生であった。泣きたくなる。


「と、なると本当に……本当に異世界とか?」


 さっきから目にしていた光景はそうとしか言いようがない。

 道を歩く人々の犬耳、猫耳。角が生えた人もいる。全身魚のようにしっとりと濡れている人もいれば、は虫類のように鱗で覆われた人もいる。


 これが異世界でなければなんだというのか。これだけの数のエキストラを用意してまでドッキリにかけるほど、俺は上等な人間ではない。


 店に並んでいる品々も見たことがないような物ばかりであった。

 ケバケバしい色をした果物のような物。紫色の肉。角の生えた魚。肉に関しては食べられるのかどうかも怪しい。


 そんな物もまた、ここが異世界だと思わせる要因であった。


「あとは魔法でも見られれば完璧なんだがな」


 すでに半分、観光客気分である。自分が知らない世界に来たというのも忘れてしまいそうだ。それほどまでにあらゆる光景が新鮮であった。

 気がついてから体感で一時間ほどだろうか。邪魔にならないよう道の脇に立って行き交う人々を観察しているが、いつまで経っても興奮が冷めることはなかった。


「道行く獣人。見たこともない食材。武装した人々。いかにもファンタジーな外観をした建物。青い空!」


 すべてが目新しい。

 もう一度頬をつねるが、やはり痛い。夢が覚めないことに安堵している自分がいる。


「さて……どうしたらいいんだ?」


 散々、異世界感を堪能してようやく落ち着いた時、最初に襲いかかって来たのは不安感だった。

 ここが異世界なのはいいとしよう。それもまったく理解はできないのだが、そうとしか言いようがないので、俺は異世界にやって来たのだ。


 しかしなぜ? なんのために? どうして俺が?


 これがゲームなんかの世界であれば、最初になにをするべきか王様辺りが教えてくれるのでだが、町中に一人放り出されている。

 なにが目的でこの世界に飛ばされたのか、まったくわからない。


 元の世界に戻れるかどうかの不安よりも、なにもできず、なにをするべきかもわからず、このまま行き倒れるのではないかという不安が心を支配していた。


 とりあえず深呼吸をする。三度やってようやく気持ちは落ち着いた。


「とにかく現状を確認しよう……。そうしよう」


 なにをするにも現状の認識は大切である。


 気づいたらこの場所に立っていた。それより前の記憶はない。学校が終わって家に帰る途中だったはずだが、学校を出てから家に帰った記憶はない。通学路の途中の野良猫と遊んだっけか?

 学校から家までの最中にここに来たのかもしれないが、その瞬間の記憶はなかった。

 通学に使っていたカバンは手元にない。今あるのは、制服のポケットに入っていた携帯とお守り代わりのペニー硬貨。財布が手元に残っていないのは残念だったが、千円と数百円しか入っていない財布はそれほど頼りになる存在でもない。そもそも異世界で日本円が使えるとも思えない。


 携帯を開いてみるも、画面には圏外の文字が。試しに通話履歴に最後に残っていた友人にかけてみるも、電話がかかることすらせずに電子音が虚しく鳴るばかり。


「そりゃ当たり前か……」


 一時間前となにも状況は変わっていないのに、電話が通じないというだけで孤独感が増した。


 ここが異世界であるのは間違いないだろう。獣人の存在や気づいたらここにいた、なんて展開はそうとしか思えない。

 しかしライトノベルとかで見るような、世界滅亡の危機を救う勇者として召喚されたわけではなさそうだ。それにしてはアフターケアができていなさ過ぎる。

 気紛れに異世界に飛ばし、後は自由にしていいよ、なんてとんだ運命もあったものだ。


 兎にも角にも情報収集のために町を見て回ろう。


 この場所は人が多くて騒がしく、考え事をするには向かない。元々考え事をするのに向いていない頭だと言うのはナシである。


 さて、これからどうするべきか。さっきからこの問いばかりが頭を巡る。


 屋台の店主が客を呼び込む「今朝採れたばかりだよ!」という声は聞き取れたので、きっと言葉は通じるのだろう。それがわかって一安心。

 で、あれば、どこかで働かせてもらって生計を立てるのが堅実だろうか。


 なんとなく大学に進むものだと思っていたので、いきなり社会――それも異世界の――に放り出されるのに不安がないかと言えば嘘である。しかしそんなことも言っていられないだろう。


 実を言うと何度もこの考えに行き着いてはいたが、その度に却下していた。


「……それじゃ面白くないもんな!」


 何度も浮かんだ考えをまた却下する。

 せっかく異世界に来たのだ。楽しまなければ損である。異世界に飛ばされて最初にするのが生活の安定、だなんてつまらなさすぎて俺が客ならブーイングだ。


 異世界には夢がある。

 見たこともない獣人。まだ目にしていないがきっとある魔法。魔物との命を賭けた熱いバトル。美人なお姫様。

 男の子なら誰しもが憧れた世界にいるのに、元の世界で暮らしていたのと変わらないようじゃ意味がない。異世界を楽しむのは転生者の義務である。


 とは思うがやはり命には代えられない。

 喧嘩ができるだけの俺が魔物と戦うなんて無茶だ。

 ただ、働くにしてもせめてファンタジーっぽい職業に就ければ、とキョロキョロしているうちに、ずいぶんと寂れた場所に出ていた。


 人が行き交う市場からそれほど離れていないのに、ガラリと雰囲気が変わっている。

 昔、海外旅行の時に誤って迷い込んだスラムと同じような空気だ。


「いやぁ、あの時は参ったね。いきなり英語で絡まれて……!」


 今では笑い話となった海外で九死に一生を得た話。それの顛末を思い返しているとなにかにぶつかった。


 顔を上げると、男が二人立っている。こちらの不注意であった。


 ぶつからなかった方は獣人でない普通の男。短髪と筋肉質の腕が特徴的だ。こちらをジッと睨んでいる。

 睨まれるのは慣れっこなだけに「どこの世界でもこういう人はいるんだな」と、安心感まで得られてしまう。


 そしてぶつかった方はと言うと、ネコの獣人だろうか。頭の上に三角形の耳がついている。美少女にあればかわいらしいのだが、ボサボサに伸ばされた髪と合わさると、ライオンのような凄みがあった。まったく萌えない。

 すでに怒っているのだろうか。獣人の方はヒクヒクと口角が上がり、鋭い牙がチラついている。


「昔を思い出すな……」


 それが悪い意味であることは言うまでもない。

 異世界での最初のコミュニケーションは最悪の始まり方だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] この辺は逆にリアリティがありますね。 こちらでもよろしくお願いします。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ