きっとどこかにある私
私は私が分からない。
時々、私という存在が疑わしくなる。
私とは何なのだろう。
この、ろくに操れてもいない身体のどこからが私で、どこまでが私なのだろう
美容室で切った、あの、床に無造作に放り投げられた髪の毛も、私なんだろうか
昨日、切った爪も、今頃はごみ収集車に巻き込まれているのも、あるいは私なんだろうか
時々、私の私以外の部分について考えたりする。
もしも、私の腕がスパッと切り離されたなら、どっちが私なんだろう。
もしも、私が上半身と下半身に分かたれたなら、どっちが私なんだろう。
もしも、私の頭をかち割って、脳みそをズルズルと吸い出したなら、私は私のままなんだろうか
そうやって、私自身の私以外について考えてみる。
私は私が分からなくなる。
分からないまま、私は、私自身の中の、きっとどこかに私があると思い込んで生きている。