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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕はそれを『バーコード』と呼ぶ。

作者: 真瀬

 人間にも消費期限がある。――と、僕は思う。


 本来死ぬはずの人間が、死の運命から逃れようと抗うサスペンスホラー映画をご存知だろうか?


 電車の中、乗客の年齢を次々と言い当て、実は見えているのはその人の死ぬ年齢、という話はご存知だろうか?


 あれらと同じような目に、僕自身が何度も遭遇している――と言ったなら、信じてもらえるだろうか?



 ホクロと同じ。気に留めなければ見逃すようなもの。けれど、いつでも僕には見えている数字がある。


 それも、人の体のどこかに大小様々な形でそれは、表れる。


 僕は、それのことを『バーコード』と呼ぶ。



 気付けば、いつも見えていた。だから、気に留めなかった。


 じいちゃん子な僕が、未就学児くらいの幼い時。じいちゃんが腕を上げると、半袖シャツの隙間からその数字が見えた。


 その時見たそれは、バーコードのように見えた。


 高い位置にある神棚をいじってたんだと思う。だから、気付かないような位置にあったそれに気付くことができた。


 気付いて、なんだろう…と目を凝らしても、その時はただのバーコードにしか見えなかった。


「じいちゃん、なんかついてる」


「ん?なんもないぞ」


 ぱぱっと払う素振りをしても、何も取れなかった。


 じいちゃんは忙しそうで、僕は大人しい子供だったから、ついてたって!と言って、確認しようともしないで、気のせいだったのかな?と、確かに見たのに不思議に思いながらも、そのままにしたんだ。


 何日か経つと、じいちゃんの太腿に、その数字が前より大きく表れた。今度は、見間違い、とは言えないくらいはっきりと。


「ねぇ、じいちゃん」


「なんね?」


「なんか()()()あるよ?」


「なんも書かれとりゃせん。気にするな」


 そう、じいちゃんは言って、相手にしてくれなかった。


 僕は気付いた。何かがくっついてるわけじゃない。

 じいちゃんの体に書き込まれてるみたいだった。



 日に日にデカくなるバーコード。




『2018/09/26 19:12:20』




 見た目はまるでバーコードそのものの時もあれば、数字が絡まって糸くずのように見える時もある。


 じいちゃんが死んだ日。顔のど真ん中に、しっかり読み取れる大きさと形でそれは表れた。


 僕は不思議で、じいちゃんに何度も聞いた。


「ねぇ、じいちゃん。腕のそれなに?」

「じいちゃんじいちゃん、太腿に今度はあるよ」


「じいちゃん、顔のやつなぁに?」


 じいちゃんは、わかってたんだと思う。僕が見えてちゃいけないものを見て、話してることを。子供が話す戯言、と聞き流さずに僕の身を案じながら死んだ。


壮大(そうた)、なんねぇ。それについては今後触れるな。――絶対、誰にも言うな。わかったか?」


 じいちゃんの顔は真剣だった。うるさくいっぱい聞いたのがいけなかったのかと、幼い頃の僕は、優しいじいちゃんの厳しい目にショックを受けただけだったけど、なんとなく、言っちゃいけないというのだけは感じてた。


 土砂崩れがその日起きた。


 じいちゃんは土砂に巻き込まれて生き埋めになって、そのまま死んでしまった。僕を置いて。



 じいちゃんが死んで、母さんと暮らすようになった。元々、僕のことはいらなかった母さんだから、あまり家にいなかった。


 ずっとじいちゃんと、じいちゃんの家で暮らしてた。


 土砂崩れでもう、家はなくなった。


 母さんと一緒に小さなアパートで暮らし始めた。


 母さんは、美人だった。けど、毒々しい女だった。


 きつい香水の臭いと、真っ赤な唇。目が怖かった。


 男に相手にされなくて、日に日に病んでく母さんを幼い僕は、心配で、それでいて怖かったのを覚えている。


 手を上げたりされるわけじゃない。空気のように僕が見えてない母さんだった。


 たまに、機嫌がよくて気が向いた時、戯れのように僕を可愛がる。

 お酒の臭いがその時はした。それでも、優しい時もあった母さん。


 じいちゃんのように、いつかいなくなると漠然と思っていて、母さんがいなくなるのが怖かった。


 何がそんなに不安なのかもわからなくて、当時の幼い僕は、とても、恐ろしく感じていたと思う。



 母さんの目の中に、バーコードが見える時はいつも絡まって見えて、読めなかった。


 僕を見ているようで、僕を映していない目。

 僕から見ても、母さんの目じゃなくて、バーコードが見えていて。

 お互いが、お互いを見ているのに見えていない。


 そういう時は、僕は透明人間になった。



 母さんが泣いていて、うなじのところにバーコードが見えた時、減っていることに気付いた。


 どんどん、最近の日付けに近くなっていった。


 僕は、それまで不思議と自分の体にバーコードがあるのを見たことがなかった。


 でも、いよいよ、母さんの歯に並んだバーコードが、明日の日にちになっているのに気づいた時。


 母さんが笑いかけてくれて、頭を撫でた手を僕の肩に置いた時。


 母さんの手が置かれた僕の肩に、母さんのバーコードと同じ日付けが書かれた、僕自身の初めて見るバーコードを見つけてしまって固まった。


 透明人間にならなくちゃいけないのに。



 僕に、甘い薬を飲ませて出かけた母さん。

 明日、僕らは死ぬ。そう思った。


 怖くて、母さんもいなくて、行かないでと泣き叫びたくても朦朧としていて、床に吐瀉物を撒き散らすだけで、母さんを止められなかった。


 このまま目が開かないまま、死んでしまうんじゃないかと、そう思ったら怖くて悲しかった。


 口の中が酸っぱくて気持ち悪かった。床が僕の吐いたゲロで臭くて、涙が出た。



 目を覚ましたら、母さんが、恋人の男を連れて帰ってきてた。


 僕の姿を見て、母さんは怒ってた。


『あんたはどうして――!』


 色々、言ってたと思う。まだ、頭がはっきりしなくて、母さんが何を言ってるかはわからなかった。


 母さんに風呂場に連れてかれて、シャワーを浴びせられた。


 まだ、母さんは色々言っていて、僕の反応が鈍いのに苛立って、エスカレートして頬を叩かれた。


 透明になれなかったから。今日は失敗したからだ。


 怒られて怖かった。でも、それよりも、目の前の母さんの顔に、太くはっきり読み取れるバーコードが表れてることの方が、もっと怖かった。



 僕は――?鏡を見ても見えなかった。



 白けた男が、ゲロ臭い家から帰りたがって、母さんが必死に呼び止めていた。


 僕が吐いたから。母さんが突き飛ばされて、謝らなきゃと男に朦朧としたまま近寄った。



 それがいけなかった。


 僕は、吐瀉物の残り香で臭かった。


 意識の朦朧とした、吐いてたガキが近付いたら、どうなるかなんて一目瞭然で。なんで近付いたかな。そのガキが男の服を掴んだら、沸点の低そうな男の怒りの引き金を引くのには充分過ぎたはずだ。


 男に気付けば蹴られていた。全部吐ききってお腹の中が空っぽだった僕は、むせるだけで済んだけど、今まで経験したことない痛みに痙攣した。


 朦朧とした意識の中、母さん達を見た。母さんが髪を掴まれ、頬を男に叩かれて僕の吐いた吐瀉物のある床に突き飛ばされる光景を、実感のない、現実じゃないみたいに感じながら見ていた。


 母さんがわんわん泣いて、男が外に出ていった。



「おかあ…さ……ん」


 よろよろとした足取りで、必死に母さんに近付いた。


 目が、合った。



「あんたなんて、死んじゃえ」



 無感情な、抑揚のない声だった。声だけが耳に残っている。


 顔を塗り潰しすように見えているバーコードのせいで、母さんの表情はわからなかった。涙とゲロでグチャグチャで、バーコードがなくてもきっと酷い顔で、どんな表情かわからなかったと思うけど、最後にどんな顔で僕を見ていたのかもわからないままなのは、少し悲しい。


 ショックで、どっちにしろ覚えていなかったかもしれないけど。



 錯乱した母さんは、台所にある包丁を掴むと、ブンッ――と大きく振り回して、僕に切りつけた。


 倒れた僕に、母さんは覆い被さるように迫ってきた。


『――!!』


 髪の毛を振り乱して、荒い息。吐瀉物の臭い。母さんのキツい香水の臭いが混ざってツンとする臭いに包まれる。


 持ち上げられた、母さん右手に握られた刃物。


 もう、真っ黒な顔にしか見えない母さん。見上げても、僕を見下ろす母さんの顔が、わからない。


 目だけが、バーコードに塗り潰されないで、白く浮き出て見えた。


 嫌な臭いに、真っ赤な唇。怖い目。

 目の前のバーコード。



「あ…あがぁ…あぁ……!!」


 真っ黒な顔に浮かぶ目が怖くて、切りつけられた肩が痛くて、蹴られたお腹よりも痛くて、何か――あの目がこっちを見ないようにできる何かがないかとまさぐった手に当たった、転がってたお箸を夢中で掴んで、真っ黒な顔に浮かぶその目に、それを突き刺した。



『ぎゃあああああ――!!!』


 目を抑えて悶え苦しむ母さんから、僕は必死に距離を取ろうと床を這いつくばって移動した。



 ――バーコードの化け物が、僕を殺しに追いかけてくる。



『こ♯%b☆¥…ふz$℃?!し@&e――!!』


 恐ろしい金切り声を上げて、恐ろしい呪いの言葉を喚き散らして、癇癪のように突き刺された目を抑えながら刃物を振り回して――


 化け物が、バーコードが、僕に迫る。



 早く、早く早く早く――!




 バーコードの時間になれ、と僕は思ってた。


 それが、母さんの死を望むことになるのに。


 目の前のバーコードの化け物が死ぬのを、願ってた。


 目の前のバーコードの化け物が、母さんなのに。



 最後に聞いた母さんが僕に浴びせた言葉達。

 なんて言葉だったんだろう。


 支離滅裂だったかもしれないけど、あれが最後の言葉だから。思い出したかった。


 どうしてか思い出せない。思い出せるのは、あの言葉だけだった。


『あんたなんて、死んじゃえ』




 僕は――死を免れた。なんでかはわからない。


 僕の日付けも、母さんと同じだったのに。それでも、病院で僕は目を覚ますことができたから。


 僕は限界だったみたいで、母さんに殺されかけてる中、最後まで抵抗できずにぶっ倒れて意識を失くしたらしかった。薬を大量に盛られ、男に蹴られ、母さんには切りつけられた。幼い僕が抵抗できたのが、奇跡だったと思う。


 標準体型より痩せ細った小学校低学年くらいの子供が、馬乗りになった大人に押さえ付けられては、ろくな抵抗もできないだろうから。


 反撃なんて、できようはずもない状況と言えただろう。――本来ならば、死んでいないとおかしい状況。


 母親に切りつけられたという恐怖を感じてはいなかった。ただ、バーコードに塗り潰された目だけがはっきりわかる、恐ろしい化け物を遠ざけたくて。夢中だったんだと思う。


 あのまま、動けないまま滅多刺しにされていても、おかしくなかっただろう。


 抵抗できたのは、突然の死の危険に混乱して反応できないはずの僕が、死をわかっていたからかもしれない。僕にとって、あの時の死の危機は、予測できるもの。僕にとっての必然だったから。


 バーコードが、いつも知らしてきていた。

 人の命の有効期限。魂の消費期限を。


 僕の消費期限は過ぎてしまった。けれど、生きている。なぜ生きてるのかわからない。

 あれから僕は、僕のバーコードを見ていない。



 母さんは死んだ。目も潰れて血溜まりの中意識を失った僕を見て、絶望したのか…包丁で首を刺して、自殺した。


 無理心中として処理され、僕は施設で育った。


 目を刺したことは、何も言われなかった。


 何も。


 顔が真っ黒に見えたりするのは、心の病気と判断された。幻覚だと。本当に幻覚ならいいのに。



 僕の周りでは、死が身近だった。


 周りの人達が死ぬ。僕は、死神なのかもしれない。僕が、バーコードを読み取れるのは、僕が死神だから。周りで人がよく死ぬのは、僕がいるから。


 死を、撒き散らしてるのは、僕なのかもしれない。


 バーコードが見えているんじゃなくて、バーコードを僕の傍にいる人達が、僕のせいで書き込まれたのかもしれない。



 僕の育った施設も、今はない。


 保育士資格を持ったお姉さんが、赤ちゃんを殺してしまった。


 赤ちゃんを死なせた責任を問われた施設長が、自殺した。


 赤ちゃんを失った母親が、施設に火を付けた。

 子供が8人も死んだ。


 火を付けた母親は、おそらくまだ生きている。死刑執行の日を誰よりも早く知った。



 僕はお姉さんが好きだった。誰よりも優しくて、何より死期が遠かった。バーコードの存在を忘れるくらいに。


 子供ばっかりの環境だと、そんなにバーコードは目立たない。たぶん、死期が遠いから。ホクロを気にしないのと同じで、バーコードが小さくて見えないしどれがそうなのかもわからない。


 施設の環境は僕にとってバーコードの存在を忘れさせてくれる、じいちゃんが死んでからやっと平穏な日常を送れる幸せな一時だった。



 僕が、壊した。死を運んだ。


 だって、バーコードが見えてなかったのに、糸くずみたいだけど、解けかけた数字の塊をある日、突然お姉さんのくるぶしにあるのに気付いて、見ちゃって、それから他の子供達にも日に日にそれがまた見え出して、そこからはあっという間だったから。



 みんな、僕とよく遊ぶ子だった。


 鬼ごっこでタッチした時、赤ちゃんを抱っこさせてもらった時、お姉さんに甘えた時――全部、僕が触れたところからだと思ったら、バーコードの発生源は僕なんだって、わかっちゃったから。



 僕の力は、たぶん僕が大きくなる程強くなる。僕が成長するのに合わせるように、バーコードが表れるのが早くなったから。


 手袋をするようになっても、強迫観念と思ってもらえた。触れなければ大丈夫と思っていた。


 施設を転々としたし、学校にはほとんど通わなかった。精神科施設にも入院した。



 人と触れるのが極端に怖くなって、殺してしまうと恐れて、僕は頭がおかしいと判断された。


 でも、頭がおかしいだけなら、こんなに死なないよね?



 僕を死神と虐めた子は、親に殴り殺された。

 気味悪がった看護師さんは、車に跳ねられて死んだ。


 僕を庇った優しい子は、病気で死んじゃった。

 初めて働いたバイト先の可愛がってくれた先輩は、バイク事故で死んでしまった。


 僕に悪意を向ける、好意を向ける。どちらも、相手を死なせてしまう。バーコードを植え付けてしまうことに気付いた。



 好きな子ができた。


 どうしても、触れたかった。


 でも、僕が触れるとバーコードが表れる。


 好意を返してもらったら、殺してしまう。


 嫌われても、死なせてしまう。



 僕は死のうと思った。



 優しい保育士資格を持ったお姉さんは、僕から離れてから結婚をした。子供も産まれたと手紙をくれた。


 ふと、きっと僕を思い出してくれたんだと思う。


 子供が産まれたことで、死なせた赤ちゃんのことや、業務上過失致死傷罪の罪に問われなかったこと、僕ら残された施設の子供達をバラバラにしたこと。


 きっと、繋がってしまった。僕はずっとお姉さんが好きなままだったから。お姉さんが想いを返してくれたから。


 赤ちゃんの父親は、赤ちゃんのお母さんをDVするようなろくでもない男だった。だから、赤ちゃんの死を嘆いてもいないような男が、お姉さんを見つけて脅迫してきたのは、きっと僕に連絡したせいなんじゃないかと思った。


 父親の男にお金を要求され、近隣住民には人殺しであることがバレ、夫に子供を取られ離婚して、何もかも失ったお姉さんは、最後は自殺したらしい。



 僕は、ずっと後からその事実を知った。



 だから、僕は屋上に立った。


 僕が、想いを寄せると彼女が死ぬ。


 もし、彼女が想いを返してくれたら――



 彼女にバーコードが表れるかもしれない。


 僕が好きになったせいで、彼女を死なせてしまうかもしれない。


 怖かった。


 きっと、母さんと一緒に死ぬべきだったんだ。


 あの映画のように、死の運命からは逃れられないのかもしれない。



 彼女にバーコードは表れていない。


 僕が好きになったのも、バーコードが表れないことに興味を惹き、表れなかったことへの安心感からかもしれない。



 彼女は変わり者だった。


 同じ精神科施設の患者だから。僕と同じでおかしいのかもしれない。


 彼女にバーコードが表れたら――


 そう思うだけで、僕は発狂してしまいそうだ。


 だから、僕は屋上にいる。



「どうして、避けるの?」



 彼女が、振り返れば彼女がいた。


 どうして?どうして、僕はバーコードが見えるのだろう。


 どうして、好きな子を避けないといけないのか。


 どうして、嫌いな人どころか好きな人まで死んでしまうのか。


 どうして、どうして僕なんだろう。



「私が嫌い?」


「ううん」


 好きだよ。


「じゃあ…私が、怖い?」


「いいや」


 君にバーコードが表れるのが怖いだけ。


「それなら、私が…苦手とか?」


「そんなことないよ」


 屋上に立つ僕を前に、ああでもないこうでもないと、理由を探すだけの彼女。


 状況を気にする様子はまるでない。


 どこかおかしい僕らは、きっと似た者同士。

 初めて会った時から、気が合うだろうなと、感じてた。



「なら、なんで?なんで避けるの?」


 なんで、避けないといけないのか。


 なんで、好きなのに。


 なんで、親しくなったら彼女が死ぬんだろう。


 なんで、僕なの?


 なんで、どうして。なんでなんでなんで?


 僕にはバーコードが見えるんだろう。



 僕が生きてるのが罪のように、見え続けるバーコード。


 彼女だけが、関わって長い時間を共に過しても、1度もバーコードが表れなかった唯一の人。


 彼女にまで、拒否されるのが怖い。


 バーコードを見る度に、生きてちゃいけないと言われているようで。


 僕が存在しちゃいけないと知らしめる為のようで。


 僕が関わったせいで死ぬんだと警告されているようで。


 彼女だけが、僕の救いだった。


 久しぶりに会っても、彼女にバーコードがないことが見てとれて。僕は泣きそうな気持ちになった。


 彼女にバーコードが表れたら、僕は本当に気が狂ってしまうだろう。


 だから、彼女にバーコードが表れる前に――


 僕は死のうと思った。



「泣いてるの…?」


 僕は、屋上に立っている。


 僕がここにいることに困惑はしないで、泣いてることを気にする彼女は、やはりどこかズレていると思う。

 そんな彼女にこんな状況下で思わず笑みを浮かべる僕も、大概おかしいとは思う。


 彼女に、バーコードが表れたら、僕は発狂するだろう。



「私は、好きよ」



 彼女に好意を返してもらったら――


 彼女は死ぬ。



「あなたのことが好きよ」



『あんたなんて、死んじゃえ』



 母さん。僕のことを好きだと言ってくれる人に出逢えたよ。


「……泣かないでよ」


 母さんが、好きな人が去って絶望して、泣いてグチャグチャになって真っ黒な顔でわからなかった顔。


 きっと今、僕は同じ表情をしてるんだと思う。


 じいちゃんが死んだ時も、悲しかった。

 だけど、こんなにも身がよじれる程の悲しみじゃなかった。


 母さんが死んだ時も、心が痛かった。

 だけど、こんなにも気が狂いそうな胸の痛みじゃなかった。


 僕は、屋上から飛び降りた。


 彼女に表れるだろうバーコードを、見たくなくて。









 マットの上で曇り空を見上げ、僕は思う。


 僕の心はこの時死んだのだと。


 目の前で僕が飛び降りたことで彼女が取り乱すかもしれないとか、死ねなかったことに絶望したりだとか、この時は何も感じなかった。何も。


 精神科施設では、屋上に行くことを患者に禁止している。自殺防止のネットもある。管理は杜撰で、柵もない、ネットも敗れて機能していないような状態だったのに。僕は脳味噌をぶちまけることもなく、ネットの上に落ちただけだった。


 彼女が、なぜあのタイミングで屋上に来て、僕に話しかけたのかがわかった。




 彼女と恋人になった。


 彼女に、バーコードは表れない。


 僕は、手袋を外した。満員電車にも乗る。

 同僚の肩を気軽に叩く。お世話になった施設の方に、笑顔で握手をした。


 好意を向ける。好意を返してもらったら、笑顔で応える。


 親しい友ができた。優しい同僚、先輩。

 仕事をし、彼女が待つ家へと帰る日々。


 じいちゃんと過ごした日々のように。

 一時でも平穏な幸せな暮らしを味わえた、施設の時のような幸せな日々。


 僕はもう大丈夫。彼女がいてくれるから。




 今日も、僕に笑顔で接してくれる人の体に見える、バーコード。


 僕の周りの人達には、相も変わらずバーコードが見えたまま。


 彼女には、表れない。



 僕の心は死んだ。僕は、僕の幸せを選んだ。

 バーコードは、僕にしか見えていないのだから。




 彼女と結婚した。


 相変わらず、僕の周りでは死が身近だ。


 僕は、母さんが死んだあの時、死ぬはずだった。そう思う。

 周りに僕の死を、移してるんだろう。


 母さんが死んだあの時から、僕は僕自身のバーコードを見ていない。



 彼女が妊娠した。彼女よりも、先に僕はそれを知った。


 なぜ、彼女にはバーコードが表れないのか、わからなかった。


 彼女が何かを目で追うように、僕の手を、ある日は足を見る。


 日に日に、情緒不安定になる彼女。


 僕を見て、じいちゃんは今のように思ったんだろうと思う。


 日々、感謝しながら僕は子供が産まれるのを待ち望んだ。



 臨月になった。彼女は僕の唇を凝視して、正気を失ったような様子で見続けた。


 至近距離で、僕の唇を見て、触れる彼女。


 僕は、彼女の目を見続ける。


 動きが止まった彼女に、僕は彼女の指を握り、唇を見続ける彼女へキスをする。


 目を閉じない彼女に思わず笑う。


 何度も、何度も。彼女が見続ける唇で、彼女にキスをした。



 陣痛が始まった。


 病院で、彼女は僕の顔を見続けた。


 何度も、僕の頬を撫でる彼女。


 僕も、彼女を気遣いお返しに頬を撫で、頭を撫でる。


 お腹を抑えて首を振って泣く彼女。


「ああ……ああああ!!」


「大丈夫。無事産まれるよ」


 彼女の手を握り、無事産まれるのを祈る。


「いやだ……(そう)ちゃん」


 陣痛の合間、少し痛みが引く。その間隔が短くなってきていた。


「死なないでぇ…」



 僕は、母さんが死んだ時以来、僕自身のバーコードは見ていない。


 彼女の目に映る、逆さのバーコード。


 バーコードは、濃さも形も大きさも、様々だ。


 だけど、必ず数字の向きだけは変わらなかった。


 正面から読めるまま。重なっていたり、歪であったり、糸くずのようではあっても――ひっくり返っていることはなかった。


 彼女の瞳に映るバーコード。彼女が見ている世界。


 僕には、彼女のバーコードは今も見えていない。



 子供が産まれた。産声をあげずに。


 すぐに赤ちゃんの鼻や口に詰まった羊水を吸い出そうと処置がされる。


 はっきり見える。僕の子に表れているバーコード。



 でも、大丈夫。僕は知っている。


 子供は生きる。死ぬのは()()


「行っちゃダメ――」



 僕は、分娩室から飛び出して外へと走る。


 子供が死産だったと知って、元々精神的におかしかった父親が突発的に自殺したとでも、思ってもらえるだろうか。


 子供が産まれてすぐに死ななきゃいけないとは、とんだ罰だと思ったけど、子供を助ける為に死ぬのなら、僕が生きていた意味には充分過ぎる理由だと思う。


 産まれてはいけない子供。

 僕は死んでいないといけない存在。

 ()()子供がこの世に誕生するのは、運命を捻じ曲げることになるのかもしれない。


 奇跡をもう一度。


 ただ、頭がおかしいだけなのなら、子供がどうなるのかはわからない。


 でも、彼女の目を見た。目にあるバーコード。

 彼女の目に()()()バーコード。


 妊娠を告げられ、予定日付近の数字に、彼女が出産時に死ぬのかと恐れたけれど。


 彼女にバーコードは表れない。目にだけ、それも逆さのバーコード。それが意味することは――



 ついに彼女にもバーコードが、目に表れたのかと恐怖したそれは、なぜか母さんの時とは違って逆さまで、それが妙で取り乱す前に気付いたんだ。


 ()()バーコードだと。

 彼女は僕に表れたバーコードを見ていた。


 母さんが触れた肩に、表れた僕自身のバーコード。

 触れると移るのかと怯えていた。


 でも、僕が触れても彼女にバーコードは表れなかった。ずっと。


 ホクロを気にしないのと同じで、気にしていないだけで()()すればそこにホクロは()()()ある。


 バーコードも、きっとそうなんだ。

 表れる場所も、形も大きさも濃さも疎らで、わからないだけで。


 なんとなく。そう、なんとなくだ。


 子供はおそらく死んで産まれてくると思った。

 そして、僕が死ねば生き返る。


 母さんは、自殺した。

 僕が()()()から。母さんが死んで、僕は生き返った。


 僕の命を選んだんじゃないかって、都合よくそう思った。バーコードの化け物じゃなくて、優しい時の母さんは、僕を可愛がってくれたから。


 車の前に飛び出した。即死できるといいな。

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