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「というわけで左奥の通路のドアなんだけど……こっちかな?」
事務室を出た左奥の通路だが、左右のどちらにもドアがある。右のドアにはプレートも何もなく、左のドアには「用具室」と書いてある。
迷ったら左、と何かのゲームでも言っていたし、勢いよく「用具室」のドアを開ける。
ドアに手をかけた瞬間、視界に映る風景が、ノブを回す手の、運ばれる足の、私の体の一挙手一投足が、ひどく緩慢に感じられた。不意に見つめた時計の針が止まって見えるような奇妙な感覚に、廊下から射す蛍光灯の薄明かりに照らさせる、用具室の床を、その先の暗がりを、否が応でも注視させられる。
ドアの向こうには、掃除用具などではなく。
昨日のボス猫が。
前足を器用に使い。
魚肉ソーセージを食べていた。
「ん?なん……みゃーーーーー!おまえーーーーー!」
「ぎゃーーーーー!しゃべったーーーーー!」
猫が、しゃべった。
よろめいて、後ろに尻もちをつく。その隙にボス猫は、魚肉ソーセージを咥えたまま用具室の奥へと走って行った。
「いったぁ……」
勢いよく床にぶつかったお尻をさすりながらよろよろと立ちあがると、嗅いだことのないお香のような薄い煙に包まれた、「用具室」に保管されている物品が視界に入りこんできた。
何振もの日本刀に様々な西洋刀、大きなハンマーに槍と弓、平々凡々な私の人生ではおおよそゲームや博物館かコスプレ写真でしか見たことのないような品々が壁に立て掛けられている。
向かいの壁の戸棚には、瓶詰の緑の液体に浸かった目玉のような物体X、小さなミイラの腕のようなものと、郷土史の資料とは考え難いラインナップときた。
その上、その一つ一つからは張りぼてや作り物とは考えられない、一瞥しただけでも眼底を押し潰されるような、尋常でない違和感とプレッシャーを肌に受ける。
「どうかしましたか!?……あっ、その部屋は」
「さ、斉田さん……あっち、猫がしゃべって……」
先ほどの叫び声に駆けつけてくれた斉田さんに涙目になって助けを求める。
肩を貸してくれながらも、斉田さんの表情はこわばり、口は真一文字に結ばれている。
じっと見つめられるが、遅れて駆けつけてくれた店長と黒部さん、今にも零れそうなほどに涙目の桜蘭寺さんに囲まれて視線は用具室へと逸れてゆく。
「あー、まさかこんなに早く見てしまうとは思ってなかったね……」
「て、店長……?これ……」
店長の目には、諦めとも期待ともとれる静かな光を湛えていた。
「なんだと思います?珍品コレクターの部屋か、お化け屋敷の大道具か、それとも全く違った何かか。あぁ、もちろん保管許可は取っているよ」
この答えに人生が係っている。そう直感が告げている。前者二択では決してない、私の平々凡々な人生とは決して無縁の何かだと。ただ、私の中の理性が警笛を鳴らしている。
正しい答えを選んではいけないと。
この質問は慈悲なのだ。私が何も知らないふりを、気が付かないふりをすれば、私の、本来の平々凡々な日常に帰れるんだぞ、という。
……でも。
でも、どうせ、どうでもいい人生なら。何となくで歩いていて、何となく終えるような人生なら。一度も踏み込んだことのないこの足を、好奇心に殺させたっていいんじゃないか。
「こ、これ、いわゆるホンモノってやつですか?」
「……それじゃあ、深夜シフトの話をしようか」
ああ、私の最愛の妹、理恵。お姉ちゃんはいろいろと碌でもないことにあってきたけれど、とうとう人生の分岐点に立ってしまったようです。いや、脱線してしまったというべきでしょうか。
とにかく、元の、何事もない生活には、戻れそうにありません。