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「良水千夏です。前職は鋼板の卸し関係で、史跡や郷土についての知見は乏しいですが、がんばって覚えていきたいです。よ、よろしくお願いします」

最後にどもった。短いが、なんとか自己紹介を済ませる。

「こちらこそよろしく、良水さん。あんまり気負わないで、ゆっくり覚えていってくれればいいよ」

喫茶店の二階、アンティークな仕事机と壁いっぱいの本。それらを背にして事務所の応接室で入社式というか、入所式というべきか、それは行われた。


ここは千葉県市原市辰巳台。小高い丘の上にある、京葉工業地帯に隣接する住宅地だ。

かつてはバブル期に雇用促進のための住宅地を随分建てたそうだが、その後に続いた不景気による人員削減や企業の事業分割により、現在ではシャッター商店街をはじめとして大層物さびしくなったという。とはいえ、再開発や就職氷河期の解氷によって再び活気を取り戻しつつある。かくいう私も就職を機に家を出て、一人暮らしをはじめた者のひとりだ。

まだ人口はさして多いわけではないが、スーパーマーケットにドラッグストア、コンビニに百円ショップ、病院、理容室、ホームセンターが近くにあり、最寄の駅は京成辰巳台。少々ぼろいが、千葉や東京までのアクセスも悪くなく、都内、都心に拘らなければ暮らしやすさはそれなり以上だと思う。郊外とはいえ、住めば都とは言ったものだ。


「よろしくねー、良水さんー」

おっとり、という言葉を体現するように緩くウェーブのかかった黒髪の映える、いつもと同じく穏やかな黒部さん。カフェと事務所と兼業しているという。

「よろしくお願いします」

その横にはガタイのいい爽やかイケメン。元ラガーマンで、斉田光也さんというそうだ。

斉田さんの後ろでぺこりと会釈をするボーイッシュな美少女は桜蘭寺伊奈さん。アルバイトで、まだ18歳だという。新人の私が言うのも変かもしれないが、25女からすれば羨ましいほどフレッシュだ。

「カフェのバイトの子を除くと良水さんを加えて5人と、まぁ小さな事務所だけれども、どうかよろしく頼むよ」

店長の言葉でやんわりと締めくくられて、私の新しい一歩は始まった。


事務室の一角にPCとデスクを割り振られ、ザ・事務仕事が始まる。

「ごめんね、まだ整理しきってないけど、すぐ片付けるから」

「いえ、ぜんぜん問題ないです。まだそんな、キングファイルとかも作ってないですし」

デスクの周りには書類の詰まった段ボールに、棚から溢れたファイルがごった返していた。

前任者は急な退職だったのか全く未整理な状態だが、こういった環境のほうが正直落ち着くというか、集中ができる。前職でデスク周りの整理整頓は身に覚えさせられたが、自室同様に物の多い方が私には適しているのだ。適しているのである。

「うーん、まぁ今日は仕事始めということで、デスク周りの整理と、ついでに郷土史についての勉強で終わらせちゃおうか」

「店長、まだいいんじゃ……」

「……そうですねー、私たちも心機一転、ということでー、掃除、しちゃいますかー」

黒部さんの言葉が斉田さんを遮る。その言葉には、いつもの黒部さんらしくない陰りを感じた。

「ということで斉田君、段ボール、倉庫のほうに持って行っちゃおう」

「……はい、店長」

男性陣、店長と斉田さんが段ボールを抱えて部屋を出ていく。

「じゃー、私たち非力な女子組はー、事務室の埃をはらいましょうかー。私は一階から布巾とバケツを持ってくるからー、千夏さんと伊奈さんは、ホウキとちりとり、お願いねー」

「は、はい、わかりました」

桜蘭寺さんがもじもじと返事をする

斉田さんたちに続いて黒部さんが一階へと向かっていく。のこされた私と桜蘭寺さんでホウキとちりとりを取りに行くことになった。

「あ、あの……すみません、私緊張しちゃって、お手洗い、いきたくて」

桜蘭寺さんがくい、と袖を引っ張る。

「あ、はい、それじゃ、掃除用具の場所、教えてもらえれば私、取ってくるんで」

桜蘭寺さんのもじもじ具合を見るに、もう限界なのだろう。上目づかいに涙目で訴えかけられては断れないというもの。

「この部屋を出て、左奥の通路のみっ、す、すみませっ、ちょっと行ってきまひゅ!」

急がば回れという言葉があるが、この時ばかりはそうはいかない。下腹部への衝撃を極限まで避けて冷静に、しかして大急ぎで。尿意を我慢しているときは平時よりも思考が活発になるという。桜蘭寺さんが何を考えているかは知る由もないが、おそらくはフル回転で1秒でも早いお手洗いへのルートを描いているのだろう。

「出て左奥の通路のとこ。おっけー!」

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