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「少々おまちくださいねー」
厨房から顔を出した店員の間延びした声が聞こえる。
別腹を残して胃も膨れ、気分も切り替わったところで求人雑誌を再び開く。データ入力等の単純作業ならば前職と勝手も変わらないだろうが、どうも勤務地の遠いところが目立つ。在住市外で、距離的にはざっくりスクーターで一時間程度。他の条件は悪くはないが、他との吟味も必要だろう。
ティーカップを手に取り唇を湿らせる。
「転職先をお探しですか?」
突然のことにびくっと肩を震わせる。頭上からの声におずおずと顔をあげると、いつの間にか白髪まじりの初老の男性が朗らかな顔をうかべて立っていた。
「失礼、驚かせてしまいましたか。わたくし、丁度、仕事の求人を考えていまして。たまたま職探しをされているようなあなたが目に入りましてね」
「は、はぁ……まぁ」
清潔感のある、実直そうな人柄に見えるが、どこか拭いきれない胡散臭さを感じる。
一口、紅茶を口に含む。
「あぁ、この店のオーナーも兼ねていまして。怪しいものではないので……」
オーナー、つまり店長か。おかしな人でないのはわかったが、どう反応したらいいかわからない。
「あ、ホットサンド、すごくおいしかったです。あと、サラダのサービス、ありがとうございました」
とりあえず褒めておく。事実だし。
「いえとんでもない、気に入っていただけましたら何よりです。……ところで、わたくしちょっとした個人事務所をこの近所で開いておりまして。人手不足で困っていたのですが、どうでしょう。迷惑でなかったら、面接だけでも受けていただけませんか?」
「面接……え、いいん、ですか?」
「ええ、是非!」
渡りに船とはこのことかもしれない。おいしい料理に雰囲気のいい店内。割と近いセンスの持ち主なら、勤めていても気が楽だろう。この近所なら通勤もまた楽だし。
……面接に落ちたら、この喫茶店に来にくくなるデメリットはあるか。
「お客様―、食後の本日のケーキですー」
お盆をもった店員が厨房から出てくる。
「あ、店長また勧誘ですかー?あんまりやってると、お客さん減りますよー?あ、ちょっと前失礼しますー」
のんびりした口調とは裏腹にてきぱきと空いたお皿を片付けると、赤とピンクの可愛らしいケーキが登場した。
クッキー生地に縁どられ、上から赤、ピンク、白の三層のケーキに鮮やかな赤いソースとアラザンがかかっている。フランス料理とかで見るような、細くてお洒落な感じだ。三層の色調にソースのアクセント、散らされた銀色のアラザンと頂にちょこんと乗せられたミント。ちょっと前に流行った言い方でいう、実にインスタ映えしそうなケーキだ。
「本日のケーキ、フランボワーズとレアチーズのケーキですー……あ、好みとかアレルギーとか、大丈夫ですかー?すみません、聞くの遅くなっちゃってー」
「ええ、フランボワーズ好きですし、アレルギーとか特にないんで。……かわいいですね、このケーキ」
「ありがとうございますー!。あ、店長が迷惑かけてるみたいですし、お紅茶のおかわり、サービスしますねー」
「え、あ、いいんです?」
至れり尽くせり、とはこのことかと思うが、さすがに悪いような気もしてくる。
「ええ、いいのですよ、ケーキを楽しむなら淹れたての紅茶の方がいいでしょう。あ、ちなみにこの後、時間の余裕はありますか?」
ええ、まぁ。と返事をする。実際、この後どころか当面は時間の余裕しかない。
「あとで私にも一杯淹れてくれるかな、折角だしこのまま面接しちゃおう」
え?
「はーい、350円になりますー」
「あ、はい。そうだよね、これもコストだよね。……ということで、一息ついたら声を掛けて頂けますか?厨房のほうにいますので」
「あ……はい……」
とんでもない爆弾発言が投下されませんでしたでしょうか?
事務所勤めらしいけど、面接にこんなカジュアルなかっこで、心の準備も出来ていないし、履歴書もないし、ケーキはおいしそうだし、ちょっと考えに整理がつかない。
とりあえず、糖分をとろう。紅茶を飲んで体を温めて、考えをまとめよう。