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「いらっしゃいませー」
ドアを開けると、カランという音とともに女性の声が耳に入る。第一印象として、深緑の観葉植物に囲まれた薄暗い、よく言えば見た目にも静かな内装は好みに合っていた。
店内のBGMはエリック・サティのアレンジか、明るい曲調だが落ち着きがあり、居心地の良さを感じる。
天井を見上げれば強すぎない照明にゆっくりと回るアンティーク調のシーリングファンと、古さのなかにも清潔感があり、今までただ通り過ぎるだけだったことを少しもったいなく思う。
「一名様ですかー?」
玄関先のラックにある求人雑誌を手に取り、奥の席に向かいながらはい、と返す。
私以外に客はいないようだし、食事と紅茶を楽しみながら次の仕事でも探すとしよう。
コートを脱いで時計を見る。11時40分。メニューを見れば、このお店は10時からランチメニューを頼めるらしい。とはいえパスタやオムライスといったメニューを頼む気にはなれないので、ホットサンドと紅茶……あと、日替わりケーキを頼むことにする。
「少々お待ちくださいねー」
注文を取り、水の入ったグラスとおしぼりを置いた店員が厨房へと小走りで向かっていく。
ニスの光沢のあるダークブラウンのテーブルに求人雑誌を広げる。勤務地、条件、資格、キャッチコピー、諸々を流し見しながらぱらぱらと捲るが、いまいちぱっとこない。
何の当てもなく仕事を辞めてどうにかなるものとは初めから思っていなかったが、やはり現実の焦燥感は重く響く。とりあえずの職探しにいまいちだ、などと贅沢は言っていられない身だが、ハズレは引きたくない気持ちもあり悶々とする。
「おまたせしましたー、こちらホットサンドと、お紅茶とミルクとお砂糖、サービスのサラダですー。ケーキは食後でよろしいですかー?」
考え込んでいるうちに食事が来てしまった。雑誌をたたみ、小鉢と皿と、ティーカップが並べられる。ありがとうございます、と言うと、店員はにこやかに厨房へと去って行った。
サービスのサラダ……紫キャベツと薄切りの生玉ねぎ、細切りのニンジンとコーンのサラダだ。サービスなのはうれしいが、洒落たガラスの小鉢とはいえ一杯に盛ってあるため存外に量があり、食べきれるか少し怪しい。
とはいえ出して頂いたのだからには食べきるのが礼儀というもの。まずは……冷めないうちにホットサンドからいただこう。
表面がうっすらときつね色に焼けたホットサンドにナイフを入れる。カリッという表面の感触にふんわりしたパンの柔らかさ。一口大に切り分け、フォークで口に運ぶ。
口に入れた瞬間に広がる小麦の芳醇な甘味と香ばしさ、染みたバターのまろやかさに、この喫茶店に来てよかったと心から思う。噛めば、今度はハムと焼き立てで熱くとろけたチーズの塩味が味蕾を刺激して唾液が湧き出てくる。
次の就職先は置いておいて、当面の通う先と生きる目的は決まったかもしれない。
ホットサンドの添え物のトマトで口をさっぱりさせ、小鉢のサラダへフォークを移す。
テーブルに用意してあるドレッシングをかけ、サラダを口に運ぶ。
みずみずしいキャベツと玉ねぎにドレッシングのゴマの風味がよく合う。ニンジンとコーンの甘さもその風味をより引き立て、思っていた以上に食欲が刺激される。
結局、サラダもホットサンドもきれいに平らげ、紅茶を味わいながらケーキを待つこととなった。