Case54.霧の中、朧な光へ
あたしは水戸倉うろこ。一般的な高校生、にはおおよそ当てはまらない女子高生だ。
高校は辞めたし、社会に戻る気はなくて、いまはこうして全力のバックアップを受けながら天界社というところで正義の味方をやっている。
さて、昨日はあたしの妹のような、相棒のような存在である上噛和紙が行方不明になって大変だった。
彼女は帰ってきて話を聞かれて、ウートレアを撃退したと話していた。
うろこは他のやつとともに首をかしげたのだが、どこにいたのかは空間の位相がずれていたとかなんとか難しい話で結論が出たらしい。
さて、そんな未知のことを経験した相棒は取り調べ、もとい検査を受けたようだ。
最近現れた智夜っていう子との話を盗み聞きすると、智夜が机を叩く大きな音とともにこんな声が聞こえてきた。
「えっ!? 強化フォームになれたんですか!?」
強化フォームとは、ヒーローものでよくあるパワーアップだ。
あたしらタチバナだって正義の味方なんだから、そのくらいあっても不思議じゃない。
智夜が驚いているのは、いまそれを作ろうとしているところに舞い込んできた成功の報せがあまりにも早すぎたことだった。
「そうですね、貴重なデータです。精神性が一時的に生体隕石との共鳴を導くのか、あるいは不二さんのように人の想いを宿して……ううん……」
智夜の言っていることはやはりよくわからない。
けれど、和紙がうまくいったんだったら、一番近しい、と自負しているうろことしてせめて褒めてやろうと思った。
話を終えた和紙が出てくるのを待って、偶然を装って声をかけた。
「お、奇遇だな」
「……ずっと聞いてたでしょ」
その通りだった。和紙の鋭い感覚にはすでに捉えられてしまっていたらしい。
聞いていたといっても強化のくだり程度しかまともに聞こえてこなかったのだが、と話すと、和紙はこう返した。
「ねぇ、うろこ。私の過去って、知りたい?」
「過去? なんかあったのか?」
「私の、本当の名前のこと」
彼女が知った真実をそのまま伝えられ、うろこは固まってしまう。
あの事件のことはよく覚えていた。
当時ここなと同い年だったうろこは特集番組を見て、誰かを殺すということをはじめて意識したのだから。
それからずっと何もない、きっとタチバナじゃ一番平穏な7年を過ごしてきたが、それでも末路は自分を撃ったという事実だ。
思い返せば、誰かを殺すのならば自分を撃ったほうがマシだとか、小学生の自分はそんなことを思っていたのかもしれない。
それよりも。その名前がわかったということは、ひとつ聞いておきたいことがあった。
「お前さんはどっちで呼ばれたいんだ? 和紙か、きりさか」
「私は……無理に変えなくていいと思う。音無きりさは有名人だから、目立つのはだめだし」
「じゃあそうするよ、和紙」
これからも和紙は和紙でいい。そう思って撫でてやろうとすると、彼女には受け入れられた。一番の相棒がそれでいいのなら、うろこだってそれでいい。
これまでずっと、妹のおぼろや季里に寄り添って生きようとしてきたし、タチバナになってからもそうだ。
守りたいものがあるから、うろこは引き金をひけるのだ。
『本当にそれでいいんですか?』
「ッ!?」
突然耳元で囁くような声が聞こえた気がして振り向いたが、そこには誰もいない。
いや、誰かがいれば和紙が先に気がつくだろう。だとすると幻聴だろうか。うろこには疲れる要素はないというのに。
「どうかした?」
「いいや、なんでもない」
ごまかしはするけれど、察しのいい彼女には意味がないだろう。
声のことを話してもいい。けれど、彼女は帰ってきたばかりだった。智夜のところでの検査もまだまだ重なるかもしれない。
だったら、自分でどうにかしてみるべきではないだろうか。ふだんからフォローを任せてしまっている和紙に迷惑はあまりかけたくなかった。
自室へ戻ってベッドに転がり、あの声の意味を考える。
うろこの生き方が正しいのかを問われている。
妹たちがなにをしたいか、ばかりを考えてきたから、いまいちそのほかに思い当たらない。
小さい子が犠牲になるのは許せないけれど、それは当然の感情だ。正義感が強い、程度でも許せないに決まっている。
こうやって思考がまとまらないなら、とうろこは布団を被った。寝たらたいていすっきりする。
さっさと休もうと目を閉じ、視覚が使われなくなったことで環境音がやけに気になる。その中に、あの声の続きがあった。
「聞こえていますか? いますよね?」
「その声、てめぇ、エイロゥか」
人類の敵であるストレセントのひとり、エイロゥ。
忌々しい相手の声であれば、むしろよく覚えてしまう。
いったいどこから話しかけているのかは布団の中ではわからなかったが、どうやら耳元になにかを仕掛けられているらしい。
心当たりはないし、ここは自室。つまり結界の中だ。先日の恐竜テラレッサーの件での破損はすでに修復されているはずだから、ストレセントとは考えにくい。
ふと耳元を触ってみると、がさりという感触がした。掴むと手のひら大の虫がおり、核を生体隕石がなしている。
結界のちいさな穴から入り込んだか、もしくは数日前からすでに潜んでいたか。
とにかく、予想外のことにうろこは誰かと連絡をとろうと端末と拳銃を手に取った。
「気が早いですね、まだ話をしていませんよ」
「だったらさっさと話しやがれ」
「いいでしょう。水戸倉おぼろと水戸倉季里を預かった、助けたければ一人で外へ出ろ」
うろこは目を丸くした。と同時に、端末を開いて生体隕石反応を確認した。
たしかに、エイロゥと1体のストレセントの反応が、おぼろと季里の通う学校にある。
すでにおぼろのクラスメイトにはオヴィラトの際に犠牲が出てしまっている。
もうこれ以上、友達が死ぬだなんてつらいことを経験させたくない。
急いで拳銃を腰に挿し、自室を飛び出して廊下を駆けているところで和紙に止められた。
「ひとりで行くつもり?」
「……エイロゥに呼び出された、しかも人質付きだ」
「そう。それは大変だから、ほかのタチバナのみんなに伝えるのは私がやっておく」
和紙は無理についてこようとはしない。
本当に妹を犠牲にされたら、泣くのはうろこで、気を使われている。
和紙の優しさに感謝しながら駆けて、うろこはひとりでユリカゴハカバーを起動し飛び出した。
細やかな調整がないせいかいつもより暴れ馬のような気がしたけれど、いまはそんなところに構ってはいられない。
仮におぼろと季里が捕まっていなくとも、場所が小学校であるなら小学生たちが危ないのだ。
◇
エイロゥはストレセントを従え、おぼろと季里を木に縛り付けていた。
その能力は切断だ、人質の首を一瞬ではねるには最適である。
無理をして助けるより、エイロゥの言い分を聞いたほうがいい。
「どうしてあたしをひとりで呼び出したんだ」
「いえ、挑戦状ということで、ひとつ」
エイロゥが和紙の話にもあった珠を地面に投げると、小学校が結界のように囲まれて世界から孤立させられた。
援軍は望めない、ひとりでこのストレセントの相手をしろ、ということらしい。
しかし、そのストレセントには見覚えがある気がした。海に棲む竜のような姿、大きく裂けた口、巨大な体躯。
観察するように見るうろこをエイロゥはくすりと笑って、そしてこう言った。
「水戸倉夫妻はすばらしい研究員でした。研究所に華をもたらしてくれました。時には娘を招いてくれて、私もこうして撫でたことがあります」
季里の頭に手を置くエイロゥ。気の弱い季里は縮こまって怯えている。
当然と言えば当然のことだが、エイロゥは何も気にすることなく話を続けた。
「でも、ですね。ある日、生体隕石の研究中、侵入してきたゼノ・ノエルにより、大きな狩りが行われました。犠牲者は多数出ましたが、直接ノエルの被害に遭ったのはひとり。それが、水戸倉数治。あなたの父ですよ、うろこさん」
「んな……」
「このストレセントはあなたの父親の変えられた姿と同じものです。そして、これと同じストレセントは人間を捕食した。水戸倉有珠、彼女は愚かだった」
「黙れ、外道……!」
銃声を響かせ、うろこは自分を撃ち抜いて変身を遂げる。
同時に展開した銃器によってエイロゥを狙おうとするが、切断の能力で弾かれてしまった。
つまり、エイロゥは黙らない。
「有珠はストレセントに誘われたのですよ? なのに、彼女はあろうことかこのストレセントに寄り添おうとした。元に戻るまで付き合うだの、それがあなたのしたいことなら、などとほざきながら。当然、食べられておしまいでした」
「……それがどうしたってんだ」
「いいえ。彼女は夫と添い遂げ、そしてあなたたちの元からいなくなった。切り捨てるものがなければいけないのです。誰かの願いに寄り添おうとすることは、そういうことなのではありませんか?」
そんなことを言われたって。何をしていいのかわからない。けれど、エイロゥが言いたいことはよくわかった。
妹たちを守ることは、彼女たちのそばにいることだ。
けれど、人々を守り、和紙と共に戦うということは、妹たちと世界を違えるということになる。このふたつは同時に成立しない。
だからといって、いまここで妹を見捨てることも、タチバナを辞めることも、選べるはずがなかった。
「やはり、固まってしまいますか。では、行きなさい」
親の仇でもあるストレセントが動き出す。空中を泳ぐようにして、こちらへ向かってくる。
うろこがどうすればいいのか迷っているうちに、腕を噛み砕かれた。
遠くでおぼろと季里の悲鳴が聞こえる。片腕だけなのは余裕の表れだろう。
噛み砕かれたところを見ると、焼けるように痛む腕がだらりとただ垂れ下がっていて、あたしはこんなに無力だったのかと思った。
「うろこ姉っ!」
妹の声がする。
「うろこ姉、こっちはこっちで元気だよ! うろこ姉がやってたみたいにさ、なんとかしてみるから!」
「そうだよ! おぼろ姉をささえるんだって、約束したから!」
そう言ってくれるのは嬉しい、けれど。彼女たちも、きっと自分が一緒にいてほしいと思っている。
だったら、いまのうろこの存在は裏切りだ。妹たちになにも言わずに死んで、それなのに正義の味方気取って。子供のことで怒ってみたりして。
ストレセントがうろこの身体を噛み砕いた。骨が折れる感触と肉がちぎられる痛みが頭を狂わせようとしてくる。
いくら考えても、いくら考えても、うろこじゃ誰かを必ず不幸せにする。
だったら、けっきょく自分がいる意味なんてあるのだろうか。
ころん、と何かが転がった。どうやらストレセントの攻撃で破れた服から落ちたようだ。
この珠は、智夜に渡されたもので。ストレセントの牙が引き抜かれ、血まみれの身体でよろめきながらそれを拾い上げた。
その暖かな輝きは、確かに幸福が産み出されている証で。
「うろこ姉、うろこ姉ッ! 忘れないで、私たち、うろこ姉に助けられたからこう言えるって!」
「……あぁ、季里の言う通りだよ! あのときに助からなかったら、うろこ姉がくれたお金がなかったら、こうは言えないんだよ!」
ふたりで口を揃えて「自分は幸せだ、って」と、必死で語りかけてくる。
あぁ、確かにそうなのかもしれない。
片方しか選べなくったって、選ぶことができる。あきらめたらどっちを手に取ることもできないんだ。
だから、うろこは自分で選ぶ。
自分が屈する未来よりも、戦って、勝つ未来を!
「これがッ、あたしの! 自己犠牲だッッ!」
銃に込めた暖かな珠を、自分の胸に打ち込んだ。
珠が割れて、どす黒い杭となって突き刺さる。これで解った。
自分の答えを出したとき与えられる力。それがこの珠、そして杭であるということが。
うろこの身体の周囲にはアーマーが形成されていく。
露出の多かった衣装は太ももと腋、首もとのみが残され、残りは迎撃装置や自律攻撃ユニットの格納、さらなる高火力の砲を扱うためのパーツで覆われる。
全てをまとった姿はまるで重装甲という鱗を持った竜のようだった。
「……カタキを討つならッ! この手で、この弾で、吹っ飛ばしてやるッ!」
ひるむストレセントへ向け、装甲はその姿を変える。
大きなひとつの銃へと変形し、うろこは地面にその足で立って、静かに発射のトリガーを引いた。
銃口から放たれる弾丸はストレセントへと突き刺さり、光とともに爆発を引き起こす。
核となった生体隕石ですら大きく飛んでいって、うろこの手元にやってきた。
「ふっ、よくやりました。おめでとうございます」
そうとだけ告げられて、小学校を覆っていた結界が消えていく。
エイロゥは晴れたとたんに去っていたのかすでにそこには折らず、うろこは迷わず縛られている妹たちのもとへと駆け寄った。
「……姉ちゃんがみんなを守るから。ふたりは、幸せになってくれよ」
「もちろんだよ、うろこ姉」
縛り付けている縄を引きちぎり、無邪気な笑顔にはそっと頭を撫でて応えた。
おぼろも、季里も、大丈夫だ。いつもの日常へ戻ってくれる。
どちらにも怪我がないことを確認してから、うろこはまたしばらく妹たちとは離れる。
でも、ふたりなら大丈夫だ。あたしが、うろこがいるからではなくて、自分なりの光を掴んでくれる。
そして、うろこが選んだのはその光を守ることなのだ。




