Case53.音モ無ケレバ
エイロゥの襲撃があってから、和紙はいままで走力の鍛練にあてていた時間を街の見回りにまわすことで警戒心を高めていた。
いつストレセントが現れてもいいように、久しぶりにすぐ覚醒できる暗殺者流の眠りを採用したりもしている。
せめて、みんなに脅威を素早く知らせることができればいいな、と思ってだ。
変化があったのは和紙だけではない。
計画が始動してからは城華が貸し与えられた研究室で眠るようになり、不二は希とだけ添い寝することになったらしい。
智夜は抱き枕として扱われているそうで、誰かが遊びにいくとたまに不満が漏れる。
そのとき、ふと研究室の壁を見ると紙にいくつも書きなぐられた数式があり、まるで本当に天才科学者みたいだ。
実際天才科学者なんだろうが、やや意外な部分もある。
城華もたった少しの期間でオヴィラトへの対抗策を作り上げたり、技術面ではとんでもない才能だ。
このふたりがいれば、きっとプロジェクトは完成するだろうと思えた。
プロジェクトの第一歩は城華の怪我で、智夜の調整のおかげもあって無事再生した。
機械パーツで補う提案もあったが、壊されたら作り直すのが大変だという理由で却下、智夜はしょんぼりしていたそうな。
さらに次の段階では、全員が準備として珠を持たされた。
アメリィが使った結界破りの珠に近いらしく、強化において必要なエネルギーがつまったものだといった。和紙はひとまず懐に忍ばせ、持ってはおくことにしていた。
彼女たち研究者組の集中のため、和紙の見回りには力が入る。
さすがに夜中になると、ぎりぎり中学生──つまりまだ見た目は小学生である和紙は怪しまれるため、屋上からだったり闇に溶け込んでだったりと一般人に紛れるとは真逆の行動になる。
そうやって見回りを繰り返して、ある日。
ついに準備が整ったのか、あの恐竜たちだけでなく、街を集団で闊歩する三葉虫のテラレッサーたちが現れた。
反応もしっかりストレセントとの区別がつくようになっていて、当然ながら天界社側でも結界を割れる存在は脅威としているようだ。
街をうろつくことで、近隣の住民は避難所とされている建物、この前大穴が空いて復旧したばかりの場所へと逃げていく。
一度あそこで化け物が出たという記憶は薄れているらしく、誰も三葉虫たちの進行方向にその建物があるとは気がついていなかった。
そう、あの場所は前に古代ミミズのストレセントと戦った場所だ。
この一帯におそらくミノカが、和紙の育て親が住んでいる。
彼女を狙われるのは嫌だったし、和紙はひとまず全員に連絡しようとメールを打った。
だが、送信できませんのメッセージが表示され、いくら試しても駄目だった。
だが、エラーのメッセージは同じではなかった。
数度やると「もう諦めたらどうですか?」に、そして通話に切り替えようとすると、「それより自分の背後を確認してみたらなのです」となって、和紙はあわてて振り返る。
そしてナイフを抜くよりも先に和紙の頬に衝撃が走り、路上には折れた歯と血が少量散った。
「数日振りなのですよ、タチバナ!」
和紙の歯を折り、先制攻撃を決めたのはウートレアだった。
口の中に鉄の味が広がり、失われた歯はすぐに戻っていくのがわかる。
確かに、あれだけの群れで一糸乱れずに行動しているのなら指揮者としてストレセントがいるのも予測できたことだろう。
そこを和紙は、自らを信じずに他人を頼ろうとして先制攻撃を許してしまった。ミノカに教えられたこと、リノに教えられたことがあるながらなんと不甲斐ない。
それにウートレアは自分よりも小柄だ。
鍛練を重ねていながら、自分よりも小さい体躯の相手の蹴りでさえ傷ついてしまう。和紙にプライドという枷があったなら、ここでリストカットはできなかったろう。
いまの和紙は、そんなふうにならないため意を決して刃を振り下ろすしかない。
「おぉ、やっぱり一番きれいな変身なのですね。うちは好きなのですよ!」
敵の嗜好になんて構っていられない。とにかく飛びかかり、足止めをする。
ウートレアが強敵であることは知っているが、うろこたちが到着すれば。
「どこ見てるのですか?」
次は腹部に衝撃が走った。速度で抜ききれていない。
ウートレアの蹴り、今度は膝がめりこみ、内臓がやられた。今のは避けられたはずだ。なのに。
和紙は首を掴まれ、軽く絞められながらウートレアにより引きずられた。いったい何を企んでいるのだろうか。
三葉虫たちのうち一匹の上に乗って群れに参加すると、ウートレアは和紙のことも持ったままで目的地へと簡単に到着する。
そしてウートレアは和紙を持ったままで避難所の天井に飛び移り、なにやら光る珠を取り出すと地面に叩きつけた。
建物はドーム状の淡い光に囲まれる。まるで、天界社の結界のようだった。
「うちはいま、これとこのテラレッサーたちの試運転を命じられてるのですよ。それも、対タチバナより殺戮の能力を重点的にとの仰せで。エイロゥが何を考えているのか、うちにもよくわからないのですが、付き合ってください」
「無理を言う。殺戮を私たちが見過ごせるとでも」
「他のタチバナなら正義に燃えるところなのです。でも、あなたはどうなのです?人を殺したことはあるのでしょう?」
和紙は手元のナイフを強く握り、勢いに任せてウートレアの腕を切ろうとした。それは避けられても、離してくれればそれでいい。
ウートレアの言いたいことがわからず、和紙は混乱する。
確かに、殺し屋に育てられたのが自分だ。
けれど、本当に人を殺したことなんて。あったの、だろうか。
「覚えてないのですか? じゃあ、聞きに行きましょうなのです。それっ!」
ウートレアは三葉虫たちがすでに雪崩れ込んでいるであろう建物の屋上を強く蹴って割り、自分ごと和紙を屋内へと叩き落とした。
着地には成功したが、あたりには泣き叫ぶ人々の声が響いており、和紙はすぐにでも助けに行きたかった。
あのなかには、ミノカがいるかもしれない。
「行けばいいのですよ。物知りな暗殺者、ここにいるのでしょう?」
ウートレアはミノカに聞け、と言っているらしい。
和紙は駆け出した。ナイフを投げ、三葉虫を切り殺しては次の三葉虫に飛び移ってを繰り返す。
人を襲おうとはしているが、恐竜ほどの知能はなくただ虫が群がっているだけであるのはまだ対処しやすい。
だが、それらよりも虫によって傷ついた人々、特に泣きじゃくる子供の声が心に刺さり、居心地を悪くする。
どうにかまとわりついくる泣き声を振り払い、あれだけの群れでいたわりには数を少なく感じつつ、突入地点からすぐのところはあらかた片付けた。
奥を見ると、なんと一ヶ所にいままで倒してきた三葉虫の数と同じくらいの量が固まっており、見に行ってみるとそれはひとりを狙ったものだった。
果敢にも手持ちの刃物で応戦しようとして取り囲まれている女性だ。彼女をすぐにでも助けるため、和紙は三葉虫を裂きながら飛び込んでいった。
「ッ、ミノカ!」
「和紙……いえ、ごめんなさいね。たかが虫だと調子に乗ったみたいだわ」
突然仲間を減らされてひるんだのか、三葉虫がミノカと和紙からすこし距離をおく。彼女は脚を怪我していて、ふとももを血が伝っていた。
「っと、見つかったのですね、おめでとうなのです」
ウートレアの声で三葉虫たちが彼女の後ろに待機、整列する。
ウートレアはもっと騒いでいてもいいのに、とつぶやくが、三葉虫たちは待機しているつもりらしい。
「聞いてみないのですか? ご自分の前科を」
「前科……ミノカ、教えてほしい。私は、あなたの下で誰かを殺したのか?」
ミノカはウートレアを見て驚いた顔をし、そして目を逸らした。
和紙の問いには「私の下ではない」と答え、ウートレアが鼻で笑ったのが聞こえた。
「質問が悪かったみたいなのです。じゃあうちが教えるのですよ。うちに言わせれば、自分語りになるのですけどね」
ウートレアの話が始まった。内容は、こうだった。
ほんのすこしだけ昔のこと。
ふたり姉妹がいるお家があった。
両親は共働きのため、いつも一緒に遊んでいた。おかげで姉妹仲はとても良く、反対に両親との仲はよくなかった。
帰ってきても姉妹で遊んでいろといい、まったく取り合ってくれないのだ。
そこで、姉妹はある作戦に出た。
その作戦とは、喧嘩したふりをし、両親を困らせてみる作戦だった。
しかし、それでも両親は取り合わなかった。
姉妹は次々と作戦を考え、すべて失敗し。最終手段として、大ケガをしてやろうと言い出した。
妹は包丁で手首を切り、はじめて姉妹は血の色を知った。
けれど、ふたりともなんとも思わなくて、これなら誰を刺したって同じだとしてしまった。
ここまで聞いて、和紙は嫌な感覚に囚われた。身に覚えがある、ような。
和紙がこうして手首にいくつも傷痕を刻むようになったのは、そんなきっかけだったのかもしれない。
「あ、そうだ、ミノカさん」
「……なにかしら」
突然ミノカに話が振られ、彼女は閉ざしていた口を開いた。
ウートレアの質問が続けられ、ミノカは一瞬息を呑むが、ウートレアが三葉虫を一匹掴んで地面へ叩きつけた脅しに負けて答えた。
「間違いないわ。7年前……小さな姉妹が友達を殺した。両親は自分の子ではないとふたりを捨てて、ふたり別の児童養護施設に送られた。そんな事件があったわ」
「うんうん、満点の解答なのですよ! 姉妹の姓まで言っちゃうと、音無って子たちらしいのですよ! こっわーい! のですっ!」
先程までの話の後で、こうしてそんな事件のことが出てくるということは。和紙の頭は理解してしまった。
「では、改めて名乗るのです。うちの名前は『音無ここな』、そしてあなたの本当の名前は『音無きりさ』! あの事件こそ、うちが静寂のストレセントである理由であり! あなたが手首を切ることに抵抗のない理由なのですよ!」
音無きりさ。
和紙という名前は本当の名前ではなくて、ミノカがつけてくれたことは知っている。それはいつのことだ。
自分が持っている最古の記憶。それは7年前、ミノカに引き取られたことだ。
なぜ暗殺者の彼女が自分を養子に選んだのか、自分が人を殺したことがあるのか。
「で、でも、私はそんなこと……」
「ミノカさんが記憶を消させたのですよね?」
「……えぇ、私よ」
和紙の頭に浮かぶ謎の多くの解答が流し込まれて、頭がわからなくなる。
自分は和紙かきりさか、どっちでもあって、どっちでもない。
ウートレアが、ここなが姉で。友達をこの手で殺めたことがある。
手に感触が甦ってくる。
そうだ。刺してしまえばいい。その手を振り下ろせば、きっとあんなに静かでさみしい時間だって、きっと。
ふと、懐が暖かくなった気がした。血のドレスからひとりでに珠が飛び出して、強く輝きを放つ。
思い出すのはもう人を刺す感触じゃない。はじめて覚えた笑顔だ。
リノ、うろこ、そしてミノカ。みんなに教えてもらったことが、目の前の脅威に負けずに和紙の頭を鮮明にしてくれる。
「……ここなお姉ちゃん、でいい?」
「いいのですよ」
「じゃあ、ここなお姉ちゃん。あなたはきっと、嘘はついてない」
「それはもちろんなのです」
「でもね。私も、お姉ちゃんも、きっと違うものを手にしてる。誰も殺さなくったって、静寂を壊して、自分を笑わせてくれるもの。仲間の存在を。だったら、殺人なんて必要ないんだよ」
ウートレアはその言葉を聞いて、うれしそうに笑った。
そして、ありがとうなのですとお辞儀をすると、三葉虫たちに指示を出す。
「くぅ、感動なのですよ! きりさに殺人はもう必要ないってことなのですね! うちはとってもうれしいのです! じゃあ、このくらい、倒しきれるのですよね!」
襲い来るテラレッサーは、きっとウートレアの試練だ。
和紙にどうなってほしいのか、彼女の、ここなの願いだけはわかる。それは、妹に生きてほしいということだ。
もう自分を殺さない。みんなに愛されるため、自分の心を生かすために血を流す。刃が傷つけるのは奥にある自分を抑える心だ。
他人に頼るだけじゃない。どうせ自分は、じゃない。誰かと肩を並べて戦える、そのための自分を映す刃を求める。
「これが私の、自己犠牲だ……!」
珠は和紙の胸の前で弾け、中から光があらわれる。
黒く禍々しい杭となって和紙の胸に突き立ち、貫く。不思議と痛みはない。
なくした過去の記憶、心に残っていた過去の記憶、そして仲間たちとの思い出が脳裏を駆け巡り、どす黒い血に彩られた和紙のドレスを鮮やかに紅くしていく。
ずっと長かった丈はなくなって、両脇に大きく伸びる部分だけが二対ほど残る。
鮮血の装飾は顎にまで伸び、下顎を覆って一対の牙を前方へと飛び出させる。
白いドロワーズが鮮血には染まらずに日の元へのぞく。最後に身体前方の布に大きく切れ目が入って胸元からへそが露出された。
三葉虫たちは更なる姿への変身が終わったと見るやいなや、すぐにとびかかってくる。
和紙は冷静に、自らの指先をすこしだけ切った。刃はそこから生まれ、三葉虫の身体は切り裂かれる。
背後からの相手には身体を突き破るように血の刃があらわれて敵を討ち、しかしそこに傷はない。
さらに相手の体内にある体液でさえ刃となり、主を裏切り破裂させていく。
やがて三葉虫たちの持つ生体隕石はすべてが抉り出され、和紙はそれらを拾い集めた。
「あとは……ここなお姉ちゃんだけ」
「おっとこわいこわい。でもうちはもう満足なのですよ。あと、うちの仲間が待ってるのです」
和紙の戦いっぷりに拍手をしていたウートレア。
彼女が指を鳴らすと、避難所を覆っていた結界は消えて、それらを見回すうちにウートレアの姿もなくなっていた。
彼女の本当の目的がなんだったのかは、和紙にはわからない。
ミノカのもとへ戻ると、彼女は申し訳なさそうにする。
けれど、和紙は怒ってはいない。記憶を消して隠していたことも、きっと和紙が殺しという世界に誘われてしまわれないようにだったんだろう。
技を教えても、仕事を継がせようとは、ミノカはしなかったのだから。
「……和紙。いいえ、きりさ、かしら。ごめんなさい、いままでのこと」
「そういうのはいい。いまの私は上噛和紙でいいし、音無きりさでもいい。ただ、あなたの愛があれば、私はそれでいい」
これはほんの一時、またミノカが巻き込まれただけだ。次はあるかもしれないけれど、ふだんは交わらない日常と非日常だ。
それでも。和紙はミノカのことを仲間や家族のようなものだと思っていて、ミノカは和紙を愛したという事実がある。
そのくらいの繋がりでよかった。
「じゃあ、またね、ミノカ」
「……えぇ。生きなさいよ、和紙」
「言われなくても」
結界の晴れた避難所の上空からは、和紙を呼ぶうろこたちの声がする。
和紙は思いっきり息を吸って、私はここにいるよ、と答えたのだった。




