Case42.贄の意味
希を連れ帰って最初に出会ったのはリノで、驚いた顔をした彼女はすぐに検査担当へと連絡を回した。
あのバリアを通れたのだからストレセント化はしておらず、出自はわからなくてもまだタチバナでいる。
きっと大丈夫、なんて自分に言い聞かせ、あとは専門家に任すことにした。
自室へ戻ってみると、本当なら誰もいないはずがきょうは城華と小灰のふたりで待っていたらしい。
小灰のほうは息が切れているが、城華は心配そうにしている。
「聞いたわ、会ったんでしょう。妹さん」
「……情報が早いね」
「全力で疾走したのよ、それでここにいるわ」
小灰のふしぎな努力にくすっと笑い、それだけの余裕があるなら大丈夫そうね、と続けられる。
確かに、唯と希のことには心を揺さぶられた。でも希のことはもう大丈夫だと思っている。彼女とこのような形でまた暮らすことになっても、不二は彼女のために尽くすだけだ。
唯のことだって、きっとなんとかしてみせる。
「検査は丸一日はかかるでしょうし、すこしはゆっくりしてた方がいいわよ。彼女は待たせるもんじゃない、ってね!」
「ぁうっ!? か、彼女!?」
小灰は城華の背中をばしっと叩くと、不二の部屋から出ていった。
残された城華は照れて赤くなったあと、不二と目をあわせて照れから憂いにその表情に浮かぶ色を変えた。
「あの。お姉さんや、妹さんのことなんだけど」
城華の目には不二への心配と、自分の不安が詰められている。寂しい、という感情はずっと彼女の心にこびりついている。
それは、不二が離れていくのではないか、という最悪の予想が不安にさせているのだろう。
不二は自分が城華の隣から離れていないかを思い返し、ずっと唯と希のことばかり考えて、現実に気を向けていなかったのを思い出した。
「私にできることがあればなんでもするから。ねぇ、協力させてほしいの」
この城華の言葉には、あなたはひとりじゃない、というより、自分に言い聞かせているみたいだった。自分にも、不二のためにできることがあってほしいと。
不二は彼女に笑いかけることしかできなかった。個人でどうにかなる問題じゃない。ストレセントが人間に戻るときは死体になったときだけなのだ。
「……うん。必要になったら、城華に頼むよ」
彼女の明るくなる表情に、不二は申し訳なくなった。でも、この問題は円家の問題だ。
城華に解決できるものじゃないのは確かで、だから、彼女もこうして心に不安を浮かべているのだろう。
でも。いまだけは、城華には頼れない。
不二は心の中で謝って、城華に自室へ戻るよう促した。ひとりで考えていたかった。
◇
翌日。疲れていたせいか寝坊していたらしく、城華に起こされてしまった。跳ね起きた不二は逆に焦って朝食を食べようとして、むせて城華に助けてもらったりもすることとなった。
妹の検査結果が出る日である、ということを嫌でも意識してしまう。いつものメンバーどころか、小灰やリノにまで心配の目を向けられている。
こんな状態では、平然と検査結果を受け入れられるだろうか。
「ふにくんが焦ってるみたいだけど。希くんの生体隕石は通常のA型、別段おかしいところはないよ」
あっさりと、スナック菓子を食べながら結果を告げるリノ。不二を安心させようとしてくれているのだ。
そこまで想われるほど自分は焦っていただろうか、と思うけれど、やっぱり心配されるくらいにはなっていた気がする。
まず、朝食のあとで希に会おう。そう決めて、朝から定食を急ぎ目に完食した。
食べ終わったら、まず地上階へ急ぐ。検査のあとなのだから、病院エリアで寝かされていると考えるのが普通だ。
エレベーターに乗り込もうとして、そこに意外にもすぎる顔があったのに驚く。
「あ。お姉ちゃん」
「っ、希!? どうしたの?」
「なんともなかったみたいだから、これから自室を貰えるっていってね」
決定が早い。
結礼のときもそうだった。適合者とわかれば保護という名目で手元に置きたい、と芥子が言っていたはずだ。
それだけ自身が擁する技術を疑っていないんだろうが、希をタチバナとして戦力に数える、なんて意図も含まれているんだろう。
思い出すのは、きのうの希の言葉だ。私たちはもう、死んでしまっている。
彼女は、不二がいないあいだに、もう。
「どうしたの? せっかくだし、いっしょに行こう?」
妹の言葉に甘えて、エレベーターに乗せてもらった。さっきまでの目的地は希のところであったから、こうして達成されている。
逆に地下深くに潜っていっているが、それはそれでふだんから暮らしている場所だ、変わりない。
エレベーターが指していたのは、地下15階であった。さすがにそこまで深くは利用したことがないし、居住区より下では研究が行われているのではないだろうか。
そんなところに希の自室があるとは思えないまま、エレベーターは地下15階に到着する。
希とふたりで無機質な壁と床に囲まれているだけの、精神を破壊するための独房のような場所に出る。
希は迷わず奥へ走っていき、不二もそれについていくと、なにやら難解なパスワードらしき数列を入力し、ただの壁だと思っていた部分にぽっかりと穴が開いた。
やや背の高い城華であっても入れるか、入れないかという大きさである。不二は屈まずに平然と入っていくことができた。
その奥ではケースに入れられていくつも石が浮かんでいて、それぞれの大きさは千差万別であった。
「ここは一体……」
「生体隕石がいっぱいあるんだよ。倉庫みたいな。ここには10年前に敗北したタチバナのものだってあるし、ゼノ・ノエルのかけらだってあるの」
「希? 何を言ってるの?」
「っふふ、外身が妹だったら中身が私でも気づきませんか? 第三期のタチバナさん」
彼女が見せた歪んだ表情で、不二は悪寒が走った。
希がするような笑みではない。これはもっと性根が歪み、狂った者のする表情だ。
「エイロゥ、なのか」
「ご名答です。正しくは、円希の身体にウートレアの能力を使った私がちょっと割り込んでるくらいのものですし、妹さんはちゃんと動いていますよ。タチバナとしてですが」
「希に何をさせるつもりだ」
不二の問いにも、希のなかに入り込んだエイロゥは笑って見せる。
希の顔でそんな表情をするな、と叫びたいけれど、目的を聞き出すのが先だ。
「こんな場所へ誘ったのですよ。決まっているでしょう? ここにあるものをすべて盗み出してばらまけたら、いったいどれだけのストレセントが生まれるでしょうね?」
「なっ……!」
今まで倒してきた数だけのストレセントが一挙に現れる。そんな事態になれば、今のたった数人しかいないタチバナでは到底抑えきれないし、それだけの数の人々が犠牲になる。
不二は奥歯を強く噛みしめ、エイロゥへ食って掛かる。
「ふざけるな。お前の勝手な考えで、大勢の人の命を!」
「えぇそうですとも。今までのあなたの自己犠牲が無駄になる。それは嫌なのでしょう?」
「当たり前だよ。それに、城華や和紙やうろこ……みんなが頑張ったから」
「よかった。では、安心してお話ができます」
不二の言い分を遮って、エイロゥは希の胸に手をあてて話をはじめる。
相手の身体が妹ということは常に人質をとられているも同然だ。不二は黙って聞くしかない。
「この身体、円希ちゃん。彼女がどんな境遇だったかお知りですか?」
「境遇……?」
「上の姉は入院。下の姉も首吊り自殺。手元に残ったのはお金だけで、幸せはどこにもない。そんな彼女が生きていけるでしょうか?」
不二は、すでにエイロゥの言いたいことがわかっていた。つまり彼女は、希がこうなったのは不二のせいだと言いたいのだ。
自分が自己犠牲を選んだせいで、ひとりの少女の人生が狂ってしまったのだと。
不二には言い返すことができない。彼女を孤独に追い込み。エイロゥに利用されるまでに至らせたのは紛れもなく不二だ。その事実は覆らない。
「ほぅら、あなたの自己犠牲は他人を脅かす。ストレセント退治だってそう、オヴィラトのことだってそうです! あなたは、誰かを救えていますか?」
自分に誰かが救えていただろうか。今までやってきたことは、すべて無意味どころか、悪い影響ばかりを及ぼしてきたのではないだろうか。
それはとっても苦しいことで。生きている意味がない自分が、タチバナでいる意味もなにもないのだとしたら。
首の生体隕石がどくんと脈打つのを感じ、襲い来る不快の波に不二は身を委ねた。
青空は翳り。自らを捧げた祈りは、恵みを通り越した災厄の雨をもたらす。
身を削ってしか幸福を知ることができない少女の身体はさらなる献身を求め体内を崩壊させ、無機質な床へと血反吐をぶちまける。
始まるのはタチバナとしての変身ではない。自らの存在意義が揺らぎ、ストレセントとしての変貌が始まっている。
タチバナである彼女は進行が食い止められるにしろ、精神はすでに侵されているのだ。
少女の身体には、ストレセントらしい変化が訪れる。
首を覆うように生体隕石よりたてがみが現れる、犬歯が大きくナイフのように伸び、本来の耳とは別に三角形のものが頭頂部に出来た。
肢体は筋肉質でしなやかに、右手は毛に覆われ収納のできる鋭利な爪、尾てい骨の伸びた先も毛皮をまとった尻尾となった。
眼は照明をうけて冷たく輝き、喉からは低い唸り声が響く。
「おや、かわいらしいじゃないですか。A型のうらやましいところですね」
ストレセント反応を察知して誰かが駆けつけるまでは、侵された不二の唸り声と希に入り込んだエイロゥの笑い声だけが響き渡っていた。




