火を与えられし者達 前
炎は、闇をより濃く映す。
「伏せろ!」
その号令に、塹壕へと身を投げる。
誰が発した言葉かも、なぜ発された言葉かも、関係はない。
命令に従うだけだ。
でなければ、生き残れない。
爆音が近くで聞こえた。
何人か逃げ遅れたらしい。
衛生兵を呼ぶ声が聞こえた。
生身の人間は弱い。脆くて、すぐに死んでしまう。
この前線に立って、まざまざと見せつけられる現実に、精神は疲弊しきっていた。
塹壕から出れば、地獄絵図が広がっている。
足のもげた仲間。
半身のない死体。
柔らかい何かを踏む。
足元を見れば、誰かの腕が転がっていた。
「……」
気持ちが悪い、とただそれだけを思った。
昔はこういう光景に取り乱していたものだが。
慣れて、しまったのだろう。
「無事な者は進め!列を乱すな!」
上官の声に、足を動かした。
帝国第4連隊15小隊1班。それが僕の所属だ。
大した戦果も上げず、ただ生き延びて来た。
生身の陸軍歩兵。
前線に駆り出され、消費されるために前に進む。
無能な上官の下、そんな感情を抱かざるを得なかった。
いずれ、死ぬのだろうな。
死すらも、達観してしまった。
仲間は、とうにいなくなった。
班も幾度となく編成を余儀なくされ、正直班員の顔など覚えていない。
記号としての名を呼べればいいのだ。
「1班」
上官の声に、顔を上げる。
嫌な予感がした。
「俺、妹がいるんだけどさ」
同じ班の男が声をかけて来た。
親しくもない相手だが、心情はわかる。
話を聞こうと思った。
「笑ってくれるだろうか」
「……さぁ」
どんな妹なのかも知らない。答えようはなかった。
「だよな」
男が笑う。
「……死にたくねーな」
ポツリと呟かれた言葉はテントの中に響き、静寂が訪れる。
ここは1班のテントの中だ。
束の間の休息である。
この次に眠りにつく時は、もう、目覚めることはない。
無能な上司は言った。
明朝、接敵することになるだろう。
このままでは、本隊に甚大な被害が及ぶ可能性が高い。
そこで、1班から数班は先んじて敵と交戦し、敵の注意を引きつけてもらう。
別働隊と空隊が、1班達と交戦している敵を奇襲し、打撃を与える作戦を行うこととなった、と。
陽動だ。囮として、敵の前に出ろという。
そうして、死ねと言うのだ。
もちろん口には出さないが。
生存の可能性なんてゼロに決まっている。そんな作戦だ。
名誉なことだ、と何度も言われた。
馬鹿馬鹿しい、と思った。
けれど一番馬鹿馬鹿しいのは、そんな馬鹿げた命令に従い、死んでいく自分達だ。
「プロメテウスの隊とさ、、もうじき合流するらしいんだ」
通信兵の同期に聞いた、と別の誰かが話し始める。
「俺らの上官は功を焦って無茶な命令を出してる。プロメテウスが来る前に、戦果をあげたいんだ」
そんな、個人の欲のために、たくさんの兵が死ぬのか。
「一度でいいから、見て見たかったな」
「プロメテウスを?」
「そう。もしかしたら、明日」
駆けつけてくれるかもしれない。
「なんてな」
おどけて繕って見ても、誰もがその可能性を夢想した。
プロメテウスという人物は、そういう人なのだと伝え聞いていた。
「じゃあ、骨を拾う奴はいないが」
「あの世で会おうか」
朝。
俺たちは死地へと向かう。
「……プロメテウスが、来るかもしれない」
「まだそんなこと言ってんのかよ」
「いや、なんか、プロメテウスの隊が速度を上げてるって」
その言葉に、一瞬だけ、皆の心が揺らいだのがわかった。
「……やめろ」
いたずらに、期待を抱かせないでくれ。
覚悟が、鈍る。
「……そう……そうだな」
それからは黙って歩く。
徐々に、死が近づいて来ていた。
炎は闇をより濃く映す。
希望は絶望を、より深く足らしめる。