パンドラ
私は毎晩、己の罪に震えている。
震えそうな足を叱咤して、私は壇上へ立つ。
側には英雄エピメテウス。
観客席には、たくさんの人。
怖い。
どこからか、銃口が私を狙っているのかもしれない。
けれど、立たなくては。
それが、第三皇女たる私の務め。
パンドラーー希望を与える者、と名付けられた、私の務め。
「さあ、みなさん」
マイクを通して、声が拡散されていく。
「祈りましょう。戦地で勇ましく戦う兵たちのために」
お決まりの言葉だ。
なんの力もない私は、ただ台本通りに言葉を紡ぐ。
「連合軍に神の鉄槌を!この帝国に神の加護を!」
湧き上がる歓声は、まるで狂気だ。
何かに縋らなければ、誰もが生きていけない世界。
私に縋る者もいる。
神に祈ることしかできない私に。
神に祈れとしか言えない私に。
「歌いましょう。戦地の彼らに届くように」
私の立つ催しでは、最後にいつも国歌を歌う。
私は昔から歌が好きで、お父様達にも天使のようだと褒められた。
国民の中にも、私の歌を好んでくれる人たちがいて。
私は請われるままに歌を歌う。
本当は、もっと楽しい歌が歌いたい。
国歌や、勇ましい軍歌や。
そんな歌ばかり。
時勢なのだから仕方のないことだろうけれど。
せめて、誰かの慰めになりますように。
「皇女!逃げてください!」
突然叫び声が聞こえ、乾いた音が立て続けに鳴った。
銃声だ。
身体が強張る。
録音された演奏がそのまま流れているのが滑稽で、どこか冷静でいる自身に気づく。
逃げなければ。
ーーいや。
逃げて、いいのだろうか?
国民を置いて、仮にも皇族が逃げて、それでいいのか。
どうせ第三皇女。先にも後にも代わりはいる。
ならばここで。
堂々と死ぬ方が、見栄えがいいじゃないか。
国にとっても私が死ぬことは危険分子を排除するいい機会のはず。
国民をより、扇動しやすくなるはず。
けれど。
エピメテウスが目に入る。
こちらに向かって手を伸ばし駆けてくる。
あぁーー。
これが、まぎれもない私の本心。
「助けて!」
エピメテウスが剣を抜いた。
動けない私の前に立ち、背を向け相手を迎え撃つ構えだ。
剣の切っ先が鋭く光る。
私はその光に縋った。
発砲音は断続的に続いている。
「パンドラ!覚悟!」
近くで上がった怒声に振り返る。
軍服を着た男だった。帝国軍の。
ーースパイが紛れ込んでいたのか。
さっきまで私を守っていた。
その男が、私に斬りかかる。
怒りに顔を歪めて。
覚悟を宿した目で。
彼にとって、私は紛う事なき敵なのだ。
叫ぶこともできなかった。
目を瞑って、やがて訪れるだろう痛みを待った。
「ご無事……ですか」
その声に、うっすらと目を開けた。
「っ……!」
叫んだつもりが、声にはならなかった。
「エピメテウス様!」
そこには血にまみれたエピメテウスと、心臓を貫かれたスパイの男が立っていた。
「もう、大丈夫ですよ」
男の心臓から剣を抜く。男の血がエピメテウスに降り注ぐ。
彼の姿は、返り血によるものだったのだろう。
エピメテウスの言葉に、私は周りを見渡した。
惨状、だった。
硝煙と血の匂い。
すすり泣きや叫び声が聞こえる。
ここに来たばかりに、たくさんの人が巻き込まれ、犠牲となったのだ。
「皇女ーー、パンドラ様」
エピメテウスが剣をしまいながら、私を呼ぶ。
「申し訳ありません。このような状況で、一つ、仕事をしてもらわねば」
「……はい」
新聞の一面は、勇敢なエピメテウスと、襲われながらも毅然と振る舞い、その場にいた者達を勇気付けた第三皇女パンドラについてだった。
犠牲者の数は、小さく書かれただけである。
「国民よ」
血にまみれた壇上で、私は演説した。
「これが連合国のやり方。私達を内部から引き裂かんとする、卑怯な者達。負けてはなりません。正義は我々にあり!今日この日を忘れてはなりません。犠牲となった者達のために!私達は!前に進んでいくのです!」
こうして私は、彼らを扇動する。
それが罪深いことだとは知っていても。
血で汚れたエピメテウスを見る。
彼も、同じだろうか。
私は毎晩、己の罪深さに震えている。
悪夢は、未だ終わらない。