第7話 生きていることは……
(よかった。あった……)
昨晩に舘から受け取ったピンをシャツの胸ポケットに忍ばせた是結は、夕方、一番乗りになれる程度に早めの時間に、いつも通りの変装でロージアへ来、団長室の正方形の下の空間で、そこにロージア壱号本体があることを確認した。
ロージア壱号は、以前、完成したばかりの時に舘と共に見に来た時と変わらず、部屋中央の作業台の上に置かれている。
(これが無けりゃ、話になんないもんな)
是結は、今ならばそこにあるロージア壱号が、肝心な時に中川や或いは誰か他の人の手で移動させられて、どこにあるか分からなくなっては困ると考え、持参した風呂敷に包み、持ち出した。
完成時の中川の説明に拠れば大丈夫なはずなのだが、思わず、そーっとになってしまいながら……。
* * *
ロージア壱号本体を、一旦、地下2階の納戸の隅に、風呂敷包みのまま他の荷物の陰に隠れるように置き、是結は、階段を地下1階へと上った。
すると、丁度、地上1階から中川が下りて来、議場の方向へ歩いているのが見え、
「中川さん」
その後ろ姿に、声を掛けた。
足を止め、振り返る中川。
是結は小走りで中川のところまで行き、
「ロージア壱号のピンが手に入りました」
耳打ち。
中川は感情の読み取れない無表情な目で是結を一瞥。
是結は続ける。
「今日、いつもご一緒の12名の皆さんも揃われますか? 薔薇の団の今後について、お話ししたいんです」
すると中川は、それまで何の感情も無かった目に、意地の悪い光を浮かべ、
「舘の犬が、何を企んでいる? 」
剥き出しの敵意。
是結は驚いた。これまで中川について冷静な人であるとの印象を持っていたためと、八つ当たり気味ではあるかも知れないが、中川の中の是結の位置づけに……。
ピンを手に入れるべく舘を襲ったり杏奈を誘拐したりしたが上手くいかず、気持ちが追い詰められているのだろう。その苛立ち様に是結は危険を感じる。この先、本当に、舘や杏奈に対して何をするか分からない、と。
舘親子を救うために是結が昨日、思いついた方法・ロージア壱号爆発作戦を実行するためには、中川とその一派全員を例の団長室の正方形の下の空間に呼び出さなくてはならないのだが、それが難しいことであるとは思っていなかった。ピンの存在をチラつかせることで、簡単につれる計算でいたのだ。
(そりゃ、舘の犬、とか思われてるなら、疑わないほうがどうかしてるってもんだけど……)
是結は、自分が、ここまでハッキリと、中川にとって敵だとは思っていなかった。中川は、舘が是結をロージア内へ初めて連れ込んだ時から、是結を疑っていたようではあったが、薔薇の団や中川に全く危害を加えずに、是結は、これまで過ごしてきたのだ。もう信用されていると思っていたのに。
自分はロージア内にいる時はほとんど舘と一緒にいるため舘派に分類されているが、薔薇の団の派閥など、一応、程度のもの。中川との関係は、同じく地下2階に出入りする、薔薇の団に深く関わっている者同士と、是結は位置づけていたのだ。
(…さて、どうしたもんかな……)
先ずは中川を信用させるところから始めなくてはならなくなった。
急いで頭を働かせる是結。
その時、突然、中川が、クックックと笑い出す。
(っ? )
思わず思考を停止させ、是結は中川を見つめた。
中川、笑いを含んだまま、
「まあ、いい。1人は遅くなるから、全員揃うのは7時半頃だ」
その瞳は挑戦的。
「それで、どこで話す? 議場でいいのか? それとも何処か、ひと気の無いところのほうがいいのか? 」
仮に是結が本当に何か企んでいたとしても、自分たちは13人、対する是結はたった1人なため、問題は無いと判断したのだろうか。
中川の意外な返答に是結は、中川のほうにも逆に何らかの企みがあるのではと怖さを感じ、胸が騒いだが、とにかく、正方形の下の空間に中川と中川一派全員を呼び出せさえすればよいのだ。全員集まれば、その瞬間、全てが終わる。何らかの企みを行う隙など与えなければいい。
「あ、じゃあ、ロージア壱号を製造していた、例の、団長室の床下の部屋で。まだ他の人たちに聞かせる段階ではないと思うので」
「分かった」
* * *
(やれやれ……)
地下2階の納戸内、風呂敷に包んだロージア壱号の隣の床の上に、是結は大きく息を吐きながら腰を下ろした。
加賀に、爆弾製造の事実の有無について、事実無しと連絡を入れなければならなかったためと、中川と中川一派相手のいよいよの時に備えて、別に今も落ち着いていないわけではないが、より気持ちを落ち着けたかったため、ひと気のないこの場所を選んで、中川との約束の時間までを過ごすことにしたのだ。
通信を始めるべく黒鞄を置くのに、是結は、手近に丁度良い木箱を見つけ、置く。
その時、鞄の突起の先端が点滅しだした。
着信だ。
是結は突起を伸ばして鞄を開き、通信機の釦を押した。
「私だ」
通信機の向こうから加賀の声。
途端、
(っ? )
是結の鼻の奥がツンとなった。
(…何だ……? )
何故かは分からないが、泣きそうになった。
加賀が続ける。
「昨日は連絡を寄越さなかったな。こちらに、舘努が怪我をして入院したとの情報が入ったのだが、まさか、変なことに巻き込まれているのではないだろうな? 」
是結は、ともすれば震えてしまいそうになる声を抑え、
「えーっ? 変なことって何っすかー? そんなの起こってませんよー。大丈夫ですってー」
必死の思いで軽く返す。
「そうか、なら良いが」
是結が泣きそうであることに加賀が気づいていないようであることにホッとしつつ、是結、
「僕のほうも、今、連絡をしようとしてたとこなんですよ」
「そうだったのか。何だ? 」
「爆弾製造の事実は無しと、はっきり確認できました。以前の通信時に気に掛けておられた人の出入り可能な大きさの場所は、単なる床下収納でした」
「そうか、良かった」
通信機の向こうで、加賀がホッと息を吐く。
「これで任務完了だな。ご苦労だった」
加賀の言葉に、是結は、はい、と返し、それから急に、付け足したくなった。「ありがとう」と。色々な意味を込めて。少し不自然な気もするが……。
だが、言おうと思っただけで、こみ上げてくるものがあり、是結は困る。
それでも、言いたい。伝えたい。
是結は深呼吸を繰り返し、何とか気持ちを落ち着けて、口を開いた。
「ありが……」
しかし、声に出した瞬間、これまでの中で最も強い鼻の奥のツン、が来て、言葉が詰まる。
涙が溢れる。
是結は慌てて、
「とう、ございま、した……! 」
言うだけ言い、通信を切った。
言うだけ言って切った勢いで鞄も閉めると、着信を知らせる突起の先端が点滅しているのが見えた。
この通信機に連絡をしてくるのは、加賀だけ。加賀が、是結の様子がおかしいと感じ、切られてすぐに再度連絡してきたのだろう。
点滅し続ける突起の先端。無視し続ける是結。
加賀が通信機の釦を長押しした状態で、零零七号応答しろ! 零零七号! 是結! 何をしている馬鹿者がっ! 早く出ろっ! などと通信機相手に怒鳴っている姿が目に浮かぶ。
心配されている。大切にされている。愛されている。
是結は涙が止まらなくなった。
(…ごめん、局長さん……。オレは……)
愛されて生きるより愛して死にたい。
(…考えてみたら、オレ、局長さんには甘えてばっかだったな……。爆弾製造の事実無し、なんて、最後の最後まで嘘ついて……。それでもきっと局長さんは許してくれるって、どっかで思ってて……。今までだって、そんなのを繰り返してきてて……)
舘や杏奈相手には、潔癖なまでに、欺いたままになるのが嫌だと感じたことを思い、
(何でだろうな……)
是結は、天井を仰ぐ。
(勝手だけど、オレは、そんな局長さんとの関係が気に入ってて、まあ、それは楽だから当たり前かもしれないけど、でも実は、局長さんのほうだって、まんざらでもないんじゃないか、なんて、変な信頼感があったりして……)
是結の脳裏を、是結が最後に会った時の姿、誕生日祝いとして贈ったパラソルを肩を支えに斜めに差した姿の加賀が、少女のようにクルッと回って過ぎった。加賀の姿を思い浮かべようとした結果だ。
是結はクラッと目まいを感じた。そのためかどうかは分からないが、涙が止まる。
(あの贈り物は失敗だったな……。本人は喜んでたけど……)
続いて、加賀への贈り物を買うべく杏奈が付き合ってくれた時のことが思い起こされた。
是結に同行したいと上目遣いで是結を窺う杏奈の可愛らしかったこと、冷たくて甘いアイスクリーム……。そう言えば、杏奈には、母への贈り物だと言ってあったこと……。
(…母、か……。あの贈り物の時は、咄嗟に何となくそう言ったけど、オレと局長さんの関係って……)
是結には母がいた経験が無いが、もしいたら、加賀みたいな感じなのではないかと思った。
周囲にいた母親のいる者たちの話から是結が勝手に想像した母親像は、優しくて、優しいから心配性で、心配性だから口煩い。……まさに加賀。
(…親離れの時が、来たのかもな……)
愛される生き方から愛する生き方へ。是結の場合、そのために、巣立ってすぐ命を落とすなどという親不孝をすることになったのだが……。
愛することを知って、護りたい者が出来て、生きてるって素晴らしいと、今更思う。
生きていることは、ひとつの現象……そんな言葉では表現しきれない。
愛する人が生きていて、自分も生きているから、その愛しい姿を目の前で見られる。……本当に、素晴らしい。
加賀に愛され護られて生きてきた今まで。これからは、特に何事も無ければ杏奈を愛し護って生きていったはずだった。
そう、何事も無ければ……。
命を賭さなければ護りきれない状況になったため、今日、是結は杏奈を護って死ぬ。
* * *
(…さて、そろそろ行くか……)
午後7時20分。是結は、風呂敷に包んだままのロージア壱号を片手に、地下2階の納戸を出た。
廊下を歩きながら、これから死に向かうというのに、是結は気持ちが高揚していた。
きっと、殉教者というのは、こういう気持ちなのだろうと思った。死によって、自分の信仰が完成される……是結は、愛の殉教者だ。
団長室に入り、扉をしっかりと閉め、扉の内鍵をする。
背後で、床の正方形がパカンと跳ね上がった。
下の空間へと下りるべく、開いた正方形に近づき、しゃがむ是結。と、下から人の気配を感じた。
(もう誰か来てんのか……)
いよいよかと軽く緊張しながら、是結は梯子を下り始める。
数段下りたところで腕を伸ばし、正方形の蓋を閉める。自動的に団長室入口が開錠。是結は、下からの人の気配について、誰か、というように表現したが、それほど大人数の気配には感じられなかったものの、既に全員揃っていることも考えられなくはないため、それに備えて、すぐにでもロージア壱号を起爆できるよう、ピンを手の中に移動させ、本体のピンを挿す穴の場所も確認した。
下の様子が見える位置まで梯子を下りたところで、是結は驚いた。
そこに、舘がいたためだ。
まだ他には誰もおらず、舘がひとり、梯子の真正面、梯子を下りて来る者を待ち構えているかのごとく梯子のほうを向いて、腕組みをし、作業台の縁に座るように寄りかかって立っている。
(…舘先生……。どうして……)
当然、是結が舘の姿を認めると同時、目が合った。
台に寄りかかったまま、
「是結君」
梯子から完全に下りきった是結を、見据える舘。是結の手の風呂敷包みにチラリと目をやり、
「それは、ロージア壱号だな? そんな物を持って、何をする気だ? 」
俺たち親子のために君が危険を冒すようなことは無いようにしてくれと言われてピンを預かった手前、返答に困る是結。
答えないでいると、舘は小さく息を吐き、
「さっき、君のお母さんが俺の病室を訪ねて来てな。とても慌てた様子で、電話で会話をしていた君の切る間際の様子がおかしかったが何か心当たりは無いか、と」
(……「お母さん」? )
舘は続ける。
「それで、俺は君の行きそうな場所はここぐらいしか知らないから来てみて、そうしたら、君が中川たちをこの部屋へ呼び出したらしいことを小耳に挟んだんでね」
そこまでで一旦、舘は言葉を切り、是結を見据える目に力を込めた。
「ロージア壱号かピン、どちらか片方、こっちに渡してもらえるか? 」
何をする気だ? と聞いておきながら、どちらか片方、というあたり、是結が何をしようとしていたのかなど、お見通しだと言っているようなもの。
是結はバツの悪さを感じた。
舘の言うまま素直にどちらかを渡すことは出来ずにいる。
(今、どっちかを渡したら、きっと……)
渡したほうの物は、もう二度と手にすることは出来ない……そう思った。それは、せっかく思いついた作戦を諦めることを意味する。
(そりゃあ、先生がいたんじゃ、どのみち爆発はさせれないけど……)
この作戦が駄目になってしまったら、どうして舘親子を護ればよいのか分からない。
渡すことを躊躇う是結に、
「是結君」
舘は、距離のあるその場から手のひらを上にして差し出し、低い声で、
「渡しなさい」
高圧的に言う。
一切の抵抗を許さない、絶対的な威圧感を感じる是結。
(…何だ? この感覚……)
そんなものを感じたのは初めてだ。
怖いわけではない。ただ何となく、逆らえない。
まだ自分自身の中で納得できないまま、躊躇ったまま、是結は、のろのろと舘に歩み寄り、上にして差し出されている手のひらの上にピンをのせた。
舘はピンを握りしめ、確認したように頷き、それから、
「いい子だ」
是結に貫禄の笑みを向ける。舘の発する空気が、フッと和らいだ。
「是結君の、俺たち親子を護ってくれようという気持ちは嬉しかった。ありがとう」
そう礼を言った上で、舘、一度鼻の頭を掻き、ただな……と、言い辛そうに続ける。
「君は、まだ若い。俺が君だったら、もう少し上手に俺たち親子を護れる。……少なくても、君が死なずにすむ方法でな」
やはり、お見通しだった。
「どうだろう、この件は俺に預けてくれないだろうか? ……って、まあ、もともと俺の問題なんだが」
是結は頷く。ピンを舘に渡してしまった今、これからここに来るはずの中川と中川一派に対して自分が出来ることは何も無いし、それに、自分が「これしかない」と思った方法以外の方法……舘がどうするつもりなのか、見てみたかった。
ピンも作戦も完全に自分の手を離れたためか、是結は、急にロージア壱号本体をズッシリと重く感じ、舘の斜め背後、作業台の上に置く。
満足げに頷き返す舘に、それにしても……と、是結は思った。
(よく、ここに下りて来れたな……)
昨日の晩の様子、不用意に起き上がることや杏奈に抱きつかれるだけで傷に響いていたような状態の昨日の今日で、梯子を使って、など……。
しかし、
(あ……)
是結は偶然見つけた。受け取ったピンをズボンのポケットに仕舞うべく軽く上体を捻り、仕舞って、息を吐きながら再び元の姿勢に戻った舘のこめかみ辺りから汗が伝うのを……。
(汗……。そうか、無理して……。オレの「お母さん」? に言われて……? オレを、心配して……? )
その時、頭上で、正方形の開いたらしい音と、話し声。梯子を下りる複数人分の音。
梯子を振り返った是結の視界に、ややして現れたのは、中川一派の1人、2人、3人、間に中川を挿んで、4人、5人、6人、7人、8人、ほんの少しの間を置いて、9人、10人、11人、12人。是結が何かを仕掛けてくるのに備えてか、全員が帯刀している。
予定では、ここ、13名全員が下りてきた時点で、是結がロージア壱号本体にピンを挿し、全てが終わったはずだった。
初め、中川一派の1人目が梯子の途中まで下りてきた時点で、1人目の彼は突然固まり、中川や同じ中川一派の仲間がいるであろう上を仰いで、小声であったため是結にはきちんと聞こえなかったが、「団長がいるから下りないほうがいい。上に戻れ」というようなことを言った。しかし、中川からでも下りるよう指示があったのか、渋々下り、他の者も続いた。
12名全員下りてきた中川一派は、誰も梯子から離れようとせず、ゴチャッと固まっている状態。
中川がひとり、そのゴチャッから抜け出し、一派を庇うように彼らの前に立つ。
緊張した面持ちで舘を見つめる中川。
それを静かに受け止める舘。
重い沈黙が流れる。
沈黙を破ったのは、舘の大きな溜息だった。
舘は作業台から身を起こして、ゆっくりと中川の正面50センチメートルほどまで歩き、足を止めて、中川の目の奥を真っ直ぐに覗く。
「昨日の夜、俺の娘を攫ったのは君たちであったと聞いたが、本当か? 」
中川は目を逸らし、人を小馬鹿にしたような嫌な笑み混じりに、
「馬鹿ばかしい。誰がそんなことを? 」
「俺の入院している病院前で娘が攫われる時に一緒にいた、うちの家政婦と」
言いながら、是結に視線を流す舘。
「今、ここにいる、是結君だ。是結君が、攫われた娘を奪い返してきてくれたんだ。当然、犯人の顔を見ている」
すると、一派の中の1人が、はあっ? と声を上げた。
「何、言ってんすか! 昨日の夜、自分らのとこへ娘を奪いに来たのは、自分のことを『ジゴマ』なんて名乗る黒仮面のふざけた野郎で、是結じゃないっすよ! 」
慌てた様子で一斉にその1人を見る、一派の残りの面々。
是結は呆れる。
(墓穴を掘ったな……)
中川も呆れ返った表情で、ほとんど声には出さず、口の動きだけで、馬鹿、と言った。
「そうか。やはり君たちだったんだな……」
舘は、悲しげな目で、深い深い溜息を吐く。
「一昨日、闇夜に紛れて俺を襲撃したのも君たちなのか……? 」
再び流れる沈黙。
中川が両の手を拳に握って俯き、震えだしながら、
「…だって……。…だって……」
と、よほど注意深く聞こうとしなければ聞こえないような、小さく掠れた声で繰り返す。
「だって」……それが舘の質問に対する答えならば、それだけで、襲撃を認めたことになる。
小さく掠れた「だって」を数回繰り返した後、中川は、感情が昂った様子でバッと顔を上げて舘を見、
「だって……! 」
大きな声を発した。
瞬間、舘の右手が中川の顔のほうへとスッと伸びた。
反射的にビクッとする中川。殴られるとでも思ったのだろう。
だが、舘の右手は、中川の顔の横を通過し後頭部へと回って、その頭をグイッと舘の胸へと引き寄せた。
驚いたように目を見開く中川。
舘は、空いている左手を中川の背に回し、両腕でしっかりと中川を抱きしめる格好で、
「言わなくていい。大丈夫だから。分かってるから。君は悪くないから」
力強く、しかし優しく、言い聞かせるような口調で言う。
「……悪いのは、俺だ。俺が、君たちの努力を踏みにじるような真似をしたからだ。君たちは、とても努力をしていたし、結果も出した。だが、俺の考え方が変わってしまって、それに報いることが出来なくなってしまった。本当に、申し訳なかったと思っている」
舘の腕の中で、初め、中川は、傍から見ていても分かるくらい明らかに全身を緊張させていたが、舘が言葉を重ねていくうち、自然な感じで力が抜けていった。
舘は腕を緩め、中川を見つめて続ける。
「もっと早く、出来ればロージア壱号が完成したと、この部屋に呼ばれた段階で、こんなふうに話が出来ればよかったのだが、俺も、あの時は、まだ自分の考えが、爆弾を使ってもよいという考えから、大勢の無関係の人を巻き込む爆弾などは絶対に使うべきではないとの考えに変わったばかりで、そんな時に爆弾が完成したと報告されて、どうしていいか分からなくなってしまっていたんだ。上に立つ立場でありながら、俺は未熟で、そのために君たちを傷つけてしまった。…すまない……」
中川は舘を見つめ返し、無言で首を横に振った。
舘は更に続ける。
「この先も、ロージア壱号を使うことは無い。何かの間違いで使わないよう、始末しようとも考えている。だが、そこで勘違いしないで欲しいのは、俺にとって不要なのはロージア壱号であって、君たちではないということだ。まあ、大丈夫だな? 今の君なら。…数秒前の君では分からないが……」
そうして一度、笑みを見せてから、舘は、再び真顔になり、
「中川、こんな俺だが、懲りずにこれからも共にあってくれるか? 」
その言葉に、中川は涙ぐみながら頷いた。
(円く収まったか……)
完全に傍観者となっていた是結は、自分が命を賭けて解決しようとしていたものを言葉だけで済ませた舘に、半ば感心。残りの半分は、
(けど、これって、舘先生にしか出来なかった方法だよな……)
「俺が君だったら」などと偉そうに言ったわりには、ちょっとズルイと思った。
しかし、
(オレは、ひとりで背負い込み過ぎてたんだな……)
勉強になった。
舘親子を護るために自分のするべきことは、ロージア壱号の製造について、加賀相手に「爆弾製造の事実無し」と嘘の報告をするなりして庇うだけで充分だったのだ、と。
護りたい相手が尊敬する人物であるなら、相手を信じて、相手がどこまで自力で何とかできるのか判断し、任せればよかったのだ、と。
優しく中川を見つめる舘と、指で涙を拭いながら信頼しきった目で舘を見つめ返す中川……そんな2人の様子を眺めていて、2人の間に確かな絆を感じ、是結は、ほんの少しだけ妬けた。
そして、もしかしたら、と思う。
もしかしたら、舘が心配したのは是結ではなく中川だったのかも知れない、と。
(ま、いーけどね……)
深く大きなものになっていきそうだった嫉妬心を、是結は、咄嗟に小さく息を吐いて消化した。
その時、
「あーあ! くっだらねえっ! 」
梯子の下にゴチャッと固まっていた中川一派の集団のうち1人から声があがった。
(くだらねえ? )
声の方向を確認した是結の前、
(っ! )
声の主は、腰に差してあった刀をスラッと抜き、刀の届くの距離ではないその場から、切っ先を舘へと向けた。
そして、背後から中川を見据え、
「中川さん、オレはたった今をもって、あんたの下を抜ける。こんな腑抜けた団長につくことを決めたあんたの下には、いられねえ。上2人がこんなになったら、もう、オレの知ってる薔薇の団じゃねえよ。せっかく作ったロージア壱号。そいつはオレが貰い受けて、有効に使ってやるよ」
「オレもだ」
「オレも」
「僕もっ! 」
「同じく」
「さもありなん」
次々に賛同の声が上がり、最終的には一派の全員が抜刀する。
舘に向けられた12の切っ先。
是結は舘と中川の間に割り込み、舘を背に庇う。
中川が左腰に提げた刀に左手をやり、カチャッと鍔を押し上げた。
それに対し反射的に身構える是結だが、直後、中川は、後ろを振り向きざま抜刀し、薙ぎ払う。
前列にいた一派の面々は、皆、退れない梯子部分を避けて微妙にズレながら一歩退がり、中川の斬撃をかわしたり自分の刀で防いだり。
結果、梯子の正面が空く。
と、中川、是結に背中を向けたまま、
「是結。舘先生を連れて上へ。背中は大丈夫だ。僕に預けろ」
是結、少々驚きながら頷き、
「舘先生」
その言葉に従って舘を梯子へ誘導。上らせようとするが、やはり舘は、この怪我で無理をして梯子を下りてきたり長時間立ったままでいたりしてはいけなかったのだ。もう、立っているのがやっとで、ほとんど体が動かなくなっていた。
そのため是結は、先ず、舘に梯子の両脇の縦の棒を、舘の手の甲に自分の手を重ねて押さえるようにして、しっかり握らせ、膝を使って舘の太腿を押し上げて梯子の横棒に足を掛けさせて、腹や腰で舘の尻を押し上げることでやっと一段上り、また手を一段分移動させて握らせ……を繰り返して少しずつ上っていく。
一派の面々と時折刀を合わせつつ、中川も梯子を上ってきた。
一派も上って来、怪我人連れでない身軽な彼らは、中川に群がり、その上を乗り越えて舘の足に手を伸ばす。
途中、
(っ! )
太腿を押し上げる段階で、舘のポケットから、ロージア壱号のピンが落ちた。
が、中川が咄嗟に手を伸ばして受け止め、是結に向けて、ちょっと得意げに笑む。
何とか団長室の床面の裏まで辿りつき、蓋となっている正方形を開けて舘を床面へと押し上げ、自分も上がって、是結は中川に手を貸そうと、蓋が開いた状態の正方形の穴の中に手を伸ばした。
相変わらず中川に群がっている一派。
中川は是結の手を借りることはせず、群がっている一派が先に上るのを阻止しつつ、自力で上って来ながら、
「是結、ありがとう」
口を開く。
「舘先生と話をさせてくれるために、僕をここへ呼び出したんだろう? 」
(いや、別にそういうワケじゃ……)
是結は戸惑う。何故、今、こんな時に、その話を? と。
「僕は、君を誤解していた。舘先生に可愛がられている君に、嫉妬もしていた。もっと早くに素直になって、君と接せられていたら、僕たちは、兄弟のように仲良くなれていたかな……」
(だから、何で、そういう話を? )
是結は軽くイラッとしながら、あらためて手を伸ばす。いいから早く上って来い、と。
その手を、中川はまた無視し、
「どう思う? 」
是結はイライラを通り越して、大きな溜息。仕方なく、
「そうですね。兄さん」
と答えてやる。
そこで中川は、ようやく正方形から顔を出した。……かと思えば、不自然に正方形の蓋の内側の取っ手に手を伸ばし、一度、満足げな笑顔を見せるが早いか、取っ手を勢いよく引っ張った。
(! )
止める間も無かった。
閉まる蓋の隙間から、一瞬、一派を巻き込んで梯子から落ちていく中川の姿が見えた。
「中川っ! 」
舘が叫ぶ。
是結は既に閉まってしまった蓋を開けるべく、大急ぎで団長室の入口の扉へ向かおうとした。
直後、目の端に、ごく細い正方形の隙間から閃光が漏れたのが映る。
(…まさか……)
正方形を振り返り、固まる是結。
瞬間、閃光から僅かに後れて、ドンッという爆音と、下から突き上げるような震動。
(そ、んな……)
正方形の下で何が起こったのか是結は瞬時に悟った。
同じく今起こった現実を全て理解したであろう舘は、放心状態。
是結、とにかく蓋を開けようと急いで扉へ向かい、扉の取っ手に手を掛けた。その時、背後から、パカッ、と微かな音。
振り返ると、正方形の蓋が勝手に開き、中からモクモクと濃い灰色の煙が立ちのぼっているところだった。
(? )
ワケが分からない是結。
ややして、煙の中から、ゲホゲホと激しく咳き込みながら、全身煤まみれの中川が這い出して来た。
そして、舘と是結に交互に目をやり、極まり悪そうに作り笑いをして、
「ロージア壱号、失敗だったみたいです。自信あったんですけどね……」
舘が、中川の言葉を遮るように、中川を胸にかき抱く。
怪我も何もしていなさそうな中川の様子に、是結はホッとして、笑いが込み上げてきた。
じゃあ、今までの事は一体何だったんだ、と怒りたい気持ちも少しはあったが……。
梯子から落ちる時に見事に中川の下敷きになってしまった一派の面々も、一時的に気を失っていただけで、特にこれといった怪我はしていなかったらしく、暫くして自力で梯子を上ってきた。
ロージア壱号を中川が爆発させた瞬間には既に気絶していたものの、爆発後の今、自分が生きていることから、その失敗を知り、顔を見合わせて苦笑する一派一同。
だが、どうしても、一度できてしまった中川との心情的な溝は深く、苦笑で済ませられないものだったらしく、揃って薔薇の団を去ることを決めた。
* * *
ロージア店内に是結の母と杏奈を待たせてあると舘から聞き、自分ではほとんど動けない舘に肩を貸しつつ、連れ立って、ロージア店内へ向かう是結。
向かいながら、
「是結君、あまりお母さんに心配かけちゃ駄目だぞ? 」
舘は、是結に軽く説教。しておいて、
「いやー、しかし綺麗なお母さんだね。次は是非、お母さんも一緒に、うちに遊びに来るといい」
(…だから、「お母さん」って……? )
是結には、母などいない。
(「お母さん」って、誰だ……? )
ちょっと考えただけで、答えは出たが……。
舘向けに、電話、と説明したようだが、正確には通信機で会話をし、切る間際の是結が、心配させてしまうような、おかしな様子をしてしまった相手で、舘の入院先を知っていそうな人物。……そんなのは1人しかいない。
ロージア店内に出る直前、
「舘に任せておけば大丈夫ですよ、マダム」
格好つけて気取った感じの曽根の声。
3歩歩くと、カウンター内にいる曽根の向かい側に、長い髪を頭の上で巻き、ドレスを着て、カウンター席に上品に浅く腰掛けた貴婦人が見えた。
女装(? )した加賀だ。
加賀は是結の姿を認めると、
「翻人ちゃん……! 」
涙声で言い、わざとらしく女性らしさを強調した走り方で駆け寄って来た。
(「翻人ちゃん」……? )
是結は、クラッと目まいがした。
と、その時、加賀が座っていた席の隣の席にいる杏奈と目が合う。
杏奈は、心の底からホッとしたように微笑んだ。
愛しさで胸がいっぱいになる是結。
(…生きてて、良かった……! )
終