第5話 突然の終了
ロージア地下・団長室内。
舘に頼まれて団長室内に置かれている分の資料の整理を手伝っていた是結は、舘の机の隅に見慣れぬ真新しい本が、しかも同じ物が何冊も積んであるのに目を留め、
「舘先生、その本は? 」
「お? やっと見つけたか! 」
舘はニヤリと笑って言う。見つけてほしかったようだ。
「本を書いたんだ。是結君にも1冊あげるよ」
1冊手に取り、是結に差し出す舘。
そう言えば杏奈が、舘が本を書いたと言っていたと、思い出しながら、是結は受け取る。
その時、
(っ! )
是結の視界の隅で、入口の扉の正面辺りの床板が、80センチメートル四方の正方形の形で、突然パカッと、周囲の床面に対して垂直になるように開いた。
この団長室の床が正方形に開くことを是結は知っていたが、あまりに突然だったため驚いた。
驚く是結を見、
「そうか。是結君は、ここの床が開くことを知らなかったな」
舘が苦笑する中、開いた正方形の下から中川一派の1人・佐藤が白衣姿で出て来、舘に向かって真っ直ぐ進むと、
「完成しました。中川副団長がお呼びです」
「分かった。すぐに行くと伝えてくれ」
「はい」
そして佐藤は再び正方形の下へ。
(完成しました? …何が……? )
返答を期待し、是結は舘の顔を窺い無言の問いをするが、舘からの答えは無い。ただ、舘の表情は酷く曇って見えた。
正方形は閉まると、また、どこを取っ掛かりにして開けてよいのか分からない状態に戻った。
これは未だ、是結には謎のままだ。
舘の部屋のことなのだから、舘に近づくことで分かると思っていたのだが、機会が無かっただけだろうか? おそらくそうだ。
たった今、是結の目の前で平気で中川一派の佐藤が出入りした。佐藤に舘を呼びに来させたのは中川であり、中川には、是結がここにいることは想像の範囲内のはず。舘については、開いた正方形に是結が驚いた時の言葉で分かる通り。床が開くことは、彼らにとって、是結に知られても何でもないことなのだ。
「是結君。一緒に来るか? 」
いつになく暗い声の舘の問い。
「あ、はい」
これまで恵まれること無かった機会に、今、恵まれた。
初め、どこへ行ってしまうのかと思った。
「是結君。一緒に来るか? 」と聞かれ、はいと答えて、話の流れ上、床の正方形の下の空間にいるであろう中川の所へ行くものと思っていたが、是結の返事に頷き返し、じゃあ行くか、と動き出した舘は、団長室の入口の扉の取っ手に手を掛けたのだ。
だが舘は、扉の取っ手を回して団長室の外へ出て行くのではなく、掛けたほうの手で取っ手を支え、その中央についている内鍵を閉める。
同時、床の正方形が、パカッと跳ね上がった。
(すごいっ! )
こういう仕組みだったのか、と、感心する是結。
それから舘は正方形へと歩き、是結について来るよう言って、中へ。
閉まると床になる正方形部分は、厚みが10センチメートルほどもあり、ポッカリと開いた穴の中は、下へと向かって梯子があった。
いちいちひとつひとつを観察するようにしながら、是結は、舘の後に従う。
舘に言われ、中に入って、梯子を数段下りてから、閉まれば床となる正方形の裏側の取っ手に手を伸ばし、引っ張って閉めると、遠くのほうで、鍵の開閉のカチャッという音がした。
おそらく、団長室入口の内鍵が開いた音だ。
舘に続いて梯子を下りて行き、着いた場所は、床・天井・四方の壁の全てをコンクリートのような冷たく硬い材質のもので作られた、30畳ほどの部屋だった。
天井は高めで、部屋中央に2畳分ほどの作業台のようなものがある。
その作業台の上の丁度真ん中に、縦15センチメートル、横20センチメートル、高さ10センチメートルほどの直方体の金属の箱が置かれていた。
梯子を下りた地点から見て、作業台の向こうには、一様に白衣に身を包んだ中川と中川一派12名が揃って横一列に並び、舘を待っていたのだろう、舘が立ち並ぶ一同と作業台を挟んで向かいに立つと、中川が口を開いた。
「お疲れ様です」
それに対し、舘は頷き、是結は舘の隣に立って、会釈する。
目の前の作業台の上の金属の直方体には、上部中央に、是結の位置から見て、くの字が縦に2つ並んでいるようにも、少し潰れ気味のアルファベットのWが横になっているようにも見える形の、5ミリメートル四方に収まる程度の小さな穴があった。
ついさっき一派の佐藤が来て、完成した、と言ったのは、この直方体のことに違いない。
中川は続け、
「完成致しましたので、ご報告申し上げます。こちらが、舘先生の許可の下製造し、つい先程完成致しました、小型爆弾。名付けて、中川式ロージア壱号です」
手のひらで作業台の上の直方体を指す。
(爆弾……。本当に作っていたんだな。つい先程完成して、今ここにあるということは、ここで作っていたのか。…今回の任務は失敗だ……。爆弾を製造している疑いがあるから、その事実の有無を探れって指令だったのに、完成品ありって報告することになるなんて、しかも、完成が任務開始後だなんて……)
失敗という形で突然、任務終了を迎え、是結は心の中で、ひとり反省会を開いた。
(のんびりしすぎたか……。潜入に成功した翌日には、団長室の床の正方形の下に人の入れる空間があることを知って、その場所で爆弾を作っているかも知れないなどとも確かに思い、実際、本当にその場所……今いる、ここで、作っていた。……もう少し、何とかならなかったか……)
反省した是結は、任務は失敗に終わってしまったから、せめて手土産として、加賀への報告時に、完成した爆弾・ロージア壱号の詳細を伝えようと、一言一句も聞き漏らさないよう中川の説明に聞き入った。
「小型ですが、高い殺傷能力を有しています。議事堂くらいならば、軽く吹っ飛ばすでしょう。特徴は、これ自体には安全装置も起爆装置も無いことです。ロージア壱号は2つの液体の薬品を使用しており、今の段階では、その2つが混ざり合うことなく分かれています。2つが混ざることで爆発を起こしますが、移動中に安全装置が誤ってはずれたり、起爆装置誤作動の危険を回避するため、安全装置はありません。起爆装置は」
話しながら、中川は白衣のポケットに手を突っ込み、ロージア壱号本体の穴と同じ形の先端を持つ、十センチメートルほどの長さのピンを取り出して、
「これです。このピンを本体の穴に挿すことで、中の薬品が瞬時に混ざり、即、爆発します」
(…つまり、爆発させた人間も死ぬのか……)
是結は中川の過激さに驚き、また立場上かなり不謹慎だが、
(けど、確実な方法だな)
内心、感心する。
「このピンは、失くさないよう気を付けなければなりません。製造の工程上、ピンを失くしたからと言ってピンだけ再度作ることが出来ませんので。1つ作るのに、費用も相当かかりますし」
「そうだな」
是結を連れてここに下りて来る際に、是結に、閉まれば床となる正方形を閉めるよう言って以降、舘は初めて口を開いた。
その声は相変わらず暗い。
ロージア壱号製造は舘の許可の下だったということだが、それが完成したのに嬉しくないのだろうか? と、是結は思った。
中川だって途惑っているように見える。
舘らしい熱い労いの言葉が貰えるものと容易に想像のつく状況で、この薄い反応は何だ、と。
舘が中川に向けて無言で手のひらを上に向けて差し出す。
「あ、はい……」
条件反射の如く、舘の手の上にピンを置く中川。
舘、ピンを握り、その手を軽く上に持ち上げて見せながら、
「これは俺が預かろう。ご苦労だった」
そして回れ右。梯子のほうへ歩き出しつつ、
「行こう。是結君」
その背中を、
「お待ち下さい! 」
中川が呼び止めた。
「それだけですか? ロージア壱号の具体的な使い方などについて、話し合われないのですか? せめて、それについて後日あらためて話す日時の指定などは? 」
舘は足を止め、頭だけで少し振り返り、
「使うつもりは無い。使うとすれば、その使用法は、我が団体がそれを所持しているという噂を積極的に流すという方法でのみだ。それだけでも、政府への圧力として効果はあるだろう」
そして、また前を向いて歩き出す。
中川は途方に暮れた表情。
「行くぞ、是結君」
足を止めないまま声を掛けられ、
「あ、はい」
急いで後を追おうとして回れ右をする是結の視界の隅、たまたま中川が映り込み、その表情に、是結はゾクッとする。
悔しげな、憎悪さえこもっているような……。
舘の後について梯子をのぼり、正方形から団長室へと出た是結の前、後ろ姿のまま、ピンをズボンのポケットに仕舞った舘は、是結を振り返り、自嘲的に笑った。
「是結君は、俺を軽蔑するか? 爆弾……ロージア壱号について、自ら製造の許可を出しておきながら、使うつもりは無いなんて……」
「あ、いえ、軽蔑など……。ただ、どうしてかな、と……」
「中川たちは、是結君以上に、そう思っているな」
舘は深い溜息を吐き、俯く。
「ここまでさ、結構大変だったんだ……。ロージア壱号の製造は、まず、それを製造するための部屋……今、君と行ってきた、製造中に誤って爆発を起こしても他へ一切影響を出さないための、この下の部屋を造ることから始まっているからね。そして部屋完成後、もう半年近く、中川は、さっきも一緒にいた12名の特定の団員と共に、製造にかかりきりだったんだ。中川に崇拝に近い感情を抱いている、その彼ら12名のために、たまに勉強会を開いたりする他は、大学での仕事の時以外、ずっと。…本当に、中川たちには申し訳ないことをした……。だが」
舘は顔を上げ、眩しそうに遠くを見る目つきになり、
「間違っているとは思わない。今までの俺が間違っていたんだ」
そこまでで視線を是結に向け、
「……先日、娘が、杏奈が怪我をしたことは知っているだろう? 」
「僕が舘先生のお宅にお邪魔した日のことですよね? 何でも、他人の喧嘩に巻き込まれたとかで」
「ああ。…その時の杏奈の怪我は軽いものだったし、杏奈自身も特に問題にしていなかったから表には出さなかったが、俺はあの時、喧嘩をしていた見知らぬ男2人に対して、激しい憤りを覚えていた。他人の娘を巻き込むなと。何の罪も無い他人を巻き込むような場所で喧嘩をするなと……。恥ずかしながら、そこで初めて俺は気づいたんだ。自分のしようとしていることの愚かしさに……。爆弾など使えば、無関係な人を、何人も何十人も犠牲にしてしまう。本当の民衆のための政治、などと大義名分を掲げながら、その民衆を巻き込む方法を、平気で採ろうとしていた。他人を巻き込むことは、その巻き込まれた当人だけでなく、その家族や友人まで悲しませる、絶対に許されない行為だ。日本は侍の国。大勢を無差別に巻き込む爆弾など使わず、刀を持って、自分の相手にするべき相手だけに狙いを定めて、向かっていけばいいんだ」
話しているうちに、舘の瞳の奥に光が生まれ、それは次第に強さを増していき、最後には、決して揺るがない意志となって、その中央に留まった。
是結は、
(舘、先生……)
舘を格好いいと思った。
もう任務は終了だが、この先も、舘と共にありたいと思った。
* * *
いつものように公園前で舘と別れ、公園内外灯下の長椅子に座り、小一時間。
是結は、たゆとう心と戦い、やっと、
「零零七号です」
通信を始めた。
躊躇っていた理由。それは、明治43年法律第53号鉄砲火薬類取締法。
今から加賀に伝える予定の内容は、爆弾製造の事実有り。既に完成。
これを伝えれば、舘は捕まってしまう。
そうなれば、杏奈も悲しむし、出来ることなら助けたい。
だが、そんなことは、自分が舘の敵であるなどということは、初めから分かっていたこと。
それに、事実は曲げられない。
これが自分の仕事なのだと、小一時間かかって何とか自分に言い聞かせたのだ。
「ご苦労。何か進展はあったか? 」
(! )
加賀の、進展、という言葉に、是結はハッとした。
(…そっか。オレは、今まで散々時間をかけてチンタラやっていた……)
今日、急に大きく事態が動いたために、舞い上がってしまっていたのだろう。
チンタラついでに、あと2・3日もらって、舘からピンを盗んで海に捨てるでもして、ロージア壱号の無力化をしてから、
「製造の事実無し。以前の通信時に気にかけていた、人の出入り可能な大きさの場所は、単なる床下収納でした」
くらいに報告すればよいのではと、今、思いついた。
何故なら、舘にロージア壱号を使う気が全く無く、この先は、もう、爆弾製造の許可などしないと、是結には確信を持って言えるため、現存するロージア壱号さえ始末してしまえば、嘘にならない。
正方形下の空間だって、爆弾を製造しなくなれば、本当に単なる床下収納に、自然と変わるだろう。
是結は、
「いえ、まだ何も」
伝える内容を、咄嗟に変更。
進展の無い日々が続いたための、
「そうか。では引き続き、調査を頼む」
との、すっかりお決まりになってしまった加賀の指示に、はい、と返事をし、通信を切った。