第4話 デパートメントストーアしもだ呉服店にて
(…変な時に来ちゃったなあ……)
朝、久し振りに情報局へ顔を出した是結は、心の中で大きな大きな溜息をついた。
是結が情報局へ来たのは、通信機の調子がおかしいと感じたため、担当の局員に見てもらうのが目的だった。
前日の夜の加賀との通信後、通信を切っても繋がっている感じがし、今も、その状態が続いている。通信機の向こう側の音声などは聞こえてこないのだが……。
情報局入口の扉に手を掛け、開けた瞬間、しまった、と思った。
加賀の席を、是結を除いた特殊諜報員を含む局員全員が取り囲み、その中心で、加賀が副局長から大きな花束を受け取っているところだったのだ。
是結はすぐに思い出した。今日は加賀の誕生日であると。
花束贈呈が済むと、今度は、各々用意した贈り物らしい包みを渡し始める。
(これは、まずい)
たった今、加賀の誕生日を思い出したところである是結は、当然のことながら、贈り物の用意など無い。
幸い、まだ誰も是結の存在に気づいていないようであるため、見つからないうちに立ち去ろうと、一度は開けた扉をそっと閉めた。
しかし、通信機を見てもらわなければならないため、
(仕方ない。買って来るか……)
贈り物を用意して出直すことにした。
* * *
是結が加賀への贈り物を買うためやって来たのは、庁舎から自転車で5分ほどの距離にある百貨店・デパートメントストーアしもだ呉服店。
木造の、基本は3階、屋上の一部に丸いドーム屋根をつけ強引に4階建てにした、洋風建築のその建物の入口を入り、入口で下足を預けるのと引き換えにスリッパを借りて履いて、まず最初に是結は、すぐのところの壁に貼られた、何階のどの辺りに何の売場があるかを示す、館内案内図を見た。
是結がここに来るのは初めてではなく、売場の位置も、そう頻繁に変わるものでないのも分かっているのだが、それを見ながら、加賀への贈り物を何にしようかと考えていた。
その時、
「是結、さん……? 」
背後で、聞き覚えのある少女の声がした。
振り返ると、リボンで飾られた小さな包みを大事そうに胸に抱えた杏奈がいた。
(…最悪だ……)
是結は、内心溜息。もう会わないようにと思っていたのに、と。そんなふうに思った、舘の自宅に招かれた日から、ほんの数日。会えたらリボンを返そうと持ち歩いていた間は全く会えなかったのに、と。
今日などは特に、会いたくなかった。……と言うか、いつもであれば本音は会いたくないわけではなく、辛くならないよう、会わないようにしようというだけなのだが、今日は、本当に会いたくなかった。こんな、相手が加賀とは言え、一応女性への贈り物を買おうという時に……。
「お買物ですか? 」
「あ、ああ、まあ……」
杏奈のごく普通の問いに、一方的に気まずさを感じて返答を濁す是結。
「私もです。お父様が初めて本を書いて、それが今日、出版されるので、何か記念になるような物を贈ろうと思いまして。丁度、学校が創立記念日でお休みで、お父様に内緒で買うには都合が良かったので」
そこまでで、一旦、言葉を切り、何故か杏奈のほうまで言い辛そうに、上目遣いで是結を窺いながら、
「…あの、是結さんは、お買物は今からですか……? 」
(? )
質問の意図が分からなかったが、聞かれるまま、是結は、そうだけど、と答える。
杏奈は、やはり言い辛そうに、恐る恐るととれるくらい遠慮がちに、
「…あの、出来れば、私もご一緒させていただけないでしょうか……? 私、たった今、買物を終えてきたところなのですけど、このような場所に私のような歳の少ない者が1人でなど、何だか場違いな感じがして、居辛くて……。買う物だけ買って帰ろうとしていたのですが、出来れば、もっと色々見て歩きたいと……」
(…可愛い……)
上目遣いで是結の答えを待つ姿があまりに可愛らしくて、
(こんなに可愛く頼まれたら、断れないよな……)
是結は、仕方なく? 杏奈の同行を了承した。
「何をお買い求めになられるのですか? 」
小物類の売場内を左右交互に視線を移してはゆっくりと歩く是結の、半歩斜め後ろをついて来ながら、杏奈が聞く。
自分がされた質問には答えず、是結、
「君は、舘先生に何を買ったの? 」
逆に質問。
「あ、万年筆です。舶来品の……」
杏奈の答えに、
(万年筆か……。それもいいな)
などと思いつつ、
「オレのほうも贈り物でね。実は、まだ何にするか決めてないんだ」
「贈り物……。どなたへですか?」
ごく普通の質問。だが、一応であっても女性への贈り物と杏奈に知れることに抵抗のある是結。返答に一瞬の間が空く。
その間を敏感に感じとったか、是結が答えるより前に、杏奈は、ハッと口を手で押さえ、
「あ、ご、ごめんなさい……。余計な穿鑿をしてしまいました……。そんなつもりは無かったんです。ただ、贈り物選びのお手伝いをできたらと……」
上目遣いに是結を窺った。
杏奈の様子に、是結、自分の態度が良くなかったのだと気づき、急いで、
「あ、いや、余計な穿鑿だなんて思ってないから……」
執り成す。
杏奈は、
「そうですか。良かった……」
ホッとしたように笑んだ。
その笑顔に、是結もホッとする。
「贈り物は、母の誕生日用なんだ。一緒に選んでもらえるなら、助かるよ」
言っておいて、是結は心の中で自分に対して苦笑した。「母の」だなどと、よくもまあ、こんなにスラスラと嘘が出てくるものだ、と。
(…もしかして、職業病ってやつか……? )
* * *
「嬉しい! いただきますっ! 」
杏奈は、目の前の磨き込まれた硝子の器が天井からの照明の光を反射する輝きに負けないくらい、目をキラキラさせて、是結の向かいで行儀良く手を合わせ、言った。
(可愛いなあ……)
是結は微笑ましく杏奈を見つめながら、軽く上から目線気味に、
「はい。どうぞ召し上がれ」
学校の先生のような感じを意識して冗談めかして言う。
それを受け、杏奈は、美しい曲線を描いた長めのスプーンを手にとり、硝子の器に上品に盛られた黄味を帯びた白色のアイスクリームをすくって口へと運んだ。
途端、
「美味しい……! 」
頬を手のひらで押さえる。
その表情を眺め愛おしさで胸をいっぱいにしながら、是結も、自分の前のアイスクリームを口にする。
生まれて初めて食べたそれは、口に入れた瞬間、まずその冷たさに驚き、次に来る甘さに、アイスクリームが口の中で融けると同時、自分までとろけてしまう錯覚を覚えた。
杏奈の見立てで、加賀に今年の流行色である鈍色のパラソルを買った是結は、付き合ってくれた礼にとアイスクリームをご馳走するべく、最上階の丸いドーム屋根の下の食堂へ、杏奈を連れて来ていた。
が、礼など口実。本当の理由は2つある。
1つ目は、単純に自分がアイスクリームを食べてみたかったから。幼い頃は貧しくて食べられず、この仕事を始めて経済的に豊かになってからでは大人の男が1人で甘い物など何となく恥ずかしくて食べに来れないでいたのだ。
もう1つは時間稼ぎ。今度こそ杏奈と会うのを最後にしようと考えたため、加賀への贈り物を選んだだけでさっさと別れてしまうのが、惜しく感じられたためだ。
と、その時、
「…曽根のおじさま……」
杏奈が是結の肩の向こうのほうを見、呟いた。
(? )
つられて、そちらを振り返る是結。すると、
(っ! )
曽根がテーブルの上に両肘をつき顎を支える格好で、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
杏奈がゆっくりと静かに立ち上がり、
「こんにちは、曽根のおじさま」
挨拶をする。
曽根は変わらずニヤニヤしたまま、
「逢引かい? いいね、若いって。羨ましいよ」
「そんな、逢引だなんてー」
何だか嬉しそうな感じで、杏奈は照れる。
* * *
「これを私にか! 」
杏奈と別れ、情報局へ戻った是結は、加賀に贈り物のパラソルを渡した。
「このような女性らしい物を贈られたのは初めてだ」
加賀はまんざらでもない様子で、是結は、ちょっと意外だった。
加賀への贈り物として、是結は、ネクタイや灰皿など男性的な物を考えていたのだが、杏奈や売場の販売員に加賀の特徴や性格を聞かれて話したところ、揃って、あえて女性らしい物をと薦められ、そうした。
しかし、薦められるまま買ったものの、是結は、どうにもそれが加賀にしっくりこないように思え、気に入らないどころか怒られるのではと、ビクビクしながら渡したのだった。
加賀は席から立ち上がり、パラソルを開いて、肩を支えに斜めに差し、少女のようにクルッと回ってから是結を見、
「どうだ、似合うか? 」
(…いや……)
是結は、クラッと目まいを感じた。




