第3話 再会
「是結君。この後、時間はあるか? 」
ロージアからの帰り、いつも別れる公園前まで来たところで、舘が口を開いた。
「独り暮らしなんだろう? たまには、うちで一緒に夕食でもどうだ? 」
「あ、はい。是非」
是結が薔薇の団に入団してから、10日が経っていた。
爆弾についても、あの入れなかった正方形の下の空間についても、何も進展が無い。
その2つの件について、舘により近づくことこそが情報を得る早道と考え、今は、その方向で努力している最中だ。
今後役に立つかも知れない小さな収穫はあった。
薔薇の団の団員として過ごすうち、他の団員同士の会話に耳をそばだて、また、彼らと直接会話する中で、薔薇の団について自然と色々なことを知ることとなったのだ。
例えば、地下2階まで下りて行くのは、ほんの一握りの団員だけで、他の団員たちは地下1階の議場に集まるのみということ。その一握りというのは、団長の舘と副団長の中川、是結が入団した日に演壇の中川の話を熱心に聞いていた中川を特に慕う12名・通称、中川一派、それから、今は是結もそうだ。
努力の甲斐あって、是結は現在、その一握りの一員となれているのだが、それは名誉なこと……ではないらしい。
選ばれてしまった、目をつけられてしまった……人目を憚りながら、そう表現した人がいた。入ったばかりで知らないだろうが、中川一派は過激だから、と。危険だから深入りしないほうがいい。是結がそういう人種には見えないのだが大丈夫か、と、心配までされた。
それを聞いて是結は、
(…過激派ねえ……)
考えてしまう。
そもそも薔薇の団自体が、本来の是結の立場側の者たちからは、過激派に分類されている。
(その中でも温度差があるっていうことか……。それとも、微妙な考え方の違いか……? )
今回の任務を受けるまで薔薇の団の存在すら知らなかった是結には、あまりピンとこない。
実際に関わってみて、団員の人たちは皆、自分の考えはしっかり持っているものの、穏やかな普通の人たちばかりだ。
薔薇の団の対外的な活動には、まだ一度も参加したことが無い上、内部の人たちからも過激と言われる中川一派とその元締めたる中川は、何故かほとんどロージア内で見かけることが無いため、ピンとこないのは当然かもしれない。
加賀曰く、「薔薇の団は有能な者が揃っている」。そういう集団ならば、なおさら、対外的でない、味方しかいない場では、無駄にピリピリなどせず、穏やかな空気が流れるのだろうから。
舘に案内され到着したのは、純和風の、門や塀にまで屋根状の飾りのようなものがついている大邸宅。
「ようこそ我が家へ」
舘が冗談めかした気取った調子で門を開け、是結を通す。
「あ、どうもすみません」
そうして門をくぐって見えたのは、やはり純和風の平屋建ての立派な建物。
玄関の引き戸を開け、舘、
「ただいま」
言いながら中へ入る。
すると奥のほうから、
「まあまあ、旦那様! 」
60代半ばくらいの歳で和服に割烹着姿のふくよかな女性が甲高い声で言いながら出て来、玄関の床の上に正座して、
「お帰りなさいませ」
舘が差し出した鞄をにこやかに受け取る。
舘、
「静子さん、紹介するよ」
女性は、静子という名らしい。
舘は、まだ開け放したままの玄関の戸の向こうに立っていた是結に中に入るよう言う。
「あ、はい。失礼します」
中に入り、丁寧に戸を閉める是結。
それを確認したように頷いてから、舘、
「新聞記者の是結翻人君だ」
続いて是結向けに、
「うちの家政婦の三田村静子さん」
それを受け、是結、
「是結です。初めまして」
返して静子、ニコニコ笑ながら、
「三田村です。是結さんは美男子ねえ」
「はあ、どうも……」
少し照れての挨拶が済み、是結は、舘から上がるよう言われ、靴を脱いで上がり、舘の斜め後ろについて廊下を進む。
舘邸は門・塀・建物の外観・玄関内部は純和風だが、一歩廊下に踏み出した瞬間から、廊下を通過するまでに左手側に5つあった部屋の入口が、引き戸だが障子や襖ではなく洋風的な彫り物が施された木製のものであったり、庭に面していると思われる右手側の窓にはカーテンが掛けられていたりと、存在感の薄い洋風の物で少しずつ違和感無く洋風へと移行し、最終的に是結が通されたのは、天井から吊り下げられた、8つの光源とそれを支持する8本の腕木を有する照明器具のある、完全洋風の食堂。部屋中央には腰までの高さの食卓が置かれ、その周囲には8つの椅子。足下には絨毯が敷かれている。
舘は、大きな窓を背にした最も奥の椅子の横に立ち、その位置から見て角を挟んですぐ右の席を手のひらで指し示して是結に座るよう勧め、是結が座るのを待ってから、自分も立っていたすぐの席に座った。
静子が、すぐにお食事をお持ちしますね、と言いながら是結の前に茶を置く。
ありがとうございます、と礼を言う是結に、静子は笑みで返し、何故かすぐに笑みを消した。
(? )
不思議に思う是結の視線の先、静子は、続いて、少し緊張しているようにも見える面持ちで、舘の前にも茶を置き、
「旦那様。実は今日、お嬢様がお怪我をされまして」
舘が驚いたように、バッと静子を振り仰いだ。
静子は一度、ビクッとし、それからオドオドと、
「すぐにご連絡を差し上げようとしたのですが、お嬢様が、仕事中に連絡しなければならないような怪我ではないとおっしゃられて……」
その時、
「私のことなら心配ありません、お父様。ほんの擦り傷です」
食堂入口のほうから、凛とした少女の声。
そちらを見れば、暖かそうな上質な感じの白い布地で作られた上下一続きの洋服を着た、茶色がかった黒髪と意志の強そうな大きな目を持つ、肌の色つやの良い健康的な美少女が立っていた。
たった今話題に上っていた怪我だろう、額中央にガーゼが医療用テープで固定されているその少女の姿が、言っては悪いがちょっと間の抜けた印象で、だが不思議と是結には、可愛らしく感じられた。
「学校からの帰宅途中の道で2人の男性が喧嘩をされていて、一方の方が相手に向けて石を投げつけられたのを、相手の方が避けたために、私に当たったのです」
言いながら舘のほうへと歩く美少女を、是結は、可愛らしく感じていたことと、それから、何だか見覚えがあるような気もして、思わず見つめた。
「お父様? 」
美少女の怪訝な声に、ハッとする是結。
舘も何か他のことにでも気を取られていたようで、是結より後れ分かりやすく我に返った。そして取り繕うように笑みをつくり、
「是結君、紹介しよう。うちの一人娘の杏奈だ」
舘の言葉を受けて是結を正面に向く美少女・杏奈。
瞬間、是結は思い出した。
同時、杏奈も、
「あっ」
と小さく声をあげ、手で口元を押さえる。
杏奈は、是結が毎日持ち歩いているリボンの持ち主……数ヵ月前にリボンで止血し是結の命を救った女学生だった。
杏奈、
「ご無事だったのですね! よかった……! 」
祈るような形に両手の指を胸の前で組み合わせ、涙ぐみさえして、是結のほうへと、少し身を乗り出すようになって言う。
是結は驚いた。驚きすぎて、思わず立ち上がる。
見ず知らずのはずの自分が無事だったことで、ここまで嬉しそうにされたこと。……と言うか、覚えていたこと自体……。
もう数ヵ月も前のことな上に、今、是結は軽くだが変装をしている。
杏奈は声を震わせながら続けた。
「私、ずっと、あなたのことを気にかけておりました。そして、後悔をしておりました。あの時、あなたに凄まれて、結局、あなたを置いてきてしまいましたが、強引に病院へお連れするべきだったのでは、と……。本当に、ご無事でよかった……」
是結はキュウッと胸を締めつけられた。
杏奈が自分のことを心配してくれていた気持ちに感動したのもあるが、むしろ申し訳なさで。
何故なら自分は、自分のことをこんなにも心配してくれていた杏奈の、父・舘努にとって、実は敵なのだ。
父の敵ならば、娘にとっても敵だろう。間違っても、目の前にいて幸福をもたらす存在ではない。
今、是結のしていることは、程度はどのくらいか是結にも分からないが、後々、舘を傷つける。
是結は初めて自分の仕事を呪った。
もう杏奈には偶然にでも会わないようにしなければ、とも思った。仕事に悪影響がありそうだから、と。
この家にも、もう来ない。
潜入捜査において、信用させておきながら実は裏切っているというのは、当たり前の状態。
それを辛いなどと感じたことは、これまで無く、自分を信じきっている相手に対して、馬鹿な奴だなどと内心笑っていたことさえあった。
それが、今回はどうも駄目そうだ。いや、既に駄目だ。
是結は心の中で深い深い溜息を吐き、そこまでで、
(…ああ、そうだ……)
ふと思い出す。
(忘れないうちに、リボンを返さなきゃな……)
もう会わないようにとの願掛けの意味も込めて……。
是結は背広のポケットから杏奈のリボンを取り出し、その目を真っ直ぐ見つめて差し出す。
「これを……。いつか会えたら返そうと思って、持ち歩いていたんだ。君が去った後、わりとすぐに上司に発見されて病院に連れて行かれたんだけど、そこで医者に、もう少し止血が遅かったら生命が危なかったと聞かされた。君のおかげで助かった。ありがとう」
最後だと思ったためか、変なふうに心がこもったのが自分で分かった。
見つめ返す杏奈の頬が赤らんだのを見、ドキッとする是結。
杏奈、受け取りながら、
「いつも大切に持ち歩いて下さっていたのですね! 」
(…いや、そういう言い方をされると、ちょっと意味が違って聞こえる気がするんだけど……)
何だか、少し顔が熱い。
自分ももしかして今、顔が赤いのか? と、是結は途惑う。
そこを舘、
「何か、2人お似合いだなぁ」
茶化す。
「もう! 嫌だわ、お父様ったら! 」
まんざらでもない様子で返す杏奈。
そこへ、
「さあさ、お待たせ致しました」
静子が料理を運んで来た。
献立は、カレーライスに甘藍のおひたし、たくあん。
カレーの香りが食欲を刺激する。
いい感じに杏奈との間が紛れ、是結はホッとして席につき、杏奈もごく普通に是結の向かいに座る。
食事をしながらの、
「君らは知り合いだったんだな? 」
舘の質問に、是結は、自分の正体を明かさなければ杏奈に助けてもらった時の説明を出来ない気がして困りかけるが、すぐに、困ることではないと気づく。
舘に話してある新聞記者という職業でも、そのまま当てはめて話すことが可能であると。
「以前、取材中に、掴んではいけない情報を、うっかり掴んでしまったことがありまして、追われている最中に怪我をして動けなくなっているところを、通りかかった杏奈さんが助けて下さったんです」
それを杏奈が補足。
「助けたと言いましても、私は止血だけして行ってしまったのですけど……」
そこで一旦、言葉を切り、微妙に熱を帯びた視線を是結に向ける。
「あの時、あなたが私を怖い顔で睨まれたのは、危険だから、私が早く立ち去るよう仕向けたおつもりだったのでしょう? 」
(…この娘は……)
あの時の自分の態度をそんなふうに解釈していたのか、と是結は驚く。
それは真実だが、もしも自分が杏奈の立場だったら、せっかく親切にしてやろうと思ったのにと気分を害し、それよりも後にその相手のために止血するなどの勇気も出ず、ただその場を去ったに違いない。
是結の胸はキュウキュウキュウキュウ締めつけられて、止まらなくなった。
舘がおおらかに笑う。
「是結君は男気があるなあ! 博識でもあるし、俺の見込んだ以上の男だ。どうだ、杏奈を嫁に貰ってくれないか? 」
「もうっ! お父様ったらぁ! 」
照れて両手で顔を覆ってしまう杏奈。
(…この、親子は……)
是結は、胸が苦しくて苦しくて仕方ない。
* * *
満面の笑顔の舘親子に玄関先で見送られ、舘邸をあとにした是結は、自宅へ帰り、隣家の明かりが窓から差し込むのみの薄暗い中、通信機の釦を押す。
「零零七号です」
明かりをつける気分には、とてもなれずにいた。
「ご苦労」
加賀の声を待ち、
「今日、舘努に夕食を共にと招かれ、自宅へ行ってきました」
「自宅へか。大そうな気に入られ方だな」
「…はい……」
是結の脳裏を、舘親子の笑顔が過ぎる。
通信機の向こうで何かを感じ取ったか、加賀、
「どうした? 何かあったのか」
「…舘から、自分の娘を嫁に貰ってくれないかと……」
いつもであれば、重い事柄ほど意識して軽い口調で言う是結だが、たった今、気づいた。いつも軽く言えるのは重い事柄でも自分の側には余裕があるためであると。
今の是結の心には、そんな余裕など無い。
暫しの沈黙。
ややして沈黙を破り、加賀の大きな大きな溜息。
「取り入り過ぎだ、零零七号。分かっていると思うが……」
「はい、分かっています」
是結は静かに加賀の言葉を遮った。
そう、分かっている。だから苦しいのだ。自分は舘親子にとって敵なのだと、分かっているから……。
「そうか。分かっているのならいい。引き続き頼んだぞ」
「はい」