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掌編 本物川

作者: hiromaru712

本物の川は雑然と、生臭く、そして美しい。

掌編 本物川


『よっ!またより道?』

幼馴染の彼は最近いつも、遠回りになるこの角を曲がる。最短ルートの帰り道に直交し、行った先で国道に出る川沿いの道だ。

私の渾身のアプローチを軽やかに無視して、学生服の背中はすたすたと舗装もされていない砂利が敷かれただけの道を進んで行く。ま、今の私と彼の関係を思えば仕方ない。先週のあの出来事以来、彼と私とはこんな感じだ。関係を元通りにしようという私の試みは尽く失敗しているわけだけど、でも諦めなきゃいけない道理もない。私はセーラー服のスカートを翻して、真っ直ぐ伸びた背筋の背中に追いついた。

『あんたホントにこの道が好きねぇ』

彼は立ち止まって、黙って川を見下ろした。

海から遡ればコンビナートを抜け、商業地を潜り、国道を横切って住宅地を縫い、山合いに細く分け入ってゆく地方都市の川。住宅地であるこの辺りは護岸こそされているものの、護岸された区画の中に堆積した土砂が自然の地面のようになり、岸や中州、くねった川を形成して、自然の川のようになっていた。


「ここから更に下って国道より向こう側は、より完全に整備や清掃が行き届いた都会の川になる」

先週一緒に帰った時、割と無口な彼が、珍しく多弁にこの川について語った。

「だけどそんなのは本物の川じゃない。人間にだけ都合のいいように型にはめられた、ただの用水路だ」

高校生にしては落ち着いた声。時々挟まる短い沈黙は、彼が話す内容を吟味する間だということを私は知っている。

「コイやフナ、モツゴなんかは水草に産卵する。カジカやオショロコマは川底の砂礫に、タナゴは砂礫に住む二枚貝に産卵する。コンクリートのU字溝には、彼らは繁殖できない」

そう言えば彼は、小さい頃から生き物が好きだった。今も確か家でカメを飼っているはず。

「引き換えこの辺りの川……あそこを見て」

彼の示す川底には穴が等間隔に開いており、そこに更に穴の開いたサイコロのような構造物が規則正しく並んで、堆積した砂から少し頭を覗かせている。

「それから……あそこ」

護岸のコンクリートの水際に、一定間隔で口を開ける横穴。

「この辺りは砂が堆積しやすいように、生物が冬越ししやすいように意図して設計されてる。四角く切り取られた人工の中に自然に象られる流れ。人と自然の幸せなコラボレーションで生じた川……僕はこれこそ、21世紀の都市に流れる本物の川だと思うんだ」

この時は私が黙って聴いていた。

正直、半分は彼のいつの間にか大人びた横顔に見とれていたんだけど。


彼は再び歩き始めた。

彼の見ていた先を伺うと、川の中州に黒い甲羅の大き目のカメが甲羅干しをしていた。

私はまた彼の背中を追いかける。

今私たちは両思いのカップルではないけれど、彼の好きな川沿いの道を彼の背中について歩く。そんなことだけで、私は割と幸せなのだった。


夕暮れはその濃度を増して、街が少しずつこの星の影にフェイドインしてゆく。

彼は緩やかな坂を登り切って、四車線の国道が渡る大きな橋のたもとに辿りついた。

橋の欄干は少し前に起きた事故の為にひしゃげていて、その直ぐ下には花束とペットボトルのお茶が供えてあった。

国道を、帰りを急ぐ車たちがびゅんびゅん走り去ってゆく。通り過ぎる早めにライトを点けている車が、時折彼の姿をシルエットに変える。

彼はその事故の跡に跪くと、手を合わせて祈り始めた。

私はゆっくり彼の後ろに近づいて、その急に小さくなった背中を見守った。

震える肩。漏れる嗚咽。

「……ごめん」

何度も息をしゃくり上げながら、彼は私に謝った。

『ううん。いいの。あなたのせいじゃない』

「……ごめん」

『運が悪かったのよ。あなたに怪我がなくて、良かった』

「……ごめん」

『謝らないで。私は、大丈夫だから……』

私の言葉は、彼には届かない。

私の姿は彼には見えない。

私は手を彼の背中に伸ばしかけて、少し笑ってそれを引っ込めた。


死んでも、意外と私は私のままなのだった。

私の巻き込まれた事故の跡で、私の冥福を祈り続ける彼。なんだか見守るのに居た堪れなくて、私は視線を川に移した。

川は変わらずそこにある。

人と自然がコラボした、本物の川。

人の造った器の中で生き物が生きて、死んで流れてゆく運命の流れ。

私はふと、自分もその川に生まれた生き物であるかのように感じた。

そしてその感覚を鼻息一つで笑って、長い時間泣きながら祈り続ける彼に視線を戻した。

いつか彼も彼のあるべき流れに戻ってゆくのだろう。私の死は、その流れの一部として、時間の下流に流れてゆく。

早くそうなって欲しいと思う気持ちと、それを淋しいと思う気持ちが今の私に同時に存在し、それはどちらも正直な私の気持ちだった。


『本物川、か……』


呟いて見上げた薄い紫の空には、小さな一番星が見落としそうなほど控えめに瞬いていた。

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