(その三) ブスの芽生え
美小子の中で、ブスという得体の知れない何かが芽生え始めるのでした…
美小子だって、何もはじめから自分のことを『ブス』だと思っていたわけじゃない。もの心がついた時は、父さん、母さんから
「お前はカワイイよ」
「食べちゃいたいくらいだ」
って言われ続けていたからね。ほら、両親にとってみれば、どんな子でもカワイイものなんだ。血の繋がりは両親に魔法をかけるものらしい。おまけに不憫な子ほどカワイイって言うからね。
不憫な子。実はこの言葉を最初に美小子に向けて言ったのは、父さんだ。
「う〜む、女の子は父親に似るとは言うが、ここまでそっくりとは。この子はいばらの道を歩むに違いない。なんて不憫な子だろう」
ここで書いておかなくちゃ。今の言葉通り、美小子は父さんにそっくりだ。
美小子の父さんは、実に男性的な顔をしてる。四角い顔に太い眉。一際目立つ立派な鼻。大きな口に鋭い目つき。野性的な黒い肌。そう、仁王様にも似ていて、強面だ。ある時なんて、夜道ですれ違った男の人が、美小子の父さんを見て『ヒッ!』と叫んで駆け出したこともあるくらいだ。
「この子が男の子だったらなぁ」
生まれたばかりの美小子を抱きながら、何度そう、つぶやいたことか。
「なあ、俺はさ、生まれてくるのが女の子だと分かった時、少しでも美人になればと願って、わざと美の小さい子、みさこって名付けたんだ。名前負けしないようにな。でも、名前の通りになってしまった。可哀想な美小子…不憫な美小子…」
「あなた、そんな事はありませんよ。美小子はカワイイ子です。あなたとわたしの子ですもの」
その度に母さんはそう言って微笑んだ。その姿はまるで聖母様のようだ。
え? ちょっと待って? ブスの美小子の母さんが聖母様のように見える? おかしいんじゃないかって?
あ、そうそう、これを書くのも忘れてた。美小子の母さんは、実は美人だ。それも滅多に見かけることの出来ない、とびっきりのね。今でも街を歩けば、必ず声をかけられる。ルックス自慢の芸能人も、裸足で逃げ出すくらいの超美人。
でも、あらためて考えてみると、美人って何だろう?
美人。びじん。例の辞書によると、こうだ。
【美人】顔・姿の美しい女。美女。佳人。麗人。美男子にいうこともある。
なるほど。こちらもキッパリ。あくまでも、ルックス、外見、見映えのことだね。納得。
みか先生の言うように、文化の違いで美人の感覚が違うこともあるだろう。でもね、本音の実際問題としては、今の現代日本で、もてはやされる美人が美人なんだ。つまり、美小子の母さんのようにね。
美小子の母さん。名前を麗しい、と書いて【レイ】さんという。名は体を表す通りの美人さんになったんだね。ちなみに父さんは剛と書いて【ツヨシ】というんだ。こちらも同様、名前負けしてないよね。
そんな美人の麗さんが強面の剛さんとなぜ結ばれたのかは、また別の話なんだけど。
さて、美人の母さんを持つ、ブスの美小子の話に戻るけど、不憫だ、不憫だと言っていた父さんも、そのうち不憫だ、とは言わなくなった。代わりにカワイイ・カワイイと連発するようになったんだ。
だいぶ無理をしてたんだろうって? いいや、これはその時の彼の本心でもあったんだ。なぜって?
親ばかって言葉を聞いたことがあるかな? 辞書によると…はもういいよね。つまりさ、自分の子供は他人の子よりも可愛く見えるってことなんだ。これが先にも言った『血の繋がりは両親に魔法をかける』ってコトなんだよ。要するに自分の子は無条件に可愛いんだ。
「あ、美小子が動いた。カワイイなぁ」
「ミルクを飲んだぞ、カワイイなぁ」
「美小子が立派なうんちをしたわ。なんてカワイイの」
「美小子が…美小子が…」
もういい加減にしろって、他人なら思っちゃうよね。でもね、そう言ってる人も、自分が気づかないだけで、自分の子供が出来た途端に同じ様なことをしてるものなんだ。
そして、そんな風にして、美小子は育てられていった。自分が父さんにそっくりで、美人の母さんがいること。二人から可愛がられていること。それをごく当たり前のように受け止めて、育っていったんだ。
時は流れて、美小子三歳。この頃にもなると、美小子も自分の意志、自意識を持つようになる。立派に一人で好きな所に歩いて行くことが出来るように、両親から守られてるだけじゃなく、色々と自分から考えるようにもなるんだ。動物から、やっと人間らしくなってくるんだね。
そんな折り、美小子の家に新しい家族が増えた。弟が生まれたんだ。
「美小子、お前もお姉ちゃんだ。弟が出来たんだからね。可愛がってやるんだぞ。名前はな」
「しってる。ヒカルちゃん」
「そうだ、光り輝くような子になれとの願いを込めての『光』だ。なあ光、お前もお姉ちゃんと同じように、名前の通りになっても構わないんだぞ。いや、名前の通りになるんだ」
「あなた! そんなことを言わないで頂戴。美小子が変に思ったらどうするのよ?」
「ああ、そうだな。でも、まだ何のことか分からんさ。しかし、男の子は母親に似るというが、これも本当だな。なんて綺麗な子なんだろう。どうだ、モデルにしてみるか」
「あなた、バカなこと言ってないで、美小子の相手もしてやってよ。最近のあなたは光のことばっかり。美小子が可哀想だわ」
そう。母さんの言う通り、最近の父さんは、美小子の相手をする機会が少なくなってる。それにあれほど美小子はカワイイカワイイと連発していたのに、それもすっかり影を潜めてしまった。
『不憫な子ほどカワイイ』や『血の繋がりは両親に魔法をかける』はどうしたのかって?
うん、確かにこれはまだ生きてるだろう。でもね、二人とも同じ自分の子供。魔法にかかっていても、子供が二人になるとつい比べちゃうのは仕方がないのかも知れない。
それにね、父さんは自分の容姿に劣等感を持っていた。美小子はそんな自分にそっくりだ。愛しいけど憎い、憎いけど愛しい。そんな相反する気持ちが、光という麗さんにそっくりの綺麗な子供の出現によって、表に出てくるようになったんだ。これまでの盲目的な『不憫でカワイイカワイイ』が、客観的な目で判断出来るようになった、とも言えるんだね。
「それにしても…美小子と光が逆だったらなぁ。美小子は不憫な子だ。可哀想だ」
そう、この時からまた父さんは不憫だ、可哀想だ、という言葉を連発するようになっていった。その度に母さんは父さんをたしなめてはいたんだけど。
「わたしは可哀想なの? どうして?」
この時、初めて、美小子は自分でそんな事を考えるようになったんだ。父さんに聞くのはいけないような気がする。これは本能的にそう思った。
「美小子はカワイイのよ。光も美小子もお父さんとお母さんの子供なんだから」
母さんは相変わらず、美小子をカワイイと言ってくれる。
でも…美小子は考える。
【弟の光は確かにカワイイ。まるで絵本の中に出てくる天使様みたいだ。ピンクのホッペにクリクリお目目。白いおでこにかかるクルクル巻き毛は、お馬さんの栗毛色。サクランボのくちびる、絵に描いたみたいにクルンと長いまつげ。笑い声は鈴を転がすよう。それに比べたらわたしは…】
美小子はこっそり手鏡を持ち出しては、鏡の中の自分を見つめる。
【光ちゃんとは明らかに違うわたし。光ちゃんと母さんは似てる。わたしは似てない。母さんに言ったら、お前は父さん似なのよって。でも、母さんはお前もカワイイって言ってくれる。わたしもカワイイのかも。でも…父さんは近頃じゃ光ばっかり可愛がってる。何が原因なんだろう? わたしが可哀想だというのと関係があるのかな? それに…ブスって何だろう? 父さんがつぶやくように時々いうこの言葉。わたしのことなのかな?】
手鏡の中の美小子が美小子をにらみつけた気がする。
何だかこわい。恐ろしい何かが横たわってるみたいな、不安な気がする…
そんな風にして、美小子は無意識に鏡を、そしてブスという言葉を、避けるようになっていったんだ。
でもね、それ以外はごく普通に、毎日という日常は過ぎていったんだよ。父さんの美小子に対する変化も、光がまだ赤ちゃんだからという理由で、すべてが流されていったんだ。