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(その二) 建前と本音

建前と本音。本音と建前。難しいです…

『建前』。この建前ってやつは実にやっかいだ。本音が大切だ、なんて言うことがもう建前だったりするからね。

 訳知り顔の大人たちは

「社会に出れば分かるさ。本音と建て前の使い分けが出来てこそ大人だし、建前は社会の潤滑油だ」

なんて言う。そんな分かり難いこと言わなくても、

「この世の中は競争社会。ダメなやつはダメ。強くて美しいものが勝者なんだ」

ってハッキリ言ってくれた方がずっと気持ちがいいのに。でも、それを口にした途端に、その人は集中攻撃に遭うだろう。ひどい人ね、冷たいやつだ、って言われてさ。

 だからこそ賢い人たちは、本音と建前をうまく使い分ける。自分が損をしないようにね。

 それにね。実際問題としては、建前は必要だと美小子も思う。

 例えば、『外見で人を判断してはいけません』が正しいこと、正論だって事は誰もが知ってる。

 でもね、実際には、『人は外見で判断しても、そのほとんどが間違えることはない』ってことの方が正解だとホントは分かってる。だって外見から得られる情報は、その人を知る一番の手掛かりだからね。派手な格好をした人は派手好きだし、体に鮮やかな模様が入った人たちは、やっぱり模様の入ってない人たちとは違うんだよ。それを外見で判断してはいけないって言われて普通の人と同じ扱いをしたら、どんな目に遭うかってコトくらいは誰もが知ってるコトでしょ? 先生だって、私生活ではそうやって過ごしてるに違いないんだから。ここで美小子からの教訓。

『人は外見で判断してもその八割方は間違えることはない』

 どう、言い得て妙でしょ? それでも、あくまでも人を外見で判断してはいけないというコトにこだわる人は、自分の信念を持ってる理想主義者で、それはそれで立派だと美小子は思う。尊敬もする。でも、それを他人にまで押しつけちゃいけないよね。

 大切なのはね、外見で判断しきれないこともある、というコトを知ってて、なおかつ自分の意志で、残り二割の中のホントを見極めるってコトなんだよ。

 あ、話が少しヘンな方に行っちゃったかな? 今は単に建前の話がしたかったんだ。それじゃ、話をちょっと戻すね。

 そうそう、建前で一番分かり易いのが交通規則じゃないかな。これなら誰でも経験があると思うから。

 例えば、制限速度時速四十キロ。道路に大きく表示されてる、よく見かける文字。でもね。運転手さんでこれをちゃんと守ってる人がどれくらいいるんだろう? あ、もちろん取り締まりのお巡りさんがいない場合のことだけどね。

 いつも守ってます。破ったことなど一度もありません、などという人は、大嘘つきか、聖人君子様です。そんな人はこれ以上読み進まなくても結構です。ゴメンなさい。

 しかしながら。多分、ほぼ百パーセントの人が、四十キロより多く出してるに違いないよ。

 いつだったか、美小子が父さんの車に乗っていた時のこと。

「ねえ、今何キロくらい出てるの?」

「ん? 今? そうだな、五十五キロくらいだな」

「え? だってここの道、制限速度四十キロって書いてあるよ? いいの?」

「いいの、いいの。だってパトカーは見あたらないし。車の流れに沿って走らなくちゃ、かえって迷惑だしね」

「でも。規則違反じゃない。スピードゆるめてよ」

「え? そうか、よし、いい機会だ。それじゃ試しに、四十キロにしてみるね」

 車はスピードが落ちてゆく。前の車との間隔が随分とあいてゆく。

「これが時速四十キロだよ」

と、いきなり鳴らされるクラクションの音。同時に

「バカヤロー!」

の声。次々と美小子たちを追い抜かしてゆく車たち。カーブで後ろを振り向く美小子の目に入ってきたのは、後ろにゾロゾロ繋がる渋滞の車たち。

「な? 分かったろ? 制限速度四十キロの道を四十キロで走ったらどうなるか。確かに規則では四十キロ。でもそんなコトしたらすぐに渋滞。後ろからは追い越され、怒鳴られる。ね? そうだな、この道では五十五キロが正解だろうね」

 そう言って父さんは車をもとの速度に戻した。みるみる間に、車はもとのスムーズな流れを取り戻した。

「でも、もしお巡りさんに見つかったら?」

「うん、普通はこれくらいのスピードでは見逃してくれる。お巡りさんも実体が分かってるからね。でも取り締まろうって構えてる時には捕まっちゃうんだ。建前では違反は違反だからね。その時は運が悪かったとあきらめるんだな。けれど、本音では、お巡りさんだって非番の時には、これくらいのスピードで走ってるんだよ」

「けど、それじゃ、どうして制限速度を五十五キロにしないの? おかしいよ」

「うん。そうだろ。でもね、そうすると今度はみんな時速七十キロで走るようになる。それじゃ危ないし事故が多くなるからね」

 父さんは少し困った様な顔をして笑った。

「建前と本音ってこと?」

「そうさ。こんなコトはどこにでもあるんだよ。いい機会だから覚えておきなさい。正しいとされてることだけが正しいとは限らないんだ…」

 その時の父さんは少し悲しそうに見えた。美小子もやっぱり哀しかった。

 絶対に正しい、と思い込んでいた国の決め事にすら表と裏がある。建前と本音。世の中には、確実にそれが存在する。やっぱり必要だから。建前は社会の潤滑油か。

 そう、建前は当たり前。でも。建前をこれは建前だからと言う人は少ない。それを言葉通りに信じた為に、美小子は何度も胸が痛む想いをした。

 はじめから真っ暗ならまだ我慢が出来る。でも、小さなロウソクを灯らせておいて、そこまで行ったら火を消す、なんて行為は残酷すぎるよ。

 だから、美小子は落ち込んだ時、あの辞書をめくるんだ。建前が多すぎる世の中。それに比べて、辞書のあの潔さ。ブスは容姿の醜い女。まずい女。もうきっぱり言い切ってる。それ以上でもそれ以下でもない。だからこれを見るとかえっていい気分になるんだ。親友から教えてもらった、幼稚園時代からの大切な儀式でもある。

 多分これがすんなり解る人は少ないと思う。

 美小子はブスだ。彼女にとって、これは変えようもない事実。けれど、美小子はこれから何十年と生きていかなければならない。その間中、ひがんで誰かを恨んでいても仕方がない。今の美小子はそう、悟っているんだ。

 そう言えば、あの時もピンクの花びらが風に舞っていたっけ。

 窓の外を眺めていた美小子には、新二年生になった心掛けを話す、みか先生の声が段々と小さくなってゆき、代わりに、頭の中に、これまでの自分のブス人生が、まるで映画のフィルムでも見ているように、甦ってきたんだ。


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