(その十六) 突然のサヨナラ
さよならだけが人生なのでしょうか…
総てが終わったあと、美子ちゃんは美小子を呼びだした。ここ一週間、漫才の練習をこっそりしていたブランコの前だ。そぞろ帰るみんなの笑い声が、かすかに聞こえる。
「ねえ、何よ、あらたまっちゃって。でも、良かったね。うまくいって。みんな喜んでくれたしね」
紅潮した顔で美小子が言った。何だかとっても気分が良い。やったんだ! という達成感。あー、終わったという緊張からの解放。当然と言えば当然だよね。反して美子ちゃんは、少し緊張した面持ちだ。
「うん。うまくいったな。練習したかいがあったってこっちゃ。ありがとうな。美小子ちゃん」
「何言ってんの。お礼を言うのはこっちよ。とっても気持ちが良かった。それにいい記念になったしね」
「せやな」
「一年生になってもコンビを組んで漫才やろうか?」
美小子は公立の小学校に行くことが決まってる。ポプラ組の三分の二くらいの子が同じ小学校だ。恵子ちゃんも力くんも同じだ。そして残りの子は私立の小学校に行くらしい。実は父さんは、美小子には私立の小学校を薦めたんだけど、母さんが反対した。美小子も特別ではなく、みんなと同じがいいと思っていた。それに美子ちゃんも公立に行くと聞いた。だから迷わずに公立の小学校を選んだんだ。
「ねえ、入学式が終わったあと、同じネタでやってみない? 小学校でもきっとまた受けるから。あ、それとも新ネタに挑戦しようか? 今度はわたしも台本から参加するからさ」
「せやな」
うつむき加減の美子ちゃんだ。何だかモジモジしている。
「ねえ、どうしたの? 何か言いたいことでもあるの? ねえ美子ちゃんたら! ハッキリしないのは美子ちゃんらしくないよ」
見たことのない美子ちゃんの態度に、一抹の不安を感じた。
美子ちゃんは後ろを向くと
「ゴメン。もうできひん。かんにんや」
一息にそう言った。
「え? どうして?」
美子ちゃんの後ろ姿が泣いてる。ふとそう思った。
「うち、美小子ちゃんと同じ学校には行けへんのや」
「え? だって、美子ちゃん、公立の小学校に行くって。私立の試験だって受けてないんでしょ?」
私立の小学校に行くには試験がある。早い子は夏頃から受験勉強とやらをしていた。公立組の美小子たちは、そんな子たちを横目で見ながら、大変ね、とよく話していたものだった。
「うん。受けてへんよ。公立の小学校には行く。けど…」
あ! と、美小子は気がついた。美子ちゃんは引っ越しが多かったと聞く。一年同じ所にいるのは珍しい、とも言っていた。美子ちゃんが居るのが当たり前、と思い込んでいたこと自体が、間違いだったんだ。
クルッと振り向いた美子ちゃんは、
「うちな、おとんの仕事の関係で、また引っ越すんや。予定ではしばらくは引っ越しはせえへんって聞いてたんやけどな。まあ、これもしゃーない。おとんはしがない勤め人や。上からの命令は絶対やそうや」
そう言った美子ちゃんの顔はグチャグチャだった。涙があとからあとからこぼれ落ちる。それでも無理矢理笑おうとするから、手で顔をこする。涙と鼻水で、舞台に立つために張り切って施したメイクが、まだらにはげ落ちた。
「子供はな、親の言いなりや。これも仕方があらへん。親に養ってもらってるんやさかいな。でもうち…今回ばかりは子供ってコトが悔しくてしょうがあらへん」
「美子ちゃん…」
「もしうちが自分で稼げる大人やったら、絶対にこの町に住んだる。美小子ちゃんと一緒のこの町にな。けど、今は無理や。ゴメンな、美小子ちゃん。最後の最後まで隠すようなコトして。でもな、それを言ってしもたら、笑顔で漫才が出来へんって思たんや。うち、最後にどうしても美小子ちゃんと一緒に漫才をやってみたかったから。そう、タイトルは『ブス!』。うちらの話や。うちな、美小子ちゃんを励ましてるつもりで、実は励まされてたんや。美小子ちゃんに言い聞かせてたコトは、うちが言い聞かされてたコト。美小子ちゃんはうち。うちは美小子ちゃんや。うちな、随分偉そうなことも言ったけど、頭で分かるコトと心で分かることは違うから、悩み多き乙女やった。それも毎日のようにちょっとのコトですぐに思いも変わってしまうわ。まあ、今もそうかもしれへん。多分、美小子ちゃんも同じやろ。けど、ここに来て随分変わったわ。自分で言うのも何やけど、前より強くなった。明るくなったわ。それもみんな美小子ちゃんのお陰や。おおきに、ありがとう」
涙を流し、鼻水をすすりながらの美子ちゃんの熱弁だった。
美小子だって言いたいことは山ほどあった。ショックで、悲しくて、淋しい。だけど!
「これこれ、ブスが泣いたら余計にブスになるで! ただでさえブスなんやから! あ、けど、今なら美子ちゃんが世界選手権の金メダルや。よかったなぁ!」
自然と口をついて、美子ちゃんのものまねが出た。ここで泣いたらダメだ! そう思った。
美子ちゃんはハンカチで顔を拭いながら
「うん。けど、やっぱり金メダルは美小子ちゃんや。ほれ、その顔!」
美小子の顔も、涙と鼻水とメイクでまだらになってる。美子ちゃんにも負けてはいない。
あわてて同じようにハンカチで顔をこすった。まだらが余計にひどくなる。
「ハハハ、やっぱりアンタがナンバーワンや。よっしゃ! 何でもものの考えよう、や!」
「うん! 気の持ちようで何とでもなる、だね!」
二人は抱き合って笑った。でも、涙だけは止めることが出来なかったんだよ。
ブランコのそばの桜も、つぼみが膨らみ、遠目にはピンクの枝に見える。
この桜が咲いて、そして散る頃には、もう美子ちゃんの居ない新しい生活が始まるんだ。そう思うと、いつまでもその場を離れがたい美小子だったんだ。
そして、幼稚園の卒園式を待たずに、美子ちゃんは居なくなった。お別れ会の当日深夜にこの町を出ていった、という話だけ、後からマサ先生から教えられた。あまりに突然のことなので、どこに越していったのかもよく分からない、とのことだったんだ。
何とかして連絡だけでも取りたいと思った美小子だったけれど、思えば、美子ちゃんの住んでた家も、お父さんの仕事も、何も知らなかったことに、今さらながら愕然とした。あんなに一緒に笑っていたのにだ。気がつけばいつもそばに美子ちゃんが居た。少し出た白い歯を見せてニカリ、と笑って。
幼稚園側の資料にも、美子ちゃんの情報はなかった。転入の時に、あとで提出します、ということで、そのままになっていたのだそうだ。
更に驚くべきことに、幼稚園側で写した写真の中にも、ハッキリと写っている美子ちゃんを見つけることは出来なかった。遠足や水泳大会、運動会、クリスマス会。その度事に沢山撮られた写真だったけれど、どれもみな、誰かの陰になっているか、写っていても逆光かピンぼけばかりだ。集合写真にも、欠席の為か、彼女は写っていない。探して初めて気がついた、先生もそう言っていた。ただ、たった一枚だけ、写っていた写真があったんだ。
「これね、先生がインスタント写真で撮ったものの中の一枚なの。ほら、あなたたちの漫才の時のよ」
卒園式が終わってから、マサ先生から手渡された一枚の写真。右側に写っているのが美小子だ。額に汗を浮かべ一生懸命にしゃべっているところ。その左横に、白い歯を見せ、うなずいてる美子ちゃんがいる。うつむき加減で顔全体はよく見えないが、まさに美子ちゃんだ。今にも、せやな、という声が聞こえてきそうだ。
「美小子ちゃん、あなたこの一年で随分変わったわ。ほら、この写真だっていい表情をしてるもの。もちろん美子ちゃんもね。彼女は肩の力が抜けて自然体になった。初めは無理をしていたみたいだからね。これも二人のお互いの影響だね。ううん、それだけじゃないわ。周りのみんなもそれぞれにいい子になったし、先生も随分力をもらったわ。あの『ブス踊り』も最高よ。先生は大好き。これからも先生の持ちネタにさせてもらうわね。一年生になっても今の気持ちを忘れないで、ガンバってね!」
「はい!」
今、その写真は、美小子の新しい勉強机の正面に、ピンで留められている。美子ちゃんとは一緒の学校にはなれなかったけれど、同じ一年生だ。彼女のことだ。きっとどこにいても、明るく元気な彼女に違いない。もし今度どこかで逢った時には、美子ちゃんに対して恥ずかしくない子でいたい、そう思う美小子だ。
美小子今年で七歳の春。やっぱり窓の外は満開の桜で、時の経つのを思い知らされるようでもあったんだよ。




