(その十四) 甦る美小子
美子ちゃんの影響で、美小子は徐々に明るくなってきますが…
次の日、朝から美小子は明るかった。いつもより早く目が覚めて、やったことなどないラジオ体操を、父さんと一緒にやってしまったくらいだ。
「美小子、お前、なんだか今日は違うね。良いことがあったのかな?」
いつもは一人きりでやっているラジオ体操だ。これは父さんの習慣なんだけど、誰かと一緒にやるなんて久しぶりだ。それもここずっとふさぎ気味だった自分の娘と。嬉しくて涙が出そうだった。けれど、我慢して、そうしてやっと掛けた言葉がそれだったんだ。
「うん。まあね。それより昨日のあの踊り、もう一度して見せようか?」
そう言うより早く、美小子は体をくねらせ踊り始めた。
「ほーっ、うまいうまい。父さんもしてみようかな? 今度の宴会でやってみたらきっと受けるな」
「うん。父さんも大変だけど、努力を惜しんじゃダメだからね」
「え?」
「うん。いいのいいの。なんでもない。さ、張り切って朝ご飯を食べようかな」
そう言って笑った娘の顔を見て、父さんは思った。
【不憫だ、可哀想だって思ってたけど、そうばかりでもないな。笑うと愛嬌だってあるし。うん。悪くない】
人間は現金なものだ。明るさとは確かに伝染するものらしい。この時から、父さんも美小子を見る目が変わってきたんだ。
朝ご飯も、笑顔で食べた。父さんも母さんもだ。少食気味の光も珍しくお代わりをした。
「光、えらいぞ。いっぱい食べなきゃ大きくなれないからね」
「うん。ボクもいっぱい食べて、ねえねと同じくらい、うまく踊るんだ」
父さんの言葉に光がニッコリした。
「バカね。あれはブス踊りって言うの。アンタはうまく踊れなくてもいいのよ」
美小子のこの言葉に、その場が一瞬、凍りついた。でも、すぐに元に戻ったのは、美小子の満面の笑み、のお陰だったんだ。
「ハハハ、父さんは不細工だから踊っちゃうぞ!」
「母さんは美人だけど踊るわ」
「おいおい、自分で言うなや!」
美小子の突っ込みも決まり、笑い声がまた響く。
幼稚園に向かうバスの中でも、
「ねえ、美小子ちゃん、いいことあったでしょう? 嬉しそうだもん」
恵子ちゃんが耳元で、そうささやいた。いつもは必ず美小子の後ろの席に座るのに、おはようと笑顔で挨拶をしたら、隣の席に滑り込んできたんだ。
やっぱり笑顔は大切なんだな、改めてそう実感する美小子だ。
幼稚園に着くと、教室まで走った。途中ですれ違ったマサ先生にも元気に挨拶をした。
「おはよう。いい笑顔ね!」
マサ先生もニコニコしてる。
「おはよう!」
ポプラ組のドアを開けて、思い切って大声で挨拶をした。ちょっと意識をしたせいか、頬が引きつった。思えば、この前こんな風に挨拶をしたのはいつだっただろう? あれは、確か…ほぼ一年前にもなるんだ。
教室にいたみんなの動きが、一瞬、止まった。美小子に視線が集まる。
【笑顔、笑顔!】
自分に言い聞かせるように顔を上げた。
と、力くんが
「オッス!」
敬礼のまねをして、大きな声で返事をしてくれた。照れくさいのか、その手で鼻の頭をかきだした。
これをキッカケにみんなも挨拶を返してくれた。特に、以前桜組で一緒だった女の子たちが、美小子を取り巻くように集まり、
「美小子ちゃん、おはよう!」
「おはよう!」
「よかったね!」
中には挨拶以外の声を掛けてくれる子までいたんだよ。
「よお! 今日もブスが光っとるなぁ。うらやましいわ! そのブス!」
振り返ると、いつの間にそこにいたのか、美子ちゃんの一際大きな声。ウィンク付きだ。
ピンと来た美小子もウィンクを返し、
「は〜い、ブスで〜す!」
ここで昨日から繰り返し踊ってきた『ブス踊り』を試してみた。もちろん美子ちゃんも一緒になって踊ってくれる。
♪『踊らぬブスより踊るブス うちもアンタもおんなじブスなら 踊ってみようか ブス踊り はいはいはいの よ〜いの よい』♪
歌までついてノリノリだ。
みんなもはじめは驚いたみたいだったけれど、すぐにハシャギ始めた。女の子たちも踊りに加わる。男の子だって、負けてはいない。
「よお! お前らも踊れよ!」
この力くんの一言で、遠巻きに見ていた男の子たちも
「なんだ、あいつが凶暴な殺人犯だなんてウソだろ? あんなにひょうきんなヤツがさ」
「きっとそんなに乱暴じゃないよ。うん、そう思うな」
「うん」
「誰だよ、いい加減な噂を流したのは?」
そうささやき合うと、力くんと一緒になって踊り出した。
そこにマサ先生が入ってきた。
「あらあら、みんな楽しそうね。先生も仲間に入ろうかな?」
叱るどころか、一緒になって踊り始めたマサ先生は、一番ノッてるみたいだ。
こうして美小子は、前の美小子を知ってるみんなからは元通りの美小子に、それから、新しく美小子を知ったみんなには、噂とは違う明るい美小子、として認められるようになっていったんだ。
美小子の周りには、前のように友だちが集まるようになった。女の子も男の子もだ。
だから、友だちとのつき合いが忙しくなった。当然、美子ちゃんと二人だけ、という機会も少なくなってしまい、美子ちゃんを夕ご飯に招く約束は、いつの間にかうやむやになってしまったんだ。
それでも、美小子は美子ちゃんとは一番の仲良しで、毎日が楽しく過ぎていった。
組としても、ポプラ組はマサ先生が中心となって、みんなは一致団結、仲のよいクラスになっていった。こんなにもまとまったクラスは久しぶりね、とマサ先生も思う。
そして夏が来て秋が来て、冬になった。楽しい時間はこんなにも早く過ぎ去ってしまうものなの? と思えるほどに、あっという間にね。
年も明けて、はやふた月が過ぎ去り、暦は三月に変わった。ポプラ組とも、あとひと月足らずでお別れだ。それを思うと胸が苦しくなる。でも、もうすぐ一年生になる。新しいランドセルも机も、家に届いた。
美小子は初めて別れの切なさ、明日への希望、を一緒に味わう毎日を過ごしていた。
「おはよう! 今日も寒いね」
ポプラ組では、今日も朝からみんなが集まっては、お話に余念がない。もうすぐお別れだという雰囲気が、みんなを浮き立たせているみたいだ。
「あ、美小子ちゃんおはよう。ねえ、聞いた? お別れ会の日にちが決まったの。今度の土曜日だって」
「へえ」
お別れ会。卒園式とは別に、クラスで行う催しだ。みんなでお菓子を食べたりジュースを飲んだりする、お楽しみ会的なもの。目玉は、有志による出し物だ。
「ほら、あれ見てよ。予定が書いてあるよ」
「ホントだ」
教室の後ろの壁に、手書きのメニューが貼ってある。先生の挨拶から始まって、ジュースで乾杯、そのあとはお菓子を食べながらの出し物鑑賞だ。その演目がずらっと順番に書いてあるんだ。
「ふうん、ほとんどの子が歌を歌うんだね」
「うん。そうみたい。わたしもそう。違うのは、ええと、なにこれ、詩吟? 分かんないな。歌の一種? ほかには、力くんの空手の演武、それから、恵子ちゃんのピアノ演奏、う〜ん、あとは、あれ? 美小子ちゃん、漫才やるの?」
メニューを真ん前で見ていた子が振り返った。
「え?」
確かにそこには、美小子の名前と『漫才』の文字がハッキリと書かれてある。
「ウソよ、だってわたし、そんなの申し込んだ覚えがないもの!」
先週、マサ先生から、何かをやりたい人はそのやる演目を先生まで知らせてね、と聞かされたけれど、美小子には申し込んだ覚えがない。
と、そんな美小子の肩を叩く者がいたんだ。
「あ、美子ちゃん、もしかしたら…」
ニカッと白い歯を見せた美子ちゃんは
「うん。うちや。うちが申し込んどいたんや。もちろん二人でやるんや。いい記念になるやん。な? あ、もちろん台本はうちが作ったんや。ええやろ?」
その顔を見たらイヤとは言えない。それに美子ちゃんと二人でならやってみたい、そう思った。
「よっしゃ! 今日から早速練習やで!」
そうして美小子はお別れ会で、美子ちゃんと漫才をやることになったんだ。




