思い出のなかのあたち
あたちはむかし、おひめさまだったのにゃ。
おとうさまやおかあさまにあいされ、しろのみんなからもすかれていたのにゃ。
あたちのおとうとやいもうともあたちをそんけいしてたのにゃ。
あるひ、あたちはしろのそとにでたのにゃ。
ずっとまえからしろのそとにはきょうみがあって、にわしのセインがあたちをこっそりとしろのそとへとだしてくれたのにゃ。
しろのそとにはセインのなかまをなのるひとたちがいて、あたちはかれらのいうとおりにふくをきがえて、ねんがんの「じょうかがい」へといってみたのにゃ。
うわさにきいていたいちばでははじめてみるめずらしいものたちにうかれすぎて、かいものというものに「おかね」がいるなんてしらなくて、しょうひんをそのままもちだして、たいかくのいいひげづらのいぬしょうにんにおこられたのにゃ。
おもわず、ぶれいなのにゃ! とおこったのだけれど、すぐさまセインのなかまたちからむりやりあたまをさげさせられたのにゃ。
あたちはくやしくてくやしくて、いかりでぷるぷるとふるえていたのにゃ。
でも、そのあと、セインのなかまのひとりが「よくがんばった」と、さっきあたちがほしがっていたくしにさしたやきさかなをくれたのにゃ。
しろのごはんとはちがうはじめてのやきざかなは、すこしこげていたけれど、おいしかったのにゃ。
あといくつかのばしょをあるいて、つかれて、ねむったのにゃ。
めがさめたときには、すっかりくらくなっていて、あたちはいつものおしろのふくをきていて、おりのなかにいれられていたのにゃ。
おりのしたにはみしらぬおじさんたちがきもちわるいえがおであたちをみていて、いちばんふとっていてせがたかくてくちのくさいおじさんがあたちをおりからだしてくれたのにゃ。
そのかわり、あたちはこのおじさんのこどもになることになったのにゃ。
あたちはいやでいやでおもわずないたのにゃ。
おじさんがやきざかなをくちにあててきたけどなきやまなかったのにゃ。
それでおじさんはあたまにきて、あたちのあたまをなでてきたのにゃ。
すると、そこでめのまえがまっくろになって、きづいたときにはしらないひとたちがおおきなふねにつぎからつぎへとのりこんでいくかわのまえにいたのにゃ。
だれもしっているひとがいなくて、だれもあたちをきにしてくれなくて、だからあたちはないたのにゃ。




