ブラックチップは、君に任せた!
シグの手を引いて、真っ先に向かったのはコンビニだった。
「イム~」
早速、レジ周りに突っ立っていた、まるで大仏のような男性店員が声を掛けてきた。
「よお、イムさん」
「イム~」
挨拶もそこそこに、イムさんがいつものようにそっと新聞を手渡ししてきた。
どれどれ……とばかりに、早速、本日の新聞を広げると、衝撃的な見出しが心を動かした。
「イムさん、聞いてくれ。Step細胞が作れなかったようだぞ」
「イ「何だそれ?」
イムさんの疑問形を遮るようにして、シグが質問をしてきた。一方のイムさん、横やりされたのにムッとすることもなく、仏さまのように穏やかである。
「Step細胞は、今まで誰にも発見されなかった未知の細胞で、それを発見したある科学者の証言によると、細胞自体が徐々に大きくなったり、小さくなったりするという面白い特徴があったんだ」
「イ「ふむ」
「ところがその科学者以外の別の科学者が細胞の作成に着手したものの、何故か作成できず、存在そのものが一気に不透明になった」
「あ、わかった。インチキをしたんだな」
「シグは、身も蓋もない言い方をするなぁ。まぁ、インチキかどうかとか科学者ではない自分に断定はできないが、今日の新聞によると、『何故か、私にも作れなくなりました。ごめんなさい』と発見した科学者によるお詫びのコメントが載せられていた。正直、ガッカリだよ」
「なぁ、その細胞、ちゃんと作れたら、お前、何を期待した?」
「そりゃあ、もちろん、豊胸&貧胸化だな。自分の奇跡の力以外での科学の力で、シグのおっぱいがバインバイン&つるっぺたに! とか夢と希望にあふれた未来だと思わないかい」
「シネ」
「おぐぅ」
キラキラとさわやかな表情で夢を語る自分に対し、シグのいきなりで全力の金的。ガードも回避もままならず、クリティカルヒット。
自分はしばらくの間、コンビニの床にまな板の鯉のごとく、のたうち回った。
「イム~」
イムさんが、そんな自分をのぞき込む。心配してくれているようだ。
「あ、イムさん、同情できますよね。痛いですものね」
イムさんはフルフルと首を横に振った。そして、手のひらを突き出した。
「140円。新聞、盛大に開いたから、返品不可」
「何だ、キチンとしゃべれるんじゃないか」
「イム~」
「って、なんでそこでしゃべりを元に戻すんだよ!」
「シグ、イムさんは普段はしゃべるのが億劫な人なんだよ」
「えっ、それってコンビニではマズくね? コンビニって過剰なぐらいのあいさつが基本でしょ」
「生前はね。ここは死者の国。そして、ここはイムさんのコンビニ。何もかもを日本のコンビニと同じ基準で考えてはいけない」
「そんな愛想の悪さで利益出せるのかよ」
「イムさんはね、どんな見た目の人が来店しても普通に接客して、詮索しないところが魅力なんだよ。だから、サービス過剰なほかのコンビニと比べて、足を運びやすいね」
「ほかのコンビニにお前が行くとどうなるっていうんだよ?」
「何かやたらと通報されるんだよね。胡散臭いのは自覚してるけど、あからさまだよな」
同意を求めたかったが、シグは妙に納得した表情だった。シグよ、お前もかっ!
まぁ、いいけどさ。
その後、適当にいろいろな商品をシグと物色しつつ、購入し、店を出た。
―
次の予定先は、水族館である。
「何で?」
「この前、テレビでイルカと戯れる番組あっただろ。実際にやってみたくなってな」
「お前が?」
「いやいやいや、それはシグにやってもらう」
「え? お前は何するのさ」
「イルカと戯れるシグを見て、癒されようかと」
「なにそれ。チョー恥ずかしいんですけど」
シグが嫌そうな顔をして、自分から距離を取ろうとした。が、手つなぎによって、逃げられない。
「じゃ、せっかくのデートだ。一緒に遊ぶか」
「……うん。それなら……いいぜ」
話がまとまったのを待っていたわけではあるまいが、ちょうど近くの路面電車乗り場に電車が停車したので、すかさず乗り込み、目的地へと向かった。
まずはイルカショーを堪能し、シグがエキサイトしたのを見計らって、イルカショーの体験コーナーへと足を運んだ。
思惑どおり、シグが頭のいいイルカの行動に上機嫌で、ビデオを回す自分に気づいていない。
時間いっぱい楽しみ、インストラクターさんとイルカのお別れを経て、シグが「あっ!」と本来の目的に気づいた。
「大丈夫、大丈夫。シグのはしゃぎっぷりを見て、癒されるのが当初の目的だったんだ。君は充分よくやったよ」
気まずさからうなだれるシグの頭をなでて、顔を合わせる。
「デートってんのは、お互いが笑顔になるイベントだろ。シグはイルカと遊んで笑顔になった。自分はそんなシグを見て笑顔になった。誰も不愉快になっていない。気に病むことはないのさ」
「それでお前は満足なのかよ?」
「おおっと、その発言、このおっさんだったら逆手にとって、いろいろ要求するぞ」
「例えば?」
「この人ごみの中で、ベロチューする、とか」
早速、照れ隠しの蹴り攻撃がやってきた。いつものように回避し、しばらくの間、周囲の耳目を集めてみる。警備員が駆け付けてこない程度に、時折、おちゃめなポーズを添えて、手のひらから鳩を出現させたり、消したりして、奇術師コンビを装った。
ある程度、人だかりができたころ、ようやくシグが周りの状況に気づき、アイコンタクトを交えたのち、一斉に「ありがとうございました」と頭を下げ、煙幕とともにその場から退散した。
―
公園にて。
その公園は、そこそこに規模があり、大きな池の周りにはところどころ屋根付きの休憩所が設置してあった。
その一つの休憩所に、朝、コンビニで購入した物を広げるシグ。
自分は、イサカから手渡しされた弁当を広げた。
「ん。匂いは相変わらず、美味そうだ」
「でも、味は死滅的なんだろ?」
すかさず、シグがそんな弁当を食べるなんてどうかしている! とばかりの視線を送る。
「食べてみるか?」
「俺はまだ死にたくない」
ハハハッ! と笑い飛ばした後、「いただきます」と合掌して、互いに一口ほおばった。
「最近のコンビニサンド、美味しいよな」
「今回のイサカスペシャルは、エグ味が足りないな」
「何だよ、その表現……」
「地獄の辛さを誇るツナマヨ、三途の川よりも酸っぱいタコさんウィンナー、かみしめるほどに様々な……しかし、おいしさとは違う別の味を想起させるシャリ。……ここまでは完ぺきだ。既に気分が重いがな。だが、今回の弁当には、いつものじわじわと苦しめるエグ味が弱い。これでは市販のお茶に手が伸びない」
「あー、それだと、多分、これを付けたら補完できるんじゃね?」
と、シグ、一見醤油さしにしか見えない謎の液体の詰まった何かを弁当全体に振りかけた。
途端に、それは硫酸のようにシュワシュワと泡立てながら、おかずとシャリを溶かし、一体化させる。
何とっ! 謎仕様の紫と緑の禁断の融合を果たしたモザイクカレーが一瞬にして出来上がった。
スプーンが入っていないので、恐る恐ると、弁当をゆっくりと傾け、味見してみる。
(UuuuuRyyyyyyyy!)
そう表現するしかない、奇天烈な味わいが脳髄にバビンバビンと突き刺さり、勢いこの弁当を池に向かって放り投げたくなるものの、翌朝、『珍妙不可解な大量殺人兵器現る!?』的なスポーツ紙の一面デビューを飾るような事態が確実に予想できたので、それはやめておいた。
とはいえ、今回ばかりは完食する自信もなく、少し考えたのち、ギブアップした。
シグの、同情のまなざしが心にしみた。
余談だが、この弁当をそれでもなお食べる理由はどこにあるのか? というと、この弁当を食べるようになって以来、自分は即死耐性がついた気がする。
具体的には、体術系の即死攻撃をくらってもそこまで悶絶することがなくなり、冷静に手足を動かして、ウィン特製のポーションを飲んで体力の回復を図れるようになった。または、接待の時に毒を盛られても、普通に食べられるようになった。誤解のないように言っておくと、毒は確実に体をむしばんではいるが、しょせんせいぜい一種類の即死毒ぐらい、という認識である。スパイスみたいな感覚になってしまっている。
毒を盛られる状況の時の飯というのが、これまたごちそうで、イサカの手料理の数十倍は軽く美味しい。なので、周りの動揺どこ吹く風で完食している。ごくまれに、盛った側がつられて食べて死んだりするオチもある。美味しく食べられるということは、実に贅沢である。
―
腹も膨れたことだし……ということで、ようやく研究所に足を運んだ。
本来なら朝一番にでも出向くべきなのかもしれないが、往々にして研究所の人間というのは、朝に弱い。例外もいるかもしれないが、自分の国の研究機関の奴らは、朝が弱い。
なので、ようやく頭が回り始める昼下がり頃が、話が通じる。
玄関先に自分たちがやってくると、受付嬢が真っ先に駆けつけて、関係者以外の通り抜けを禁じるドアのほうへと案内してくれた。
内部の廊下を通り、研究所の一画へと通された。
そこでは、大勢の人たちが巨大船のようなものを建造している部屋だった。
シグの視線を感じた。まるで自分を感心するかのような目つきで見つめていた。そして、聞いてきた。
「何で顔パスなんだ?」
「そりゃあ、研究所に大金を突っ込んでるからなぁ」
「どんな研究をさせているんだ?」
「何でも。基本的にこっちから口を出すことはない。唯一、今回のようなことのみ、所長をこき使うぐらいか?」
「まぁ、お前さんの立ち上げたプロジェクトに関わる身としては、そのぐらいどうってことはないがのう」
ふと声がした方向にシグが振り返るも、姿が見えなかった。
「ここじゃ、ここ」
と、シグが下からの声に視線を移すと、科学服を着たドワーフと目が合った。
シグの脳みそが、一時停止している。
「そんなにヘンか? わしら、鍛冶屋スタイルに着替えたほうがエエか?」
「酒臭かったり、ハンマー持ってた方がいいのかもな」
「ワシ、インテリやけん、持ってるもんつーたら、せいぜい電子タバコやな」
ドワーフ所長、これまた権太な電子キセルを見せつけた。
「何、それ。サイズ自慢? 負けないぞ」
「いや、そこは競うな。それと、ズボンのジッパー下ろそうとするな」
「あーあー、それで? ワシを呼びつけた理由、そろそろ説明してくれんかのう」
誰に断わるわけでもなく、キセルをふかし始めた所長。
自分は、そっと例のブラックチップを見せた。
「ほぉぉ、魔力が満ちておるのう。それも幾重にも結界が張られておる。解除か?」
「そうだな。閉じ込められた悪魔を解放するつもりだ」
「解放は構わんが、悪魔の懐柔までは手が回らんぞ」
「ああ、それは自分がパートナーズと協力して押さえつける」
「なるほど、手筈は整っておるのか。わかった。解除方法を見つけよう。
ああ、そうじゃそうじゃ」
話が終わったかと思いきや、ドワーフ所長、何かを思い出したかのようにマイクを取り出すや、研究員を呼び出した。
「スー・チョイブ? 知らんなぁ」
「まぁまぁ、顔見れば、名前を覚えんお前さんでも知っとる顔じゃで」
ほどなくして、その研究員が挨拶のため、現れた。
「おー、Step細胞の女史」
「はい。スーです」
「死んだの?」
「はい、パッシングに心をやられて……。その後、あてもなく彷徨っていたら、所長さんに誘われまして」
「なるほど、所長が呼んだってことは……」
「うむ。察しの通り、スーちゃんの発見した細胞を用いて、この結界を解いてもらおうかと思ってのう」
スー研究員、ドワーフの提案に心の底からビックリしている。だが、シグが早速、口をはさんだ。
「所長さん、こいつ、インチキだったんですよ」
「ほっほっほ。お嬢ちゃん、ワシらだってきちんとニュースを見ておる。その上での発言じゃ」
「というと、Step細胞は実現可能だと?」
「うむ。この細胞の悲劇はスーちゃんが何のメモも取らずにたまたま発見したことじゃ。よって、スーちゃんには2週間内にStep細胞を見つけてもらう。ワシ、イエス以外の返事は受け付けんぞ」
「見つけられなかったら……」
スー研究員が恐る恐る聞いてきた。一度、世界を巻き込んで派手にやらかしているだけに、さすがに懲りたのだろう。
「まぁ、ここにいるクライアントさんが、今度こそ逃げ場のない死の責苦を味わわせてくれるじゃろ」
「せっかく、死後も研究者でいられることですし、今度こそ死ぬ気で頑張ってください。……といっても、今どきの若者ですから、言葉だけだと伝わらないことも多いでしょう」
と、自分、指をぱちりと鳴らした。
一瞬でその場の景色が様変わりし、現在の最激戦地である魔界へとワープした。
ちょうど、その日の戦いの始まりに出くわしたらしく、魔界の悪魔たちに交じって疲れ切った表情の着のみ着のままの人間たちが、剣と盾だけを持って、テレビゲームで見かけるような出で立ちの勇者相手に戦いを挑み、容赦なく切り捨てられ、しかし、それで終わりではなく、悪魔の指揮官による再生魔法により、肉体の再生が行われ復元されかかっているところを勇者の魔法が焼き焦がし、それでもなお復活しようとして、また殲滅され……の果てしない繰り返しが行われていた。
(訊くところによると、日中、日のさす時間帯はこんな調子らしいですよ。ファンタジー世界の住人である悪魔たちは瞬間再生して、勇者相手に活躍したりする種族もいますが、現代世界の人間は魔法に対する適正が低いこともあり、再生効果が薄く、ああいう光景が繰り広げられるのです。夜になると、勇者たちは戦闘をあきらめ、野営地に戻っていきますので、そこでようやく彼らは再生……ああ、膠着状態にイラついた悪魔たちがおもちゃで遊ぶ感じで再生を妨げてますね。ほら、アレなんか……)
(もうやめてください。……頑張ります。頑張らせてください!)
百聞は一見に如かず、とはよく言ったものだ。これぐらい怖がらせておけば、期待に応えてくれるだろう。
(なぁ、フェゴール。この姿、見えていないんだよな?)
(もちろん、特別処理した霊体化を施しているので、ここの住人達には感知されんよ)
(でも、あの城のバルコニーにいるお姉さん、目が合うし、手を振ってるけど)
言われて、その方角に視線を投げかけてみる。
(ああ、あの女学生は、最近、性転換する楽しみを知ったウチンとこのトップな)
(……悪魔って変わり者が多いんだな)
(否定しない)
元の世界に戻った後、所長の見守るなか、自分とスー研究員は契約を交わした。
内容はもちろん、Step細胞の発見で、失敗時の処罰に対する一切の反論を認めないことを明記していることの確認である。
自分は今日という素晴らしい日のめぐり合いに、感謝した。