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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

右耳の音

作者: sakiika0141

異変を感じたのは午前4時、発泡スチロールの擦れるような音が聴こえたのが最初だ。


毒々しく冷たい朝日がフローリングの床に横たわり、印刷したての渇ききっていないインクの匂いが鼻腔を刺した。一睡もせずタイプしていた指の震えが止まらない。渇いた目がシャッターを切るように瞬きをした。

(朝だ。)

声に出さずに呟いた。時間に拘束された心の中でかいていた冷や汗が拭われる。今日提出のレポートは何とか仕上がった。後はこれを提出すれば良い。恐れていた朝がやってきても、もう私は自由だ。唾を飲み込んだ。それだけでひりつくほど喉が渇いていた。コップ一杯のウイスキーを胃袋に入れて、喉の刺激に目を覚ました。大学に行く準備をしないと、苦労が水の泡になる。

バスに乗っているときもその音は聞こえていた。私にはそれがどこから出てきているのか皆目見当がつかなかったし、関心も無かった。私にとって一番の関心事は、勉強だった。先生の声量や声色、繰り返しから、何が重要かが分かる。多くの情報から必要なものだけをピックアップする。


集積された情報の山から、砂金のデータを抽出する。快感だ。



レポートは無事提出できた。そのことにより気が緩んだか、あるいは睡眠不足からか耳鳴りは続いているだけでなく、雑音も含んでいった。しかし、学業に支障をきたすほどでは無かったので、拘ってはいられなかった。私にとっては耳鳴りよりも、レポートと出席の方が重要だった。講義を受けるまでは。

10人にも満たない学生が1人、また1人と入ってくる。私は前回の復習をしながらノートをめくっていた。

やがて教授が入ってくる。もったいぶってチョークで図を黒板に書いてから、教授は口を開いた。今回は、アヌビスヒヒの社会性についての講義の筈だった。


「アヌビボタタッヒヒの社会せボタタタタッて前かボタッお話ししまボタタタタ。」


シャーペンが知らず手から落ちた。私はそっと辺りをうかがった。他の生徒は前を向いて聴講している。彼らには聞こえているのだ。取り乱してはいられなかった。取り敢えずノートを取らなければと考え、視線を落とした時。

確かに落としたはずのシャーペンが見えない。机もノートもどれも右側に目を向けると歪み、これは右手だろうか?どこが指かも分からない。左手は問題無く見える。兎に角、ノートをとらなければ。板書きの汚い教授だが、何も無いよりはいい。私は左手を右手のあった辺りに差し込んだ。手探りすると固く冷たい物に触れた。それは右手の下辺りにあった。引き出してみると、まさしくシャーペンである。黒板の図だけでも写すだけでも何もしないのとは違う。そう考えて顔を上げた時、黒板も歪んでしまいただでさえ読みにくい字がのたうっていた。

一体どうやってノートをとろう?

誰も異変には気づいていない。全身から力が抜ける気がした。そして、ゴト、と重たい物が動く音がした。音の鳴った右側に顔を向けると、右腕が机にぶつかりながら脱落していった。悲鳴は喉につっかかった。下顎が頬の筋肉を引きずりながら下垂していき、ボトリと音を立てて外れたのを見送った。そしてそのまま右眼も瞼から滑り落ちた。その眼が最後に見たのは、とっくに外れ腐臭を放ちながら融解していく右脚と、そんなことには素知らぬ顔の左脚だった。右肩の上に何かが触れた気がした。頭を傾けると、頬に触れた感触からそれが何か分かった。


右耳だ。


傾いた耳から内臓のようなものが流れ落ちた。

左半身だけが真っ当に授業を受けている。




音はもう、聞こえなかった。



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