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「悪気はない」と幼馴染の従者を庇い続けた婚約者へ、真実を突きつけて婚約解消いたします

掲載日:2026/08/05

王都の喧騒を見下ろすアルベルト公爵家の執務室で、セシリアは手元の日記帳をそっと閉じた。


装飾の施された革表紙の中には、この半年間に繰り広げられたあまりに理不尽な出来事が、日付と時間、そして仔細な状況とともに几帳面に記録されている。


「……セシリア様、お茶の差し替えをお持ちいたしました」


控えていた侍女のアンナが、心配そうな眼差しを向けながら温かい紅茶をコップに注ぐ。


「ありがとう、アンナ。大丈夫よ、ため息をついていたわけではないわ」


「ですが……また本日も、ジュリアン様との約束がふいになったのでしょう?」


アンナの悔しげな問いかけに、セシリアは薄く苦笑を浮かべることしかできなかった。


そう、今日予定されていたのは、数か月前から楽しみにしていた王立劇場での観劇だった。

話題の劇団による1年ぶりの新作公演。座席の確保が極めて困難な特別観覧席を、セシリアが自ら手を尽くして2席分用意していたのだ。


だが、劇場前に現れたのは、婚約者であるジュリアン・ロザンベール伯爵令息ひとりではなかった。


彼のすぐ後ろには、いつものように当然といった顔で佇む青年——彼の幼馴染であり、専属従者でもあるレオンの姿があった。


『セシリア、悪いんだが、レオンも急遽同行させることになった。彼は舞台芸術に造詣が深くてね。僕たちの会話も弾むと思ってさ』


ジュリアンは呑気な笑顔でそう言った。


『お言葉ですがジュリアン様、セシリア様がご用意されたのは特別な2人席です。レオン様のお席はございません』


そう指摘したセシリアに対し、横から割り込んできたのはレオンだった。


『おや、セシリア様。ジュリアン様の安全と健康をお守りするのが私の務めです。このような人混みの激しい劇場で、私が傍を離れるわけにはまいりません。まさか、公爵令嬢ともあろうお方が、主人の身を案じる従者の真心を突っぱねるおつもりですか?』


慇懃無礼な態度と、悲劇の忠臣を気取った言い分。


結局、レオンはどこからか追加の椅子を持ち込ませてセシリアの真横に陣取り、公演中もジュリアンにひそひそと話しかけ続けた。

結果として、セシリアは劇の台詞すらまともに聞き取れず、不快感に耐えるだけの時間を過ごすことになったのだ。


(これが、一度や二度のことならば、私もここまで追い詰められはしなかったでしょうに)


セシリアは冷めかけた紅茶に手を伸ばし、一口含んだ。


思い返せば、過去の約束もすべて同じだった。


一か月前、王都で一番と名高いサロンでのお茶の約束。

静かな個室でゆっくりと歓談するはずが、注文の直後にレオンが室内に踏み込んできた。


『ジュリアン様! 大変です、昨晩の書類に不備が見つかりました! 今すぐ確認していただく必要があります!』


そう叫んでテーブルに書類を広げ、二人のティータイムは一瞬にしてロザンベール家の実務作業の場へと変貌した。

セシリアが注文した特別メニューの焼き菓子は、いつの間にかレオンの手によってジュリアンの口へと運ばれ、セシリアはただの置物のように扱われた。


さらにその前、街歩きの約束。

セシリアが新しいドレスの仕立てのために街へ繰り出した際も、レオンは当然のように同行した。


『ジュリアン様、こちらのショップの新作男性用ジャケット、とてもお似合いですよ!』

『セシリア様のお買い物? いえいえ、ジュリアン様の装いを整えることこそが、同行者としての最優先事項でしょう』


そう言ってセシリアの行きたい店をすべて後回しにし、ジュリアンの買い物の荷物持ちとしてセシリアを連れ回したのだった。


観劇、お茶、街歩き。

婚約者として互いの人柄を知り、信頼を深めるためのあらゆる機会が、レオンという一人の男によって完璧に踏みにじられてきた。


セシリアとジュリアンが二人きりで会話をした時間など、この半年間で通算しても十数分にも満たない。


「ジュリアン様にも、何度も訴えましたわ」


セシリアはつぶやいた。


劇場からの帰り道、我慢の限界を迎えたセシリアは、ジュリアンに直接その不満を伝えたのだ。


『ジュリアン様。私たちは婚約者同士です。二人でお話ししたいことがたくさんありますのに、なぜいつもレオン様が割り込んでおいでになるのですか? 従者としての節度を守っていただけるよう、ジュリアン様から注意してくださいませ』


真剣に語りかけるセシリアに対し、ジュリアンが返した言葉は、あきれるほど呑気で、無責任なものだった。


『まぁまぁ、セシリア。そう怒らないでくれよ。レオンには悪気はないんだ』


ジュリアンはへらへらと笑いながら、セシリアの肩を軽く叩いたのだった。


『彼とは幼少期からの付き合いでね。僕のことが心配でたまらないんだよ。少し距離感が近いところはあるけれど、悪意があってやっているわけじゃない。君ももう少し広い心を持って、彼を受け入れてやってくれないか?』


悪気がない。

幼馴染だから。

広い心を持て。


ジュリアンの言葉は、セシリアの胸に冷たい石を投げ込むようだった。


婚約者の立場や感情よりも、従者の身勝手な執着を優先し、それを注意することすら放棄する男。


どれほどセシリアが傷つき、軽視されているか、ジュリアンは一歩たりとも理解しようとしていなかったのだ。


(悪気がないから許されるとでも? 悪意がない分、自分の異常さに気づいていない分、質が悪いというのに……)


静かな怒りが、セシリアの胸の奥でふつふつと燃え上がっていく。


アルベルト公爵家の令嬢として、相手の家格や立場を考慮し、これまで穏便に対応しようと努めてきた。

だが、それも今日で終わりだ。


「アンナ」


セシリアは凛とした声で侍女を呼んだ。


「はい、セシリア様」


「お父様に面会の約束を取り付けてちょうだい。それから……ロザンベール伯爵家とのこれまでのやり取り、および本日の件に関する詳細な報告書を作成します。手伝ってくれるかしら」


アンナは一瞬目を見張り、すぐにセシリアの瞳に宿る強い決意を感じ取ると、深々と頭を下げた。


「喜んで、セシリア様。すぐにご用意いたします」


セシリアは机の上の日記帳を強く抱きしめた。


もう、我慢する必要などどこにもない。

堪忍袋の緒は、たった今、完全に切れてしまったのだから。


(ジュリアン様。そこまであの従者が大切で、私の訴えを軽視なさるのでしたら……どうぞ二人で末永くお幸せにお過ごしくださいませ)


セシリアの唇に、冷ややかな笑みが浮かんだ。


「婚約は、解消いたしましょう」




◇◇◇





アルベルト公爵家の執務室には、重々しい空気が満ちていた。


「またか、セシリア……。またあの従者が割り込んできたのか」


重厚な執務机の向こうで、父であるアルベルト公爵が深いため息とともに眉間を揉んだ。


セシリアが提出した日記帳には、この一年間に繰り広げられた数々の出来事が整然と記録されている。

だが、父にとってそこに書かれている内容自体は、決して初耳ではなかった。


これまで開催された両家の食事会でも、アルベルト公爵家が主催したサロンや夜会でも、あの従者レオンは当然のような顔でジュリアンの脇に侍り、勝手に会話に割り込んでは雰囲気を台無しにしてきたのだ。


その度に父も「ロザンベール伯爵令息、従者の弁えを指導しなさい」と直接注意してきた。

しかし、ジュリアンはその都度『まぁまぁ公爵閣下、悪気はないのです。僕のことを心配してくれているだけですので、どうか広い心でお許しください』とヘラヘラ笑って聞き流すばかりだったのだ。


「ええ、お父様。観劇もお茶も街歩きも、二人の約束はすべてあの方々に踏みにじられました。お父様がいくら注意なさっても、ジュリアン様は一向に改善なさる気がありません」


セシリアの口調は冷ややかに澄んでいたが、その奥には積み重なった絶望と深い疲弊があった。


「公爵家としての面目も、私の尊厳も、これ以上踏みにじられるわけにはまいりません。今夜の建国記念夜会……あの方々が相変わらずの態度をとるのでしたら、完璧に決着をつけたく存じます」


公爵は娘の強い決意を確かめると、深く頷いた。


「分かった。ロザンベール伯爵夫妻も出席する今夜の夜会で、あの愚か者どもの不誠実さを白日の下に晒そう。逃げ場のない形で、正式に婚約解消を突きつけてやる」


---


建国記念夜会の当夜。絢爛豪華な王城の大広間は、華やかなドレスに身を包んだ貴族たちで賑わっていた。


会場に入ってまもなく、ジュリアンが近づいてきた。そのすぐ斜め後ろには、いつものように当然の顔で佇む従者レオンの姿がある。レオンは従者服ではなく、男爵家令息に匹敵するような不相応に豪華な礼服を纏っていた。


「やあ、セシリア。今夜も素敵だね。アルベルト公爵閣下、ご無沙汰しております」


ジュリアンが恭しく礼をとると、公爵は怒りを押し殺した冷ややかな視線を向けた。


「……ジュリアン殿。今夜は公式な夜会であり、両家の交流の場でもあると言っておいたはずだが。なぜまたその従者を伴っているのだ?」


公爵の厳格な問いに対し、ジュリアンは相変わらず呑気に微笑んだ。


「ああ、レオンのことですか。公爵閣下は相変わらずお厳しいですね。彼は私の幼馴染ですから、今夜も私の身の回りの世話と、セシリアとの会話を盛り上げるために連れてきたのですよ。いつも彼がいてくれた方が、場が和みますから」


そこへ、待ってましたとばかりにレオンが口を挟んできた。


「公爵閣下、お久しぶりでございます。ジュリアン様は心お優しいお方ですから、セシリア様のようなお堅いお方とお二人きりでは気詰まりでしょう。真の理解者である私が間に入り、滞りなくおもてなしするのが最善かと存じます」


またしても繰り返される、公爵家に対する不敬極まる発言。


「レオン様」


セシリアは氷のような眼差しでレオンを見つめた。


「何度も、そしてお父様からもお伝えしましたはずです。貴方は従者であり、ここは貴族同士の社交の場です。主人の婚約者やその父親に差し出口を叩くのは、弁えを欠いた無礼な振る舞いではありませんか?」


セシリアが淡々と指摘すると、レオンは大袈裟に肩をすくめて溜め息をついた。


「やれやれ、セシリア様は相変わらず冗談が通じませんね。私がどれほどジュリアン様のために気を配っているか、少しはご理解いただけないのですか?」


「レオン、言い過ぎだぞ」


ジュリアンは形ばかり注意したものの、すぐにセシリアへ向き直り、耳にタコができるほど聞き飽きた台詞を口にした。


「まぁまぁセシリア、そうカリカリしないでくれよ。彼に悪気はないんだから。君がもう少し広い心を持ってくれれば、皆で楽しく過ごせるんだ」


(悪気がない、広い心を持て……。そうやって私や父の警告を無視し続け、何十回、何百回と私の尊厳を押し潰してきたのですね)


父の直接の注意すら聞き流し、セシリアの訴えを「心の狭さ」として処理し続けてきたジュリアン。彼には反省の文字など最初から存在しなかったのだ。


その時、会場に音楽が響き、ファーストダンスの時間が近づいた。


「ジュリアン様。婚約者として、最初のダンスをお申し込みいただけますかしら?」


セシリアの問いかけに、ジュリアンが手を伸ばそうとした瞬間——案の定、レオンが横から滑り込んできた。


「ジュリアン様! 大変です、あちらでロザンベール伯爵閣下が重鎮の侯爵様方とお話しされています! 今すぐご挨拶に向かわねばなりません!」


「えっ? でも、セシリアとのダンスが……」


「ダンスなど後でいくらでも踊れます! 伯爵家の未来がかかっているのですよ! セシリア様もお立場上、ご理解いただけますよね?」


レオンは強引にジュリアンの腕を引っ張った。


「あ、ああ……分かった! セシリア、ごめん! 挨拶が終わったらすぐ戻るから!」


セシリアの制止を振り切り、ジュリアンはレオンに連れられて人混みの奥へと消えて行った。


残されたセシリアと公爵の周りには、これまでの一連のやり取りを目撃していた周囲の貴族たちの冷ややかな噂話が広がる。


『まあ……公爵閣下と令嬢様を放置して、従者の男とどこかへ行ってしまわれましたわ』

『いつ見てもあの従者は不躾ですわね。公爵閣下の注意すら聞き流すなんて恐れ多い……』

『ロザンベール伯爵家は、一体どういう教育をなさっているのかしら』


公爵は拳を固く握りしめ、静かに、しかし凄まじい怒気を孕んだ声で呟いた。


「……行ったか。こちらの度重なる警告を無視し、大勢の前で我が家を泥靴で踏みにじるような真似をするとはな」


「ええ、お父様」


セシリアは静かに微笑んだ。


「もう十分でしょう。あの者たちに、相応しい結末を迎えさせて差し上げましょう」





◇◇◇






セシリアとアルベルト公爵は、迷うことなく大広間の一角へと歩を進めた。


そこには、重鎮である侯爵たちと歓談しているロザンベール伯爵夫妻の姿があった。そしてそのすぐ側には、先ほどセシリアを置き去りにしていったジュリアンと、得意げな顔で傍らに控える従者レオンの姿もあった。


「これは、アルベルト公爵閣下! セシリア様も。いやはや、今夜は素晴らしい夜会ですな」


呑気に声をかけてきたロザンベール伯爵に対し、アルベルト公爵は一切の笑顔を見せることなく、朗々と通る声で宣告した。


「ロザンベール伯爵。当家と貴家との間において交わされた、ジュリアン殿と我が娘セシリアの婚約——たった今を以て、**完全に解消**させていただく」


静まり返る周囲。

大広間の喧騒が嘘のように引き、周囲にいた貴族たちが一斉にこちらへ注目した。


「こ、公爵閣下!? 一体なんの冗談ですか!?」

伯爵が動揺して声を裏返らせる中、真っ先に声を上げたのはジュリアンだった。


「公爵閣下、いきなり何を仰るのですか! 僕とセシリアはうまく行っています! 婚約解消だなんて、あまりに勝手すぎます!」


「勝手だと……?」


アルベルト公爵の鋭い眼光に射抜かれ、ジュリアンは思わず怯んだ。

セシリアは一歩前へ出ると、冷ややかな視線をジュリアンとレオンに向けた。


「ジュリアン様。『うまく行っている』とおっしゃいましたか? 正気でおっしゃっているのですか?」


「な、なんだよセシリア……。もしかして、さっきのダンスのことかい? だから言っただろ、父上が侯爵様方と話していたから、レオンの助言で挨拶を優先しただけじゃないか! たかがダンスを一度後回しにされたくらいで、婚約解消なんて大げさな……!」


ジュリアンが呆れたように溜め息をつくと、その隣でレオンがこれ見よがしに頷き、セシリアに向かって軽蔑を含んだ言葉を投げかけた。


「左様でございますよ、セシリア様。ジュリアン様は伯爵家の未来のために動かれたのです。それを理解せず、ご自分の我儘で婚約解消を言い出すなど……公爵令嬢としての器を疑いますね。ジュリアン様がどれほど苦労されているか、少しは分かられたらどうです?」


従者が公爵令嬢を公然と侮辱する発言。

周囲の貴族たちから「まあ……!」「従者の分際でなんと不敬な……」と悲鳴に似たざわめきが上がった。


だが、セシリアは怒るどころか、薄く微笑んだ。


「『たかがダンス』『私の我儘』……ふふ、本当にどこまでも愚かでいらっしゃるのね。ジュリアン様、そしてレオン様」


セシリアはパチンと優雅に扇子を閉じた。


「私が怒っているのは、今夜のダンスのことだけだとお思いですか? この一年間、私が何度あなた方に機会を差し上げ、何度お父様とともに警告したとお思いなのですか?」


セシリアの合図を受け、後ろに控えていた侍女のアンナが、分厚い束になった書類と数冊の日記帳を差し出した。セシリアはそれを周囲の貴族たちにも見えるように提示した。


「ここには、この一年間でジュリアン様と私との間で行われたすべてのやり取りが、日時・場所・証人の名前とともに克明に記録されています」


「な、なんだそれは……!?」


「観劇の際、私が用意した特別な席を無視して従者を強引に割り込ませ、終始私を蚊帳外に置いたこと。

サロンでのお茶会にて、不必要な書類を持ち込んで tea time をロザンベール家の作業場に変えたこと。

街歩きの際、私の買い物をすべて後回しにし、荷物持ちとして連れ回したこと。

さらには、我がアルベルト公爵家での催しや両家での食事会においても、従者レオン様が不当に割り込み、お父様の直接の注意すら無視し続けたこと……」


セシリアは朗々と、しかし氷のように冷たい声で一つひとつの事実を突きつけていく。


「私は何度も訴えました。『二人の時間を大切にしてほしい』『従者としての弁えを守らせてほしい』と。ですがジュリアン様、あなたの返答はいつも決まって同じでしたわね?」


セシリアはジュリアンの口調を模して、冷酷に吐き捨てた。


「『まぁまぁ、悪気はないんだ』『僕を心配してくれているだけだ』『広い心を持ちなさい』——と」


「くッ……そ、それは……! レオンは僕の幼馴染で、親切心でやってくれていたことで……!」


「悪意がなければ何をしても許されるとでも!? 婚約者の尊厳を踏みにじり、公爵家の警告すら聞き流し、従者の暴走を放置し続けた! それは婚約者に対する決定的な不誠実であり、公爵家に対する著しい非礼です!」


セシリアの断罪に、ジュリアンは顔を青ざめさせ、言葉を詰まらせた。

ロザンベール伯爵夫妻もまた、突きつけられた数々の不祥事と周囲からの冷ややかな視線に、ガタガタと震え始めている。


しかし、自分の立場を理解していないレオンだけが、なおも怒りに顔を歪めてセシリアに食ってかかった。


「言い掛かりだ! 私はジュリアン様を一番に思ってお支えしてきただけだ! セシリア様のような冷酷な女に、ジュリアン様の妻となる資格などない! ジュリアン様、こんな女との婚約など、こちらから捨ててやりましょう!」


「黙らぬか、下衆めが!!!!」


大広間に、アルベルト公爵の怒号が響き渡った。

その凄まじい威圧感に、レオンは悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。


「一従者の身でありながら、公爵家の令嬢に対し、そしてこのアルベルト公爵に対し、重ね重ね不敬な態度……断じて許さん! ロザンベール伯爵!」


「は、はい!!」


「貴家がこの無礼な従者を野放しにし、息子の不誠実を放任してきた罪は重い。当家は本日を以て婚約を破棄とし、これまでに被った精神的苦痛および公爵家の名誉毀損に対し、巨額の慰謝料を請求する! また、我が家が貴家に行っていたあらゆる事業支援および融資も、今この瞬間を以てすべて打ち切らせていただく!」


「な……ッ!? 融資の打ち切り!? ご、ご勘弁ください公爵閣下! それをされたら我が家は……!」


伯爵は血の気が引き、その場に膝をついた。

ロザンベール伯爵家は近年資金難に陥っており、アルベルト公爵家からの強力な援助があってこそ、伯爵家の体裁を保っていたのだ。


「父上……!? 一体どういうことですか!?」


事態の深刻さをようやく理解し始めたジュリアンが狼狽する中、セシリアは冷ややかに微笑み、崩れ落ちる彼らを見下ろした。


「自業自得ですわ、ジュリアン様。あなたが『悪気はない』と庇い続けたその男とともに……どうぞ破滅への道を歩んでくださいませ」


会場中からの冷悪と軽蔑の視線を浴びながら、セシリアは優雅に一礼し、父とともに堂々と大広間を後にしたのだった。





◇◇◇





王城での決定的瞬間から一か月。

ロザンベール伯爵家の落日は、拍子抜けするほど迅速に訪れた。


アルベルト公爵家からの事業支援と融資が即座に完全停止されたことで、資金繰りが行き詰まっていたロザンベール伯爵家は立ちどころに困窮した。

さらに、大勢の貴族が目撃した夜会での不祥事は瞬く間に社交界へ広まり、「公爵家に不敬を働き、婚約者を軽視した不誠実な家柄」として完全に孤立。関われば公爵家の不興を買うと恐れた他の貴族たちも、次々と事業や付き合いから手を引いて行ったのだ。


事態を重く見たロザンベール伯爵は、一連の元凶である従者レオンを即刻解雇し、屋敷から追い出したという。

長年「主人のために」と身勝手な振る舞いを続けてきたレオンだったが、従者としての推薦状も得られず、貴族社会での信用を失った彼を新たに雇う奇特な家など存在するはずもなかった。

噂によれば、彼は場末の港町で荒仕事に就くも、周囲との軋轢が絶えず苦しい生活を余儀なくされているらしい。


そして、婚約者であったジュリアンもまた、惨めな末路を辿っていた。


度重なる失態により廃嫡が決まった彼は、家を追い出される寸前、何度もアルベルト公爵邸へ身勝手な謝罪と復縁を求めて押し押しかけてきた。


『セシリア! 会ってくれ! 僕が悪かった! レオンの言葉を真に受けて、君を傷つけていたことにようやく気づいたんだ!』

『悪気はなかったんだ! 君を愛しているのは本当なんだ! だからお願いだ、もう一度やり直してくれ!』


門前で惨めに叫び続ける彼に対し、セシリアが会うことは二度となかった。


「悪気はなかった」——その言葉で自身の無神経さと怠慢を正当化し続けた男が、今さら何を言おうと胸に響くものは一切ない。


公爵家の厳しい警備兵によって取り押さえられたジュリアンは、最終的に領地の最果てにある小さな開墾地へと追放され、一生を泥に塗れて過ごすこととなった。






一方、アルベルト公爵家の執務室。


咲き誇るバラの花々が咲き誇る庭園を眺めながら、セシリアは穏やかな午後のティータイムを楽しんでいた。


「セシリア様。本日届きましたお便りの中に、フィッツジェラルド公爵令息様からのメッセージがございますわ」


侍女のアンナが微笑みを浮かべながら、銀のトレーに乗せた手紙を差し出す。


フィッツジェラルド公爵令息——かねてよりセシリアの誠実さと凛とした気品を高く評価し、先日の夜会でのセシリアの見事な対応に感銘を受けたという青年貴族である。


彼からの手紙には、セシリアの体調を気遣う心優しい言葉とともに、次回の観劇のお誘いが添えられていた。

もちろん、邪魔者など誰一人入る余地のない、二人きりの穏やかな時間を約束する言葉とともに。


「ふふ、彼のお誘いなら喜んでお受けしましょう」


セシリアは手紙を大切に閉じ、心からの笑顔を浮かべた。


不誠実な者に甘んじる時間はもう終わったのだ。

自分の価値を正しく理解し、互いを尊重し合える誠実な相手とともに、セシリアは新しく輝かしい一歩を踏み出していく。



お読みいただきありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
・堪忍袋の緒は切れるものだが、「切れ渡る」という表現はよくわからない。 ・サロンでのお茶で、焼き菓子が差し入れなのはなぜ?
男が好きだった系いわゆるB Lかな?タグは付いてないけどつけたほうがいいのでは?
レオン何がしたかった?ビーなエルだったのか、実はTS転生者で、セシリアが嫌いだったのか、もう少しバックボーン欲しかった。 観劇はどちらかというと出資者に遠慮するべきところやぞ。 観劇料金も払わせるべ…
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