あなたの愛、解像度が低すぎませんか? 画質を【4K】に上げたら真実の愛が見えてきました
「リアーナ・ヴァレンティン! 貴様のその淀んだ嫉妬心には、もはや我慢の限界だ! 予は真実の愛を見つけた。よって、貴様との婚約をこの場で破棄する!」
王城のシャンデリアが眩しく輝く大広間。
建国記念の祝賀パーティーという何百人もの貴族が集まる場で、第一王子・レオンハルトは高らかに宣言した。
彼の腕の中には、怯えた小動物のように震える男爵令嬢、ミアの姿がある。
(ああ、なんて美しい『愛』のかたち……)
周囲の貴族たちがざわめく中、私、リアーナの目には、二人の周りを漂う「ピンク色のオーラ」が見えていた。
私には昔から、他人が抱く『感情』が、ぼんやりとした色付きの靄のように見える特異体質があった。
特に「愛情」はピンク色の光として視覚化される。
今、レオンハルト殿下とミア男爵令嬢を包み込んでいるのは、とても強くて、キラキラした、綿あめのようなピンク色の靄だった。
「リアーナ様……ごめんなさい。でも、私と殿下は、どうしようもなく惹かれ合ってしまって……」
「気にするな、ミア。悪いのは、己の身分に胡坐をかき、お前をいじめたこの冷酷な女なのだから」
二人が見つめ合うたびに、ピンク色の靄はフワフワと膨張していく。
私が殿下から向けられているのは、ドス黒い「嫌悪」の靄だ。
(……ああ、もういいわ。このまま身を引きましょう)
私はゆっくりと目を伏せた。
元々、政略で結ばれた婚約だった。殿下から愛されていないことは気づいていたし、私の周りにある彼からの感情は常にグレーか黒だったから。
あんなにフワフワで綺麗なピンク色の愛を見せつけられては、私が割って入る隙などない。
そう思い、静かに頭を下げようとした、その時だった。
『システムメッセージ:ユーザーの精神的疲労が限界値を超えました。視覚デバイスのアップデートを行います』
――え?
脳内に、聞いたこともない無機質な声が響いた。
『現在の感情解像度:144p(最低画質)から、4K(超高精細)へアップスケールします』
『――適用完了。真実の視界を起動します』
バチッ!!
突如、目の前で強烈な火花が散ったような感覚に襲われた。
「きゃっ!?」
私は思わず両手で目を覆う。
「ふん、今さら泣き真似か? 見苦しいぞ、リアーナ」
レオンハルト殿下の冷たい声が降ってくる。
私は恐る恐る、目を開けた。
そして――息を呑んだ。
「……は?」
視界が、信じられないほどクリアになっていた。
いや、物理的な視力のことではない。私が見ていた「感情の靄」の解像度が、文字通り劇的に跳ね上がっていたのだ。
先ほどまで、レオンハルト殿下とミアを包んでいた「フワフワで綺麗なピンク色の綿あめ」。
それが今、超高画質の【4K】で私の目に飛び込んできた。
「な……なに、これ……っ気持ち悪っ!!」
私は思わず後ずさりし、ドレスの裾を踏んで尻餅をついてしまった。
無理もない。
4K画質になった殿下の「愛」の正体は、美しい綿あめなどではなかった。
それは、ウジ虫のように蠢く無数の文字と、ドロドロとした欲望の塊だった。
ピンク色に見えていた靄を構成していたのは、
『俺スゲー!』『こんな可憐な子を庇う俺カッコいい!』『チョロい!』『とりあえず顔がいいから抱きたい!』『公爵家のうるさいリアーナから逃げたい!』『俺を崇拝しろ!』
という、自己顕示欲と性欲と現実逃避が複雑に絡み合った、グロテスクなヘドロの集合体だったのだ。解像度が上がったことで、そのドロドロの表面のテカリや、欲望が蠢く際の粘着質な糸までが、超高精細に見えてしまっている。
「ど、どうした、リアーナ。急に腰を抜かして……ついに己の罪の重さに気づいたか?」
レオンハルト殿下が、勝ち誇ったような顔で私を見下ろす。
その顔の横で、『俺ってば今最高に輝いてる!』という文字が、4Kの立体ポリゴンのように滑らかに回転していた。
(う、うわああああ……! 今まで私、このヘドロを『美しい愛』だと思って身を引こうとしてたの!? 解像度が低かったせいで、モザイクが勝手に脳内補正されて綺麗なピンクに見えてただけだったの!?)
私は吐き気を堪えながら、今度はミア男爵令嬢の方を見た。
彼女から殿下へ向けられている「ピンク」はどうだ?
『次期王妃の座ゲットォォ!』『公爵令嬢に勝った私マジヒロイン!』『金! 権力! チヤホヤされたい!』『この男、頭空っぽで操りやすいわぁ』
ミアのピンク色は、刃物のように鋭く尖った「計算」と「強欲」のワイヤーフレームで構成されていた。4K画質で見ると、彼女の瞳の奥に「金貨」のマークが高精細で輝いているのがわかる。
(どっちも真っ黒じゃないのよ……!!)
「美しい愛」なんてどこにもなかった。
あるのは、低画質のモザイクでごまかされていた、生々しくて醜いエゴのぶつかり合いだけ。
私はこの10年間、こんな粗いドット絵みたいな感情に振り回されて、完璧な令嬢であろうと必死に努力してきたというのか。
「……ふっ、ふふふ……あははははっ!」
私は、ドレスの汚れも気にせず、床に座り込んだまま大爆笑してしまった。
あまりの滑稽さに、涙まで出てくる。
「な、何がおかしい! 貴様、ついに狂ったか!」
レオンハルト殿下が顔を真っ赤にして怒鳴る。その頭の上で『やべえ、想定外のリアクション! 俺の完璧なシナリオが!』という文字が4Kで高速点滅している。
「いいえ? 狂ってなどおりませんわ。ただ……あまりにもお二人の『愛』が、チープで、解像度が低すぎて……っ、ふふっ!」
「解像度……? 何を訳の分からぬことを!」
私はスッと立ち上がり、ドレスの埃を払った。
もう、この男に未練など1ミクロンもない。4K画質で本性を見てしまった今、彼から発せられるヘドロのような感情は、ただの「視覚的公害」でしかなかった。
「婚約破棄、喜んでお受けいたしますわ。どうぞ、その『素晴らしい愛』とやらを、お二人で永遠に育んでくださいませ」
私が晴れやかな笑顔でそう告げると、会場は水を打ったように静まり返った。
レオンハルト殿下は『え? すがるんじゃないの? 俺の優越感は?』と呆然とし、ミアは『やば、すんなり引き下がりすぎて逆に周りの同情買ってるじゃん!』と焦っているのが、手に取るように――いや、目に刺さるようにわかる。
*****
「……まったく、君という人は。あのような場で大笑いするなど、公爵令嬢としてあるまじき行為ですよ」
大広間から堂々と退出した私を追いかけてきたのは、氷のような冷たい声だった。
夜のテラス。月明かりの下に立っていたのは、漆黒の軍服に身を包んだ長身の男。
若くして王国近衛騎士団の団長を務める、辺境伯嫡男のギルベルト・フォン・ローゼンバーグ。
彼は昔から私に厳しく、顔を合わせれば小言ばかり言う「天敵」のような存在だった。
「ギルベルト様……。申し訳ありません、ですが、本当に滑稽だったのですもの」
「殿下の決定は覆りません。君は明日にも、王都から追放されるかもしれないのですよ? それがどれほど……」
ギルベルトが眉間におそろしいほどのシワを寄せて、私を睨みつける。
以前の私なら、彼の周りに漂う「真っ青で冷たい靄」を見て、(ああ、やっぱりこの人にも嫌われているんだわ)と落ち込んでいただろう。
低画質の視界では、彼から発せられる感情はいつも、吹雪のように冷たく厳しい「青」だったからだ。
だが、今の私の視界は【4K】である。
私はふと、ギルベルトの「青い靄」のディテールに目を凝らした。
そして、三度目の息を呑むことになった。
(……えっ?)
青い靄だと思っていたものは、実は「青」ではなかった。
それは、あまりにも純度が高く、あまりにも膨大で、あまりにも繊細に織り込まれた**「透明なクリスタル」の集合体**だったのだ。
クリスタルの一つ一つに光が乱反射し、それが遠目には冷たい青に見えていただけだった。
4K画質で見るそのクリスタルの内側には、驚くべき情報量が詰まっていた。
『リアーナが無事でよかった』『あんなバカ王子、こちらから願い下げだ』『君が笑ってくれたならそれでいい』『王都を追われるなら、私が辺境の領地で一生をかけて守り抜く』『君の強がりな横顔も、不器用な優しさも、すべてを愛している』『触れたい、けれど私のような無骨な男では君を傷つけてしまう』『ああ、今日のドレス姿も宇宙一美しい……っ!』
「……っ!?」
私は思わず、両手で口を覆って後ずさった。
なにこれ。
なにこの、超高密度の、重すぎる愛は。
レオンハルト殿下のヘドロ愛が10メガバイトだとしたら、ギルベルトのクリスタル愛は100テラバイトくらいある。情報量が多すぎて、視界が処理落ちしそうだった。
「……リアーナ? どうしたのです。顔が赤いですが……まさか、強がってはいたものの、やはり悲しみが……」
ギルベルトが心配そうに手を伸ばしてくる。
その手が動くたびに、『この手に触れる資格が私にあるだろうか』『いや、今だけは彼女を支えたい』という葛藤が、4Kの美しい光の粒子となってキラキラと舞い散る。
眩しい。
眩しすぎる。
真実の愛って、高画質で見るとこんなにも目が潰れそうになるくらい輝いているものだったの!?
「ち、違います! 悲しくなんてありません! むしろ……その……」
「むしろ?」
「解像度が高すぎて、ちょっと目が……っ」
「……はい?」
私はパニックになりながら、彼から顔を逸らした。
今まで「冷徹な騎士団長」だと思っていた男が、実は私に対して「超高解像度の激重純愛」を抱いていたなんて。
しかも、その愛は一切の打算や欲望(いや、ほんの少しの独占欲のスパイスはあるけれど、それすらも芸術的に美しい結晶だった)を含まない、完全無欠のピュア・ラブだったのだ。
「……リアーナ。聞いてください」
ギルベルトが一歩近づき、私の肩をそっと掴んだ。
途端に、彼から放たれるクリスタルの輝きが爆発的に強くなる。
『愛している』『世界中の誰が敵に回ろうと』『私だけは君の味方だ』
言葉にならない感情の洪水が、ナイアガラの滝のように私に降り注ぐ。
「君の行き場がなくなるというのなら、私の領地へ来ませんか。……いや、その……辺境は退屈かもしれませんが、君を一生、不自由はさせないと誓います」
口から出た言葉は、控えめで不器用なプロポーズ。
しかし、視覚化された4Kの感情は、
『頼む! 断らないでくれ! 毎日最高級の紅茶を淹れるし、君の好きなバラ園も作る! 君の足置きにでも何にでもなるから!!』
と、土下座せん勢いで叫んでいた。
私は、ぷっと吹き出してしまった。
「ふふっ……あははっ! ギルベルト様って、本当に……本当に、見た目と言葉が裏腹なんですのね」
「……? 何を言っているのですか?」
私は真っ直ぐに、彼を見つめ返した。
もう、低画質の偽物には騙されない。私の目は、最高品質の「愛」を見極めることができるのだから。
「喜んで、辺境へお供いたしますわ。ギルベルト様」
そう答えた瞬間、ギルベルトの周囲のクリスタルが『パァァァァン!!』と音を立てんばかりに輝きを増し、私の視界は完全に美しい光でホワイトアウトしたのだった。
*****
翌朝。ヴァレンティン公爵家は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
「よくやったリアーナ! あの馬鹿王子、以前から目に余ると思っていたのだ! 慰謝料はたっぷりふんだくってやるから、お前はギルベルト殿と辺境でゆっくり羽を伸ばしてきなさい!」
私を溺愛するお父様は、婚約破棄の報せを聞くや否や、王家への抗議文を徹夜で三通も書き上げていた。
私の目に映るお父様の感情は、温かくてホカホカした「オレンジ色のオーラ」。4K画質で見ると、それはまるで上質な暖炉の炎のようにパチパチと心地よく揺らめいており、『娘を傷つける奴は地の果てまで追い詰める』という過保護な文字が薪のように燃え盛っていた。
(お父様の愛情、高画質で見るとちょっと熱苦しいけれど、安心するわね)
私は苦笑しながら、手早く荷造りを済ませた。
そこへ、迎えの馬車が到着したとメイドが知らせにくる。
「リアーナ嬢。準備はよろしいですか」
玄関ホールに立っていたのは、昨日と同じ漆黒の軍服を纏ったギルベルト様だった。
相変わらずの無表情。氷点下の視線。しかし――。
『ああ、今日も彼女は美しい。朝の光に照らされた髪が天使のようだ。荷物は重くないだろうか? 私が持つべきか? いや、急に手を出したら気味悪がられるか?』
彼の周囲には、今日も今日とて、超高精細の「透明なクリスタル(激重純愛)」が、ものすごい情報量と共に乱反射していた。
昨夜よりも日差しが明るいせいか、クリスタルの透過率と輝きが増しており、文字通り「眩しすぎる」。
「ギルベルト様、おはようございます。……あの、少し眩しいので、これを」
私はたまらず、日傘をパッと開いて自分の顔の前に盾のように構えた。
「眩しい? まだ太陽は高くありませんが……体調でも悪いのですか?」
ギルベルト様が、スッと眉を寄せて心配そうに覗き込んでくる。
その瞬間、『私の気遣いが足りなかった!』『馬車のクッションをもっと柔らかいものに交換させるべきか!?』という文字が4Kポリゴンで私の顔面に迫ってきた。
「ち、違います! ただの……ええと、新しいファッションですわ! さあ、参りましょう!」
これ以上彼の「感情」を直視していると、こちらの精神が持たない。
私は足早に玄関を飛び出し、ローゼンバーグ家の紋章が入った立派な馬車へと乗り込んだ。
*****
王都から辺境伯領までは、馬車で数日の道のりだ。
ガタゴトと揺れる車内。向かいの席にはギルベルト様が、背筋をピンと伸ばして座っている。
彼は腕を組み、目を閉じ、まるで彫刻のように動かない。
以前の私なら、「やっぱり私と同じ馬車に乗るのが不快なんだわ」と落ち込んで、息を潜めていただろう。
だが、今の私には『真実の視界』がある。
(……うるさい。感情が、うるさすぎるわ)
目を閉じているギルベルト様の外見とは裏腹に、彼の周囲のクリスタルは爆音を立てる勢いで明滅していた。
『二人きりの密室……っ! やばい、どうすればいい?』
『彼女は退屈していないだろうか。本でも勧めるべきか? いや、酔わせてはいけない』
『今の揺れで少し肩が触れそうになった。神よ感謝します』
『だめだ、にやけそうだ。絶対に表情筋を緩めるな。私は冷徹な騎士団長だ。彼女に警戒されたら終わりだぞ、耐えろギルベルト』
(必死すぎませんこと……?)
私は扇で口元を隠しながら、必死に笑いをこらえた。
表情筋を死守しているギルベルト様には悪いが、彼の内面は、尻尾がちぎれるほど振り回している大型犬そのものだ。
ちょっと、意地悪してみようかしら。
今まで散々、冷たい言葉で私をへこませてきた仕返しだ。
「……ギルベルト様」
「っ、はい。何でしょう」
ビクッとしつつも、声のトーンは完璧な「冷徹ボイス」を保っている。
「なんだか、少し冷えますわね。……隣に座っても、よろしいでしょうか?」
私がそう言った瞬間。
ギルベルト様の周囲を漂っていたクリスタルが、ピタッと静止した。
まるで時が止まったかのように。
「……リアーナ嬢。君は、自分が何を言っているのか分かっているのですか。私は男ですよ」
声はどこまでも低く、厳しい。
しかし、4K視界で見える彼の感情は――。
『えっ? え?? 隣???』
『夢か? これは幻術か何かか??』
『心臓の音がうるさすぎて彼女に聞こえないだろうか!?』
『いや待て、落ち着け。ここで飛びついたらただの獣だ。紳士であれ!!』
静止したクリスタルが、次の瞬間、まるでスーパーノヴァ(超新星爆発)のように弾け飛び、馬車の中が眩いほどの光に包まれた。情報量の多さに、私の視界の端に『処理落ち警告:メモリが不足しています』というシステムメッセージが一瞬表示されたほどだ。
「ふふっ。冗談ですわ。でも、そうして眉間にシワを寄せているより、少しリラックスされた方が素敵ですよ」
私がクスクスと笑うと、ギルベルト様は耳の先まで真っ赤にして、バッと窓の外へ顔を向けてしまった。
『笑った……可愛い。尊い。一生守る……』
窓ガラスに反射する彼の顔は無表情だったが、その後頭部から立ち上るクリスタルの文字は、完全に私を崇拝する信者のそれだった。
解像度を上げたことで、まさかこんなにも彼が愛おしく(そして面白く)見えるようになるとは。
辺境への旅は、思ったよりもずっと楽しいものになりそうだった。
*****
一方その頃。
王都の空には、どんよりとした暗雲が立ち込めていた。
「おい、これはどういうことだ! なぜ王宮の運営予算が底を突いている!?」
執務室で、第一王子レオンハルトは書類の束を机に叩きつけた。
目の前には、青ざめた顔の財務官たちが立ち並んでいる。
「で、殿下……。ですから、先日の建国記念パーティーで、ミア男爵令嬢のご要望通りに、他国から取り寄せた最高級の薔薇を何万本も飾るなど、規格外の出費が重なりまして……」
「そんなものはリアーナが何とかしていたはずだろう! あの女の実家、ヴァレンティン公爵家からの援助金はどうなった!」
「そ、それが……リアーナ様との婚約破棄を受け、公爵家からの資金援助は完全に打ち切られました。それどころか、これまで公爵家が肩代わりしていた王家の負債を、一括で返済せよとの通達が……」
「な、なんだと!?」
レオンハルトは頭を抱えた。
彼には、国政を回す能力など最初から備わっていなかった。
優秀な公爵令嬢であるリアーナが、陰で実家の財力を使い、彼の無茶な要求の尻拭いをし、完璧な王太子であるように「見せかけていた」だけだったのだ。
「レオン様ぁ……」
そこへ、甘ったるい声を出しながらミアが執務室へ入ってきた。
「ねえ、聞いてくださいよぉ。ドレスメーカーの者たちが、ツケ払いはもうできないって言うんです。私、次期王妃なのに、こんなみすぼらしいドレスじゃ恥ずかしくて外も歩けませんぅ」
「……ミア、少し黙っていてくれ。今はそれどころではないんだ」
「えー? ひどぉい。私への愛はその程度だったんですか?」
ミアがわざとらしく涙ぐむ。
いつもなら、レオンハルトは「そんなことはない、君の願いなら何でも叶えよう」と抱きしめるはずだった。
だが、今は違った。
リアーナという「有能な管理者」がいなくなったことで、彼らの周りを覆っていた「身分」や「財力」というメッキが急速に剥がれ落ちていた。
もし今の二人の姿を、リアーナが4Kの『真実の視界』で見たならば。
レオンハルトの頭上に浮かぶドロドロの欲望は、ストレスで異臭を放ちながら腐敗し始め、ミアのワイヤーフレーム(打算)は、金という燃料を失って錆びつき始めているのがハッキリと見えたことだろう。
「くそっ、リアーナめ……! 余に恥をかかせる気か!」
レオンハルトはギリッと歯を食いしばる。
彼はいまだに理解していなかった。自分が失ったものの大きさと、解像度の粗い偽物の愛にすがりついた愚かさを。
*****
「はっくしょん!」
馬車の中で、私は可愛げのないクシャミを盛大に放った。
「リアーナ嬢! やはり冷えたのではないですか!? 私の外套を――いや、私が直接温めるのは不敬極まりない、どうすれば!」
目の前で、ギルベルト様がクリスタルをガシャガシャとパニック状態に点滅させながら立ち上がりかけている。
「大丈夫ですわ、ギルベルト様。ただ……なんだか、王都の方からひどく嫌な匂いがした気がして」
「匂い、ですか?」
「ええ。生ゴミが腐ったような……」
私は王都の空の方角をチラリと見やり、すぐに窓を閉めた。
「気のせいですわ。それより、辺境の領地に着いたら、最初に案内していただきたい場所があるのです」
「……私に、できることなら何でも」
ギルベルト様が、真剣な眼差しで(心の中では歓喜のダンスを踊りながら)頷く。
「領地の財政帳簿を見せてくださいな」
「……はい?」
「私、こう見えても数字には強いんです。ギルベルト様が私を一生守ってくださるというなら、私は領地の経営であなたを一生支えて差し上げますわ」
そう言って私が微笑むと。
『あ、あ、ああああああ……(感涙)』
ギルベルト様の周囲のクリスタルから、神々しいほどの後光が射し始めた。
眩しい。本当に、サングラスの導入を本気で検討しなければならないかもしれない。
高画質の愛は、私を過去のしがらみから解放してくれた。
これから始まる辺境での日々は、きっと、この眩しすぎるクリスタルと共に、忙しくも愛に溢れたものになるに違いない。
ローゼンバーグ辺境伯領は、王都の人間からは「魔物が住む荒れ地」「氷の国」などと揶揄されていた。
しかし、実際に到着してみると、そこは豊かな森と清らかな川に囲まれた、とても美しい土地だった。確かに気候は冷涼だが、その分、作物は甘みを増し、領民たちは素朴で温かい。
そして何より――。
「リアーナ嬢、本日の帳簿確認が終わりましたら、中庭でお茶にしませんか。君のために、王都から取り寄せた最高級の茶葉があるのです」
「まあ、嬉しいですわ! すぐに終わらせますね」
執務室のデスクで、私は山積みの書類にペンを走らせながら微笑んだ。
目の前に立つギルベルト様は、相変わらず氷の彫刻のように隙のない冷徹な表情を浮かべている。
しかし、私の『4K視界』が捉える彼の感情は、今日も大絶賛フル稼働中だった。
『今日も君が美しい! ペンを握る指先すら芸術だ!』
『私と一緒に茶を飲んでくれると言った! 神よ、私はいま世界で一番の幸せ者だ!!』
『だが無理はさせたくない。少し肩が凝っているのではないか? 私が揉むべきか? いや、セクハラになってしまうか!? ぐぬぬ……!』
彼から放たれる「超高精細の透明なクリスタル(激重純愛)」は、領地に到着してからというもの、日に日にその輝きと情報量を増していた。
最初の頃は眩しすぎてサングラスが欲しいと思っていた私だが、人間の順応力とは恐ろしいもので、最近ではこの「爆音で自己主張してくるピュアな愛情」がないと、なんだか物足りなくなってしまっている。
「それにしても、ギルベルト様。ローゼンバーグ領のポテンシャルは素晴らしいですわね」
私は書類をトントンと揃えながら言った。
「王都では『不毛の地』と言われていましたが、この土壌なら、寒冷地用の新種の麦が育ちます。それに、東の山脈で採れる鉱石。あれはただの石ではなく、魔力を帯びた『輝石』ですわ。加工して他国へ輸出すれば、莫大な利益を生みます」
「……君は、本当にすごいな。私が何年もかけても解決できなかった財政の課題を、たった一ヶ月で次々と紐解いていく」
ギルベルト様が、心底感心したように息を吐く。
彼から発せられる感情のクリスタルに、『尊敬』と『崇拝』の文字が立体的に浮かび上がってキラキラと回転している。
「ふふ、私は数字が好きなだけですわ。それに……私がこうして好き勝手に領地改革をやらせてもらえるのも、ギルベルト様が領民から深く信頼されているからこそです」
「私が?」
「ええ。領民たちの貴方に対する感情……とても温かくて、穏やかな緑色の光をしていますもの」
私の視界では、嘘や建前は一切通用しない。
領民たちがギルベルト様に向ける感情は、偽りのない感謝と信頼で満ちていた。彼がどれほどこの土地を愛し、守るために身を粉にして働いてきたか、その「解像度の高い真実」が私には手に取るようにわかるのだ。
『リアーナ……。君は私の心だけでなく、この土地のすべてを救ってくれる女神だ』
ギルベルト様のクリスタルが、感極まったようにプルプルと震えている。
「さて、お茶にしましょうか! 今日は私が、新しい特産品候補のフルーツを使ったお菓子を焼いたんですの」
「君の手作り……!? 毒見は私が!!」
「毒なんて入ってませんわよ!」
相変わらずのすれ違いコメディのような会話を交わしながら、私たちは執務室を後にした。
ヘドロのような偽物の愛に囲まれていた王都での生活が嘘のように、ここでの毎日は澄み切っていて、鮮やかだった。
*****
一方、その頃の王都。
かつて豪華絢爛を誇った王城は、見る影もなく荒れ果てていた。
「どういうことだ! なぜ食事のスープが、こんな塩水みたいな味しかしないのだ!」
食堂で、レオンハルト王子がテーブルをバンッと叩いた。
「申し訳ございません、殿下……。食材を仕入れる予算が完全に底を突きまして。料理長も、給金が支払われないと先週辞めてしまいました」
メイドが震えながら答える。
「馬鹿な! 王家の金庫にはまだ……」
「ヴァレンティン公爵家からの莫大な借金の返済に充てられ、すっからかんでございます」
レオンハルトは顔を青ざめさせた。
リアーナを追放した直後は、「あんな口うるさい女がいなくなってせいせいした」と豪語していた。しかし、彼女がいなくなった途端、王国の行政は完全にストップした。書類の決裁から、予算の割り振り、他国との外交交渉の根回しに至るまで、すべてリアーナが裏で完璧にこなしていたのだ。
「レ、レオン様……」
そこへ、薄汚れたドレスを着たミアが現れた。
「私、もうこんな生活耐えられません! 新しい宝石も買えないし、お風呂のお湯もすぐ冷たくなるし……! あなた、本当に次期国王なんですか!?」
「黙れ! 余だってどうすればいいか分からないんだ! お前が『贅沢したい』と我儘ばかり言うから、こんなことになったのだろう!」
「なっ……! 最低! そもそも私をこんな目に遭わせたのはあなたの無能のせいじゃない!」
二人は醜い言い争いを始めた。
もし、この場にリアーナがいて『4K視界』で彼らを観察したなら、レオンハルトの頭上には『責任転嫁』『現実逃避』のドス黒いヘドロが溢れ返り、ミアの周囲では『金ヅル終了』『次の男探そ』という計算高すぎるワイヤーフレームがカシャカシャと音を立てて崩壊していくのが見えただろう。
低画質のモザイクで「真実の愛」と錯覚していた二人の関係は、金と余裕というメッキが剥がれた瞬間に、いとも簡単に崩れ去ったのである。
*****
辺境へ来てから半年が経った。
私の内政手腕と、ギルベルト様の圧倒的な統率力により、ローゼンバーグ領はかつてないほどの繁栄を迎えていた。
新種の麦は大豊作となり、輝石の輸出は莫大な利益をもたらした。領民たちは豊かな生活を謳歌し、辺境は今や「王国で最も住みたい土地」とまで言われるようになっていた。
そんなある日、私たちの元に一通の書状が届いた。
差出人は、王家。
『王国は現在、深刻な財政難と治安悪化の危機に瀕している。有能なるリアーナ・ヴァレンティンよ、過去の罪(?)は水に流してやるゆえ、直ちに王都へ帰還し、レオンハルトの補佐、ならびに妃として国を立て直すよう命ずる』
「……はっ」
私は書状を読み終え、思わず鼻で笑ってしまった。
罪を水に流す? どの口が言っているのだろう。自分たちで国を傾かせておきながら、都合が悪くなるとまた私を利用しようとする。その厚顔無恥さには呆れるしかない。
「リアーナ」
低く、押し殺したような声が響いた。
顔を上げると、ギルベルト様が書状を睨みつけていた。普段は隠されているはずの彼の感情のクリスタルが、今は『激怒』という名の赤い光を帯びて、鋭く尖っている。
「こんなふざけた命令、従う必要はありません。私が全力で叩き潰します。王家が軍を差し向けてこようと、ローゼンバーグの全兵力を以て、君の指一本触れさせはしない」
彼の言葉は、嘘偽りのない本心だった。
4Kの視界が映し出す彼の感情は、『彼女を奪う者は神であっても許さない』という圧倒的な決意と、深い深い愛情で満ち溢れていた。
「叩き潰すなんて、物騒なことは言わないでくださいな」
私はクスッと笑い、書状をビリビリに破り捨てた。
「お断りの返事なら、もうお父様に頼んでありますわ。ヴァレンティン公爵家は完全に王家を見限りましたから、おそらく近日中に、レオンハルト殿下は廃嫡されるでしょう」
「……廃嫡」
「ええ。優秀な第二王子殿下が後を継ぐ手はずが整っているそうです。ですから、私たちが王都に戻る理由は、ただの一つもありません」
私がそう告げると、ギルベルト様の周囲を覆っていた赤い光がスッと消え、いつもの透明で神々しいクリスタルへと戻った。
「そうか……。君は、王都へは戻らないのですね」
「私にとっての居場所は、もうここ以外にありませんもの」
私が微笑みかけると、ギルベルト様は深く息を吸い込み、そして、静かに私の前に膝をついた。
「ギ、ギルベルト様?」
突然の騎士の礼に、私は目を丸くした。
「リアーナ・ヴァレンティン嬢。私は不器用で、気の利いた言葉一つ言えない男です。君にふさわしいかどうか、ずっと悩んでいました」
彼の声は少し震えていた。
しかし、その瞳は真っ直ぐに私を見上げている。
『君を愛している。世界中の誰よりも』
『この命が尽きるまで、君の笑顔を守り抜きたい』
『どうか、私と人生を共にしてほしい』
言葉にしなくても、彼から溢れ出す無数のクリスタルが、その想いのすべてを私に伝えてくる。情報量が多すぎて、視界が光で埋め尽くされそうだ。
けれど、もう眩しいとは思わなかった。
この温かくて、真摯で、少し重すぎる愛情の形が、私にとっての「一番安心する景色」になっていたから。
「……私の目には、人の感情の色や形が見えるんです。昔からずっと」
私は、自分だけの秘密を初めて彼に打ち明けた。
「だから、ギルベルト様が私をどれだけ大切に思ってくれているか、言葉にしなくても……ずっと前から、見えていましたわ」
「私の感情が……見えていた?」
ギルベルト様が目を丸くする。彼の頭上に『えっ!? じゃあ今までの私の脳内のデレデレした妄想も全部バレてた!? 恥ずかしすぎる死にたい!!』という文字が高速で駆け巡ったのを見て、私はこらえきれずに吹き出した。
「ふふっ、ええ、全部丸見えです。でも……そんな貴方だからこそ、私は好きになったのですよ」
私はしゃがみ込み、彼の大きな手をそっと握った。
その瞬間だった。
私の視界に、再びシステムメッセージが浮かび上がった。
『ユーザーの感情がリンクしました。双方向の真実の視界を解放します』
「え?」
私が瞬きをした次の瞬間、ギルベルト様が「あっ」と声を上げた。
「リ、リアーナ……君の周りに、光が……?」
「ギルベルト様にも、見えますの!?」
なんと、彼にも私の感情が視覚化されるようになったのだ。
私の周りには、彼への愛おしさと照れ隠しが入り混じった、鮮やかな「黄金色の光の粒子」が舞っていた。
「これが、君の私に対する感情……。こんなにも、温かくて……美しい……」
ギルベルト様は、私の黄金の光に触れるように手を伸ばし、そして私の顔を優しく包み込んだ。
「ええ。偽りなんて一つもない、私の最高画質の愛情ですわ」
「……私にはもったいないくらいだ。だが、絶対に離さない」
ギルベルト様の透明なクリスタルと、私の黄金の粒子が交じり合い、執務室は世界で最も美しい光で満たされた。
解像度の低い、チープな愛にはもう騙されない。
私たちはこれからも、この誤魔化しのきかない【4K】の視界で、互いの本音をぶつけ合いながら、最高の未来を描いていくのだ。




