幸運の置物と蔑まれた私は、この国の「厄災の貯金箱」でした。~婚約破棄された瞬間に、数百年分の不幸が満期を迎えたようです~
王立学園の大広間は、クリスタルのシャンデリアが放つ光で満たされていた。
今宵は卒業パーティー。
貴族の子女たちが華やかなドレスに身を包み、シャンパングラスを傾けている。
その中心に立つのは、金髪碧眼の美青年——エドワード王太子だ。
「皆、静粛に」
朗々とした声が響く。
楽団の演奏が止まり、数百の視線が一斉に彼に集まった。
私——フェリシア・ローゼンベルクは、壁際のソファに腰掛けたまま、静かに紅茶を口に運んだ。
嫌な予感がする。
王太子が公の場でこういう演出をするとき、ろくなことがないのだ。
「本日、重大な発表がある」
エドワードは胸を張った。
「私は、フェリシア・ローゼンベルクとの婚約を、ここに破棄する」
会場がざわめいた。
やはり、そうか。
私は静かにティーカップをソーサーに戻した。
陶磁器が触れ合う、かすかな音が響く。
「フェリシア公爵令嬢——いや、もう『令嬢』と呼ぶのもどうかと思うがな」
エドワードは嘲りを含んだ笑みを浮かべた。
「君はただ座っているだけで、何の公務も魔力も示さない。
この国が二十年間も戦争も飢饉も疫病もなく繁栄しているのは、この私の徳があるからだ。
君のような『運が良いだけの女』は、未来の王妃にふさわしくない」
隣に立つ準男爵令嬢イザベラが、得意げに胸を張った。
栗色の髪を揺らし、彼女は私を見下ろす。
「そうですわ。
あなたはただ幸運を享受するだけ。
私たちのように、努力している人間の足を引っ張らないでくださいまし」
周囲から失笑が漏れる。
私は立ち上がった。
銀色のドレスの裾が、床を滑るように揺れる。
「本当に、よろしいのですか?」
私の声は小さいが、不思議と会場全体に届いた。
「私がいなくなれば、この国の『収支』が合わなくなりますが」
エドワードは鼻で笑った。
「収支だと?
何を寝惚けたことを」
イザベラも甲高い笑い声を上げる。
「嫌だわ、負け惜しみを。
あなたの幸運なんて、私たちの愛の力で上書きしてあげますわ!」
会場が笑いに包まれる。
私は深く息を吸った。
「……承知いたしました」
そして、耳に付けていた小さな耳飾りを外す。
王家伝来の宝飾品だ。
婚約の証として預かっていたものだが、実はこれ、単なる装飾品ではない。
私の「加護」を増幅し、効率よく分配するための魔道具なのだ。
カチリ、と小さな音を立てて、床に置く。
その瞬間だった。
——ミシリ。
天井から、不吉な軋み音が響いた。
「え?」
エドワードが上を見上げる。
巨大なクリスタル・シャンデリアが、支えの鎖も切れていないのに、突然真下へ落下した。
ガシャアアアン!
轟音とともに、数百万エリの価値があるシャンデリアが粉々に砕け散る。
その破片の一つが、エドワードの頬をかすめた。
「ひっ!」
彼は慌てて後ろに飛びのく——が、何もない平らな大理石の床で、なぜか足を取られた。
バタン!
盛大に転倒する。
その拍子に、後ろにあったテーブルの角に顔面を強打した。
「ぐあああああ!」
エドワードが顔を押さえて悶絶する。
指の隙間から血が滲み、白い前歯が一本、カラカラと床に転がった。
会場が静まり返る。
「殿下!」
イザベラが駆け寄ろうとした——その時だった。
ドバシャアアア!
天井の配管が突然破裂し、消火用の汚水が滝のように降り注いだ。
「きゃああああああ!」
イザベラの自慢の栗色の髪が、瞬く間に泥水で濡れ鼠に。
高価なドレスも、茶色く染まっていく。
「い、いや、やだ、やだあああ!」
彼女は慌てて逃げようとして、濡れたドレスの裾を自分で踏んだ。
ビリビリビリ……!
派手な音を立てて、ドレスが腰のあたりまで裂けた。
白いペチコートが丸見えになる。
「見ないで、見ないでええええ!」
イザベラの悲鳴が響く中、私は静かに一礼した。
「それでは、失礼いたします」
背を向けて歩き出す。
扉へ向かう私の足元だけは、ガラスの破片も汚水も避けるように、一切降りかかってこない。
まるで道が開かれているかのように。
後ろで、複数の悲鳴が響いた。
「殿下!
大丈夫ですか!
お、お医者様を!」
「わ、私のドレスが……
髪が……!」
扉を閉める直前、私は振り返らずに呟いた。
「今まで、ありがとうございました」
王宮の中庭に用意された馬車に乗り込む。
御者が怪訝そうな顔をした。
「お嬢様、お一人でございますか?」
「ええ。
国境まで、お願いします」
「国境……ですか?」
「ええ。
急いでくださって構いません」
馬車が動き出す。
車窓から王宮を眺めながら、私は小さく息をついた。
物心ついたときから、私はずっと「おかしい」と気づいていた。
私がいる場所では、悪いことが起きない。
幼い頃、使用人が階段から落ちそうになったとき、私が近くにいれば必ず手すりが支えてくれた。
庭で遊んでいれば、雷雨が来ても私の頭上だけは雨が避けていった。
最初は偶然だと思った。
でも、あまりにも「偶然」が続く。
十歳のとき、宮廷魔術師に調べてもらった。
結果は——「稀代の幸運の加護」。
ただし、それには裏があった。
幸運には「総量」がある。
この世界全体で、幸運と不運は必ず釣り合うのだ。
私がいる場所で幸運が満ちるということは、
その分の不運が、どこかで「貯まっている」ということ。
そして私の加護は、
その不運を「未来へ先送り」にする力だった。
つまり——
私は、この国の「厄災の貯金箱」。
私がこの国にいる限り、
あらゆる不運は「支払い期日未定」のまま、どんどん積み上がっていく。
地震、飢饉、疫病、戦争——
すべてが「保留」され、平和が続く。
でも、貯金箱が壊れたら?
満期を迎えたら?
馬車の窓から、王宮の尖塔が見えた。
その頂にある避雷針に、突然稲妻が落ちた。
——ゴロゴロゴロゴロ……!
雷鳴が轟く。
晴天だったはずなのに、空が急速に暗くなっていく。
「お、お嬢様!
天候が急変しております!」
御者の声が震えている。
「構いません。
そのまま進んでください」
背後で、もう一度雷が落ちた。
今度は王宮の西棟だ。
絶縁体が劣化していたのだろう——
炎が上がるのが見えた。
数分後、王都の大通りに出た。
人々が慌てて走り回っている。
「火事だ!
王宮が燃えている!」
「消火を!
地下の貯水槽から水を!」
「だ、駄目です!
貯水槽が……ひび割れて、水が全部抜けています!」
「なんだって!?
昨日点検したばかりだぞ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
馬車は止まらない。
私の意志を反映するかのように、
人混みは自然と道を開けてくれる。
やがて、王都の門が見えてきた。
王都の門を抜ける。
その瞬間、背後で巨大な轟音が響いた。
振り返ると、
王都の中心部——王宮のあたりから、黒い煙が立ち上っている。
「お嬢様……あれは……」
「気にしないでください。
前だけを見て」
御者が震える手で手綱を握る。
馬車は王都を離れ、郊外へ。
さらに田園地帯を抜けて、国境の街道へと向かう。
私が遠ざかるにつれて、
不運の「回収」が加速しているようだった。
後ろから聞こえてくる、遠い悲鳴。
伝令の騎士が、馬を駆って追いかけてきた。
「フェリシア様!
お待ちください!
王宮が……王宮が大変なことに!」
「存じております」
私は冷たく答えた。
「ですが、
もう私には関係のないこと」
「そ、そんな!
殿下が……殿下が治療を受けたのですが、
医師が薬を間違えて……!」
「薬を?」
「ラベルが入れ替わっていたそうで……
顔が、顔が倍に腫れ上がって……!」
ああ、そういうことか。
私がいない場所では、
こういう「小さな不運」が無数に重なる。
一つ一つは些細なことだが、
積み重なれば致命的になる。
「それから……地震が……!」
「地震?」
「はい、
王都を震源とする大きな揺れが……
建物が崩れて……」
馬車の速度を緩めない。
御者に告げる。
「そのまま国境へ」
「し、しかし……」
「私が国境を越えれば、
すべて終わります」
終わる——そう、
「貯まっていた不運」が、一気に清算されて。
伝令の騎士は、それでも食い下がろうとしたが、
その時だった。
地平線の向こうから、
オレンジ色の光が立ち上った。
「あれは……火山……?」
そう、
五百年間休火山だった、あの山だ。
轟音が響く。
大地が揺れる。
騎士の馬が悲鳴を上げて暴れ、
騎士は振り落とされた。
「ひいいい!」
彼は這うようにして、
来た道を戻っていった。
やがて、国境のゲートが見えてきた。
「お嬢様、
国境ですが……」
「そのまま通過してください」
門番が、何か言いかけたが、
私の顔を見て黙った。
彼らも本能で悟ったのだろう。
今、この女を引き止めてはいけないと。
ゲートが開く。
馬車がゆっくりと、
国境線を越えた。
私の身体が、
一瞬ふわりと軽くなった気がした。
ああ、解けた。
数百年分の「縛り」が。
振り返る。
国境の向こう——
私の祖国の空が、真っ黒に染まっていく。
雷雲が渦を巻き、
稲妻が乱舞する。
そして——。
——ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
空から、
巨大な「何か」が落ちてきた。
隕石だ。
それも、
前例のない規模の。
遠くから、
かすかに声が聞こえた気がした。
「こんな……はずでは……!
フェリシア……!
戻って……加護を……!」
エドワードの声だ。
顔が腫れ上がって、ろくに喋れないはずなのに、
絞り出すような懇願。
でも、
もう遅い。
轟音。
閃光。
衝撃波。
馬車が揺れたが、
私の身体は不思議と安定している。
煙が晴れたとき、
地平線の向こうに巨大なクレーターが見えた。
王都があった場所に。
隣国の小さな町の、のどかな喫茶店。
窓際の席で、私は紅茶を飲んでいた。
ここに来て三日。
穏やかな日々だ。
店の主人が、笑顔で話しかけてきた。
「お客さん、不思議なことがあってねえ」
「何でしょう?」
「うちの裏の井戸、
十年も枯れてたんだが、
昨日急に水が湧き出したんだよ。
それもすごく綺麗な水でさ」
「まあ、
それは良かったですね」
「それだけじゃないんだ。
隣町の医者が言うには、
不治の病だった少年が突然治ったとか。
それに、今年は豊作になりそうだって
農家の人たちも喜んでてね」
「……そうですか」
私は静かに微笑んだ。
幸運の「総量」は変わらない。
ただ、配分が変わっただけ。
今まで私が背負っていた不運を、
あの国に返した。
その代わりに、
私自身の幸運は、
この国で使えるようになった。
——この国の『収支』は、
これから私が黒字にして差し上げましょう。
窓の外を見る。
遠く、国境の向こうに、
禍々しい黒雲が渦巻いているのが見える。
稲妻が走り、
大地が揺れているのだろう。
「あっちの国、大変みたいだね」
主人が眉をひそめた。
「地震に噴火に隕石だって。
聞いたこともない災害が
同時に起きてるらしい」
「……そうですね」
「王宮も崩壊したとか。
王太子も……
亡くなったって話だ」
ああ、エドワード。
あなたは最期まで、
理解できなかっただろう。
自分の「カリスマ」も
「政治手腕」も、
すべて私の加護の上に
成り立っていたことを。
私が不運を引き受けていたから、
あなたの決断はいつも
「たまたま」正しい結果を生んだ。
私がいたから、
あなたの演説の日は
「たまたま」晴天だった。
私がいたから、
敵対勢力は「たまたま」内紛を起こして
自滅した。
すべて、「たまたま」。
——私の犠牲の上に積み上げられた、
砂上の楼閣。
カップを置く。
「ごちそうさまでした」
「ああ、
またいらっしゃい」
店を出て、
小さな宿へ向かう。
道すがら、
子供が転びそうになったのを、
とっさに支える。
「ありがとう、お姉さん!」
「どういたしまして」
子供が駆けていく。
その後ろ姿を見送りながら、
私は思った。
——あの一族は、
私がどれほどの不運を背負って立っていたか、
一度も考えなかったのかしら。
まあ、いいわ。
私の貯金——幸運は、
これからこの国で使うことにしましょう。
この国の収支は、
私が必ず黒字にしてみせる。
空を見上げる。
こちらの空は、
どこまでも青く澄んでいた。
小鳥が囀り、
風が優しく髪を撫でていく。
ああ、
なんて穏やかな日。
背後、遥か遠くで——
かつての祖国があった方向で、
また雷鳴が轟いた。
でも、
もう私には関係ない。
私は前だけを向いて、歩き出した。
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