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異世界恋愛短編集

毒姫と呼ばれた王女、隣国の若き賢王に娶られる

作者: 百鬼清風

 幼い頃の記憶は、痛みと恐怖に彩られている。

 まだ七つになったばかりの頃だった。可愛がっていた白い仔猫が、ある日、王女の手のひらの上で苦しそうに痙攣し、そのまま動かなくなったのだ。柔らかな毛並みも、愛らしい声も、もう二度と返ってはこなかった。小さな命が、ただ自分に触れただけで奪われてしまった――その現実に、幼い心は深く傷ついた。

 そしてその日を境に、宮廷の人々は彼女を「毒姫」と呼び始めた。


 兄妹たちは次第に距離を置いた。兄王子は剣術の稽古に熱を入れ、妹姫は華やかな舞踏を学んでいたが、彼女が近づけば露骨に足を止める。侍女たちも用事があれば素早く済ませ、余計な言葉を交わさぬようにと怯えていた。王女は次第に、王宮の広間よりも自室の片隅で本を読んで過ごす時間の方が長くなった。孤独は幼い心を削り取っていく。


 学園に通い始めた時も同じだった。年頃の令嬢たちは「一緒に勉強しましょう」と笑顔を見せるものの、机を並べることは決してしなかった。ひそひそと「呪われた姫」「触れれば死ぬ」などと囁かれ、舞踏の授業では相手をしてくれる男子生徒すらいない。幼い頃の仔猫の事件が尾ひれをつけて広まり、噂は彼女を一層孤立させた。


 ある日、父王から謁見を求められた。広大な謁見の間に進み出ると、玉座の上から冷たい眼差しが彼女を射抜いた。

「お前には国のために果たすべき役割がある」

 その言葉に王女の胸は震えたが、父の視線に愛情は欠片もなく、そこにあったのは政略の駒を見定める冷徹さだけだった。


 夜、鏡の前に立ち、自らの顔を覗き込む。透き通るような白い肌も、深い翠の瞳も、本来であれば誉められるはずの美貌。しかし彼女は唇を噛みしめながら呟いた。

「私は呪い……人に害をもたらすだけの存在」

 吐き出すような言葉に、胸の奥がさらに締めつけられる。


 そんな彼女をただ一人、慰めてくれたのは母后だった。夜の帳が降りた静かな居室で、母は娘の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。

「お前は悪くない。悪いのは噂を恐れて、真実を見ようとしない人々だ」

 温かな声に涙が零れる。母だけが、この世で自分を「娘」として見てくれる存在だった。


 しかし、そんな母の優しさにすがる時間は長くは続かなかった。隣国から政略結婚の打診が届いたのだ。国王は即座に承諾し、彼女を輿入れの候補とした。王宮に広がったのは「厄介払いができる」という安堵のため息。臣下も兄妹も、誰一人として彼女の未来を案じはしなかった。


 王女は知った。自分はこの国に必要とされていないのだ、と。

 母が必死に抱きしめて「大丈夫」と囁いても、決して心は晴れなかった。心の奥に広がるのは、見捨てられた痛みと、知らぬ土地へ送られる恐怖。


 旅立ちの日。王宮の高い塔から見下ろした庭園は、幼い頃から彼女が憧れを抱き続けた景色だった。しかし今や、その美しい緑も花々も、ただ遠ざかっていくものにしか思えない。王女は馬車の中で両手を握り締め、こみ上げる涙を堪えた。

「……これが、私の運命」

 呟いた声は震えていた。孤独と恐怖を抱えたまま、彼女はまだ見ぬ隣国へと向かう。


 王女を乗せた馬車は、朝靄の中を静かに進んでいた。車輪が石畳を叩くたび、心臓が大きく跳ねるような気がする。窓の外には隣国の街並みが広がっていた。初めて目にする景色のはずなのに、そこには歓声も祝福もなく、ただ人々が遠巻きに見守っているだけだった。視線は恐れと警戒に染まっていて、王女の胸に重苦しい不安を広げる。

(やはり、私は歓迎されていない……)


 やがて馬車は城門に到着した。城壁は堅牢で威容を誇り、国力の高さを示していた。兵士たちが整列して迎える中、王女は震える足を踏み出す。目の前に広がるのは、これから暮らすことになる隣国の城――逃げ場のない運命の場所だった。


 玉座の間に通されると、荘厳な天蓋の下に若き王が立っていた。まだ二十代半ばにしか見えない青年。けれどその瞳には知性と自信が宿り、国を背負う覚悟を感じさせた。王女は怯えのあまり顔を伏せたが、次の瞬間、柔らかな声が響く。

「ようこそ、我が花嫁」

 恐れも嫌悪もなく、ただ真っ直ぐな言葉。王女は思わず顔を上げた。


 王はゆっくりと歩み寄り、片手を差し伸べた。震える心臓を押さえながら、その手を取る。――何も起こらなかった。幼い頃から自分に触れたものは必ず倒れるはずだったのに。玉座の間にざわめきが走り、人々が驚きに目を見開いた。

(どうして……? なぜ、この方には……)


 儀式は進み、婚礼の鐘が鳴る。王女は美しい衣装をまといながらも、胸の奥には混乱と恐怖が渦巻いていた。だが、隣に立つ王の存在が不思議と心を支えてくれる。視線を向ければ彼は微笑み、「大丈夫だ」と言わんばかりにうなずいた。


 その夜。初めての夜を迎えた居室で、王は静かに口を開いた。

「君を恐れる気はない。政略で迎えたのではない。私は、伴侶として君を必要としている」

 真摯な言葉に王女は言葉を失う。これまで誰もが彼女を避けた。近づけば怯え、触れれば呪いと囁かれた。そんな自分を「伴侶」と呼ぶ人間がいるなど、信じられなかった。


 王女は思わず口走った。

「私に触れれば……死にます。これまでずっと……」

 しかし王は眉一つ動かさず、むしろ口元に笑みを浮かべて言った。

「ならば共に死のう。それが夫婦というものだろう?」


 王女の胸に、熱いものが込み上げた。

 呪いとしか思えなかった存在を、恐れるどころか受け入れると断言する人。生まれて初めて、自分を「人」として見てくれる存在。震える手を王に伸ばし、涙をこぼしながら小さく頷いた。

 その瞬間、彼女の世界はほんの少し色を変え始めたのだった。


 結婚から数日が経った。王宮での新しい生活は、思いのほか静かで、そして落ち着かなかった。誰もが彼女を恐れて距離を取るのは以前と同じだ。食事を運ぶ侍女は皿を机に置くや否や下がり、掃除をする者たちも決して彼女の衣の裾に触れぬよう動いていた。

 そんな中、唯一変わらず距離を詰めてくるのは賢王だけだった。


「君の毒を、研究したいと思っている」

 ある夜、王は真剣な眼差しでそう告げた。

「……研究?」

「そうだ。恐れるものではなく、理解するために。そして、もし可能なら薬として役立てたい」


 王女の心は乱れた。研究とはつまり、また人々に見世物にされるということではないのか。幼い頃から散々、忌避と嘲笑に晒されてきた彼女にとって、それは恐怖でしかなかった。

「私は……また笑われるのです。呪われた姫だと」

 王は首を振った。

「いいや、私は笑わない。君の力を、正しく見極めたいだけだ」


 王の真摯な声に抗えず、ついに王女は頷いた。


 翌日、王宮の研究室には学者や医師が集められた。小動物を使い、王女の皮膚や血液に含まれる成分を確かめる。王女は硬く唇を結び、檻の中で震える生き物が倒れるのを見守った。胸にかすかな罪悪感が走る。

 だが――ある数値に研究者たちがざわめいた。

「一定の濃度以下では、逆に体を活性化させる……?」

「この成分、毒であると同時に治療薬になる可能性が……」


 王は机を叩き、立ち上がった。

「やはりそうか! 君は呪いなどではない。国を救う力を持っている」


 その言葉に王女は息を呑んだ。これまでただ「害」だとしか思えなかった自分の存在が、初めて「役立つもの」として見られた瞬間だった。胸の奥に、小さな灯火がともる。


 しかし、周囲の空気は簡単には変わらなかった。王妃教育を担当する侍女たちは未だに近寄ろうとせず、作法や礼儀を遠巻きに指導するばかり。王女が書物を開けば机に置いたまま逃げ、衣を整えるときでさえ長い棒を使う。心の距離は埋まらぬままだった。


 そんなある日、勇気ある一人の侍女が近づいてきた。

「お妃様……本をお運びしてもよろしいですか」

 怯えた声ながらも差し出された手に、王女は驚いた。そっと本を受け取ると、侍女は震えながらも微笑んだ。

「……思ったよりも、普通のお方で」

 その何気ない言葉に胸が熱くなる。これまで「毒姫」としか見られなかった自分が、初めて「普通」と呼ばれたのだ。


 その日を境に、王女の心には少しずつ変化が芽生えた。

 私は毒ではない。……力になれるかもしれない。

 そう思えるようになったのは、隣に立つ賢王と、勇気を見せた一人の侍女のおかげだった。


 王宮に新たな風が吹き込んだように見えたが、陰に潜む者たちの思惑までは消えてはいなかった。王女の毒が治療薬になるかもしれないと発表されても、それを「国を救う力」と信じる者ばかりではない。むしろ「恐ろしい兵器を王宮に抱え込んだ」と囁く声が増していた。


 宮廷の一角では、老獪な貴族たちが杯を傾けながら密談を交わしていた。

「毒姫など信用できん。もしも気まぐれに王を殺めたらどうする」

「いや、既に民の中では“呪われた王妃”の噂が広まっている。王家の威信を揺るがす存在だ」

「ならば、手を打つしかあるまい」


 王女自身も、流される噂を耳にしていた。侍女の一人が慌てて話を打ち切った会話には「毒」「災厄」という言葉が混じっていた。胸の奥に冷たい不安が広がる。

(やはり……私はここでも受け入れられないのか)


 ある夜、王女は書庫で一人本を読んでいた。静けさを破ったのは、突然背後から迫る影だった。鋭い気配を感じて振り向くと、黒ずくめの男が短剣を構えていた。

「呪われた女め、ここで果てろ」

 息を呑む間もなく刃が振り下ろされ――


 次の瞬間、男は苦しげにのたうち回り、床に崩れ落ちた。王女の腕に掠っただけで、毒が彼を蝕んだのだ。広がる血の匂いと呻き声。王女の瞳が大きく揺れた。

「わ、私は……また人を……」

 嗚咽が喉を塞ぐ。涙で視界が滲む。


 そこに駆けつけたのは賢王だった。状況を一目で理解すると、王は王女を抱き寄せ、静かに言った。

「泣くな。これはお前の罪ではない」

「でも……私のせいで……!」

「違う。命を奪ったのではない。お前の力は、命を救うためにも使える。そのことを忘れるな」


 王女はその胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくった。王の腕は強くも温かく、絶望に沈みかけていた心を支えてくれる。


 数日後、王は決断した。王妃を公式の場に立たせ、人々の前でその存在を示すこと。反対の声を抑えるには、堂々と「王の伴侶」として紹介するしかない。


 広間に集まった貴族や民衆の視線を浴びながら、王女は玉座の横に立った。心臓が破れそうなほど鼓動を打つ。だが隣に立つ王の手が、そっと彼女の指を握った。

「恐れるな。お前は私の妃だ」


 王女は深く息を吸い込み、震えを押さえて一歩前に出た。

「……私は、この国の王妃として参りました。どうか、皆様の力になれるよう尽くしたいと思います」


 静まり返った広間に、やがてざわめきが広がった。疑念の目も多かったが、それ以上に「毒姫が堂々と話した」という驚きの声が大きかった。


 その夜、王女は窓辺に立ち、自らの胸に手を当てた。

(私は、毒ではなく……この国のために生きる妃になれるのだろうか)

 答えはまだ遠い。だが彼女の瞳には、ほんのわずかに希望の光が宿っていた。


 春の穏やかな風が王都を包んでいた。だが、そんな日常は突如として崩れ去る。街で原因不明の熱病が広まり始めたのだ。最初は片隅の貧民街だけだったが、やがて市場や兵舎にまで感染は拡大し、患者は増える一方だった。王宮に届く報告書は日を追うごとに厚みを増し、医師たちは頭を抱えていた。


「これはただの流行り病ではありません」

 医師長の声は緊迫していた。

「薬草も祈祷も効き目がない。高熱と咳、それに皮膚の斑点……進行が早すぎます」


 会議の場は沈痛な空気に包まれた。誰も有効な手立てを示せない。そんな中で、賢王はふと王妃へと視線を向けた。

「……王妃の毒に、何か活路は見いだせぬか」


 ざわめきが広がった。毒を病に使うなど狂気の沙汰、と侍臣たちは口々に反対した。だが王は一歩も引かず、毅然と告げた。

「毒であると同時に薬となることは、研究で証明されたはずだ。ならば今こそ試すべきだろう」


 王女は息を呑んだ。自分の体から生まれるものを、人々の体に入れる――その恐ろしさは想像に余りあった。しかし、熱にうなされ苦しむ民の姿を思い浮かべると、胸が痛んだ。

「……私で、救えるのなら」

 震える声でそう答えると、王の瞳に力強い光が宿った。


 数日後、研究室では王女の血液を薄めて抽出し、試薬として用いる実験が行われた。小動物や病に倒れた囚人の治療に試みると、驚くほどの効果が現れた。高熱は下がり、呼吸が楽になり、皮膚の斑点までも薄れていく。

「効いている……!」

 医師たちは歓声を上げ、記録を取り続けた。


 やがて治療薬は実際の患者へと投与された。貧民街に集められた人々の中から、一人、二人と回復する者が現れる。家族の涙、子どもの笑顔。その光景を遠くから見つめた王女の胸に、熱いものがこみ上げてきた。

「私……人を救える……」


 民衆の間で噂は一気に広がった。「毒姫様が病を癒した」と。恐怖の象徴でしかなかった王妃が、救済の象徴として語られ始めたのである。

 人々は涙ながらに頭を垂れ、「ありがとうございます」と口々に礼を述べた。彼らの瞳には怯えではなく、感謝と尊敬が宿っていた。


 宮廷の大広間で開かれた式典では、回復した患者やその家族が王妃の前に進み出た。

「お妃様のおかげで、母は助かりました」

「ありがとうございます。私たちにとって、あなたは女神です」

 言葉を失うほどの祝福が降り注ぐ。王女の頬を涙が伝った。これまで生きてきた十数年、忌避と恐怖の声しか受けてこなかった自分が、今は感謝を浴びている――。


 その横で、賢王は堂々と民衆に向かって宣言した。

「我が妃は呪いではない! 国を救う力を持つ方だ!」

 力強い声が広間を揺るがし、人々の心に響いた。


 王女はその横顔を見上げ、心の奥底から思った。

(この方がいてくれるから、私は生きていける。……愛している)


 そしてその夜、王宮の庭園で二人きりになった時、王女は小さな声で打ち明けた。

「私はようやく、役に立てました。……あなたが、私を見捨てずにいてくれたから」

 王は微笑み、そっと彼女の手を握った。

「君はもう、この国にとってなくてはならない存在だ」


 その言葉に、王女の胸は温かく満たされていった。


 疫病が収束した王都には、ようやく安堵の空気が漂っていた。街には笑顔が戻り、人々は「癒しの女王」として王妃を称えた。だが、その陰で別の欲望が芽吹いていた。


「毒を支配できれば、この国の未来を握れる」

 そう囁く声は、権力に飢えた一部の貴族たちの間で広まっていた。王妃の力を薬として用いるだけでなく、兵器として利用すれば隣国に対して優位に立てる――そう考えた彼らにとって、王妃は「国宝」ではなく「道具」に過ぎなかった。


 ある夜、王女は庭園で静かに花を眺めていた。夜風に揺れる花々の香りは優しく、ようやく穏やかな日々を得られたと胸を撫で下ろす。だが、背後から忍び寄る影に気づくことはできなかった。布で口を塞がれ、声を上げる間もなく、彼女は闇にさらわれた。


 目を覚ますと、そこは薄暗い倉庫のような場所だった。手足は縄で縛られ、粗末な椅子に座らされている。目の前には貴族風の男たちが立ち並び、冷たい笑みを浮かべていた。

「お前は兵器だ。王の隣に立つ資格などない」

「その毒を我らのために使え。さもなくば――」


 吐き捨てるような言葉に、王女の心は凍りついた。

(また……私は呪い扱いされるのか。人を救ったはずなのに……)


 彼らは試薬器具を用意し、彼女から血を採ろうとした。恐怖と絶望が胸を締めつけ、目に涙がにじむ。

「私は……また捨てられる存在なのね」

 震える声が倉庫に響いた。


 だが、その時。扉が破られ、光が差し込む。

「そこまでだ!」

 剣を構えて飛び込んできたのは賢王だった。兵士たちがなだれ込み、貴族たちを次々と取り押さえる。


 王は縄を切り、王女を抱き寄せた。

「怪我はないか」

「なぜ……そこまでして……私を……」

 涙で濡れた瞳を上げると、王は迷いなく答えた。

「君は私の妃だからだ。命を懸けてでも守る」


 その言葉に、王女の心の奥底で何かが崩れ落ちた。長い間、呪いだと疎まれ、居場所を奪われ続けた自分を、ここまで強く必要としてくれる人がいる――。


 王女の頬を涙が伝い、胸が熱くなる。

「……私は、あなたを……愛しています」

 震える告白は、これまで押し殺してきた感情の全てだった。王は驚いたように彼女を見つめ、そして静かに微笑んだ。

「その言葉だけで、十分だ」


 王女は強く抱きしめられながら、自分が初めて「呪いではなく愛される存在」になれたのだと実感した。


 王都に再び不穏な空気が流れ始めた。隣国との国境で武力衝突が発生し、やがて全面戦争の火種へと広がっていく。疫病の騒動で弱まった国力を立て直す間もなく、兵士たちは急ぎ戦地へと送られた。


「毒妃を兵器として用いれば、勝利は確実です!」

 軍議の席で、将軍の一人が声を荒げた。

「敵軍に彼女の毒を流し込めば、一夜にして数千の兵を葬れるでしょう」


 場はざわめいた。多くの貴族や将軍が同意の声を上げる。だが玉座に座る賢王は首を横に振り、沈黙を守っていた。視線の先には、硬い表情で座る王妃の姿があった。


 会議が終わった後、王女は王の私室に呼ばれた。二人きりになった途端、彼女は苦しげに言葉を吐き出した。

「やはり……私は呪いなのですね。皆、私を兵器としてしか見ない」

 王は静かに首を振った。

「私は違う。君の意思に従う。もし嫌なら、誰も君を戦場に立たせはしない」


 その優しい声に、王女の胸は締めつけられた。自分の選択に任せるという王の覚悟――その信頼が重かった。

(私はどうするべきなの……?)


 戦況は悪化し、国境付近の村々は次々に焼かれていった。負傷兵の列が王都に押し寄せ、血と呻き声が宮廷を満たす。王女はその光景を目の当たりにし、拳を強く握りしめた。


「私は……毒ではなく薬として力を使います」

 涙をこらえながら、王女は宣言した。


 彼女は自ら傷ついた兵のもとに赴いた。恐れと敬意の入り混じった視線が集まる中、王女は震える手で兵の腕に触れた。薄めた毒を与えると、不思議なことに兵の呼吸が落ち着き、傷の感染が収まっていった。

「治って……いる……!」

 兵士たちは驚きと感謝で声を上げた。


 やがてその治療は捕虜となった敵兵にも施された。王女は王に告げた。

「彼らもまた命ある者です。救わなければ」

 反対の声はあったが、王は彼女の意思を尊重し、許可を与えた。


 敵兵が涙ながらに感謝し、王女の手を握った。

「あなたは敵などではない……女神だ」

 その言葉は瞬く間に戦場に広がり、両軍に動揺を走らせた。


 賢王は堂々と軍勢の前に立ち、誇らしげに告げた。

「これが我が妃の力だ! 人を殺すためではなく、救うために使う力だ!」


 その声は兵士たちの胸を打ち、剣を振るう理由を揺さぶった。やがて停戦を求める声が双方から上がり始め、戦火は和睦の方向へと傾いていく。


 王女はその光景を見ながら、心に深い実感を抱いた。

(私の毒は、もう呪いではない……国を救う力だ)


 長く続いた戦の火は、ようやく鎮まった。停戦協定が結ばれ、兵士たちは武器を下ろし、人々は安堵の涙を流した。疫病も治まり、街には活気が戻りつつある。そんな中で王妃は、もうかつての「毒姫」としてではなく、人々に「癒しの女王」と呼ばれるようになっていた。


 王女が城の外に出ると、民衆は歓声とともに花を差し出した。怯えや恐怖の色は消え去り、代わりに笑顔があふれている。

「お妃様! ありがとうございます!」

「あなたのおかげで家族が救われました!」

 その声を受けながら、王女は胸を張って歩いた。これまで背を丸め、視線を避けてきた自分とはまるで別人のようだった。


 王と二人で街を巡った帰り、城の庭園を歩いた。夜空には無数の星が瞬き、風に花々が揺れる。王は立ち止まり、真剣な眼差しを向けた。

「君の毒に救われた国だ。民も兵も、皆が君に感謝している」

 王女は首を振った。

「いいえ……呪いを力に変えてくださったのは、あなたです。あなたがいなければ、私はずっと毒姫のままでした」


 その言葉に、王は優しく微笑んだ。そして彼女の手を取り、固く握りしめる。

「では、これからも共に歩もう。癒しの女王として、そして私の妃として」

 王女の瞳に涙がにじみ、やがて微笑みに変わった。


 即位式の日。広場には国中から人々が集まり、旗と花で彩られた。賢王が正式に即位するその瞬間、王女は王妃として玉座の隣に立った。

 群衆は熱狂し、歓声が轟いた。王女の姿を見上げる瞳には恐怖も疑念もなく、ひたすら尊敬と愛情が宿っていた。


 王が宣誓の言葉を終えると、静かに振り返り、彼女の肩に手を置いた。

「これより、この国の未来を共に歩むことを誓う」

 その声に応じるように、王女も強く頷いた。


 そして、二人は誓いの口づけを交わした。大広場に割れんばかりの歓声が沸き起こり、鐘の音が空に響き渡った。


 その瞬間、王女は心から確信した。


 もう私は毒姫ではない。愛される妃として、この国と共に生きていくのだ。



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